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短編集  百歌繚乱  作者: 貫雪(つらゆき)
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花の色は

 長雨を、眺める。か……。


 私は庭に降り続ける雨を見ていた。長雨はもう数日にわたって降り続けている。この雨は美しかった桜の花をすっかり散らせてしまっていた。気分の良い景色ではないのだから見なければいいようなものなのだが、今隣にいる人がさらにうっとおしい状況なので、気晴らしに庭ばかり目にしてしまうのだ。


「ああ、やはり肌の色もくすんでいるわ。髪の艶も足りないみたい」


 私の女房にょうぼう(侍女)仲間は、そういいながら鏡を眺めてはため息をついた。


「あんなに肌の色には自信があったのに。いつの間にこんなになっていたのかしら?」


 彼女はため息だけでは足りず、とうとう涙声になって目を赤らめた。


「まあまあ。そんなに鏡ばかり見て嘆くのはおよしなさいよ。もう少ししっかりと化粧を施せばいいだけじゃないの」


 私は内心のうんざりした気持ちが表に出ないように、気をつけながら彼女に語りかける。


「だって。あの人の前でいつもいつも厚化粧と言う訳にも行かなかったんですもの。ほんのちょっと前なら、素顔のままでも十分白かったのに」


 私の言葉に耳を貸すことなく、彼女は鏡の中の自分をうらめしげに睨んでいる。そんな顔を眺めてばかりいるから思いけって気分も暗くなるのだろうに。

 だが、今の彼女に明るい気分になれと言うのも酷な事だろう。なにしろ長年通っていた男と昨夜別れたばかりなのだから。


「今だってそんなに悪くは無いわよ。ほら、式部の君はあなたと同い年だけど、あなたの方がずっと色が白いわ」


 私は彼女の気持ちを前向きにしようと、他の人の容姿を持ち出して励ましたりする。式部の君には悪いけど、仕方がない。


「だってあの方、若い時からそんなに色白ではなかったし、とても地味な方だったじゃないの。私はこれでも一度は、この邸中で一番華やかな女房だと言われた事があったのに。これじゃ、あの方も私を見限るはずだわ」


 彼女はそう言ってますますしょんぼりしてしまった。これじゃ打つ手なしだわ。持ち出してしまった式部の君に申し訳ない。

 彼女は自分の容姿の衰えばかり気にしているけど、男が去ったのはそれだけが原因とも思えない。もちろん容姿はいいに越したことは無いだろうけど、彼女は華がある分自信家だ。ちょっとした事でどこか言動にキツさが混じる事がある。長い付き合いなら相応に情も湧いていただろうけど、そういう『あら』も目に着いていただろう。その辺も互いに上手く合わなくなっていたんじゃないだろうか?


 そうは思っても今の彼女にそんな言葉は届きそうもないので、私は彼女に思う存分嘆かせておくことにした。その代り下手に相槌も打たない。長年邸勤めをこなしている彼女なのだから、そんなに心の弱い人じゃないはず。黙って見守ってさえいれば自然と元気を取り戻すことだろう。


 これがまったくの人妻で、邸の奥深くに厳重に守られていた人ならば、男が夜がれて通って来なくなったとなると大事である。元気に世話を焼いてくれる親がいればいいが、親だって歳を取る。若ければ再婚の道もあるが、私や彼女のように中年期に差し掛かった女ではそれも難しいことであろう。好むも好まざるもなく、誰か経済的に支援してくれそうな男の多くの恋人たちのひとりとなるか、とっとと出家して尼になるより他に道は無い。それが嫌なら飢えて儚く命が尽きるのを待つだけの身となってしまう。


 しかし私達は長年この華やかなやしきで、お仕えする主人の『彩り』として仕え続けてきた女房だ。衰えたと言っても相応の容姿は保っているし、化粧や装束の身なりも決して悪くは無いはず。

 歌や楽などもそれなりにこなせるし、筆跡だって悪くない。長年培ってきた社交術だって持っている。この邸でつぼね(侍女部屋)をいただいて暮らしている限り、まだまだ枯れ果てるようなことは無いのである。


 大体、邸の『華』と言うのも自然と若い人に入れ替わって行くものだ。ちやほやされるのは確かに若さの特権だろうが、それだけが女の人生のすべてではない。

 私は嘆く彼女より少し年上なので、正直容姿は彼女よりすでに劣っていると思う。彼女が「艶が足りない」と言っている髪など、すでに艶どころか量も心もとなくて『かもじ』と呼ばれるつけ毛で補っている有様だ。もちろん化粧も彼女よりずっと濃くなっているし、装束も顔に近い所にはなるべく顔色が良く見えそうな色を着るようにしている。


 そんな私もほんの少し前には彼女と同じように自分を嘆いた時があった。明るいところで見た自分の肌に張りがないことに気がついたり、髪が薄く、細くなっていて、後ろ姿に自信を失ったり。少しづつそんな事に気がついては驚いたり、がっかりしたりしていた。

 しかし私は今の男と相性が良いのか、休みの度に仲睦まじく過ごせているし、邸勤めも充実している。私達が求められるのは『華やぎ』ばかりではない。才智や気配りも必要な事なのだ。


 でもそれは今の私が自分の容姿の衰えを認める事が出来て、それでもなお愛してくれる男がいて、必要としてくれる主人がいるからこその事。私にも嘆きの季節があり、自分を理解する時間が必要だった。

 きっとこれは女の人生で誰もが通らなくてはならない坂道なのだ。それを登らなくてはならない時に彼女は恋を失った。人より華を誇っていた分、彼女は坂道の思わぬ厳しさと、孤独に戸惑っているだけなのだろう。


「……こんなことなら、あの人との恋にばかりうつつを抜かさないで、もっとこの世の華を楽しめば良かったわ。昔は言い寄る男も沢山いたのだから。ねえ? そう思わない?」


 あまり私が黙っているので、とうとう彼女は同意を求めてきた。終わってしまった事を愚痴られてもどうしてあげる事も出来ないけれど、その気持ちは良く分かる。


「後悔することないわ。その恋があったからこそ、あなたは華やかに輝く事が出来たと思うの。恋もせず、男の気持ちも理解せず、自分の美貌に酔っていたならあなたは輝けなかったと思うわ。男心を大切にして、若さに驕らずに身づくろいに気を使っていたからこそ、あなたはこの邸の華でいたのよ。今だって輝きを失ったとは思わないわ」


「そうかしら? どう頑張っても若い人には敵わないと思うけど」


「若さの輝きって、桜の花の華やぎのようなものでしょう? 確かに私達は桜の季節を終えてしまったわ。でも、この世に咲く花は桜だけじゃない。次の季節には藤だって、花菖蒲だって咲くわ。あなたも次の季節の恋の花を咲かせなくちゃ」


 そう言っているうちに外が明るくなってきた。


「どうやら久しぶりに雨が上がったようね」


 彼女も少し気持ちが明るくなったらしく、雲の間から見える青空を仰いだ。


「雨上がりで空気がいい具合に湿っているわ。これならこうの香りも化粧ののりもいいでしょう。今日は思いっきりおしゃれを楽しみましょう」


 私がそう言うと彼女も少し微笑んで、


「そうね。この湿り具合なら楽の音も美しく冴えるでしょう。丁寧に化粧して琴や琵琶でも奏でましょうか」


 と言って、女童めのわらわ(小間使いの少女)に化粧道具を取ってくるように言いつける。私も楽器の手配をする。

 雨上がりの日差しが庭に降り注ぎ、雨に濡れた草木をキラキラと輝かせている。その様子は初夏を迎えるに相応しい。


 私達はこうして次々と新たな季節を迎えながら、人生を歩んで行くのだろう。その時々に美しい季節の花を咲かせながら。


 女の人生はいつの季節だって美しいのである。



  花の色はうつりにけりないたづらに

  わが身世にふる ながめせしまに   小野小町おののこまち


 (桜の花の色は季節が移り、むなしく色あせてしまった

  私の身も、恋にけっているうちに

  世代の移ろいを、眺め更けっているうちに色あせてしまった

  春の長雨が降っているのを、ぼんやり眺めているうちに)


※古典で「花」は桜の事。この「ふる」は雨が「降る」のと「更け入る」とをかけています。さらに「ながめ」は「眺め」と「長雨ながあめ」のかけ言葉です。




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