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雨足の音

作者: 柿崎

 今朝の天気予報じゃ梅雨が明けたと言っていたが、午後から急に降り始めた。みんなは雨が嫌いだと言うが僕は好きだ。厳密に言えば、濡れたタイルの道と自分のスニーカーの底が擦れる「キュッ」という音が好きだ。それは傘に打ちつける雨粒の音と合わせ、心地よい音楽となって僕の耳に届く。

 その音楽に、新たな音が加わる。僕の背後から近づいてきた革靴の音は、やがて男の声に変わる。

「きみは化学部に所属しているね?」

 雨の中で傘もささず、その紳士は僕に語りかける。

「友人は多いが恋人はいない。特技はサッカーのリフティング。君の身なりを見れば容易に見当がつくものだが、ひとつずつ解説しようか?」

 紳士の申し出に、僕は首を横に振る。

「いや結構。もう着いたから、どこかに行ってくれ」

 僕は紳士を思考の隅に追いやると、傘をたたみ、図書館の扉を開けた。

「あら、いらっしゃい。今日は随分早いね」

 僕の姿を確認したお姉さんが、カウンターの中で笑う。僕はカウンターに歩み寄り、スクールバッグから取り出した一冊の本をお姉さんに手渡した。

「今日で学校は最後ですから。返却お願いします」

「そうか、もう夏休みか。じゃあ明日からたくさん本が読めるね」

 そんな世間話をしながら、お姉さんは本の表紙に張り付けられたバーコードをスキャナーで読み込んでいく。

「どう? 面白かったでしょ。この本」

「はい。とても。でも僕は主人公の探偵があまり好きじゃないです。人をバカにしたようで、何を考えているのかわからなくて、まるで僕のすぐ近くにいて、僕のことを観察しているような感覚になりました」

「あはは。面白いことを言うね。主人公が近くにいるみたいなんて。君は本を深く読んで没入するタイプだね」

「はあ……そういうものでしょうか」

 褒められているのだろうか? どうリアクションすればいいかわからず、僕は曖昧な返事をした。そんな僕に構わず、お姉さんは、

「じゃあ、次の私のおすすめはこの本」

 と言って、カウンターの下から新たに本を一冊取り出した。随分と用意周到だ。

「今度はどんな本ですか?」

「遠距離恋愛に悩む中高生のお話。きっとキュンキュンして、また没入しちゃうかもね」

「恋愛ものですか。あまり興味ないな」

「そんなこと言わずに読んでみて。返却期限は二週間後ね」

 貸し出し手続きを行い、また二週間後に来ると約束し、傘をさして図書館を出た。

 いつのまにか、あの紳士はすっかり姿を消していた。

 雨の中を歩いてバス停まで来たが、バスを待つ人は一人もいなかった。屋根付きのバス停なのでベンチは濡れていない。傘をたたんで腰を下ろす。

 バスを待つ間に、さっそく借りた本を読もうか。そう思いスクールバッグを開けると、一枚の色紙が視界に入った。

「向こうの学校でも元気でね」

「また遊ぼうね」

 オレンジ、青、黄色。色とりどりの文字で書かれた言葉が、色紙の上に並んでいる。クラスメイト宛に書いたことは以前に何度かあったが、まさか自分が受け取る側になるとは思わなかった。

 ふと、母さんから買い物を頼まれていたことを思い出した。荷物を詰めるための段ボール箱を買わなくてはいけない。「来週には引っ越しだから急がないと」と言っていたっけ。

 思い出してよかった。でも他にも、何か忘れている気がする。誰かに何かを言い忘れているような。

 考えても思い出せないので、僕はあきらめて読書に集中することにした。先ほど借りた本をスクールバッグから取り出し、ページをめくる。お姉さんは、遠距離恋愛に悩む中高生の話だと言っていた。キュンキュンして没入すると言っていたが、はたして本当だろうか。

 読み始めてしばらくして、背後から音が聞こえてきた。濡れたタイルとスニーカーの底が奏でる、聞きなじみのある「キュッ」という音楽だった。

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