第四十二話 絶望の書
「ディー! ディーを早く助けに行かないと!」
あたしは上半身を起こすと布団をはねのけつつ、絶叫した。
「落ち着きたまえ、ディーとは君と一緒に騒ぎを起こしたムラージュのことかね?」
狂乱状態一歩手前に陥ったあたしの肩に、彼は大きな手をそっと乗せ、優しくなだめる。
「は、はい、そうです! ってどうしてそのことを!?」
条件反射的に答えてしまったあたしは、何故彼が、あたしたちのことを知っているのか、疑問の渦に捕らわれた。とっくに正体がばれている!?
「そりゃ、もちろん、君の側にこれが落ちていたからだよ」
彼は左手をあたしの肩に置いたまま、右手の黒いリモコンを、指揮棒のように軽く振り、くるっと裏返す。
そこには注意して見ないと分からないほど小さく、「mourage」の刻印が刻まれていた。
知らなかった。不覚!
というかそもそもボタンを押して起こしてくれた時点で、相当ムラージュについて詳しいって気付くべきだった。やっぱりあたしは観察力が足りない。
でも、これで疑問が氷解したわけではない。いや、むしろどんどん癌細胞のように増殖しつつある。
「あなたは何故あたしを助けてくれたの? どうしてあたしとディーのことを知ってるの? ディーはその後どうなったの? ここは一体」
「おっと待った、まずは自己紹介といこう。私は十姉妹幸助。41歳。このX県の県議会議員をしている。以後宜しく」
彼は怒涛の如きあたしの質問攻めを、あたしの口元に名刺を押し当てることで防いだ。
あたしは顔面間近の名刺に目を通すと、今彼が名乗った通りの事柄が、綺麗な明朝体で印字されていた。
「け……県議会議員?」
「別に大したことはないさ。親父が有名政治家なんで、その地盤でならせてもらっているだけの単なる二世だ。
まだまだ下っ端だし、選挙で落ちれば無職で退職金すら出ないやくざな仕事だ。
政局もころころ変わるし、次期も当選できる保証なんてない。そんなに畏まらなくていいよ」
彼は窓の外に広がる風景を眺めやる。ここは建物の二階だろうか。
すぐ真下にはよく手入れされた日本庭園が見下ろせ、それを取り囲む塀の向こうには、古い街並みや畑が、秋の柔らかな日差しを浴びて、まるでミニチュアのように輝いて見えた。地方都市の郊外といった雰囲気の場所だろうか。
おそらくここが、X県なのだろう。あたしはまったく知りもしない土地だけど。
「とはいえ一応政治家の端くれなんで、私も医師会や警察などとの繋がりはあってね。
表ざたにできない情報をこっそり教えてもらえるんだ」
「それが、あたしたちのこと?」
「理解が早くて助かる。さて、そろそろ君の質問に答えていこうと思うが、いいかな?」
「……」
「実は私は先月妻を病で失ってね、失意のあまり、死ぬことまで考えたが、なんとか思いとどまり、傷心旅行のため、一人山陰まで車で出かけたんだ」
山陰と言えば、この前まであたしがいた雲州大学のあるところだ。
ここからどれくらい離れているのだろう?
ずっと車に揺られていたのはなんとなく覚えているんだけど、時間的感覚がまったく分からない。
「そして海辺の温泉宿に泊まり、早朝海岸の散歩をしていたら、君の姿を見つけたわけだよ。
びっくりしたね。女性が白衣を着ただけの姿で倒れているんだから。
だが、傍に落ちていたリモコンから、君がムラージュだということを突き止めた」
彼は、あたしが黙っているのを、聞く気があると受け取ったのか、話を進めていく。
あたしは目線で続きをうながした。
「私は医学については素人だが、ムラージュという高性能ロボットが、近年臨床実習などに使われていることは知っていた。
そして、それがロボットなどではないということも」
「確かにあたしたちはロボットなんかじゃない。でも、世間的にはロボットって言われているの?」
初耳だった。もっとも今まで実際に会った人間が医学生と守衛しかいなかったし、世間でどう言われているかなんて、知る由もなかったが。
「なんだ、知らなかったのか? ま、君たちのような、ほとんど人間に近い生命体を使用しているなんて、厚生省は公には出来ないだろうしね。
公式には、『一部に生体部品を使用した人体型実習用医療機器』と発表されているが、とんでもない。
むしろ、極一部に機械部品を使用した生命体……いわゆる遺伝子操作したクローン人間にチップを埋め込んだものが、君たちの正体だと思う」
「え……」
あたしは絶句した。薄々感付いていたことではあった。
あたしたちは人間とほぼ同じ身体を持ち、同じ心を持っている。
それを証明することはあたしには難しいが、だとしたら、あたしたちは人間をベースに造られた生命体なのではないのかと疑っていた。
だが、誰が、何のためにそんな神をも恐れぬ所業をしたのか、あたしにはまったく分からなかった。
「ここに、君たちの説明書がある」
「!」
あたしは飛び上らんばかりに驚いた。
いつの間にか彼は書類の束を手にしている。この中に、あたしとディーが探し求めた、ムラージュの秘密や、ICチップの除去方法が載っているというのか!?
「これは表向き用のものではなく、医療関係者の中枢部にしか出回っていない、真の説明書だ。
見せてあげてもいいが、決して絶望しないと誓うかい?」
「……誓うから見せて!」
あたしは、読んだものの精神を発狂させるという魔導書もかくやという、その恐怖のコピー用紙の束を彼から引っ手繰ると、むさぼるように目を通した。
そして……彼の忠告もむなしく、絶望の淵に突き落とされることとなる。




