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第十三話 氷月の夜

 夜、誰もいない居間の床で、僕は丸太のように転がりながら、タオルケットを被り、ぼんやりと物思いにふけっていた。


 闇の帳に包まれた室内は、昼間よりやけに広く感じられ、すべての輪郭が曖昧模糊として、影に溶け込んでいた。


 ブ……ンと時々唸る冷蔵庫の自動製氷機の音が、夜のしじまを破る以外は、死後の世界のようにしんと静まり返り、天気予報によれば現在外で振り続けているだろう雪の音さえ聞こえそうだった。


 今日は夜間せん妄の人は誰もいないようで、近所迷惑な奇声や、ドアを連打する音も一切聞こえない。


 昼間楓との話題に上った、TVドラマのICUでもないが、こんな静かな夜は、グループホームでは非常に貴重だ。


 起こされないうちに早く眠りに就こうと瞼を閉じるも、意識は冬の満月のように冴えわたり、なかなか寝付けそうになかった。


 僕は楓と出会うまでの記憶が全くない。


 そもそもソーセージ仲間に会ったことはないので、ソーセージがどのように生まれ、どのように成長し、どのように死ぬのかまったく知らない。


 だからといってその時生を受けたわけではないと思う。何故ならそれ以前の記憶の残滓のようなものが意識の奥底に、かすかにこびりついているから。


 ただし、僕自身の覚えている、一番古い、はっきりした記憶は、どこかの夜の海辺で楓の姿を見上げているシーンだ。


 砂浜に転がっている僕は、波に打ち上げられた材木みたいに泥まみれで、傍らには木製の掘っ建て小屋が潮風に晒され、今にも崩れ落ちそうだった。


 その時楓は、何故が両眼にいっぱい涙を浮かべていた。スクール水着にコートという、よく分からんマニアックな格好をして、夜そのもののような暗い海をバックに、仁王立ちして号泣していた。


 僕は全身ボロボロで、傷口に潮風が沁みて身を切るように痛かったけれど、その姿を見て、どういうわけか、初めて来た遊園地でやっと母親を見つけた迷子のように、とても安堵したのを覚えている。


 僕はその時ただ一言、「誰ですか……?」とだけ発した。


 楓は泣き顔のまま僕をそっと抱き締めると、うんうん唸りながら僕をずるずる引きずって行って、砂浜に止めてある、右側のテールランプの割れた青いヴィッツになんとか押し込んだ。


 だが、いざ発車しようとして砂浜にタイヤがはまっているのに気付き、彼女は悪態を吐きながら、後輪に板きれを噛ませていた。


 僕はその光景を夢うつつで眺めながら、気を失っていった。


 目が覚めると、僕はベッドに寝転がされ、ミイラのように包帯でぐるぐる巻きにされていた。


 僕の世話をしていた古いナース服を着た少女は、僕の異形の姿を見て驚きもせず、名前を根津 美子と名乗り、この場所が楓荘という名のグループホームであることを教えてくれた。


 僕もお返しに名乗ろうとしたが、どうしても自分の名前や過去の出来事を思い出せず、少女によって不本意ながらも「ソーセージくん」と命名された。


 行き場のない僕は、傷の癒えた後も楓荘に居候させて貰うこととなり、その見返りと言ってはなんだが、利用者の老人達の話し相手をすることになった。


「動物介護療法、いわゆるアニマルセラピーという治療法があってだな」


 僕を保護してくれた楓所長はこう語った。


「引きこもりの子供や老人が、動物やそれを模したロボットと触れ合うことで心が癒され、ストレスを解消させる治療法の事だ。


 実はうちもアザラシロボットのパロちゃんが欲しかったんだが、ありゃ一台30万以上してとても無理だ。


 本来ならお前は保健所行きになるところだったが、この優しい俺様が救ってやったんだから、その分はみっちり働いてくれよ」


「で、でも、犬やアザラシのロボットならともかく、巨大ソーセージの僕なんかが、お年寄りの癒しになるんですか? むしろ気味悪がられて症状を悪化させるだけなんじゃ……」


 尻込みする僕に対し、所長はフフンと鼻で笑った。


「ほう、意外と冷静に自己分析できているな。なに、気にすることはない。うちの利用者は認知症ばかりで、そんな細かいことは考えもしないさ。


 一応お前の事は新型ロボットの臨床テストだとかなんとか言っておくし、モーマンタイだ。


 お前のすべすべの肌をちゃんとお触りさせてやれば、細かいことは吹っ飛んで、皆幸せになるってもんよ。


 ま、よりロボットらしくするために、赤いカラーコンタクトをしてもらうけどな。じゃ、頑張れよ!」


 というわけで、その日から、僕は楓荘の従業員兼ペットとして、お年寄り達に触られまくることとなった。

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