第十七話 来訪者もじゃもじゃペーター
「まぁ、以前よりはマシか……」
呻きながら楓が眉間の皺をぐりぐりと指圧する。
以前何があったのか、非常に気になったが、敢えて聞かないことに決定。
「ど、どうします、楓?」
「仕方ない、一旦家の中に運び込むか。まったく厄介な……
今度からちゃんと納屋に鍵をかけておけ!」
ぐちぐちと呟く般若の形相の楓に対し、「すいません!」と縮こまるネズミ。
しかしこれ程の大騒動なのに、入所者が誰も起きてこないのは、さすが難聴軍団と言うべきか。こういうときだけは非常にありがたかったりする。
深夜、極寒の中、外に出ていく二人を見送ることしかできない僕は、ちょっとその男が憐れになった。
恐らくホームレスと思われる彼は、以前の僕と同じく、放浪の旅を続けて仮のねぐらを見つけたのかもしれない。
不法侵入は困るが、一晩だけでも宿を貸してやるくらいの情けを与えてもいいんじゃないだろうか? もっとも居候の身の自分には、決定権なんてないんだけど。
やがて両腕と両足を持って運ばれてきた男は、確かにぼさぼさ頭の無精髭だが、意外と若く、20歳前後に見えた。
着ているものもそんなに悪くなく、デニムジーンズに黒いトレンチコートを羽織り、浮浪者とも思えない風体だ。
ただ、ちょっと気になる点として、両耳がやや膨れ上がり、まるで焼き餃子みたいに見えた。
楓とネズミはうんせうんせと彼をぶらぶらさせながら運搬し、玄関マットに放り出すと、一息入れる。結構重かったのだろう、この寒いのに二人とも汗をかいている。
「あー、疲れた。とりあえず診察室のベッドにでも寝かせるか。ネズミ、準備してこい」
「ラジャー!」
「楓、僕はどうしましょう?」
「うーん、お前には特に今頼むことはないな……ん?」
「ソ、ソーセージが喋っとる……」
いつの間にやらもじゃもじゃペーター(仮名)がうっすらと目を開け、僕達をぼんやりと見詰めていた。鳶色の薄い瞳は、やや恐怖の色を浮かべている気もする。
「あちゃ~、目を覚ましてしまったか。ま、若いし1アンプルじゃこんなもんかもな。
おい、モジャ公、これは夢だぞ……って言っても無理か」
「いいじゃないですか、楓、別に隠さなくても。どうせ僕はロボット扱いなんだし」
「とはいってもあまりお前のことを知られたくないしな。
ただでさえひっそりとやっていきたいのに……。
ま、見られてしまったものは仕方がない。で、お前は何者だ?」
「おわ……おわは矢田 香良洲といいますちゃ。生まれは富山ですちゃ」
奇妙な喋り方の矢田と名乗る男は、寝ぼけた口調ながら、ゆっくりと自己紹介を始めた。
「富山か。一体何をしに来た」
「おわは大学生ながやさかい、結構今の時期は暇なんですちゃ。
それでふらふら~っと全国を貧乏旅行しとるんですが、財布を落として困ってしもーて、失礼やけど雪が止むまでのつもりで、軒先を貸して頂いとったんですちゃ」
「そうか、だがあれは軒先レベルではない豪快な寝方だったぞ。
しかし弱ったな。今晩はもう遅いし、さすがに一晩くらいは泊らせてやってもいいが、朝になったら出て行ってくれ」
「えーっ、ほんまでっか? それを聞いてあっかりしたっちゃあ。ほんにきのどくな~」
喜びのあまりか、だんだん矢田の方言が判読不能になってきたが、感謝の念を述べているだろうことは想像に難くない。
楓は微妙にイライラしているようで、虫唾が走ったような奇妙な顔をしている。
「しかし、さっきから妙に手が痺れて、身体がかたーなっとる感じがするんですちゃ」
少し顔をしかめる矢田の言葉に、楓はびくっと柳眉を跳ね上げた。
「そ、それは身体が冷えているせいだろう。さ、早くベッドで横になって暖まるといい」
「そうかね~、きのどくな~」
……錐体外路症状だ。間違いない。抗精神病薬のハロペリドールは、リスペリドンやクエチアピン同様、精神運動興奮状態の治療に効果的だが、稀に副作用として、手指振戦、筋緊張の亢進などの錐体外路症状が生じることがある。
対策として抗パーキンソン病薬のビベリデンを一緒に投与することが多いが、今の状況ではとても注射してしまったことなど言えないだろうし、だとすると今更投与できない。
何しろ注射は医療行為でなければ下手すれば傷害罪だし、どんないちゃもんをつけられるかわからない。世の中うるさいのだ。
僕は楓の身体から立ち上る怒りのオーラが、ネズミの行った診察室の方向に漂っていく様を幻視し、おしっこをちびりそうになった。
何はともあれ、こうして「へんてこなおよばれ」をした変わったお客さんは、ソーセージの家に泊まることと相成りました。ベベン。




