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短編集  百歌繚乱  作者: 貫雪(つらゆき)
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流れもあへぬ

 流されまいとする姿。それはたいてい見苦しい。流れを妨げ、散りを積もらせ、淀ませる。

 そこに清らかさや潔さは無い。ただ醜く濁って行くだけである。それはきっと、恋も同じ。


 ある日わたくしに、恋が訪れた。それは父上から私に男君から文が届くと告げられた日だ。


「相手は五位とはいえ内大臣の御長男。姫との釣り合いは十分な方だ。本当ならもっと早くに文をお預かりしても良かったのだが……」


 そう言いながら父上は口ごもった。


「何か、ありますの?」


「隠していても仕方がない。その方はどうもかなりの好き者であるらしいのだ。これまでも数々の姫君のもとに通いながら、一度も正式な婚儀をした事が無い。それも皆、身分の低い姫ばかりお相手しているらしい。そう言う方と我が姫を縁づけるのは私も本意ではないのだが」


「でも、御父上にとって大事な世の中でのお付き合いにもかかわるのでしょう? これをきっかけに内大臣様ともお親しくなれるのではありませんか?」


 そう言っても、父上は深く悩んでいらっしゃった。わたくしは父上に大切に育てられ、何もかも不自由が無いようにしてもらっている。気の強いわたくしの我儘をすべて聞いて下さる。けれどもわたくしは父上のお役に立つことなど何も出来ない。わたくしに出来る親孝行は父上の望まれる方を婿君に迎える事だけ。これまでも乳母めのとにそう言われて育ってきたし、自分でも長い間そう言う覚悟をしてきた。私は父上のお役に立たなくてはいけない。


 わたくしは幼いころから自分の容姿には自信があった。母上から美しい姿を譲り受けているし、自分でも常に美しくあろうと努力した。女は美しくあるべきだと思っている。

 わたくしの身分なら品のある筆跡と巧みな琴の音。それに古今和歌集をそらんじさえすれば、それほど容姿にこだわらなくても縁談に困ることは無いとみんな言う。けれどもわたくしはやはり美しくありたい。容姿はもちろん、衣も、髪も、何気ないしぐさも、そして心根や生き方も誰よりも美しい物を求めたかった。


 本当は帝の女御様になりたかったけれど、帝にはすでに中宮様やあまたの女御様がいらっしゃり、親王様も多く儲けられている。東宮様はまだ幼子で、女御をお迎えできるお年頃ではない。

 それならばわたくしは、この世で誰よりも美しい女を目指そうと思った。後宮での女の地位の高いところは目指せなくても、このただ人の世では私が一番の女でありたいと思うのだ。


 だが、それと結婚は別の事。わたくしがこうして美の極みを目指せるのは、父上の手厚い庇護があってのこと。いくらわたくしが自分を磨きたいと思っても、父上がいなければ私は衣一枚、化粧道具の一つも手に入れられないのだ。


「御父上。そんなにお悩みにならなくても、まずはお文を頂いて見ればよいではありませんか。あまりにつまらない方でしたら、わたくしからお断りしますから」


「姫……それで、良いのか?」


「ええ、わたくしが御父上のお役にたてるなら」


 偽ってはいない。本当に父上の役に立ち、わたくしの庇護を続けていただきたいのだから。



 それから早速わたくしのもとに文は届いた。筆跡はなかなかのものだった。好き者を自認しているだけあって、言葉も情が籠り、歌も巧みだった。文面の所々にわたくしの容姿を褒める言葉があった。ひょっとしたら我が姿を垣間見た事があるのかもしれない。そう言えば先月父や母が寺詣でに行って邸の人が少ない時があった。その時にかすかに視線を感じたような気がする。


 それならなおのこと悪くない。わたくしはいつ人に見られてもいいように隙なく身を整えている。眠っている時はさすがに分からないが、意識のあるうちは常に自分の美を意識している。

 わたくしはこの世における、生ける美術品だと思っている。その私の姿に惹かれたのなら当然のこと。むしろ光栄なくらいだ。

 相手にとって不足は無い。わたくしはその方との結婚を決断した。


 婿君はきちんと作法通り三夜通い、所顕ところあらわしの宴もして正式な婚儀を結んだ。流石にわたくしの美しさには及ばないが、なかなかの美男である。わたくしに通うのならこの程度の美丈夫でなければ映えが無い。

 周りの物は婿君の噂を聞いていたので、いくら私が美しくてもひと月もすれば飽きて足が遠のくのではないかと心配し、


「早く御懐妊なされませ」


 などと下らないことを言っていた。そして乳母めのとが私に、


「もう少し、笑顔をお見せになっては? 愛嬌も女の魅力の一つでございます」


 などと生意気な事まで言う。このわたくしのの美貌を侮るもの言いは許さない。わたくしに媚びや愛嬌は必要ない。わたくしが磨くのは絶対の美のみである。

 それに婿君はわたくしに満足している。いつも丁寧に一つの乱れも無く櫛通した黒髪を婿君は褒めて下さるし、ぬかりなく季節に合わせた上質な衣のかさねも褒めてくれる。

 丁寧に切りそろえた爪や、産毛さえ許さずに丹念に抜いた眉の上に、左右寸分の狂いも無く点打たれた桃眉と言った、細かなところにも目を行き届かせて褒めて下さる。


 男君と言うのはこうでなくてはならない。女の美に敏感で、その美を隅々まで丹念に堪能できる感性が無くては、良い男君とは言えない。つまらぬ睦言などいらない。わたくしは美術品。それを鑑賞する能力の無い男など、男のうちに入らない。こうした崇高な美への探求は、使用人たちなどには分からないのだ。


 わたくしは婿君の褒め言葉に喜んだりなどしない。顔をほころばせるのはおろか、微かに頬を染める事も無いようにしている。究極の美術品である以上、そのような事はすべて当然に出来ているよう振舞わねば、わたくしの価値が落ちると言う物だ。


 だが、最近婿君はわたくしを褒めなくなった。どれほど化粧を凝らしても、どれほど美しい衣を身につけても、我が身の美を堪能なさらなくなった。毎晩足繁く通っては下さるが、暗い顔でわたくしの方を見ても下さらない。口にするのもありきたりな挨拶ぐらいしか無い。

 それがあまりに長く続くので、とうとう我慢できずに、


「……この衣装は、お好みに合わないでしょうか?」


 などと聞いてしまった。ああ、これでわたくしは一つ価値を落としてしまった。

 しかし婿君は私の姿を見ると表情も変えずに、


「よく、お似合いです。特にその華やかな表着は、あなたの瞳に合っています」


 と、わたくしを観察しながら言う。


 やはり、わたくしの姿は乱れ一つなく整っていたのだ。そんな事は自分が一番分かっていた。

 それなのに婿君はわざと私を不安がらせて、こんな屈辱的な言葉を言わせたのだ。なのに婿君は言う。


「あなたは私の好みに合わせて衣を着る人じゃない。あなたは私を愛しているのでしょうか?」


 愛? 今更そんなくだらない事を。わたくしたちは親のために契りを結んだ身。あなたは美の称賛者であり、わたくしは美術品。それで充分なはず。


「あなたに愛されていないなら、私がここに通う意味はありませんね。それならそう、おっしゃって下さい。父達の対面を傷つけないよう取り計らって、私はここに来るのをやめますから」


 婿君は目も合わせずにそう言う。


 この男は父上達の対面のために我がもとに通っていたのか! いや、それはわたくしも同じだった。この結婚は親のための物。ただ、この男が思いの外わたくしの美への鑑賞能力が長けていたから、つい嬉しく思ってしまっただけのこと。こんな男、いつ別れても……


「それなら、さっさと御通いになるのを、やめて下されば良かったのに」


 ああ、余計な事を言ってはいけない。見苦しい。黙って美しく別れてしまえばよいのだ。


「もう一度聞きます。あなたは私を愛してはいないのですか?」


 わたくしに愛などあろうはずがない。わたくしは美術品。そしてこの男はいつもわたくしを隅々まで褒めてくれた。些細なことにまで目を向け、いつもわたくしを気にしてくれていた。わたくしは、それをどんなに嬉しく思っていたか。そしてどれほどこの男の目を楽しませようと熱意を持った事か。


 ひょっとしたら、これこそが恋と言う物だったのか。


 だが今その恋は終わりの時を迎えようとしている。婿君の心はわたくしとの別れに向かって流れている。このままではわたくしも流されてしまう。


 流れなければならぬなら、秋の川に散り落ちた紅葉の様に、潔く流されてしまえばよいのだ。

 流されまいとする姿。それはたいてい見苦しい。流れを妨げ、散りを積もらせ、淀ませる。

 そこに清らかさや潔さは無い。ただ醜く濁って行くだけである。

 それはきっと、恋も同じ。美を追求してきたわたくしが男君にしがらみの様にまつわりついてすがるなど醜さの極みではないか。それなのに。


「……あなたこそ、わたくしを愛して下さらないの? あなたのために美しくありたいと、こんなにも努力を続けて来ましたのに!」


 わたくしは婿君に……失いそうな恋にすがりつき、そう叫んだ。そして涙さえも流れてしまった。その愛の深さに自分が一番驚いていた。


 すると婿君は表情を和らげて、わたくしの頭をまるで幼子をあやすように撫でた。


「ああ、あなたはやっと私に心を開いてくれた。分かっていますよ。あなたが私を愛していることなど。あなたは乳母に愛想が悪いと叱られながら、意地になって私に微笑まないようにしていただけ。本当のあなたは私の褒め言葉にとても喜んで、褒められた所は念入りに身を整えてくれた。あなたは子供のように意地っ張りで気が強い。私は自分より身分の低い女人ひと達ばかり相手をしていたので、皆気が弱く卑屈で物足りなかった。しかし私はあなたのそう言う気丈さに惹かれたのです」


「それでは、ここに来ないと言うのは……」


「意地の悪い事をしてすまなかった。ここに来ないなんてもちろん嘘です。私ばかりがあなたを愛しているのでは少し悔しいので、あなたに私への愛を気付いて欲しかったのです」



 そう言って婿君はわたくしを愛おしそうに抱きしめてくれる。


 流されないようにと、しがらみの様にからみつく紅葉の姿も、恋の中ではこんなにも美しく輝くのだわ……。


 私の中に宿った恋は、どんな宝玉よりも美しかった。




  山川やまがわに風のかけたるしがらみは

  流れもあへぬ紅葉なりけり      春道列樹はるみちのつらき


 (山中の川に、風が掛けた流れを遮るしがらみ

  流れきれずにいる紅葉の集まりであったなあ)



 

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