表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/205

2話 優しい記憶

 

 その日、瑠香は委員会の仕事で、朝早くから学校へと向かっていた。


 しかしその歩みは、ある少年を見つけたことで止まる。

 その少年はクラスメイトの奏鳴剣人であった。

 剣人は茂みの中で何かをしているようだった。


(怪しい……何をしているんだろう?)


 瑠香は剣人が何をしているのかが気になり、物陰でしばらく様子を見ることにする。


 少しして茂みの中から出てきた剣人は、脇目も振らずどこかへ走っていってしまった。


 剣人がいなくなった今なら、茂みの中に何があるのか見ることができる。

 茂みの中に何があるのか気になった瑠香は、物陰から出て恐る恐る剣人がいた茂みの中を覗き込んだ。


 そこにいたのは一匹の子猫だった。

 生まれてすぐに捨てられたのか、まだ目も空いていない子猫が段ボール箱の中にいた。

 目は空いていないが気配でわかるのか、子猫は瑠香の方に顔を向けてか細く鳴き声を上げる。


「嘘、子猫? こんなところに置いていったら……」


 そこは野晒しで、子猫にとってはとても危険な場所だった。

 大型の鳥にも見つかりやすく、万が一子猫が箱から出たら車道が近いため車に轢かれてしまうかもしれない。

 そんな最悪の可能性が、いくつも瑠香の頭を駆け巡る。


 瑠香には、その光景が信じられなかった。

 同じ、生き物なのに。

 何でこんな幼いうちに、捨てられなければならないんだろう。


 瑠香の人生は、平穏と言う以外のなにものでもなかった。


 優しい父と母。

 そこそこ裕福な家庭。


 それが普通だと思っていた。

 そんな瑠香に、その光景は大きな衝撃を与えた。


 気が付けば瑠香の頬を涙が伝っていた。


 どうしようもなく悲しくて。

 どうしようもなく虚しくて。

 涙は止まらなかった。


「瑠香」


 後ろから少し息の荒い声が聞こえた。

 驚いて後ろを振り返ると、そこにはさっきどこかへ走っていったはずの剣人がいた。

 全速力で走ったのだろう。

 汗だくでまだ息が整ってなかった。


 慌てて瑠香は涙を拭う。


(今泣いていたの、見られてないかな……)


「良かった、瑠香だよな? 俺、同じクラスの奏鳴剣人」

「う、うん。知ってるよ」

「そうか、それはよかった」

 そう言って剣人はニッと笑った。


「ちょっと、そこ、いいか?」

 剣人はそう言い、手に持っていたものを瑠香に見えるような高さまで上げた。

「え、?」


 それは牛乳だった。



 剣人が黙々と子猫に牛乳をあげているのを、瑠香は横で見守っていた。


(優しいな、剣人は)


「優しいんだな」

「え、え?」


 思ったことと同じことを剣人に言われてびっくりする瑠香。

 すぐに瑠香が涙を流していたことを言っているのだとわかった。

 それと当時に、気恥ずかしさが込み上げる。


「……やっぱり、見られてた……?」

「あ、いやごめん。見るつもりは、なかったんだけど」

「ううん、大丈夫」

 瑠香は静かに首を振った。


「──そうか」

 そこで会話が途切れる。

 少し沈黙が訪れた後、剣人が口を開いた。


「なんで、人は優しくなれないんだろうな」

 その声には複雑な感情が織り混ざっていた。


 怒り。

 諦め。

 虚しさ。

 悲しみ。

 瑠香も感じた感情が。


「それは──」

「わかってるよ。こんなこと言っても仕方がないって。でも──」


 剣人は悔しそうに呟く。

 なんで優しくなれないんだ、と。

 俯いた剣人の顔は前髪に隠れてよく見えなかった。


「大丈夫だよ」

 瑠香はそんな剣人を見ていられなくて口を開いた。


「剣人は優しいから」

 剣人の横に腰を降ろして子猫たちを見つめながら言った。

 そして剣人の手にそっと自分の手を重ねる。


「その優しさに救われた人もいるんじゃないかな」


 隣で剣人が息を飲んだような気がした。

 そのまましばらく沈黙が続いた。

 そして、大きく息を吐く音が聞こえた。


「瑠香のほうが俺より優しいじゃないか」


 剣人は笑いながらそう言った。

 改めてみると、自分がとても恥ずかしいことを言っていたことに気が付いた。

 これまで名前しか知らなかったクラスメイトに泣いているところを見られて、その上こんな恥ずかしいことを言ってしまうなんて。


 瑠香はプイッとそっぽを向いて、剣人の手から自分の手を離した。


「けど、ありがとな」

 まだ笑いながら剣人は言った。

「目が覚めたような気がするよ」

「それは、よかった」

 瑠香は膝を抱き寄せ、少し拗ねてそう言った。

 その頬は少し赤い。


 そのとき、小さな鼻歌が瑠香の耳に届いた。

 不思議な音だ。聞いていると優しい気持ちになる音。


 鼻歌の主は剣人だった。

 その横顔を見て瑠香は納得した。


 とても、やさしい顔。

 瑠香はその顔から目が離せなかった。


「……きれいな音」

「あ、ごめん。つい癖で出ちゃうんだ」


 恥ずかしそうに頬を掻く剣人。


「ううん、大丈夫。私好きかも。なんて曲?」

「わからないんだ。ずっと前から知ってた、ってことだけは分かるんだけど」

「そうなの?」

 気になったので聞いてみたいと思ったのだが、残念だ。


「う~ん、……あっ、そうだ」

 しかし、そこで瑠香はいいことを思いついた。

 ポンと手を合わせた瑠香を剣人は少し怪訝そうに見る。


「また聞かせてよ。それ」

 そう言う瑠香を、剣人は驚いたように見る。


「──やっぱりダメ、かな?」

「いや、そんなこと言われたの初めてでさ。瑠香がいいならいつでも聞かせてやるよ」

「ほんと? やった! じゃあ、約束!」


 ゆびきりげんまん、と小指を差し出す瑠香。

 照れたように笑いながら小指を絡める剣人。

 なんだかうれしくて瑠香を笑みを溢す。

 二人は小さく笑い合った。


「そう言えば、どうして瑠香はこんな朝早くに?」

 子猫に牛乳をあげていた剣人は、ふと思い出したように瑠香に問い掛けた。


「あ、うん、今日は委員会の仕事で──って、ああ!!」

 その大きな声に剣人は驚いたように瑠香を見た。

 急いで立ち上がる瑠香。


「私、今日委員会の仕事あったんだった!すっかり忘れてた!」

 焦ってそのままその場から少し離れる。


「そ、そうなのか」

「うん。ありがとう剣人、思い出させてくれて」

 そう瑠香が言うと、剣人は静かに首を振って笑った。


「それは、お互い様だよ」

 剣人は優しく笑ってそう言った。

「こっちこそありがとう。委員会、がんばれよ」

「うん、ありがと! じゃあね!」


 そう言って瑠香は学校へ駆け出した。


 その後は遅れて委員会に行き、先生に叱られながらも仕事を済ませた。

 委員会の仕事の後、教室に行ったが剣人はいなかった。


 その日剣人は学校を休んだ。

 後から聞くと、その日は子猫の貰い手を探して奔走していたと言う。

 だが、そのお陰で無事引き取り先が見つかったと、ホッとした様子で剣人はそう語っていた。


 その安心した顔に思わず瑠香の顔にも笑みが浮かんだのであった。


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ