白きを見れば
今夜は寒い。車の中で綿入りの衣を羽織り、ひざに別の衣をかけていてもシンシンと寒さが身体にしみて来る。邸の中で焚かれているであろう炭桶の火のぬくもりが、とても恋しく思われる。その火にあたって頬を赤らめているであろう娘の事は、もっと恋しい。
ようやく牛車が邸に着くと、私は寒さに身を縮ませながら車を降りた。その冷気に思わず顔を上げ、空を仰ぐ。
今夜は月もない夜だ。だが、空はよく晴れて空気が澄み渡っているので、天上には満天の星が輝いていた。これは美しい。娘が見れば感激することだろう。
「お父様。お帰りなさいませ!」
今にも駆けださんばかりの勢いで娘は私を出迎えてくれる。娘の母である我が正妻が慌てて娘をたしなめるが、私が「構わないから」と遮った。
「本当に殿は、この子に甘いんですから」
妻の言葉は私を非難していても、その目は嬉しそうにしているのが分かる。幸せな冬の夜の団らんだ。
「ちょっとこちらに来て御覧」
私は娘を庭の方へ誘った。「なあに?」と素直に娘は従う。
「ほら、天の川が綺麗だよ」
そう言って娘を御簾の外に出してやり、格子を上げさせたところから星空を見せてやる。娘は「わあ!」っと、感嘆の声を上げて夜空に見入っていた。
「覚えているかい? 去年の冬、お前が寝ぼけて庭の霜柱を天の川と言った事を」
「嫌だわ、お父様ったら。恥ずかしいことをおっしゃらないで」
娘はそうふくれるが、私は、
「いや。良い感覚を持っていると思う。美しいものに素直であることは、とても大切な事なのだよ」
と、言い聞かせる。
「唐の詩に『月落ち烏鳴いて霜天に満つ』と言う言葉があるのだ。霜の輝きを星に例えるのはとても美しく、情緒豊かな事だと思う。それが分かるお前なら、この星空を見せればさぞや感激することだろうと思ってね。こういう自然を愛で、慈しむ心は大切にするんだよ。そうすれば良い歌が詠めるようになって……」
「素晴らしい婿君様が通って下さるのね?」
娘は嬉しそうに期待に瞳を輝かせて、私の言葉を引き取った。
「……ああ、そうだよ」
そう答える私の言葉に、ほんの少しの寂しい影が籠ったことに娘は気づくまい。
「年に一度の七夕の夜には、カササギと言う鳥達が群れなして橋を作って、牽牛と織姫が出会えるようにするのでしょう? こんな綺麗な星空の天の川から、鳥の群れが作った橋を渡って来て下さる婿君様なら、さぞかし素敵でしょうね。きっと星のように輝く衣をまとってやってきて下さるんだわ」
そんな事を夢見るように言う娘は、私の横に並んで立っている。去年の冬に出かけた先から帰った時に、娘が寝ぼけて日蔭の霜柱を天の川だと言った時は、娘は私の腕の中に抱えられていた。
今年の夏の七夕に「そんなに小さい子じゃない」と怒る娘を無理にひざの上に乗せて、霜柱の思い出を語り合った時、すでに娘は随分重たくなっていた。
もうすぐ正月。今度の正月で娘は十歳になる。もうこんな風に気軽に建物の端に近づけることも出来なくなるだろう。そして、ほんの三年もすれば大人になってしまう。そうなれば父親と言えども御簾越しでしか娘と顔を合わせる事も出来なくなってしまう。
こんな風に物越しでないまま娘の姿を見る事が出来るのも、あと僅かの事。娘の成長は嬉しく思うが、男親にはやはりさびしさが付きまとう。
この子の夢見る婿君は、心優しい誠実な男であって欲しい。もちろん、娘を幸せにできそうな、それなりにつりあいの良い、人柄の良い男を選ぶつもりではいる。男の身分が低くては娘に苦労させることになるだろうし、身分が高過ぎては娘が侮られて捨てられてしまう恐れがある。
だが、身分だけが結びつきを強くするとも限らない。自分自身も幾人かの妻を持っているが身分低い妻の所はつい、気楽さから足が遠のいたりするし、かといって同じ程度の身分でも思ったほど相性が良くなくて、結局別れてしまった妻もいる。
こんな風な自分でありながらも、娘には最良の婿を迎えたいと願ってしまう。男親とは勝手で切ないものなのだ。
「ねえ、お父様。七夕ではないけれど、この綺麗な星空にお願いしない? 私が大人になったら、とっても素敵な婿君様が通って来てくれますようにって」
私の思いなど知らぬであろう娘の無邪気な提案に、私は真剣に頷いた。
どうか、娘を誰よりも幸せにしてくれる婿君を得られますよう。
そして、少しだけ娘をゆっくりと、大人にならせて欲しいのです。
かささぎの渡せる橋におく霜の
白きを見れば夜ぞ更けにける 中納言家持
(七夕には牽牛と織姫のため、かささぎが翼を連ねて渡す橋がかかる言い伝えがある天の川
だが今は霜のような冬の天の川だ
その白さを見ていると、夜もふけたのだと感じてしまう)




