88話 プラタ
「──茉菜、起きてください。茉菜」
軽く頬を叩かれ、茉菜はうっすらと目を開く。
「よかった。大丈夫ですか?」
目の前の金髪の女性が、碧眼を心配そうに細めて茉菜を覗き込んでいた。
「あ、フェイルさん……」
「よかった、大丈夫そうですね」
茉菜が声を上げると、安心したように頷くフェイル。
「ここは……?」
頭をさすり、身を起こす茉菜。
「地下牢です。どうやら、罠に嵌まってしまったようですね」
顔を顰めてフェイルが言う。
そしてフェイルは、立ち上がる。
「茉菜、立てそうですか?」
「あ、はい……」
頷くと茉菜は立ち上がる。
そして周りを見回した。
フェイルの言う通り、ここは地下牢のようだ。
上下左右が壁に囲まれ、前方の一面だけ鉄格子がはまっている。
周囲にはフェイル以外誰もいない。
「あの、フェイルさん。他の人は……」
「わかりません。はぐれてしまったようです」
茉菜の問いに首を振るフェイル。
「しかし、困りましたね……これでは出れそうにありません」
鉄格子に歩み寄り、フェイルは軽く手で叩く。
「……あの、私、何とかできるかもしれません」
「本当ですか?」
茉菜が言うと少し驚いたような顔するフェイル。
茉菜は頷き、鉄格子に近付く。
鉄格子に触れると目を閉じる。
掌に水を作り出す。
そして、それに霊装を混ぜ込み、強靭な水の刃に作り変える。
音もなくスパッと切断される鉄格子。
他の鉄格子も同じように切断していく。
「──出来ました」
あっという間に人一人が余裕で通れる穴が完成した。
「これは……すごいですね!」
その手際を見て感心したように言うフェイル。
「そ、そうですか……?」
素直な称賛を受け、茉菜は照れて頬を掻く。
こういう風に褒められるのは慣れない。
「早速行きましょう!」
そんな茉菜には目もくれずに、意気揚々と監房から出るフェイル。
茉菜も慌ててそれに続く。
監房を出たところで二人は足を止める。
通路は、左右に真っ直ぐと伸びている。
通路の両脇には、延々と無人の監房が続いていた。
「どっちに行きましょう……」
「どうしましょうか……」
顔を見合わせるフェイルと茉菜。
「……取り敢えず、右に進みましょう!」
そう言い、ずんずんと歩き出してしまうフェイル。
茉菜はその後を追い掛ける。
「あの、フェイルさん」
「なんですか?」
茉菜は前を行くフェイルに声を掛ける。
振り向かずにフェイルは返事をする。
「どうして右に行ったんですか?」
それが気になって茉菜はフェイルに質問する。
「私の利き手だからです!」
「へ?」
その返答にぽかんと口を開く茉菜。
「し、仕方ないでしょう! 道がわからなかったのですから!」
頬を赤くしてフェイルが言う。
「そ、それに、迷ったら利き手の方を選べって、お父さんが……」
「お、お父さん……?」
その言葉に茉菜は目を白黒とさせる。
「あ、す、すみません……今のは、忘れてください」
気まずそうに目線を逸らすフェイル。
その時だった。
「……なんだ、騒がしいな。もう拷問の時間かよ?」
近くの牢から、そんな低い声が聞こえた。
「ひっ!」
フェイルが情けない声を上げて飛び退る。
「……ったく、何も吐かねえっつってんだろ。しつけーんだよ」
低い声は一人で続ける。
茉菜は恐る恐る声が聞こえた監房の中を覗き込む。
そこには、銀髪の男が鎖に繋がれていた。
「……あ? いつものやつと違うな。誰だ、てめぇ」
銀髪の男は、髪と同じ銀色の目を鋭く細めて茉菜を見据える。
その眼光に茉菜は軽く体を震わせる。
強い。
まるで猛獣に睨まれているかのようだ。
男からは、強者の気配が滲み出ている。
だが、安心もした。
この男は、人間だ。
「フェイルさん。大丈夫です。人ですよ」
茉菜は後ろで震えているフェイルに声を掛ける。
「ほ、本当ですか……?」
そう言い恐る恐る牢の中を覗き込むフェイル。
フェイルは男をまじまじと見つめる。
「……プラタ将軍閣下っ!?」
そして驚愕したような声を上げた。
「え」
「……てめぇ、なんで俺の名前を知ってやがる」
驚く茉菜と、更に目を細める男。
茉菜はプラタと呼ばれた男に目を戻す。
将軍と聞いていたので、もっと豪傑なのかと思ったが、意外にもプラタは細身だった。
しかもとても若く見える。
三十代くらいだろうか。
「今お助けします!」
そう言い鉄格子に近付き、動きを止めるフェイル。
そして茉菜の方を見る。
「あの、茉菜……」
「わかりました」
「その、ありがとうございます……」
申し訳なさそうにフェイルは言う。
茉菜は鉄格子を切る準備に入る。
「おい、待て待て。勝手に話を進めてんじゃねーよ。誰なんだ、てめーら」
こちらを睨み付けたままプラタは問う。
それを受けてフェイルが敬礼をする。
「私はバベル帝国第一皇子ウィスター様の近衛騎士、フェイル・フォン・ブラスベルと申します!」
「フォン・ブラスベル……? その名、どこかで……いや、それよりも」
軽く目を見開き、プラタは言う。
「ウィスター様は生きておいでか……!?」
「はい!」
その言葉に頷くフェイル。
「ウィスター様は皇太子であるエメリア様と共に皇宮に向かっております! 将軍閣下にも、是非お力添えをいただきたく、この場に馳せ参じました!」
「エメリア様……だと?」
その言葉を聞き、プラタは目を見開く。
「そうか……生きておいでなのか……」
そう呟きプラタは立ち上がろうとする。
しかし、その体を捕らえている鎖に阻まれ、立ち上がることができないようだった。
「ちッ、これだから『魄奪石』は厄介なんだ」
鎖を見て、吐き捨てるように言うプラタ。
「『魄奪石』って何ですか?」
聞き覚えのない言葉に首を傾げる茉菜。
「ああ? お前、魄を使えるのに知らねーのか?」
プラタは呆れたような顔をして鎖を持ち上げる。
「『魄奪石』は文字通り、魄を奪う性質を持った石だ。この鎖にはそれが混ぜられている」
呆れながらもきちんと説明してくれるプラタ。
「そんなものが……」
茉菜は驚く。
万能に思えた魄にも、弱点のようなものが存在しているとは。
「能力で鍵穴をかたどるのは無理ですか?」
「無駄だ。触れた瞬間に能力が解除される。形を保ってられねーよ」
茉菜の言葉に首を振るプラタ。
「では、どうすれば……」
「拷問に来る奴が鍵を持っていた。どこかに鍵があるはずだ。探せ」
その言葉に顔を見合わせる茉菜とフェイル。
そして頷き合うと、鍵の捜索に取り掛かる。
鍵を探し始めて、しばらくしてからのこと。
「……茉菜、見てください」
フェイルが声を上げる。
フェイルはある一点を指していた。
そこには壁に埋め込まれた小さな扉のようなものがあった。
小さな鍵穴がある。
茉菜は水を生み出し、それを鍵穴の中に入れる。
中の形に合うように、水の形を変える。
そして鍵を回す。
小さな音を立てて扉が開く。
その中には鍵の束が入っていた。
「見つけました!」
「やりましたね!」
顔を見合わせて頷き合う茉菜とフェイル。
そして鍵を持ってプラタの元へ行く。
「随分とずさんな管理だが……まあ、お陰で助かったぜ」
口を歪めて笑い、プラタは言う。
「……よし、これで最後か」
ジャラリと音を立てて最後の鎖が地面に落ちる。
自由の身となったプラタは軽く手首を捻る。
「助かったぜ。お前ら」
牢を出たプラタは茉菜たちを見て言う。
「──しかし、さっきからどうも地上が騒がしい。いったい何が起きてやがる?」
「民衆が暴動を起こしました。それを止めるために、エメリア様は……」
「なるほどな。決着は早い方がいいってことか」
首を鳴らし、拳を打ち合わせるプラタ。
「俺は皇宮に向かう。お前らはどうする?」
「私たちの仲間が、まだこの中にいます。その者たちと合流します」
「そうか」
プラタは軽く頷き背を向ける。
「解放してくれた礼に、いいことを教えてやるよ。前後から追手が迫ってきている。前は俺がなんとかしてやるから、後ろは自分たちでどうにかしろ」
「ご厚意に感謝いたします!」
プラタの背中に向けて敬礼をするフェイル。
プラタは片手を上げてそれに応えると、身を屈める。
地を蹴るプラタ。
その姿が一瞬で見えなくなる。
取り残された二人は半ば唖然としながらも、その姿を見送る。
しばらくしてフェイルが踵を返す。
「どこに行くんですか?」
その後を追い掛け、茉菜は問う。
「将軍閣下が追手を気にせず進めるように、敵をここで食い止めます」
そう言い、通路の先を見据えるフェイル。
「茉菜、あなたはどうしますか?」
「私も戦います」
茉菜はそう言い、フェイルの横に並び立つ。
「……助かります」
そう言うフェイルの顔は心なしか安心したようだった。
フェイルは通路の先に視線を戻す。
茉菜もその先にいるはずの追手を見据える。
その時だった。
ガツンッ、という音が響いた。
まるで、固いものが何かにぶつかるような音だ。
「あの、フェイルさん──」
音の出所が気になった茉菜はフェイルの方を振り返る。
「フェイル、さん──!?」
そこには、頭から血を流してぐらりとよろめくフェイルの姿があった。




