188話 中央街にて
傷一つないビルの内部を進む瑠香。
周りには人一人いない。
瑠香が転移した場所は、恐らくフィールド中央にある高層ビルが立ち並んだ中央街だろう。
説明はされていたが、人がいない町と言うのはとても不気味だ。
足音を殺してビルの廊下を歩く瑠香。
周囲に異変がないか、常に気を配る。
その時、背後で微かに何かが動く気配がする。
勢いよく振り返り、臨戦体勢に入る瑠香。
「……すごいね。僕、だいぶ気配殺してたのに」
そこには両手を挙げたデルが立っていた。
それを見てふっと肩の力を抜き、苦笑する瑠香。
「もう、意地悪しないでよ。びっくりしたんだから」
「ごめんごめん、もうしないからさ」
両手を合わせてニッと笑うデルに瑠香は肩を竦める。
「で、誰かいた?」
「ううん、誰もいなかった」
中央街に転移した瑠香達は、まず高い位置から周囲を見渡そう、という結論に至った。
周辺で一番高いビルに向かう途中、瑠香達は他の受験者に三度遭遇した。
それらをすべて撃破した後、ほかの受験者も同じ考えを持っていると結論付けた瑠香達。
そこで、ビル内に入り、二手に分かれて先にビルに入った者がいないか探していたのだ。
「じゃあ、この周りにはもう誰もいないのかな」
「いや、もしかしたら違う考えで潜伏している人がいるかもしれない。常に誰かがいるかもしれない、って考えで慎重に行こう」
「そうだね。わかった」
デルの言葉に頷く瑠香。
そして足を一歩踏み出そうとした、その時。
「──待った」
小さくデルが囁く。
その声に混じった僅かな緊張に、瑠香は動きを止める。
デルの視線の先を辿る。
デルは廊下の先を真っ直ぐと見据えていた。
ひたり。
ひたり。
足音のような音が瑠香の耳に届く。
廊下の先の、角の向こうからだ。
息を潜めて、その瞬間を待つ。
そして──
角の向こうから何者かが姿を現した。
その姿の全容が明らかになっていくにつれて、瑠香の目は大きく見開かれていく。
白い髪。
右目を塞ぐ巨大な傷。
顔を覆う大量の縫い跡。
その一つしかない青い瞳が瑠香に向けられる。
その顔に、浮かぶ笑み。
「──ああ、また、会えたね」
切れ切れに声を発する男。
「──どうして、ここに……」
震える声で瑠香は呟く。
その声に滲む恐怖。
カラー。
瑠香と充の二人掛かりで手も足も出ず、ジャストの一撃からすら逃れることのできる、狂人。
その顔に浮かんだ笑みがさらに深まる。
狂喜。
そうとしか言い表せない感情がそこにあった。
「──君に、会いたかった」
そう言い、一歩踏み出すカラー。
その瞬間、その身から放たれる強烈な気配。
周囲が黒く染められたかと錯覚するほど邪悪なその気配に、瑠香は息を呑む。
同時に、隣でたじろぐデルの気配を感じ取り、デルの存在を思い出す瑠香。
今の瑠香ですら、この男には勝てない。
デルがいても無理だろう。
ならば──
「──デル、逃げて」
囁く瑠香。
その声にデルが息を呑む。
「……君も、一緒に──」
「だめ。一緒に逃げたらどっちか、ううん、多分どっちも死ぬ」
「なっ」
「だから、逃げて」
その声に込められた覚悟に気付いたのだろう。
しばらく沈黙した後、一歩下がるデル。
「──必ず、応援を連れてくる」
そう囁き、じりじりとデルは離れていく。
そしてある地点で背を向けて駆け出した。
遠ざかっていく足音に、少し足を撫で下ろす瑠香。
カラーはデルを追おうという素振りすら見せない。
その目は瑠香だけを見つめている。
最初から、デルは眼中にすらなかったのかもしれない。
ならば、この選択は正しかった。
瑠香が死んでも、カラーはデルを追わないだろう。
デルは生き残れる。
だから、瑠香は目の前の敵に専念できる。
拳を握り、ゆっくりと構える瑠香。
「やっと、二人きり、だね」
カラーは笑いながら両手を広げた。
その瞬間、さらに重い圧がカラーから放たれる。
びりびりと窓ガラスが震える。
荒くなりかけた呼吸を必死に整え、瑠香はカラーを見据える。
ズキン、と頭が痛む。
それに構わず、瑠香は一歩踏み出した。
カラーは動かない。
次の瞬間、瑠香はカラーに向かって駆け出した。
瞬き一つ分の間にカラーのもとへ到達した瑠香は、拳を振り被り、それを思い切りカラーの顔面に叩き付けた。
しかし。
それを、片手でいとも容易く受け止めたカラー。
そして瑠香の拳を掴むと、瑠香に身を引く間すら与えず、顔を近付ける。
そしてにたりと笑う。
「──そっか。見つけ、たんだね。あの、扉を」
その言葉に息を呑む瑠香。
カラーも『あの扉』を知っているのか。
「──でも、それでも。──君は、僕に、届かない」
「そんなの、やってみなきゃ、わかんないよ!」
叫ぶ瑠香。
そして掴まれていない左の拳を振るう。
その左腕が、グンッと巨大化する。
白い鱗を纏ったその竜の手でカラーを掴み、そのまま右手側の壁に叩き付ける。
壁に罅が入る。
そしてその壁の向こうは、空中だ。
空中に投げ出されるカラー。
それを追って、壁に空いた穴から飛び出す瑠香。
落下途中に体全体を竜に変形させる。
そして、轟音と共に瑠香は舗装された車道に着地した。
すぐに砂煙に包まれた前方を睨みつける。
その砂煙の中から歩み出るカラー。
服は汚れているものの、その体には未だに傷一つない。
「随分と、大きく、なったね」
楽しそうに笑いながら瑠香を見上げるカラー。
「でも、それだけだ」
そう言い、一歩踏み出すカラー。
その瞬間、瑠香は息を大きく吸い込み、吐き出す。
息は炎となってカラーに迫る。
「効か、ない」
両手を振ることでカラーは爆炎を相殺した。
驚愕に目を見開く瑠香。
次の瞬間、カラーの姿が消える。
瑠香は咄嗟に両手で顔を守った。
その腕にとてつもない衝撃が走る。
竜の姿のまま後ろに吹き飛ぶ瑠香。
そのまま背後のビルに叩き付けられる。
「くっ……」
脳が揺れる。
集中できない。
自動的に変身が解除される。
人の姿に戻された瑠香は、立ち上がろうと地面に手をついた。
しかし、先ほどの衝撃のせいか腕にうまく力が入らない。
地面に倒れこむ瑠香。
そんな瑠香の耳に駆け寄ってくる足音が飛び込んでくる。
「──瑠香! 大丈夫かい!?」
「……デ、ル……?」
抱き起こされる瑠香。
その目に飛び込む、心配そうなデルの顔。
「……どう、して」
「女の子一人置いて逃げられるわけない!」
「……ばか、だなぁ」
「男の子だからね」
ニヤッと笑って言うデルに、瑠香も苦笑する。
ズキン、と頭が痛む。
「ごめん、デル。やられ、ちゃった」
「だから、一緒に逃げようって言ったんだ」
「……ごめん」
「大丈夫。僕が、あいつを倒すから」
カラーの方を睨みつけて言うデル。
「ごめん、すぐに、戻るから」
薄れていく意識に抗いながら、瑠香は呟く。
頭の痛みが、どんどん酷くなっていく。
「うん、わかった。だから今は──」
ズキン。
ズキン。
──ゆっくりおやすみ。
その瞬間、その声をかき消すように。
何かが壊れたような音が、頭の中で鳴り響く。
そして。
『避けろ、瑠香ッ!!』
声が轟いた。
それに呼応するように瑠香の手が跳ね上がり、目の前にあったものを突き飛ばした。
地面を転がる瑠香の体。
カツンッと乾いた音が鳴り響く。
目を見開く瑠香。
『やっと目ェ覚ましたか。どうだ。腕は動くか?』
その懐かしい声に瑠香は驚く。
「世界軸、どうして──それに私、どうして……」
頭を抑えて瑠香は呟く。
そしてハッとデルの方を見る。
そこには地面にナイフを突き立てているデルの姿があった。
「──どうして、洗脳が、そんな、解けるはずが」
瑠香を見ずに目を見開いて何やらブツブツと呟いているデル。
「デル……?」
起き上がった瑠香は、異様なデルの名を呼ぶ。
『離れろ、瑠香! そいつ、お前を洗脳してたんだ!』
「洗、脳……?」
その瑠香の呟きに身じろぎするデル。
「そんな……デル、どうして……」
瑠香の言葉に、デルは肩を揺らして微かに笑う。
その笑い声はどんどんと大きくなり、やがて哄笑に変わった。
「アッハッハ! バレちゃったなら仕方ないよね!」
そう言い、笑いながらこちらを見るデル。
まるで別人になったかのような豹変ぶり。
その目に宿る狂気に、瑠香は身を引いた。
「そうだよ! 最初さ、君を見たときチラッと能力を覗かせてもらったんだよね。そしたらさぁ、すごく良い能力持っているじゃん! だからさ、欲しくなっちゃって、ついね!」
ニヤニヤと笑ってまくし立てるデル。
その言葉に瑠香は違和感を覚える。
相手の能力を見破る能力。
触れた相手を洗脳する能力。
つい最近、どこかでそれを見た。
記憶を辿り、その情報の出所を思い出す瑠香。
「どうして、失踪した人の能力を、デルが持っているの……!?」
その言葉を聞き、一瞬驚いた顔を見せたデルだが、すぐに笑みを浮かべる。
「ああ、そっか。君は失踪した四人の調査に来たんだもんね。能力も知ってて当然か」
喉の奥で笑いながらデルは立ち上がる。
「じゃあ、教えてあげるよ。僕の能力は、『殺した相手の能力を奪うこと』だ」
その言葉に青ざめる瑠香。
今のでいくつか分かったことがある。
デルの言葉が正しければ、失踪した四人はもう死んでいることになる。
そして、瑠香も同じように殺そうとしていた。
それは、瑠香の能力を奪うため。
しかし、不可解な点もいくつかある。
「遺体は、どうしたの……?」
「ああ、それはカラーさんに手伝ってもらったんだよ」
瑠香の質問に軽い口調で言うデル。
驚愕する瑠香。
「じゃあ、あいつをここに呼んだのも……」
「うん、僕だよ。最初は四人の殺害とその隠蔽を手伝ってもらう代わりに、この場所を教えるってだけだったんだけどね」
と、その時。
瑠香達から少し離れた場所で、足音が鳴る。
そこに立つカラー。
「どう、カラーさん? 僕の演技も中々だったでしょ」
自慢げな顔をして笑うデル。
カラーを見て身構える瑠香。
しかし、そんな瑠香には目もくれず、デルの方へ歩み寄るカラー。
その顔を見て瑠香は違和感を覚える。
笑って、ない。
冷気すら感じる冷たい顔と目。
その体から漏れ出る殺気。
「ちょっと失敗しちゃったけどさ。カラーさんに手伝ってもらったら殺せるから、僕も〈聖痕〉に入れてよ! これで五人目だから!」
しかし、それに気付かず喋り続けるデル。
そして──
「カラーさん?」
目の前に立ったカラーに不思議そうに首をかしげるデル。
その次の瞬間。
ドスッ、と音と共にデルの腹をカラーの腕が貫く。
息を呑む瑠香。
「な──え……?」
自分の腹を貫くカラーの腕を、理解できないという風に見つめるデル。
その口から溢れ出る血。
「どう、して……」
「誰でも、好きに、殺せばいい。……でも、彼女は、ダメだ」
底冷えしそうな声でそう言い、デルの腹から腕を引き抜くカラー。
デルの腹から血が噴き出し、その体がぐらりと揺れる。
倒れたデルには見向きもせず、カラーは瑠香の方へと向き直る。
「これで、やっと、二人きり、だね」
ニタリと笑うカラー。
一歩ずつ、ゆっくりと瑠香に向かって歩いてくる。
『瑠香、動け! 瑠香!!』
世界軸が叫ぶが、瑠香の体は動かない。
カラーの腕が伸び、瑠香に触れそうになった、その時。
空気を裂くような鋭い音がした。
カラーが飛び退る気配を感じる。
音の発生源へ振り返る瑠香。
そして、その姿を目にして思わず笑みを浮かべた。
「……ほら、助けてくれた」
小声で呟いた言葉は、誰にも届かない。
そこに立つ少年、澄洲充にも。




