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とある誰かの特異点

僕と彼女の空巡り

作者: 一集

茅野美弥子はいわゆる幼馴染だ。


小学校が一緒で、中学校も一緒で。

けれど特に親しかった記憶はない。


それでも彼女が記憶に残っているのは活発で快活な目立つ少女だったからだ。

どちらかというと大人しく、静かに本を読んでいることを好んだ僕と、休み時間になると校庭に飛び出して行っていた彼女とでは接点がなかった。


時々、教室の窓から「元気だな」なんて感想を抱いて過ぎた小学校時代。


幾人かが同じ中学に進学して、初めの一年で同じ小学校で同じクラスになったのは茅野美弥子だけだった。

だからといって特別に感じたわけではない。


彼女にとっても自分にとっても、互いは他の小学校から進学してきた新顔となんら変わりなかったように思う。


少しだけ意識を向けたのはそんな中学の一年が梅雨に入った頃。


茅野は時々学校を休む。

それがとても頻繁になったのだ。

小学校の頃、彼女は絵にかいたような健康優良児であったはずだけど。

さだかではない記憶を辿る。


学校に出てきた茅野はとても不機嫌で、そしてどこかほっとしたような雰囲気を漂わせていた。


風邪?具合は大丈夫?

などと構われる茅野は「好きで休んでるわけじゃない」とぶすくれている。


別に四六時中考えていたわけではないけれど、隣の席に人がいないのは少しさみしいと思った時にふと気づいた。


「茅野」

「なによ」

「明日は、雨が降らないといいな」


茅野は息を飲んだ。

僕は開いた教科書に目を落とす。


「…うん、そうだね」


少し泣きそうな声だと思った。


雨が降る度に、茅野は学校を休んで、そして小さな変化が訪れる。

一日で伸びるはずのない髪の長さ、少し動かし辛そうな腕だったり歩き辛そうな足だったり、それから影を潜めていく快活な笑顔。


僕は『茅野美弥子の小さな冒険』と密かに呼んでいる雨の日が少し嫌いだ。


雨の次の日、僕が彼女にかける言葉はあの会話の日からずっと一緒だ。


「茅野、おはよう、それからおかえり。」

「おはよう、それから…ただいま」


はにかむように笑う顔を見れば、僕は穏やかに笑うことができた。


中学二年は、別のクラスになった。

友人に聞くところによれば、相変わらず雨の日に決まって休むらしい。


時々廊下ですれ違う茅野は本当に大人っぽくなった。

もう昔のように大口を開けて笑ったりしない。

上履きで中庭を駆けたりしない。

長い手足と細い腰。

きっと他の人よりも早く、彼女は成長しなければならなかった。

穏やかに微笑む彼女を知らない者もまた、いなくなった。


優しい彼女だけど、少し近寄りがたいところもあると友人が言っていたことを思い出す。

彼女に憧れる者は多いけれど、茅野が穏やかに日々を送れているのはそのせいなのかもしれない。


放課後、当番で遅くなった日。

教室に差し込む西日がひどく美しくて、少し帰るのが惜しくなった。


ついでだからと他の教室の見回りもしておこうと歩いて回った教室の一角。

ああ、ここは彼女のクラスだったのかと納得して、しばらく茅野の後姿を見つめる。


そっとしておくべきなのか、それとも。

迷って踏み出した足は窓枠に頬杖をついて空を飽きずに眺める彼女の隣まで。


隣の気配を感じないわけはないけれど、茅野は目線を動かすことはなかった。


僕は聞いてみたかったとことを言葉にする。


「雨は、きらい?」


今も、きらい?


「…わかんない」


苦しそうに茅野が答えた。


「でも…今は、雨を待ってるわ」


何と答えるべきだったのだろう。


雨が降るといいな。

僕は雨が嫌いだ。

ちゃんと帰ってこい。

行ってらっしゃい。


色々な言葉が廻ったけれど、結局僕は何も言わなかった。

それで正解だった気もする。


多分、彼女の世界は彼女のモノで、そこに僕という存在はなくて。

それは当たり前のことで。

茅野は僕の答えを必要とはしていない。


僕が眺める空と、彼女が見ている空はきっとまったく別のモノなのだろう。


彼女の視界を見てみたいと、衝動的に思った。


でも僕は無言で、茅野が僕に目を向けることも声をかけることもなかった。

二人で空を眺めていたけど、それは一人で見ていることと何一つ変りはない。


僕は茜色の空も嫌いになった。


中学三年も、茅野とは同じクラスにはならなかった。


時々すれ違う廊下で、挨拶代わりに微笑まれるくらいの距離感。

人気者の彼女から向けられる微笑みはとても貴重で、友人たちはそのたびに大騒ぎだけど、一年の時に同じクラスだったといえば半分は納得してくれて、もう半分は隣の席だったのだと言えば納得してくれた。


茅野の評価はもう、快活な健康優良児、なんて言葉はどこにもない。

儚げで穏やかで、優しい美人。


彼女を変えたのは時間じゃない。

きっと『誰か』なのだ。


ある雨の日。

僕は初めて学校をサボった。


図書館で自主勉というところが僕らしい。

思ったより大したことではなかった僕の冒険。


ガラス張りの、外がよく見える開放感の溢れた部屋。

嫌いな雨模様の空もよく見える。

彼女は今、どこで何をしているだろう。


「あの」


声と同時に差し出されたハンカチに面食らう。

大学生くらいのきれいなお姉さんは困ったように微笑んだ。


「使ってください」


短い言葉と共に胸に押し付けられた優しさに、やっと零れ落ちていたものに気付く。


「ありがとう、ございます」


返さなくてもいいと言い置いて彼女は去って行った。

僕は情けなさと恥ずかしさと、人の優しさを抱えて広げていたノートの上に顔を伏せて覆いかぶさる。


寂しいと思った。

悲しいと思った。

嬉しいとも思う。


涙は長い間止まることを知らなかった。


やっと顔を上げた時、僕の机にはモノがあふれていた。

飴やチョコレートや、ガムや菓子パン。

少し冷めてしまった缶コーヒーと温くなったペットボトル。

張られた付箋には「がんばれ少年」「負けるな!」「ファイト!」色々な筆跡の励ましの言葉。


僕は笑った。

今度は泣きながら笑った。


僕の世界は優しい。

僕に誰もが優しい。


そうして、やっぱり彼女のことを考える。


彼女の世界は。

彼女に優しい世界だろうか。


梅雨が終わり、夏が来て、やがて秋を迎えた。


「杉浦くん!」


進路も決まってくるこの時期、ぴりぴりとした雰囲気が学年を覆い始めた。

呼び止められた声に、驚いて振り返ったのは僕よりも教室を共に移動していた友人たちの方が先だった。


「茅野、どうしたの?」


僕は何でもないような日常を装う。

まるでいつもそうであるかのように、続く日々を体現する。


彼女は呼び止めたのに何も言わなかった。

切羽詰まった顔で、何かを覚悟した目をしているのに、僕に何も言わない。


行くのか、と声にしそうになる音を喉の奥にしまい込む。

でも行ってらっしゃいとは背中を押せそうにない。


ごめんと言えばきっと彼女を傷つけ、もしもの未来の話は僕を蝕むだろう。


僕たちは結局黙ったまま、予鈴の音に別れを告げた。


「…いいのか?」

「おい雪人、今のは追いかけるべきじゃないのか?」


何かを雰囲気から感じ取った友人たちが心配そうに声をくれるけれど、僕はいいんだと静かに答えた。


僕に出来ることはない。

僕はヒーローにはなれない。

雨が嫌いだと泣いていた少女の頃、彼女の手を掴まなかった僕にはその資格も方法もない。

彼女は自分で強くなった、自分で優しくなった。


僕は彼女の歩いてきた道程のどこにもいない。


僕に今出来ることは。

ずっとしてきたことは。


「そうだな。祈ることくらいかな」


優しさが、幸福が、彼女の世界に降り注ぐように。

安寧と、平穏がその身に降り続くように。


ずっと、雨が嫌いだと言った日から、雨を待っていると言った日の後も、僕は変わらず祈り続けていた。


雨の日は泣くだろう。

しばらくの間、胸の痛みに泣くだろう。


時が経って、痛みは小さくなっても消えることはない。

けれど、いつかこの痛みと共に微笑みを向ける人ができるといい。


穏やかな日常の中で。

どこかにいるだろう彼女に祈りつづけよう。

ここに、この世界に、僕の世界にも、君はいたのだと、さみしがりな君が忘れないように。


ぼたぼたと、雨のように流れ落ちる。


「雪人、次の授業はサボろうぜ」

「そーだな、さんせー」

「行こう、雪人」


友人たちの優しさに思わず笑う。

大丈夫、僕は笑える。


「ねえ、今すれ違ったのって茅野先輩?」

「う、ん。大丈夫かな」

「泣いてたよね…」


次の日は雨だった。

茅野は学校を休んで、次の晴れた日にも登校しなかった。


僕は今日も空を眺める。

今日も茅野は学校に来ない。


友人たちは何かを知っているのではないかと気まずそうに僕を見るけれど、僕は無言を貫いた。


秋が過ぎて、冬に差し掛かる。

僕は教室から空を眺めた。

いつか、空を見ることをやめることが出来る日がくるのだろうか。


まだまだ先のことかな、と胸の痛みと相談した。


さあ帰ろうと、ざわめきの支配した教室で鞄を手にしたとき、廊下が騒がしいことに気付く。

なんだろう、と目線を向けた先で、開きっぱなしだった教室の扉から見知った顔が現れる。


走ってきたのだろうか、肩で息をしている彼女はいつのも優雅な姿ではなく。

髪は乱れ、目は鋭く細められて、眉間には皺が寄っていた。


迷うことなく僕に目をとめて、ずんずんと迫ってくる茅野を僕は立ったまま待ち受けた。

その距離三歩。

茅野は僕を睨み付けた。


「言って!」


僕は何をとは聞かなかった。


「ああ。茅野、おかえり」


ちゃんと笑えているだろうか。

何かを、きっと大きなものを捨ててきた彼女に、世界が優しくあれと祈る僕の心は届いているだろうか。

優しくありたい、僕の心は。


「うん、うん…ただいま」


くしゃりと歪む茅野の顔。

僕は繰り返す。


「おかえり」

「…ただいま」


嗚咽が混じった茅野の声は小さくて。

それから堰を切ったように、子供のように泣きじゃくる。


少しだけ面食らったけれど、そう、きっと茅野はこういう少女だった。


立ち尽くしたまま大声で泣く茅野は身も世もなく悲しいと叫んでいる。

手を伸ばしてその背に腕を伸ばせば茅野は抵抗もなく僕の胸に縋った。


「苦しいよ、つらいよ、かなしいよ」

「そうだね」


僕も君がいなくなって苦しくて、辛くて、悲しかったからよくわかる。

大切なものが多すぎて、僕らはもがく。


「大好きだったのに、わたし、えらべなかった」


ごめんなさいと。


「大好きだって言ってくれたのに、わたし、手を、とれなかった」


ごめんなさいと。


「すてられないものが、一つしか選べない」


どれだけの苦しみがその身を引き裂いたのだろう。

胸が痛いと茅野が泣く。

捨ててきたものがとても大切だったのだと。


「それでも、いま」


茅野の手が僕の背に回って、制服に皺を作る。


「わたし、しあわせだわ」


思いついた勢いで書いて勢いで投稿。高校生まで書こうと思ったのですが切りがいいのでここまで。


杉浦雪人:穏やかな文学系少年。他人から見ると泰然自若としていて何を考えているのか謎。ミステリアスとかいう評価がついて女子にも実は人気がある。自己評価が低いが自分で成長していける完結型人間。

彼女が居なければ他人と距離を置いて無難に人間付き合いをこなす薄い人間になっていたと思われる。今後は多分とてもいい男に育つと思う。


茅野美弥子:雨の日限定で異世界にトリップする少女。最初は大変迷惑がっていたが、異世界にて苦境を仲間たちと共にしていくことでだんだんと心境に変化が。現実と異世界の狭間でもがくことに。

学校の人気者。今後、雪人がわりとモテることに気付いてやきもきするのはきっと彼女の方。

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