番外の章 『ハクトちゃん丼』
「はぁっ」
暖かい日差しが窓から差し込んでくる昼前の事務所内で机に頬杖をつきながら外をぼうっと眺めるカコは小さくため息をついた。
いつもなら仲間達と依頼をこなしたり、書類の整理をしたりしている時間なのだが今日は休みをもらい誰もいない一人きりの事務所でただ何もせずにいる。
初めての失恋、それも幼少の頃より長きにわたって育てられた淡い恋心はどうも相手には全くと言っていいほど伝わっていなかったらしかった。
それゆえにどうも何もする気力が起きず、家事も全部センスに任せきってしまっている。
それなのにセンスは
「大丈夫っすか? なんか食べたいものがあったらなんでも言って欲しいっす!」
と特に文句を言う事も嫌そうな態度すら一切見せる事なくに励ますように笑ってくれた。
その優しさに嬉しく思う反面、人から向けられる優しさに慣れていないカコはどこか腫れ物を触れるように扱うようなその気遣いに申し訳ない気持ちになってしまう。
「はぁっ」
もう一度小さくため息をつく。
ーー本当女々しいな僕は……
清太の事を救えたのは本当に良かったと思っているしこれから先も笑って楽しく暮らしてほしい。
瑠衣子にだって好きだったからこそ幸せでいてほしいと心の底から本気で祈っているし、それが出来るのが自分ではなく今の旦那である事も分かっているし割り切っている。
割り切ってはいるのだが、しかしどうも息を吸って吐いた時に吐ききれない空気がある時みたくモヤモヤとした何かが胸中で渦巻き、それがため息として放出されているようで結局負の感情を拭いきれないでいる。
「はあっ」
今朝から、ではなく昨晩から回数を重ねているため息は仮にカウントしていたとしたらこれで何度なのだろうか、もしかすれば百や二百はとうに超えているかもしれない。
ーーこんなんじゃハクトちゃんが怒るのも当たり前だよな……
「ーー何時までもむじむじしとるなんて男らしくねーのじゃ! 飯が不味になるわ! ーー敗れた恋の事などさっさと忘れるのじゃ! くだらん!」
今朝、朝食の時間にため息の回数を重ねるカコへ向けてハクトが放った怒声である。
といってもただの怒声というわけではなくその中にはハクトなりの優しさや激励も含まれておりもちろんカコもそれに気付いているし「坊主にするか? 坊主にするか?」と笑いながら髭剃り用の電気シェーバー片手にしつこく何度も訊いてきた樅木の態度と比べれば天と地の差だろう。(ちなみに樅木の反応に対してはかなり頭にきたので大事にしていた漫画を数冊燃やしてやり返した為、樅木は樅木でカコに負けず劣らず落ち込んでいた)
コトリッ、と落ち込み考え込んでいるカコの前へ不意にどんぶりが置かれた。
ずっと考え事をしながら落ち込んでいたために気づかなかったが、いつの間にやら時計の針は昼を指しており、事務所内にはいい匂い立ち込めていた。
目の前に置かれたそれは親子丼、それはカコの大好物だった。
センスに話した覚えはないが、樅木あたりから聞き出してわざわざ作ってくれたのだろうか。
「ありがとう、センスくん」
「……わしじゃよ」
お礼を言いながらどんぶりを置いてくれた人物の方を向くと、そこに立っていたのはセンスではなくハクトだった。
「え?」
カコは二つの意味で驚いた。
一つはセンスが来て以来一切料理をしていなかったハクトが料理を作ったことで、もう一つは母音、すなわち『あいうえお』が含まれる料理を作ることなかった彼女が親子丼を作ってくれた事である。
「何を呆けとる、ほれ、ハクトちゃん丼が冷めん内にさっさと食ーのじゃ」
嗚呼成る程、彼女はこの料理をハクトちゃん丼と言い切るらしい。
そんな彼女なりの優しさに
「いただきます!」
と今までの曇った表情から一変、笑顔を見せて手を合わせてから親子丼改めハクトちゃん丼を味わい始める。
少し甘めの味付けはカコの好みだった。
「美味しいよハクトちゃん」
「そーか良かったの」
ハクトはどこか安心したようにそう返すと近くの椅子に腰掛けた。
そして少し罰が悪そうに
「……朝は悪かったの」
その言葉にカコはまたも驚かされる。ハクトが自分の非を認め謝罪するなど珍しすぎることだったからだ。
「ううん、僕こそ嫌な気持ちにさせちゃってごめんね」
驚きを出さないように気をつけてカコも謝罪した。
「残念じゃったの」
「……うん」
「まっ、失恋の事などサッサっと忘れた方が良しじゃよ」
「……うん」
「同じ女として言ーが、瑠衣子みてーちゃんとした女に限って其方のよーに真面目なやつよりも少し悪なやつに惚れて恋愛になるもんじゃ」
「そうなんだ……ーーじゃあハクトちゃんなら僕の彼女さんになってもらえるかな?」
「な、なな、な、何言っとんじゃ、き、貴様……ん?」
全く思いがけてもいなかったカコからの発言に顔を茹蛸みたく真っ赤にしたハクトだったが
「……それはわしがちゃんとした女じゃねーって事か?」
カコの発言が揶揄いだと気づくと別の意味で顔を赤く染め出した。
「あはは、冗談だって」
「ぐぬっーー其方になどずっーと彼女なんかできんわ!」
頬を膨らませるハクトの姿をみてカコはどこか吹っ切れた気分になれて、心から笑えることができた。
「ーーお、カコ元気になれたっすか?」
玄関先から声が聞こえてきた。見れば依頼が完了したのかセンスと樅木が帰ってきていて樅木の方は何やら大きな紙袋を手にしている。
「なんだカコいいもん食ってんじゃねーか、親子丼か?」
「ちげーのじゃ、これはハクトちゃん丼じゃ!」
「あ? いやいやこれはどっからどう見ても親子丼だろうが!」
「じゃからこれはハクトちゃん丼じゃ!」
「まぁまぁっ二人とも落ち着いてーーそれより樅木さんその紙袋はなんなんです?」
「あっ、それ俺も気になってたっすーー本屋でたくさん買ってたっすけど一体なんの本なんすか?」
「ん? これか?」
ハクトと無意味な言い合いをしていた樅木もよくぞ聞いてくれたというような顔をして
「これはな、今のカコにおすすめの寝取られエ……うおっち!」
一応樅木なりの善意であったいかがわしい本と思われる中身は紙袋ごとメラメラと燃えてその姿を黒い燃えカスへと変えた。




