第五十四話 十姉妹 幸助 その2
淡々と語る彼の言葉に、時折震えを感じたのは、あたしの思い違いではなかっただろう。
哀惜の念に満ちた懺悔の台詞は、あたしの胸を打ち、心を貫いた。
如何に彼が妻を愛していたのか、その愛を全うできなかったのか、ひしひしと熱い思いが伝わってくる。
「だから、君との出会いは、神が与えた私の贖罪だと閃いた。私は君を助けたいと、心の底から願い、部屋に住まわせ、治療した。
もし君が望むなら、君はこれからこの家にずっと住んでも構わない。そして時々こうして私と話してくれたらうれしいけどね。
もし、ここが嫌なら、好きなところに住んで、好きなことをして暮らしても構わない。
ささやかながら、その分の援助をしてあげることぐらいは惜しまないよ」
「そんな、あたしなんかのために……」
「なに、公僕として当たり前のことだ。
そもそもムラージュの採用は、私個人としては、非人道的な、許されない制度だと思う。
だが、世の中のしがらみもあり、表立って非難することは出来ない。
そんなわけで、自分に出来る範囲のことはしてあげたいんだ。これぐらい、お安い御用さ」
「……」
あたしは彼の口元から優しいテノールで語られる言葉の真意を測りかね、うるしのような双眸を覗き込んだ。
全体的に角ばったつくりの顔の部品の中で、そこだけが別の生命体のように丸く輝き、ある種の感情が汲み取れた。
そう、あれはディーが、「友達になって!」とあたしを見詰めた時の眼差しと同じ色……。
その時、あたしは理屈を超越して、心の奥底で確信した。この人は、あたしに惚れている。
人間やムラージュといった垣根を越え、前世からの因縁の恋人同士のように、結ばれることを夢見て身悶えしている。
でも、そんなことを口に出すのはとても恥ずかしいので、こんな回りくどい形で思いを伝えようとしているんだ。
彼の瞳が、手が、口が、彼の灼熱のような恋情を雄弁に物語っている。
あたしは、この十姉妹幸助という男性を信頼してみようと決心した。ディー以外の人に対して、こんな感情を抱いたのは初めてだ。
もっとも、ディー以外の人と、まともに会話したこともないけど。
「分かりました。お言葉に甘えさせて頂きます。しばらくこちらに住まわせて下さい」
「おお、いいとも! この部屋は君のものだし、家の中も自由に使っていいよ。他に何かしたいことは?」
喜色満面に溢れ返った彼を見て、あたしは先程の推測が間違っていないことに自信を持つ。
ならば、自分も彼のために、出来るだけ側にいてあげよう。
だが、「何かしたいこと」と問われて、かつてディーの望んでいたことを、彼女の台詞とともに思い出した。
「怪我や病気で困っている人を救えるってのは凄く素敵なことだと思うよ。
ボクも、もしここを脱出出来たらそんな仕事をしてみたいって常々考えているんだ。
世界には、ボクたちみたいな社会から見捨てられた人間がひしめいているし、そんな人たちを助けてやりたい。
それこそボクがこの地上に生を受けた意味じゃないかって気がする」
あたしは、ディーの凄まじい運命を知っても、彼女といつの日か巡り合うことを、信じて疑わなかった。
だって、彼女と熱い約束を交わしたんだから。彼女があたしを裏切ったことは一度もない。
だから、ディーと再会するまでに、彼女の居場所を作っておいてあげなければいけない。
彼女と一緒に暮らし、共に働き、彼女の夢を叶えてあげる。それは、友達のあたしにしか出来ないことではないか?
「……医者になりたいんです」
「ええっ!? なんだってっ!?」
唖然とする彼に向かって、あたしは深く、深く頭を下げた。
こうして、あたしの無謀とも思われる果てしない挑戦の日々は幕を開けた。




