素振り
2018年5月5日:大幅改変
翌朝。朝ご飯を食べ終えた俺は約束通り父さんに剣術を教えてもらうため、剣を持って家の庭に出ていた。
だがどこからどこまでが家の庭かは分からない。と言うのも、すぐ近くに他の民家がある訳でも柵で区切られている訳でもなく、ただ家周辺にあるスペースという認識だからだ。
そのお蔭で他人の目を気にせず練習できるし、俺としては好都合であった。
「指導の前にほら、そのままじゃ鞘が邪魔だろ。そのベルトを着けるといい。後で渡そうと思ってそのままだったからな」
父さんが投げたベルトを受け取る。見ると、ただのベルトではなく、剣を固定できるホルダーがついたものだ。
長さを調節し、剣が落ちないようきつく固定する。試しに腰を振ったりジャンプをしてみるが問題なさそうだ。
今まではいちいちポーチから出したりしまったりで面倒なところがあったが、これならば戦闘中も邪魔にならず気になることはないだろう。
そしてなにより、形だけでも冒険者に近づけて嬉しい。
「ありがとう父さん」
「お礼を言われるようなモノじゃないさ。それよりも、剣術を教えてほしい――だったか?」
「うん」
ようやくだ。
実は父さんがいない間、自室でこっそり剣の素振りをすることがあった。いつか何かコツを掴めるのではないかと思っていたのだが……。素人の俺にそんなことを閃く才能はなかった。
それが今日からは父さんが教えてくれる。まずは無様な剣からまともな剣になるよう頑張ろう。
「まず本当に初歩的なことから聞くが、その剣はエリスの手に馴染んでいるか? 使い勝手の悪い剣を振って変な癖がついてはいけないからな」
「別に…………うん。しっくりくるし問題ないよ」
普段から師匠に相手をしてもらう際使っているため、問題ないと即答しそうになるのをこらえる。
師匠と会っていることを父さんは知らないし、考えてみれば俺が誕生日以来、剣を握る理由がこれといってない。
ある程度のことは冒険者になるために練習していた――とかでごまかせるかもしれないが、下手な回答で怪しまれないように注意しないとな。
だからここは腰から剣を抜き、手で感触を確かめるようにして問題ないと伝えておくことにした。
その事を父さんは特に気にした様子もなく、話を続ける。
「大丈夫そうだな。それじゃあ、今のエリスがどんな素振りをするか見たいからやってみてくれ」
「分かった」
剣が当たらないよう、父さんから少し距離を取ってから俺は剣を振り上げ、思い切り振り下ろす。
数回縦切りを見せると声が掛かり、剣を止めた。
そのまま鞘に収めてから特に期待はせずに結果を聞く。
「どう?」
「予想はしていたが、全然ダメだな。エリスの振り方だと腕の力だけで動かしているから威力がでないし、それだとすぐに疲れてしまう」
そう言いつつ父さんも自分の剣を抜くと、軽く素振りを見せてくれる。
その動きには一目で無駄がないと素人の俺でも分かった。見ているだけで引き込まれるような独特な美しさがあり、振るたびに空を切る音が耳を通り過ぎていく。
「理想で言えば、ここまで素振りができれば今のエリスなら充分だ」
「おぉー」
その姿に思わず拍手を送る。
剣を持つ前ならここまで何かを感じることはなかっただろうが、持ったからこそ分かる凄さだ。
「ここで問題を出すが、真っ先に強くなるにはどうすればいいと思う?」
「え? えっと……魔物を倒してレベルを上げる?」
突然の問いかけに一瞬戸惑いながら答える。
今の俺には無理だが、真っ先に強くなるのであればレベルを上げることだろう。
「正解だ。真っ先に強くなるだけなら魔物を倒せばいい。そうすればレベルが上がってステータスも高くなるからな」
だが父さんは、最初は縦に振った首を今度は横に振る。
「けどなエリス。剣士の強さは純粋な力だけじゃない。ステータスが高くなれば持久力が上がり疲れることも減る。力任せでも威力が出る。例えさっきのエリスの剣だとしてもな。だから、基本を疎かにするやつが多いんだ」
「基本?」
「ああ。これからエリスにやってもらおうと思っている素振りなんか基本中の基本だ。だが、多くの者はまずこう思う。魔物を倒してレベルを上げれば強くなるし、戦い方も覚えられて一石二鳥だとな」
確かに……そう言われるとそっちの方がいい気がする。だがレベルの上がらない俺からすれば、魔物を一人で倒すなんて出来ないことだ。
「そして、そう考えるやつは本当の意味で強くなれないんだ」
「つまり――どういうこと?」
「基本が大事ってことだ。少なくとも、今のエリスには関係ないからこれ以上は言わんがな。もしこの意味を本当にエリスが分かった時は、何もかもが解決した後だろう」
そのまま「ちょっと待っていてくれ」と言って、父さんは一旦家に戻る。
結局何が言いたかったのだろうか。今の俺には関係ないにしても、あそこまで言われると気になる。
基本が大事……。つまりは基本をしっかりとやれってことなんだろうけど、魔物を倒すよりもまず基本からやれってことか?
そう言えば話の途中で、これから俺に素振りをやってもらおうと思っているとかも言っていたな。
何の結論も出ないまま暫くすると、父さんが戻ってきた。
よくよく観察すると右手に別の剣があり、その剣は一見俺のと同じモノのように見えるが……剣身の部分が若干長いだろうか。
「次はこの剣で素振りをしてみてくれ」
手渡された剣を持った途端、俺の腕が想像以上の重みで持っていかれそうになる。
「おわっ! 何この剣? 俺のより大分重いね」
「それは素振り用だ。取り敢えず振ってみろ」
ニヤついた父さんに言われるがまま、俺はさっきと同じ様に素振りをしようとする。
だがその重さによって同じ様にすることはできない……が、踏ん張ればなんとかできそうだ。
正直これはもう素振りではない。剣の重さに耐えながら肩から前へと下ろしているだけだ。
「ま、最初はそんなもんか。その内筋肉が付いて、慣れてくればもっと振れるようになるさ」
「ふう……。全くまともに振れないんだけど、本当にこれでいいの?」
「大丈夫だ。軽い剣だと腕の力だけで振れる。だが重い剣は違う。しっかり振ろうとすれば腕だけじゃなく、自然と腰とかの体全体を使おうとする。そうすれば力がうまく伝達できて、実際の剣を振ったときにその動きを出来るようになっているから、速度や威力が増すんだ」
そう言ってもう一度素振りを見せてくれる。
確かに父さんの素振りは腕だけではなく、体全体を使った流れるような動きだ。
「それと、素振りをすることで体も鍛えられるしな。腕や手首とかの使う部分は特に。指もしっかりと握るようになるから、戦闘中に衝撃があったとしても剣を落とすこともまずなくなる」
「なるほど」
たかが素振りという訳ではないのか。
これならば、今の俺でも充分強くなれる余地があるだろう。
「別に剣じゃなくても、しっかり握れて振れるんだったら丸太とかでもいいんだけどな。どうせやるんだったら、同じ感触のグリップのほうがいい」
ふむふむ。
「後これをやらせるのは、言葉で説明するのが面倒だからだ。別に言葉でも説明できなくはないが、体をもっと使えとか言われても大抵理解できん。どっかの流派の型とかなら知らんが、こんなもんは自分の体に覚えこませるのが一番だ」
素振りの説明をしている時の父さんは、俺の目には今までで一番輝いているように見えた。
昨日帰ってきた姿とはまるで別人だ。
「分かった。ありがとう父さん」
「親として当然のことをしただけだ。暫くは素振りだけでいいが、もし何かあれば俺のところまで聞きに来てくれ。それと、無理だけはするなよ。休むことも強くなるためには必要不可欠だからな」
そのまま父さんは家の中へと去っていく。
聞いておいてよかった。もし今日のことを知らずに過ごせば、俺は意味のない行動を永遠と繰り返していただろう。
「これを続ければ、もう少しまともに戦えるようになるかな」
師匠の姿を思い描きながら、俺はこれから毎日素振りをすることを決意した。