第三話 僕と楓 その2
「ち、違いますよ。そんな意味で言ったわけじゃ……」
僕は必至に弁明を試みたが、時すでに遅しってやつだった。
「確かに俺は紛い物だ。だからこそ、少しでも本物に近付きたいのだ。
国家試験を受けたこともなく、医師免許を見たこともない自分だからこそ、誰よりも深遠なる知識と技術を極め、人様の役に立ちたいのだ」
彼女の双眸は今やテレビの画面を見ずに、はるか遠い何かを睨み付けていた。
それが何かは僕にはわからない。だがその先に彼女の劫火の如き情熱の源泉を見詰めているだろうことは、想像に難くなかった。
「じゃあ何故、医師免許を取らないんですか?」
僕はつい、この館に来て一番疑問に思っていたことを口に出してしまった。
正直彼女ほどの能力があれば、どの分野でも身に着けることが出来るだろうと確信出来たし、医師免許だって取ろうと思えば取れるはずだ。
なのにひたすら無免許医であることにこだわり、こんな町外れの廃墟同然の建物で、老人相手にこっそりグループホームの真似事をする意味が解らない。
もっと違う生き方がいくらでも選べるはずだ。僕には到底理解できない。
「言っただろう、俺は紛い物だからさ……」
彼女は寂しく微笑み、顔をそむける。
「ま、確かにこのドラマはくだらないな。ちょっとチャンネルを変えるぞ」
ピッと手元のリモコンを彼女が押すと、画面は地方ニュースに切り替わった。
「2月13日の正午のニュースをお伝えします。
新医師臨床研修制度の影響か、全国的に小児科医や産婦人科医の成り手が少なく、また、X県では慢性的な医師不足が続き、大手研修指定病院は新人医師向けの説明会を開催するも……」
とアナウンサーがお通夜みたいな暗い顔で原稿を読み上げる。
ここ日本海側の北国X県では、新医師臨床研修制度開始後、新人医師が自分の望む病院に研修に行けるようになったため、毎年のように都会に流出していき、常に医者が足りず、大病院が支配地域の末端病院から医者を引き上げるという事態が起こり、地域医療の崩壊が懸念されているとのことだ。
この地は冬は数か月に渡って降雪が続き、ラッセル車などの除雪費用で県の予算が傾くほどだ。
特に現在のような冬場はタクシー代まで跳ね上がり、三階から飛び降りても平気なほどの積雪が大地を埋め尽くし、いったいこれのどこが温暖化だと叫びたくなる。
こんな「日本のシベリア」と揶揄される地方に卒業後も残りたい医者などいるわけもないのはよく分かる。
しょせん医者も人の子で、快適で過ごしやすく、娯楽が多い地域で楽しく暮らしたいのは一般人と変わらないのだ。
東京や大阪などの大都会には、巨大総合病院がコンビニ並みに乱立し、受け皿には事欠かないし、有名病院で働いて実績を積み、箔を付けることも出来る。
こうして地域格差が広がっていったのだろう。
「そろそろ昼休みは終わりだ。とっとと食事を切り上げて、お年寄り達の相手をしてこい。皆待ってるぞ」
ニュースを見ながら日本の医療の将来を憂いていた僕に、楓の容赦ない下知が飛ぶ。
「ええーっ、まだ食べ始めたばっかりですよ!」
「つべこべ言うな。飯の支度や片付けも出来ないんだから、早く喰うぐらいはしろ」
楓はSM風俗店の女王様よりも冷酷な口調で命令すると、再びくだらない医学ドラマにチャンネルを戻し、没頭しだす。
僕は仕方なく、食器にかぶりつかんばかりに身を近付けると、凄まじい速度で犬食いを再開した。こういう時、両腕が使える人間がうらやましくなる。
「お前はお年寄りに人気が高いからな。我が家のモルモット的存在ってやつだ」
楓がテレビの方を見詰めたまま、さらりとおかしなことをのたまう。
ひたすら飯をかきこむのに忙しい僕は、「そりゃモルモットじゃなくてマスコットです!」と訂正することすらしなかった。
……実際モルモットだったら嫌だけど。