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昼食終わりの午後の授業は、窓際の席に座る僕には心地の良い陽が当たり、余計に眠気を誘うものなのだが、金曜日のこの時間は、いつもぱっちりと目が覚めていた。というのも、窓の外に広がる校庭では、僕の初めての彼女である日向葵が、体育の授業をやっているからだ。
金曜の四時間目は彼女のクラスが体育の授業で、夏のこの時期は陸上であるため席替えでこの位置をゲットしてからは、彼女がこちらに手を振ってくれるのを待つというのが習慣になっていた。
我ながら気持ちが悪いのではないかと思うが、彼女はこちらを見ては腕が取れるのではないかという勢いで手を振ってくるので、そんな想いは吹っ飛んでいく。
その日もぼーっとしながら、腰までの長い髪をひとまとめにしている彼女の様子を眺めていた。
僕と違い、体育会系の彼女の肌は少し焼けていて、女友達と元気に準備運動をしながら談笑している。
こんな時にはいつも、目が良ければなぁと思うのだが、それだと余計に変態っぽいような気がするので、目が悪くて良かったとも思っていた。
「おい、おい、呼ばれてるぞ」
不意に机を叩かれればはっとして前を向く。
教科担任の原田先生が教卓を定規でコツコツと叩いており、これはやばいと立ち上がっては口をモゴモゴとさせる。
「彼女を見たい気持ちも分かるが、今は授業に集中しろよ、これでもう何度目だか。百十二頁解けたら今日中に俺の所に持ってくるように、分かったか?」
大きなため息をついた先生は彼女という単語を出してしまい、クラスのみんなに笑われればバツの悪い表情で、また自分の席に戻るのだった。
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放課後のチャイムが鳴っては教室で数学の問題を解いていた。
ここは連立方程式を使って、それから、どうやったっけ?
頭をひねってはシャーペンの芯を無駄に出して細かく折っていく。
「またその癖。シャー芯すぐなくなっちゃうよ」
「葵ちゃん!」
横から声をかけた葵ちゃんは、椅子を反転させ僕の目の前の席に座った。
「私見てて怒られたんだって? 太陽から聞いたよ。本当にも〜、可愛いんだから」
体育の後縛ったまんまの髪を弄る彼女は僕のノートをじっと見つめながら、「私、頭良くはないからなぁ」と、眉間にしわを寄せて呟いた。
「葵ちゃんもうすぐ期末テストなのに大丈夫なの?」
「それはぁ、ほら、教えてくれるでしょ?」
誰が? と聞こうとしたが、すぐに僕の事だと思っては「ジュース奢ってくれるならね」と、意地悪を言ってみる。
彼女はどういう反応するのかと思えばいつも通り目尻を下げてくすくすと笑った。
「折角応援に来てあげたのにそんなこと言うんだ。あっ、でも新しくできたカフェに行きたい!」
「それは僕が奢るよ」
「いつも奢られてばっかだからたまには私が出すのに」
「そういいつつこの前は葵ちゃんがいつのまにか払ってたじゃん」
ふと前を向けば、眼鏡越しに彼女と目が合い、そのまま見つめていれば先に彼女が柔らかく微笑んでは口を開く。
「照れちゃうよ」
「照れてないのに?」
「照れてるんですー」
ふっ、と同時に吹き出しては2人分の笑い声が教室に響き渡る。
ただこうやって喋っているだけでも幸せな気持ちになれるのだから、本当に彼女は凄いと常々思っていた。
数学の問題を解き終わり、数学研究室まで行っては先生に少し小突かれてしまった。
「お前は俺の授業ばっかりよそ見しやがって」
この言葉を聞くのももう何度目だろうか、彼女のいない数学の安藤先生は態とらしくため息を吐いては僕のノートをパラパラめくり「今度よそ見したら放課後居残りさせるからな」と、僕の手にノートを置いて、またパソコンへと向かうのだった。
気の無い返事をしては研究室を出て行き、廊下で待っている彼女に「次はないって言われた」と、大袈裟に話せば、彼女は抑えるように笑いをこぼす。
「じゃあ席替えしないとね」
「えっ」
思わず漏れた声に慌てて口を一文字に結べば、彼女はついに堪え切れなくなったのかけらけらと笑い出した。
「もー、私のこと大好きだね」
「だってさぁ」
口を尖らせれば、彼女は僕の手を握って、「いつでも目は合わせられるでしょ」と、いつものように笑うのだった。
幸せがいつまでも続くはずはないんだと、今では強く思うよ。