世をうぢ山と
「鹿の声が聞こえますな。いかにも宇治の山奥に相応しゅうございますなあ」
客人はそう言って庵の外を眺めた。
「このようにお元気な御姿を目にする事が出来て、本当に安堵いたしました。こうしてお目にかかりますと、ますます信仰も深まられて神々しいような御様子でございますな」
都からの客はそう言って、我が主人の僧の事を褒め称えた。そして、
「いや、あの御世代わりさえ無ければあなた様は決してこのような宇治の庵に引き込まれることなど無かったでありましょう。われわれ都に暮らす人間もあなた様のおいたわしい境遇をお気の毒に思わずにはいられないのですよ。ですからこうしてこの庵まであなた様の消息を尋ねて参ったのでございます」
客はそう言って我が主人を同情した。周りにいる客の従者も神妙な顔をしている。
我が主人はもともと朝廷でも威勢を誇った権力者であったのだが、思いがけない御世代わりが起ったために内裏内での居場所をたちまちのうちに失ってしまった。その急変ぶりは都でも語り草となるほどであった。都に『身を立てる』場所を失い、追い詰められた主人はやむなく出家することになった。都から辰巳の方に離れた宇治の地にある山寺の奥に庵を建て、修行する身となったのだ。
都人は「あのようなきらびやかであった方が、寂しい宇治の山奥に入られる身となったのは何と悲しい事であろうか」と主人の事を噂している。それでなくても宇治の地と言うのは昔から『憂し』の地と言われて、悲しみを誘う寂しい土地として有名なのだ。そんな地に庵を建てて引きこもった我が主人を、人々は何かと気の毒がっている。もちろんこの客人もそういう方の一人であろう。
「いや。これも我が前世のつたなさから来たものなのでしょう。私も後世こそはこのような憂き目に遭う事がないようにと、心を律して修行に励む事としたのです」
世の無常に負けまいとするかのような主人の言葉に、客も、その回りの者も感極まったようにしている。中にはそっと涙をぬぐう者までいた。
そんな中我々主人の世話を焼いている者達は……実に居心地の悪い思いをしている。
「お噂ではあなた様は大変厳しい修行を苦にも思わぬようになさっておられるとか。突然仏門に入られた身でそのような難行に挑まれるとは、なんと御立派な方なのであろうかと都でも話題になっているほどでございます」
それは本当の事であった。我が主人はつい先日まで都で雅のかぎりをつくしていたと言うのに、運命の流転により山寺に入ってからと言うもの、率先して修行に励まれた。それはもとから山伏として入山した者にも劣らぬほどの修行ぶりで、この庵よりも更に山の奥へとひとり分け入って、時には獣に脅え、時には山の厳しい天候の変化に苦しみながらも、滝に打たれたり、火を踏まれたり、荒行をこなしたりなさっていた。
都人達はそれを知ると、
「御気丈になさっていても、やはり心騒がしい思いが御有りだったのだろう。そのようなお辛い思いを人にはできぬような荒行によって昇華なさろうとしておいでとは、どれほど御心の優れた方なのであろうか。まるで聖者のような方だ」
と、口々に言い合っていると言う。……まあそれは確かにそうなのだが。
「これは御仏が私に下されたご慈悲だと思っているだけでございます。私は仏門に入ったおかげでこれまでとは物の見方が変わりました。そして御仏の素晴らしさを知ることが出来た。御仏はこの素晴らしいご慈悲を私に与えて下さるために、こうして私を入道させて下さったのです。その御仏の素晴らしいご慈悲を、ぜひ都の人々にもお分けしたいと思っております」
「都暮らしに御未練もございましょうに。恨み心などはお持ちではないのですか?」
客が主人にそう聞くと、主人は、
「御仏の御慈悲に救われている私が、都に何の未練や恨みを抱くと言うのでしょう。そのような心は私にはございません」
これを聞いた客達はいよいよ感涙にむせび入り、涙を隠すことなく流している。一方我々は、
「ああ、気の毒な事だ」
と、ため息をつくしかない。
「なんと御心の広い……。これが御仏のご慈悲のお力なのですね」
確かに我が主人の立ち直り方は尋常ではない。この精神力は通常では持ちえない。我々はそんな主人を心から尊敬している。だが、それほどの精神力の持ち主だけあって難点もあるのだ。
「ああ、わたくしにはそのような素晴らしい信仰心は持てそうもありません。わたくしは実に弱い人間です。その弱さゆえ……あなたにおすがりせずにはいられないのです」
とうとう本題が出てしまったか。まあ仕方あるまい。それこそが都人と言うものだ。ただ、それを持ち出す相手を間違っていると言うだけで。
「そのあなた様の広い御心を持って、どうぞ次の司召し(役職や人事の決定)の時にはわたくしの事を高貴な方々によーくお願いしていただきたいのです。いやいや、出家した身とおっしゃって逃げたりなさってはいけません。あなた様の尊い行いは都人達も一目置いているのは御存じのことでしょう。都の高貴な方々は、今でも……、今だからこそあなた様を尊敬しているのです。そんなあなた様が推薦して下されば、私のような不甲斐ない弱い人間にも仏のご慈悲に勝るとも劣らない喜びが与えられるのでございます」
話が本題に入ると客の口はまくしたてるようになめらかになった。さっきの涙はどこへやら。実に熱心にとうとうと熱く語り出す。
「私もあなたと同じ、弱い人間でございます。誰かのお力になれるような身の上ではありませんが」
主人は一応は謙虚にそういう。返ってくる言葉がよく分かっているからだろう。
「そのような事は御座いません! 我が家系は昔から舞いや楽に力を入れておりました。これでもそれなりの名家としても誇りがございます。なのに私は二年連続で出世を逃しております。我が親もそろそろ年老いて参りました。親も私の出世を切実に望んでおります。わたくしは今度こそ親を安心させたい。あなたからのご推挙があれば、わたくしはきっと……!」
「まあまあ。そう堅苦しい話に熱くなりなさるな。それよりもう少し傍においでなされ。世間話など聞かせていただきたいものだ」
主人にそう言われると熱心に頼みごとをしている客は素直に従わざる得ない。深く考えもせずに客は主人の傍に寄った。
「修行の身の上は特につらいとも苦しいとも思わないのですが、唯一つまらなく思っているのが女人禁制と言う事だけでしてな。近くの山寺には稚児などもいるのですが、私は幼いものはあまり好みではないのですよ。……何でもあなた様は賀茂祭りの舞人もお勤めになった事があるとか。身体の線などもいかにも舞人らしくしなやかで美しそうだ」
そう言って主人は客になまめかしい視線を向けた。鍛え上げた屈強な身体に修験者にも劣らない荒々しい容貌の主人がそういう視線でほほ笑むと、何とも言いようがない迫力があった。
「いかがですか? 良かったら今宵は一晩中私にあなたの『舞』を見せていただきたいのだが」
囁くようにそういいながら主人の手が客の指貫へと伸びて行くのを見て、客はぎょっとした様子で飛び上がらんばかりの顔で目をむいた。そして、
「あっ! いいえ! そのっ! 今宵は無理でございます! わたくし、今宵はこの方角ではこのままこちらにいると方塞がり(移動に縁起が悪い方角)となって当分帰れなくなってしまうのを忘れておりました。申し訳ないが今夜はお暇させていただきます!」
そう叫ぶとまるで転がるように庵を出て行き、馬にまたがって帰って行った。客の一行が寺から離れたのを察すると主人は堪えかねたように「カラカラ」と大笑いした。
「おい! 見たか? あの者の今の顔を。あれは傑作であった」
そう、心から愉快そうに笑い転げている。
「大概になさいませ。客人が可愛そうではありませんか」
私があきれ返ってそう言っても主人は澄ました顔で、
「何を大概にするのだ? 私は世間話と『舞』が見たいと言っただけであろう?」
と、こともなげに言って見せる。この主人はこうして都から自身の出世の口利きを頼んでくる客人達をからかうのを、何よりの楽しみとしているのだ。主人を聖者と信じ込んでくる人々は、たいていこうして顔色を変えながら逃げ帰って行くのである。
以前には妻に立て続けに姫君が生まれ、よほど自慢の姫君らしくその姫なら帝に差し上げる事も出来ると考えて、本当に必死に出世を望んでいらした人が訪れた。彼は決死の覚悟で寺にとどまったが、主人は実際には男色の趣味など無いものだから、その人に本当に一晩中『舞』だけを舞わせ続けて過ごした事もあった。……それはそれでなんだか気の毒なものがあったが。
「お気の毒に。都人にとって出世は人生をかけた必死な事であるのは、知っておられましょう」
私は思わず同情の言葉が漏れた。この主人こそ同情されるべき境遇を味わっているはずなのだが、この豪快な性格を知ってしまうとどうしても都人の方が気の毒に思えてしまう。
「良く知っている。だから私には彼らの方がよほど哀れに見える。出世のためならどんなふうにでも踊らされてしまうのが朝廷人と言うものであろう。そんな価値観など、見る角度によっていくらでも変わることに気づく事が出来ないのだから」
「だったら、客人を苛めるのはおやめになって下さい」
「苛めてなどおらぬよ。都人も私などに踊らされてしまう自分の身の上について、少しは考えて見ればよいのだ。私を気の毒がってくれるのはいいが、本当に気の毒なのは誰なのか考えるのも人として必要な事だろう。これも説法の一つだ」
そう言って主人はまた豪快に笑う。まるですべてを達観したように修行にはげみながらも、こうして人々に接している主人は、実はいまだに都人を愛しているに違いない。すべてを奪われ、都を追われようとも、この人は都人を大きな愛で見ているのだ。
「人交わりがお好きなのですから、いっそ還俗なさってはいかがです?」
私がそう言っても主人は首を横に振った。
「私が明るい気持ちでいられるのは、人の心に振り回されず、御仏の懐の中にいるからであろう。私の身は都で立てることはもう出来ない。私は山に住む鹿のように、しかと、この地に根を下ろしたのだ。きっと私はこうしている方が人を愛する事が出来る。何の恨みも未練も抱くことなく」
主人はそういいながら穏やかな瞳を閉じて経を唱えた。何と大きな御心を持った方なのだろう。このような方にお仕え出来ることを、我々も心から幸せに思っている。
今日も都では我が主人の事を気の毒がっているだろうが、この寺では明るく穏やかな時間が過ぎているのである。
わが庵は都のたつみしかぞすむ
世をうぢ山と人はいふなり 喜撰法師
(私の庵は都の東南にあり、鹿のように山奥に身を立ててしっかり暮らしている。
しかし人々は世を憂いて住んでいる宇治(憂し)山だと言っているらしい。愚かな事よ)