少年の夢
2018年5月5日:大幅改変
カルタリヒ王国から南東へ徒歩四日ほどの場所。
いくつかに分岐した街道を進んでいくと、その中の一つに鬱蒼とした森の中へと続く脇道がある。
しかし脇道と言っても、街道の様に整備された石畳ではなく、木が切り倒されただけの馬車が二台通れるかといった横幅だ。
少し凸凹した土の地面を見れば、馬のひづめや車輪痕は特に無く、あまり人の出入りがないのだろう。
その奥へ更に進んで行くと、森の中にひっそりとある――通称ヘイリ村が姿を見せ始めた。
ゲームであればこの辺りで「ここはヘイリ村だよ」と言いそうな村人がいてもよさそうだが、生憎ここは現実。
更に空を覆う雲から降る雨のせいか。人口百人ほどで、大きさはあっても大部分が田畑の村を出歩いている者はいなかった。
そんな村で点々と建つ民家の一軒。
一階の一番奥を自分の部屋とし、今まさに目を覚ました少年がいた。
▼ △ ▼ △ ▼
「……雨か」
ベッドから体を起こし、部屋の中に響く音で察知した俺は窓の外を覗く。
どんよりとした空からはポツポツと雨が降り注いではいるが、大したことはない。
僅かに丘になった、この村で一番高い場所にある我が家の一階からは。例え周りが木々で囲まれたこの村でも、その奥にある空が確認できる。
明日の心配をすることはない。遠くの空は日が差し込み明るく、明日には晴れていることだろう。
「遂に明日なんだ」
そう。遂に明日。その日を待ちわび、今まで過ごしてきた。だがそんな我慢の日々は今日でおしまい。何故なら明日は六歳の誕生日。それはつまり、俺の夢への第一歩である――。
「お兄、起きて……る?」
ノックもなしに開かれたドアから聞き覚えのある声が聞こえ、外の景色から目を離し振り向く。
そこに立っていたのは予想通り妹であるレイ。空色の髪が首を傾げると、重力に従ってサラサラ揺れる。
「おはようレイ。どうかした?」
「珍しい。いっつもこの時間はまだ寝てるのに」
どこかつまらなさそうに言うと、そのまま俺の部屋へと入ってくる。
いつもの朝であれば、俺はまだベッドの中だ。普段は起きるのが遅い――というか、二度寝しているのだが、今日はやけに目が冴えて眠れそうになかった。
「何か良いことあった?」
「ん?」
「いつもより嬉しそうだな~って」
顔に出ていたのだろうか。俺の前までレイは来ると、そのエメラルド色の瞳で見上げてくる。
「ん~ちょっと違うかな。さ、朝ご飯を食べに行こう」
「むー。お兄が朝ご飯来ないから、私が起こしに来たの~。行くよ」
お腹も空いたし、続きは父さんと母さんがいる朝ご飯の場がいい。そう判断して適当にはぐらかそうとしたが、俺の態度がどうやら妹は気に入らなかったらしい。
トテトテと駆け足で俺の横へ着くと左手を繋がれ、連れられるように部屋を後にする。
少し薄暗い廊下を進み居間へと入ると、丁度朝食の用意を終えた父さんであるレオン。母さんであるアメリアが迎えてくれた。
「おはよう」の挨拶をしてから、いつも座っている椅子へと着く。
朝食は村の小麦を使った、母さん特性のモチモチとしたパン。そして新鮮な採れたて野菜サラダだ。
「エリス。明日の用意はできていますか?」
お店を開けられると村で評判のパンを食べていると、母さんが少し心配そうに尋ねてくる。
「特に俺自身が用意するものはないし大丈夫だよ。むしろ父さんの方が心配かな」
「む? 明日出かける用なんかあったか?」
どうやら本当に忘れているようだ。隣ではレイも「出かけるの?」と首を傾げている。
「ふふっ。忘れたのレオン? 明日はエリスの六歳の誕生日で、魔物を倒す日でしょ」
母さんの言葉を聞いて思い出したのか。納得したと言わんばかりに父さんは頷く。
「そういや前もそんな話したな。そうか、エリスも明日から魔物を倒せるようになるのか」
六歳の誕生日。それは魔物を倒せるようになるということでもある。
なぜ六歳なのかは大昔、テオトルとルコアという二人の神が定めた。と、本で読んだことがある。
魔物を倒せばレベルが上がり、ステータスも上がる。だから今よりもっともっと強くなって……。
「だからお兄、嬉しそうだったんだ」
「そうさ。俺の夢は冒険者になることだからな!」
そして冒険者になる。それが俺の夢だ。
といっても、冒険者になるだけなら簡単なことだ。
必要なのは歳と力。十歳から冒険者になることができ、この村にはないが国や街にある冒険者ギルドで手続きをすればいい。
そして冒険者といっても幅が広く、雑用から薬草採取、魔物の討伐など多種多様だ。
そんな冒険者の中でも俺がなりたいのは、その名の通り本当の冒険者。この広い世界を渡り歩き、まだ見ぬ地を冒険し、見てみたい。
その為にも力であるレベルが必要であり、魔物を倒す必要があるのだ。
「私も! 私もお兄と冒険者になる!」
レイも魔物を倒したいのか。右手に持つナイフを剣に見立て、隣で振り回すもんだから一瞬ヒヤリとする。
だがそのナイフは突如として消え、いつの間にか父さんが取り上げていた。
「ははは。レイはまだ五歳の年だから、早くとも来年にならないとダメだぞ~」
「えー」
ナイフが無くなったことに特に気にする素振りはみせず、なぜ自分はダメなのかと妹は駄々をこねる。
「昔々に、神様がそう定めたんだ。文句があるなら神様に言うんだな」
「神様のバカ~」
「こらこら。レオンもレイも、ふざけたことを言ったらいけませんよ」
▼ △ ▼ △ ▼
「それにしても、エリスは魔物が怖くないのか?」
「急にどうしたの?」
朝食を食べ終え、そのまま居間でのんびりしていると父さんが話しかけてきた。
「魔物が怖いから行きたくない。そういう子もいるんだがな」
なるほど。確かに本で見たことがあるが実物はまだ見たことがない。それに向こうはこちらを殺そうと襲ってくるのだ。怖いかどうかと言われれば怖いだろう。
「怖くないって言ったら嘘になるけど、そしたら冒険者になるなんて到底無理だしね。今はまだ父さんの助けがあるかもしれないけど、その内一人で魔物を倒せるようにならないといけないし」
今の俺では剣術も魔法も覚えていないし、力は到底敵わず魔物を一人で倒せない。だから明日は父さんと、信頼できる村人を護衛としてつけてくれるそうだ。
レベルが上がっても何かあってはいけないため、暫く誰をかを側につけるらしいが、心配するのは親として当然のことだろう。
「確かにな。まぁ時間はたっぷりとある。冒険者になるのが嫌になったら言ってくれや」
俺が初めて冒険者になりたいと話したとき、父さんと母さんは少し不安そうだった。
それは息子を死地へ送るのと同じだからだろう。それに二人とも昔は名のある冒険者だったらしく、危険性について誰よりも知っていた。
時に強力な魔物に戦いを挑み。時に盗賊に襲われ。そして……時に殺される。
「俺とアメリアが色々幅広くやっていたってのもあるがな」っと、最終的には笑い話で終わったが、やはり実際体験した話を聞くのと想像は全然違う。
そして明日、実際に魔物を見たら俺はどう思うのか。今は強がっているが、明日には気持ちが変わっているかもしれない。
だから、父さんの気遣いが嬉しかった。
「そうだ。エリスは冒険者になる前に学園に通うといい」
「学園?」
「冒険者にいきなりなるのもいいが、多少の知識を学ぶのも大切だ。それに、この村ははっきり言って田舎だからな。学園で友達を作るのもいいし、まず近場の都会で体を慣らす方がいいだろう」
「学園か……」
学園に通うなんて、考えてもいなかったな。……けど、確かに父さんの言う通りか。
俺はこの村のことしか知らないし、まだ村を出たことすらない。冒険者になるにしても、一緒に旅をし話し相手にもなってくれる仲間がいる方がいいだろう。
「ま、明日のエリス次第だし、学園に通えるようになるのも十歳からだしな」
「分かった。考えとく」
▼ △ ▼ △ ▼
その夜。夕食とお風呂を済ませ、後はベッドで寝て明日の朝を待つだけだ。
だが興奮してかまだ眠気はないし、自室にある本を予習として読んでいた。
「これが父さんが言ってた倒す予定のゴブリンの特徴か。持つ武器ごとに種類があると。大きさや色も関係あるのか……ふむふむ。初めて魔物を倒すと例外なくレベルが上がり、慣れるまで体から力が湧き出る感じを直に体感する……ん?」
コンコンっとドアがノックされた事に気付き、一旦読んでいた本を閉じる。
「どうぞ……って、レイか。こんな夜にノックして来るなんて、どうしたんだ?」
てっきり明日の打ち合わせに父さんが来たのだろうと思ったが違った。それにレイはいつもノックなしで入ってくるから、一番ないと思ったんだけどな。
「明日、大丈夫?」
「心配してくれてるのか? まぁ父さんが側に付いてくれるし、念のため村の人にも数人来てもらうらしいから大丈夫だと思うよ?」
護衛が多いに越したことはないと、父さんはお昼に何人かの村人に声を掛けたらしい。
因みにレイは明日、家でお留守番だ。まだ五歳だし、森には入れるのは一年後から。
いつか二人で魔物を倒す日も来るのだろうか。
「そか。頑張ってね」
お風呂に入って仄かに香る髪をくるくるとし、それだけ言ってレイは部屋にも入らず後にしようとする。
「もう戻るのか?」
「ん。今の言いたかっただけ。それにお兄は明日、寝不足とかなったらダメだし」
「まだ眠くないよ。だからレイさえ良ければ相手になるぞ?」
そう言ってあげると、少し戻るかどうか迷う仕草をしてから頷き、俺の部屋へと入る。
前まではそんな事なかったけど、最近は朝起こす時ぐらいしか部屋に来なくなったな。一緒に遊ぶことも日に日に減ってったし……。
「この本、明日の?」
妹の指差す先には、床に置かれた予習していた数札の本がある。
「ちょっと予習しようかと思ってね。さっきまで読んでたけど、片付けるから待ってて」
「いい。お兄と一緒に読む。こっち座って」
指示されるがままベッドの上に隣同士腰掛け、そのまま本を読みながら他愛もない会話をして過ごした。
こんな日々がこれからも続けばいい。そう思いながら。