出会い
2018年5月5日:大幅改変
森に入ってから思い出したが、肝心のゴブリンをどう見つければいいだろうか。
あの時はザルバが索敵してくれたが、それでも一体見つけるのに体感で四十分は掛かっていた。俺の歩く早さに合わせていたのもあるし、大人が走れば大した時間はかからないのかもしれないが。
父さんらも言っていたがこの周辺はゴブリンしか湧かず、村に入ってこないように毎朝交代で倒している。
だから他の森と比べて数は少ないだろうし、何のスキルも持たない俺では見つけることは偶然に頼るしかない。
「取り敢えず……真っ直ぐ進んでみるか」
幸い今は夜で、音も昼に比べれば響く。
耳を済ませばゴブリンの唸り声や枝を踏む音が聞こえるかもしれないな。
そしてゴブリンと相対したら全力で戦う。
……正直に言えば勝てるとは思わない。いや、勝てない。
確かに俺はゴブリンを倒したが、あれは父さんが弱らせてくれたのと、万が一の事があっても後ろにクリフトとザルバという護衛がついている安心感があったからこそ出来たことだ。
それに首に剣を突き刺した時の感触。
父さんの剣は意図も容易くゴブリンの手足を斬り飛ばした。だが俺の剣は、柔らかな喉元さえすんなりと刺せなかった。
このぐらいの力で充分だろう。そう思ったにも関わらず。だからその後すぐ、両手に目一杯の力を込め、押し込んだ。
今の俺には、戦闘中そんな展開にもっていく技量も力もない。
静かな森の中を進んでいくと、サラサラと水の流れる音が次第に聞こえてくる。
「こんな所に川なんてあったのか」
覗きこむと汚れはなく、奥まで透き通って見える。もし魚が泳いでいれば余裕で見えるだろう。
川幅は大人なら飛び越えられるかもしれないが、俺には無理だ。流れも速いし、もし溺れて死んだとなれば悲しすぎる。
仕方がないので川の流れに沿って下ることにした。
時間が経つにつれ、不安になってくる。
家族に何も言わず勝手に家を出たこと。もしかしたら全て勘違いで、他にレベルを上げる方法があるかもしれないこと。ゴブリンを前にして戦えるのかということ。
いっそのこと、もう冒険者は諦めて引きこもってしまおうか。勢いで家から出てしまったが、実際戦うときが近づいていると思うと怖くなってくる。
川に沿って歩いているのだから、来た道を間違えることはない。
どの辺りで川を見つけたのかも覚えている。
今ならまだ間に合う。家に帰ることができる。
そんな事を考え始めたとき。俺は、思わず足を止めた。
「ッ……!」
突如として現れたその空間は、 美しかった。
川の流れる音。草の擦れあう音。そして、満点の星空と満月に照らし出され。
木が一切生えていないそこに、唯一存在する大岩。その周りには、見たこともない青い花が咲き誇っている。
自然の芸術ともいえる堂々と鎮座する大岩に目を奪われていると、そこに溶け込む存在に気付いた。
ゴブリンだ。初めから大岩にもたれ掛かっていたのだろうが、あまりにも絵になっていて気付くのが遅れてしまった。
しかも、その大きさは朝倒したのとは比べ物にならない。明らかに通常種ではないだろう。
すると向こうも俺の存在に気付いたのか、顔を上げこちらを見つめてくる。どの様な存在か観察されている気分だ。
そしてゆっくりと、だが確実に俺に向かって歩いてくる。
逃げられない。存在を気付かれたうえ、確実に俺を認識している。今逃げようものならすぐに追いつかれ、抵抗すらできずやられるだろう。
迎え撃つしかない。
ポーチから剣を取り出し、構える。
それでもゴブリンは気にした様子も見せず、どんどん距離を詰めてくる。
大きさは今朝のゴブリンの倍以上。軽装で身に纏い、腰には剣のようなものをさしている。
まるで人間のようだが、肌の色と剥き出しの顔が人間ではないことを表していた。
気持ちをなるべく落ち着かせ、地を蹴る。
狙うのは今朝のゴブリンと同じ急所である首。仮に俺が倒す見込みがあるとすれば、そこしかない。
「ぉらあああぁぁ!!」
恐い。その気持ちを紛らわすため、全力で叫んだ。
相手の懐に潜り込み、剣を振り上げる。そのイメージはできている。
そう言えば、こんな展開をどこかで見たことがある様な……。
あぁ、ゴブリンだ。今朝の父さんに襲いかかったゴブリンにそっくりではないか。
「はは……」
視界が歪む。自分でも自覚するぐらい足が遅い。剣を振る速さも。何の工夫もない、無様な姿だとこのゴブリンは思っていることだろう。
「あっ」
俺の剣は空を切った。
一歩横に動かれただけなのに、反応できない。そのまま足を掛けられ、俺は宙に浮く。
このままでは地面に倒れるだろう。あの時のゴブリンと同じように。
――死ぬのかな。
倒れながら思う。もう抗おうとすらしない。時間がゆっくりと流れる。
短い冒険だった。夢だった冒険をしながら死ぬ。けれど何も楽しくなかった。何も嬉しいことが無かった。
――悔しいなぁ……。
いつの間にか目から涙が流れていることに気付いた。果たしてこの涙は、いつから流れていたのだろう。
背中に強い衝撃が走る。それは、俺の意識を奪うのには充分だった。
▼ △ ▼ △ ▼
「んん……ん?」
なぜ俺は生きているのだろう。それにこの感触は。
目を開けると、見慣れた天井が見える。当然だ。なぜなら、俺が毎朝見る自分の部屋の天井なのだから。
少し硬いベッドの感触。嗅ぎなれた匂い。辺りを見渡せば、間違いなく俺の部屋。そして背中が痛い。
昨日の夜の出来事を思いだそう。確か家を出て、森の中で川に沿って歩いて、あのゴブリンに会って……。
倒れた辺りから記憶がない。
「いつつ……」
痛む背中を擦りつつ窓の外を見る。
既に太陽が登っていて、時刻はお昼前だろうか。机の上にはポーチと剣が置いてある。
夢だったのではないか。いや、夢じゃない。それにあれは、冒険と呼べるものじゃない。
死ぬと思ったとき、恐かった。
「腹減った」
昨日の朝から何も食べてないことを思い出すと、途端にお腹が鳴る。
ゴブリンの事は後で考えよう。
それより父さんと母さん、レイにはどう声を掛けようか。
「この時間なら、家にいるのは母さんだけかな」
畑で野菜の収穫や草むしりで、父さんや妹は外にいるだろう。お昼ご飯の支度のため、母さんだけいるはすだ。
廊下に出ると予想通り、居間から美味しそうな匂いや食器を並べる音が聞こえる。
なるようになるさ。そう割りきって、俺は居間へと入った。
「母さん、おはよう」
「エリス……」
俺が挨拶するなり、母さんは並べていた皿を置いて駆け寄ってくる。
余程心配していたのだろう。心のどこかでもう見捨てられたんじゃないかと思ったけど、よかった。
だが母さんは駆け寄るだけでは終わらなかった。
そのまま俺の元まで来ると膝を付き、優しく抱きしめてくれる。
不快な感じは一切しない。居心地がよく、このままずっといたいとすら思うほどだ。
「昨日の事は話しても大丈夫かしら?」
落ち着かせるように、ゆっくりと母さんは語りかけてくる。
その事はどうせいつか話さなければならないのだ。変に断っても余計に気まずくなるだけだし「大丈夫だよ」と答える。
「そう……。もう大分落ち着いたみたいね。まずエリスに伝えないとならないことがあるだけど、レベルが上がらない事を調べるために、あの後村の人達と緊急集会をしたの」
集会か。なら俺のレベルについては、もう村の人が全員が知っていると思っていいだろう。
「それでレオンがどうも責任を感じてるみたいで、何か解決する方法がないか探してくるって。長くても三ヶ月したら戻るって言って、朝から村を出たの」
「父さんが?」
きっともう一度ゴブリンを倒そうと俺に言ったことに責任を感じているのだろう。そうでなくとも、自分の子供のため。
でも……もういいかな。こんな俺のために、ここまでしてくれるのなら。
「母さん。でも、俺はもう……」
「エリス!」
冒険者になることは諦めるよ。
そう言おうとしたが、遮られた。抱きしめる力が一瞬強まる。
「エリスが昨日、どんな思いをして何を考えたのか、私には分からないわ」
真剣な顔で見つめられる。
自分でもあの時の行動はバカだった。家を出て、死んでもいいから冒険をしようと考えるなんて。
冷静に考えているつもりだったが、精神的に相当やられていたのだろう。
「でも、今のエリスが考えていることは分かるわ。冒険者になるのは諦めるって顔をしている」
――だって……。
「本気でそう思っているの? エリスにとって冒険者になる夢はその程度だったの?」
「違う」
口が勝手に動いた。
冒険者になる。その気持ちは、必ず心のどこかにあった。昨日の夜も、今だってそうだ。
「けど、強くなれないのかもしれないのよ? ずっとレベルが上がらないかもしれない」
ああ、そうだ。だから俺は、心の中にその気持ちを抑え込もうとしていたのだ。
「でも……それでも。俺は、冒険者になりたい!」
そして今、その気持ちが涙と共に溢れ出す。
昨日までずっと思い描いて、楽しみにしてきた夢。諦めるなんて、できるはずがなかった。
そんな俺を見て、母さんは微笑みかけてくれる。
「冒険者になるなら、自分を信じなさい。自分が正しいと思った道を進みなさい。例え無理だと感じても、最後まで抗いなさい」
「うん」
「私は止めないわ。もし今度、冒険者になるのを諦めると言われたら、それはエリスの本心だと、本気で抗った結果だと信じてる。その時どうするかは、その時に考えましょう」
「うん」
これからどうするか、決心がついた。
もしかしたら無理かもしれない、意味がないかもしれない。けれど何もやらずに後悔するなら、やってから後悔しよう。
「母さん」
「どうしたの?」
「マジックポーチ、ありがとね」
「ふふ。どういたしまして」
玄関のドアが開く音が聞こえる。
きっとレイが帰って来たのだろう。しっかりと謝って、妹の言葉を受け止めつもりだ。
そして、俺が冒険者になることも……もう一度、伝えよう。