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第十二話 友達

「さて、この最初のシナプスが、脊髄の後角というところにあります。神経線維ってけっこう長いんだねぇ。


 ここで電車の乗り継ぎのように、次のニューロンに乗り換えた信号は、脊髄の前白交連を通過して、なんと身体の反対側の外側脊髄視床路にやってくると、そのままぐいーんと体内を視床まで一気に駆け上がり、そこで次のシナプス駅で乗り換える。


 そしてなんやかんやでようやく大脳皮質という終着駅にゴールインって寸法さ。要するに、このシナプス間の伝達物質を阻害すれば、温痛覚は脳まで伝わらず、ボクたちは文字通り痛くも痒くもないってわけ。


 たぶんこのチップは、伝達物質が埋まる細胞の穴……受容体っていうんだけど、そこにくっつき伝達物質を妨害するお邪魔物質……これはアンタゴニストっていうらしいけど、まぁそういったようなものを生産させる信号を送っているんじゃないかと思う。


 それかボクたちの体内に、そんな物質の入ったカプセルかなんかが埋め込まれていて、そこを開け閉めしているのかな? そこまでは分かんないけどね。


 講義は以上でーす。何か質問は?」


「はぁ……」


 間の抜けた声を上げてしまって、また彼女に笑われた。


 でも、彼女の説明は、ところどころ難しい単語もあったが、身振り手振りを交えてくれたおかげか、わりあいあたしのおバカな脳みそにもすんなり入っていった。


「あんたって、賢いんだね! 凄い、尊敬しちゃう!」


 あたしは奇跡を起こした聖人を前にした一般人のように、ひたすら彼女を称賛した。


「いやぁ、そんなぁ、お恥ずかちぃ……」


 初めて彼女が戸惑いの表情を見せ、真珠色の頬を、うっすらと桜貝のように桃色に染めた。


「単に時間が有り余っていたから、そこにある本とかを読みまくっていただけだよ。他にすることもないしね」


 必死に言い訳をする彼女は、年齢相応に幼く見えて、思わず守ってあげたくなるくらい、か弱く、かつ愛らしかった。


「ま、付け加えるならば、神経伝達物質には何種類もあって、様々な情報をやり取りしているんだよ。中にはドーパミンやセロトニンといった、人間の精神活動に携わる重要なものもある。


 ドーパミンが過剰になると、幻聴や幻視といった幻覚症状がおこり、興奮状態に陥ってしまうこともあるが、逆に少ないと、無気力になり、運動そのものが困難になってしまう。


 また、セロトニンが不足すると気分が落ち込み、抑うつ的になる。つまり、ボクたちの感情なんて、化学物質のさじ加減ひとつで操れてしまうんだ」


 あたしは、さっきまで死人のようだった自分の気持ちをわずかながら思い出した。


 きっとあの時あたしの脳内は薬物漬けみたいになって、夢と現実の境界すら分からなかったのだろう。


「で、さっきの質問に戻るけどさ、ここまで話したら大体想像つかない?」


「いえ、まったく……」と即答するあたしに向かって、ガクッとうなだれる芝居がかった仕草をするも、すぐに彼女は立ち直った。


「ボクのチップの上、小さな点があるでしょ? ボクを切り刻む白衣の連中の一人が凄いヘタッぴでさ。


 たぶんあれはリンゴの皮も剥いたことがないようなおぼっちゃまだと思うけど、第一日目にメスを滑らせボクの首筋に突き当てたのさ」


 そう言いつつ、人差し指を頚部に突き立てる真似をする。


「運良く刃先は頸動脈を掻き切ることもなく、チップに当たって止まった。


 その時からどうもボクのチップは誤作動を起こすようになり、こうしてたびたび意識がはっきりしたり、身体が動かせたりするようになったのさ。ね、長い話だったでしょ?」


 点滴の管が外れんばかりに、彼女はうーんと伸びをすると、そう話を締めくくった。


 あたしの頭の中は軽く嵐が吹き荒れているようだった。


 何故自分たちが解剖なぞされねばならないのか、今後どうすればいいのか、彼女は何がしたいのかなど、新たな質問の山が溢れかえって弾けんばかりだった。


 だがなんとか心を落ち着けると、あたしは一番聞きたかったことを口に出した。


「何故、あたしを目覚めさせてくれたの?」


 すると彼女は、先程よりももっと頬を赤らめ、熟れたリンゴみたいに真っ赤になって、講義の時とは打って変わって消え入りそうな声で呟いた。


「……友達になって欲しかったんだ」

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