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短編集  百歌繚乱  作者: 貫雪(つらゆき)
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富士の高嶺に

 友人が来る。友人の仕える主人が都から陸奥みちのくの赴任先への旅の途中で、数日間滞在させて欲しいと我が主人に頼んで来たらしい。

 ここは駿河するがの国なので都から離れているが、彼の赴任先はさらに遠い遠い陸奥国みちのく。なんでもあちらでは東国以上に都の権勢は届きにくく、地元の蝦夷えみしと呼ばれる者たちに負かされないよう、上手くやって行かなくてはならないと言う。都の理屈が通らぬ無法の地の厳しさは東国以上と聞く。そんなこの世の果てのような所に向かう都人をを迎え入れるのに、何の障りがあろうものか。我が主人は


「何日でも御滞在下さい」


 と返事をしていた。


 友人は昔から人目に立つ存在だった。親の代からとある貴人にお仕えしていて、親はなかなかの良国の受領となっていた。もちろん友人も野心に燃えていて、親を上回る出世を望んでいた。

 親同士が親しかったので友人とは幼いころから一緒に過ごしていた。彼は負けん気が強くて、玩具おもちゃの馬も人より大きな物を欲しがったし、本物の馬に初めて乗せられた時も、荒々しいまでに大柄な従者の大きな馬に乗せてもらいたがった。そしてまだ身の丈が足りない頃から一人で馬に乗りたがり、実際同年代の誰よりも早く馬を操った。


 学問などでも同じで、字を読むのもおぼつかない頃から漢詩の一節を丸覚えしては、意味も分からぬまま自慢げにしゃべり、大人達の話に割って入ったりしていた。

 父親に叱られて癇癪を起しながらも、幼い子供であることをいい事に女君達のいらっしゃる御簾の中などにするりと入ってしまい、不満を訴えるのもそこそこに覚えた漢詩を暗誦するものだから、女君方も可愛らしく思われて友人を愛おしがる。知恵をつけた友人はその女君方の近くに父親などが来た時に、うろ覚えな漢詩を暗唱しては誇らしそうな顔をするので、それを皆が愛おしがって多くの大人達に好かれていた。


 つまり友人は幼いころから要領がよく、積極的で、好奇心旺盛。そして根っからの野心家だったのだ。彼は成長と共にそういう人に好かれる熱気を一層強くその身から発散させて、将来有望と言われる身分高い方の従者となった。

 私と言えば友人のあまりの強さ、華やかさにいつも押されてばかりであった。まるで彼の引き立て役のようにいつも友人の後をついて歩く。そうすることで彼からのおこぼれをかろうじて受けるくらいしか能の無い、平凡な男となってしまった。


 いつだったか、友人と二人で雪の降る夜に酒を酌み交わしながら、歌枕について語り合った事があった。末の松山、天の橋立、田子の浦……。上げ連ねるうちに話が富士の山に及んだ。


「富士は遠い昔から、世にも稀なる高さと美しさを兼ね備えた山と言われているな。今見ている庭の雪よりも、富士に降る雪は美しいのだろうか?」


 彼はそう言って真っ白な庭を愛でていた。私達はまだまだ若く、都以外に世間を見たことなど無かった。私達の心も料簡りょうけんも狭く、都の外は和歌に出て来る美しい世界としか思っていなかった。

 この世は美しく、未来は輝かしく、特に人に好かれることに自信を得ていた友人は、その要領の良さでこれから何処までも明るい道を歩き続けると信じていただろう。私はそれを眩しい思いで見ていた。


 そんな要領の良い彼が、突然の政変により主人の権勢がみるみる失われていくのを耐える事が出来ようはずがなかった。いや。それは彼だけではない。貴族の世界はどれだけ権勢の良い人の近くにいるかで、人生のすべてが決まってしまう。こういう時は誰もかれもが勢いのある人を見定めて、より良い主人を求めるのだ。

 もともと野心家の彼が主人を見限って他の人のもとへ足を運んだからと言って、誰がそれを責めることなど出来ようか? 貴族の中で生きるとはそういう事だと心の中では誰もが認めているはず。彼がちょっとばかり人より目立つ存在でなければ、たかが従者の行く末など誰も気にかけたりはしなかっただろう。


 皆が同じことをしても、彼だけが非難を浴びた。彼は決して情け薄い男ではないことを私は良く知っている。そうでなければこれまで誰からも愛され、好かれる男であったはずがないのだ。

 しかし友人の私が愚直な男である事も、その主人が運よく時流に乗った事も、人々にとっては彼を比べて非難する材料になっていた。それは私の心も苦しめたが、彼はもっと苦しんだことだろう。彼は誰よりも友情厚い人間なのだと私は思っている。


 彼は新たな主人から煙たがられた。彼の本質を知らない主人は彼をかばってはくれなかった。その彼を迎え入れたのは、権勢を失った前の主人であった。見限った主人に手を差しのべられて、彼はどれほど感激したことであろう。

 しかしその主人は権力の主流から外され、出家こそは免れたものの、まるで都から追放されるかの如く陸奥みちのくの地に赴任が決まった。もちろん友人はそれにつき従っている。


 私は友人と疎遠になっていた。私の主人が駿河の国に任を得て都を離れたためでもあったが、その前から愚直に出世の遅い主人につき従っていた私と友人を人々が勝手に見比べたりしたものだから、どうしても心地が悪くて友人とかかわる事がためらわれたのだ。もしかしたら苦しい時に離れた私を彼は冷たい奴だと思っているかもしれない。

 それ以上に野心家だった彼には、これほど境遇が逆になってしまった私の事は目にするのも疎ましいかもしれない。


 彼の主人が滞在すれば、私達も顔を合わせない訳にはいかないであろう。私はどんな顔をして彼と会えば良いのだろうか?

 彼の到着の日が近づくにつれて、私の心はざわざわと波立てていた。



「よお! なかなか顔色がいいじゃないか? 駿河の水があっているんじゃないのか?」


 友人はあっけないほど明るく声をかけてきた。


「君こそ思ったよりは元気そうだ。私には声もかけてはくれないだろうと思っていたよ」


 あまりの明るさにこちらの表情の方が緩んでしまう。


「そりゃあ、ショボくれてなどいられないさ。私がこれからどこに行くと思ってるんだ? 陸奥国だぞ。この世の果てで蝦夷達を相手に暮らさなくてはならないんだ。この世の誰よりも元気でいなくちゃ、やっていけないじゃないか」


 表情とは裏腹に切実な言葉に、思わず黙りこんでしまうと、


「そんな顔するなよ。どうして私が元気でいられると思う? 主人と共に下向出来るからさ。私はあの方に救われて本当の幸せを知った。私はあの方の手足になれることが嬉しいんだ。この世に心から尽くしたい人に出会える運の良い奴がどのくらいいるか知らないが、私はそういう人に出会う事が出来た。これは非常に素晴らしいことだ」


 友人の晴れやかな顔に、私は思わず、


「君の心はどこまでも清らかだな。それに心が大きくなっている。君の事を昔から眩い思いで見て来たが、今こそ一番眩しく思えるよ」


 と言うと、友人は、


「私は今まで汚れていた分、今になって輝き直しているのさ。君こそいつも強くは無いがしっかりと光を放っていた。それが人々の信頼を得られたんだ。まったく羨ましく思う。私も負けていられない」


 そう言って、挑戦的な目をする。羨ましいのは自分の方だ。彼はどこまでこんな風に華やかに生きて行けるのだろう?

 主人たちが落ち着いてくつろいでいるので、我々従者にも侍所さむらいどころ(従者の待機所)に酒や肴が用意されたが、このまま酔ってしまうのが惜しくて、我々は浜辺に向かった。


 浜辺には秋風が吹いている。少し肌寒いが、それが返って身が締まるようで心地良い。前を見れば彼の心のように大きな海が、振り返れば彼の忠誠心のような富士がそびえている。


「これが富士か」


 友人は富士を仰ぎ見ていた。


「ああ」


 私はいつかの雪の日を思い出していた。まだ私達の友情がとても素直で、明るい未来を信じながら富士の美しさを思い描いたあの日を。

 おそらく彼も思い出している。


「……ここの景色は、大きいな」


「ああ……」


 しばらく二人で景色を眺める。この大きな景色の前では、人々のつまらない思惑など、とても小さなものだと思う。


「富士はいい山だな。高いだけでもなく、美しいだけでもない。何か心を動かしてくれる」


 友人は感慨深そうに言う。


「そうだな。私も毎日見ているが、そのたびに何か違う感慨を与えられている。素晴らしい山だ」


「今は山頂の雪が美しいな。夏でもあの姿なのだろうか?」


「いや。真夏は雪の無い姿が見える。だが、雪がある方があの山らしいと思う」


「それらしくか。私も自分らしく生きてこよう。あの白絹をまとったような姿の富士のように。そして海の青さを引き立てる白砂のように、我が主人をお助けしよう」


「……すでに君は、富士のように大きい男だよ」


 そう言った私の言葉に微笑み返した彼の顔は、幼い日のように実に誇らしいものだった。


「きっとあの高嶺には、夏の目に見えない時も白雪が降り続けているのだろうな」


「絶え間なくか?」


「絶え間なくだ」


 彼はそう断言して、富士を見ていた。まるで自分の心を見つめるかのように。



 数日後、彼の主人の一行は旅立って行った。そして私の心の中では、絶えることなく富士の高嶺に雪が降り続けることになった。


 決して、絶えることなく。



  田子の浦にうちでて見れば白妙しろたへ

  富士の高嶺に雪はふりつつ      山部赤人やまべのあかひと


 (田子の浦に出かけて仰ぎ見て見ると、真白な布をかぶせたように

  富士の高い山頂に雪が降り続いている)




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