兄妹の距離
2018年5月5日:大幅改変
今日の朝食は寂しい。
量が足りないわけではない。出来たての野菜スープは体の芯から温めてくれるし、パンもふわふわで噛めば噛むほどその美味しさを感じられる。
でも、私の隣には誰も座っていない。本来なら兄がいるその場所は、今はテーブルの上に手のつけられていない朝ご飯が置いてあるだけだ。
「お父さん、重要な話ってなに?」
重要な話がある。お父さんが珍しくそう切り出したが、昨日の今日だ。兄関係の話であることには間違いないだろう。
「実はな。暫く村を出ようと思うんだ」
「え?」
「昨日の集会で話し合ったんだが、エリスの事で誰も分かる人はいなかった。だから国や街を廻って少しでも有益な情報を探そうと思うんだ」
いきなり村を出ると言われて驚いたが、そう言うことか。
確かに小さな村より、大きな国の方が情報があるのは間違いない。
「でも……探す当てはあるの?」
だけど、お父さんは昨日帰ってから空回りしているように感じる。実際何があったか私は分からないけど、相当ショックだったのだろう。
「ない。そうとしか言えないな……」
「レイには分からないかもしれないけど、エリスのレベルが上がらないことは多分実例がないの」
見かねたお母さんが補足してくれる。
兄のレベルが上がらないというのはおそらく実例がなく、人に聞いても分からない。
それどころか下手をすれば、珍しい人間として研究対象にされるかもしれないという。
「じゃ、じゃあ何で村の人達に話しちゃったの!?」
私の兄が研究対象として連れていかれるなんて、絶対に許せない!
それなのに……何で!?
「大丈夫よ。ここの人達は皆信用できるわ。それに、隠したってすぐに様子がおかしいってなっちゃう。それだったら共有して、村全体で知ってもらった方が安全なの」
「アメリアの言う通りなんだ。だから、探すときも本が主になる」
「そう……何だ……」
つまりは探す当てもなく。見つかる保証もなく。おそらく何も見つからない。
何で? 兄が何か悪いことをしたの?
「取り敢えず三ヶ月ほど予定している。それまでには必ず戻るからな」
「……分かった。気を付けてね」
朝ご飯を食べ終え、お父さんはもう村を出るらしい。昨日の集会で既に村の人には伝えてあるそうだ。
「エリスが起きたら、しっかり支えてやってくれ。落ち込んでいるでは済まないかもしれんからな」
「うん。いってらっしゃい」
「気を付けていってらっしゃい」
「いってくる」
玄関が閉まり、朝ご飯の片付けを手伝うため居間へ戻ろうとする。
廊下の奥を見てみるが、兄が出てくる様子はまだなかった。
▼ △ ▼ △ ▼
「ふぅ……」
そして私は今、畑で草むしりをしていた。
兄が心配だし、出来ればずっと家にいたい。でも私まで休めば、村の人達はより心配するだろう。
それに、兄についてどう思っているかも聞いてみたかったのだ。
結果としてはお母さんの言うとおり、心配する必要はなかった。
ちゃんと今の兄の状態を理解してくれていたし、「妹として支えてあげてね」と励ましてくれる人もいた。
「レイちゃん。そろそろお昼だから切り上げていいよ。草はまとめておくから、手洗っておいで」
「ありがとうございます」
それに、草むしりをしてよかったと思う。
ズボズボ、プチプチ。集中しだすと今まで考えすぎていた事が整理され、気持ちが楽になる。
村の人達が今まで通り声をかけてくれたお蔭もあっただろう。
「ただいまー」
居間からお昼ご飯いい匂いが漂ってくる。
兄は部屋から出てきただろうか。昨日の朝から何も食べてないはずだし……。
「お母さん?」
少なくともお母さんはいるはずなのに、家の中がやけに静かだ。
いつも迎えてくれるのに、どうしたんだろう。
そう思ったときだった。
「おかえり、レイ」
「え……」
居間から出てきたのはお母さんではなく、兄だった。
一日ぶりの再開。それほど時間が経っている訳ではない。それなのに、とても久しぶりに会う気がする。
そして、部屋から出てくることを願っていたのに、今兄が目の前にいることを信じられない自分がいた。
「本当に、お兄なの?」
私の質問が可笑しかったのだろう。
兄は少し目を見開くと、口元に笑みを浮かべる。
「当たり前だろ? 俺がお前の兄じゃなかったら、一体誰がお前の兄で、俺は誰の兄なんだ?」
そんなもの、決まっている。
私の兄はエリスで、エリスは……レイの兄。
「お兄……よかった。本当に、よかった――」
日に日に少しずつ開いていたと感じた兄との溝。
昨日その溝は、もう取り返しのつかないぐらい広がったと思った。
だけど今日。まさにこの数秒で、その溝に大雨が降ったんだ。
枯れることのない、湖へと変わる、大雨が。
「ごめんな。心配かけて」
震える私を兄は抱き止め、頭を撫でてくれる。
それがたまらなく嬉しく、私の目からこぼれ落ちる涙は一向に止まりそうにない。
これからはもっと甘えよう。そして、支えよう。
なぜなら私は、兄の妹なのだから。