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短編集  百歌繚乱  作者: 貫雪(つらゆき)
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吉野の里に

「おお、寒い、寒い。今夜は一段と冷えるなあ」


 私は身を縮めながらようやくあたる事が出来た火桶に手をかざした。薄く灰をかぶった炭火のぬくもりが、かじかんだ手には実にありがたかった。


「陽が落ちる前に無事に宿にたどり着けて良かったな。この寒さの中、夜の山の中を歩くなどたまったものではなかった」


 ずっと私の横を歩いて旅している同輩も、安堵した表情で衣の胸紐を緩めてくつろいでいる。


 私達は主人の大和の国の国司につき従う従者だ。主人はこの春に任地が大和の国に決まり、秋に任地に入ったばかり。私達も都から主人に従って来た。国府での引き継ぎを慌ただしく終えたのはすでに晩秋だった。

 だが、引き継ぎを終えてもまだまだ忙しい。なぜなら国司は任地に入ると必ず、国中の神社を回って歩かねばならない。神拝と言ってその国に祭られている神社の神々に、帝から任ぜられた新たな国司がこれから国を治めることをお知らせするとともに、五穀豊穣や、国の民達の穏やかな暮らしを祈願して回らねばならないのだ。都からの旅が終わってようやく落ち着きはじめても、今度は国の中を旅してまわる役目があるのだ。


 大和の国は都からも近く、陸奥みちのくなどと比べれば国がそれほど広い訳ではないが、それでも国中の神社を参拝するとなると結構な広さだ。そしてここは吉野の山里。季節は晩秋というより、山の中ではすでに冬を迎えている。木枯らしの中、山路を主人の車につき従って歩くのも容易ではない。


「都から大和の国まで秋の初めの山路を旅するのは、なかなか風情があって良かったんだがなあ。この時期に山中を神拝で回るのは、なかなか辛いものだな。この寒さのせいか、都に残した家族が恋しく思えるよ」


 私はつい、愚痴を吐く。


「まあそういうな。ほら、この宿の主人が食事のほかに我々にも酒と肴を用意して下さった。これで温まろうではないか」


 見ると用意されているのは質素ながらも暖かそうな高盛りの強飯こわいいあつもの(汁物)、ほんの少しの干し魚。それに塩が添えられている。そしてささやかな濁り酒が皆に酌み回されていく。塩をなめ、羹の汁をすするとその暖かさに生き返った心地になる。

 周りの者も皆くつろいで、我々のようにそれぞれ気の合う者と酒を飲みながら話をしている。


「この羹は香りが良い。きっとこの辺でとれた山菜だな」


 何よりこの暖かさがご馳走だ。


「こういう幸せな気分は都にいては味わえないだろう? 冬の山里の神拝も、そう捨てたものではないな」


 顔なじみの同輩は私より前向きに物を考える人らしく、このささやかなぬくもりを大事に楽しんでいるようだ。私は思わず恥入ってしまう。


「そうだなあ。主人が国司に任命されたおかげで、私も無事に出世が出来たのだし。文句ばかり言っていたらせっかくの神拝なのに罰が当たってしまう」


 私がそう言うと同輩は、


「まあ、我々の愚痴なんぞに罰を当てるほど神様も暇ではないだろうが、僅かな出世でもそれで都の家族が少しでも良い暮らしが出来るならありがたい事だ」


 と言って手を合わせる。


「そうなのだが……。私なんぞは心が弱いものだから、こんな寒い夜には家族を思い出して仕方がない。都で親や妻や幼い子供はどうしているのかと考えてしまう。ついつい人恋しくなってしまうのさ」


「家族が恋しいのは皆同じさ。私だって恋しい。だが、その家族のためにこうして役目を果していると思えば、冬の神拝もそう悪くはないと思えるんだ」


「そうだな。家族は恋しいが、その家族のためだと思えば、役目を任されるのはありがたいな」


 愚痴を吐いていた心も、皆が同じ気持ちだと気づけば不思議と慰められる。皆が同じような思いでこうしてそれぞれの役目を果たしているのだ。そしてそんな者同士がこうして僅かな酒を酌み交わす。こんな夜も悪くはない。


「お前、心が弱いなんて言っているが、本当は妻に弱いのではないか? 心底恋しいのは共寝をしてくれる妻の方なんだろう?」


 酒が回ってきたせいか、同輩はそんな事を言ってからかって来る。


「何を言う。それはお前の方なんじゃないか? 思っていることがつい口に出たのだろう」


 私も負けずにやり返す。


「なんの! 我が妻は私をすっかり頼っている。私よりも妻の方が私を恋しがっているのさ。だから私もつい妻を心配してしまうだけだ」


「ほう、言うじゃないか。それなら都に戻ったらお前の妻の居場所を教えろ。本当にそんなにお前一途か、俺が忍んで行ってみようじゃないか」


「させるか、そんな事。私がお前を妻の前で追い返して、妻はますます私を見直すだろうよ」


「あー、勝手に惚気のろけていろ。私の妻だってそれなりにいい女だ。お前のところなんぞに行かなくても間にあってる」


「惚気ているのはどっちだ。お前が言い出した癖に」


「お前が先にからかうからだ」


 そんな事を言い合っているうちにお互いに顔を見合わせて笑いだしてしまった。酔っているせいか笑いだすとなかなか止まらない。二人とも腹を抱えるうちに共にその場でごろりと横になってしまう。


「ああ……だけど、やっぱり家族が恋しいなあ」


 今度は同輩がそんなことをつぶやく。


「そうだな。だが……こんなことを言い合える奴がこうして傍にいてくれるのも、家族と同じぐらいには、いいもんだなあ……」


「ああ、悪くない……」


 そんな事を言っているうちにいつの間にか夢の中。どんな夢を見ていたのかも分からないほど深い眠りに落ちていた。



 ふと、寒さに目が覚めた。やはり山の早朝は冷え込みが厳しい。酔いもさめてしまい、ごそごそと起きて消えかけている火桶の中の炭を埋もれた灰の中から出して火をおこす。そんな事をしていたら同輩も目を覚ました。


「なんだか明るいな。夜明けまでは早いと思うが。有明の月がまだ残っているのか?」


 同輩がそう聞くので、私は外を見てみた。すると、


「おい、月ではない。雪が積もっている」


 外は一夜のうちに一面の銀世界となっていた。山も木々もすべてが白い雪に覆われている。明け方の僅かな光に雪は白く輝いて、それまでにない明るさを感じさせる。静かな山里は一層静まり返り、何とも言えない情緒が漂う。


「どおりで寒かったわけだ。これは今日の道行きは大変そうだな」


 私はついまた、そんな愚痴をこぼしたが、同輩は、


「そうだろうが……。だが、この景色は美しい。今朝の景色はちょっと忘れ難い物になりそうだ」


 そう言われて私も同輩と同じ感慨を持った。本当は愚痴を言う前にその美しさに一瞬心奪われていたのだから。


「そうだな。都に戻ったら、いい思い出話が出来そうだ」


 私がそう言うと同輩も軽く微笑んで頷いた。私達はそれから慌ただしく旅の支度を始める。都で家族にこの雪景色を語る日を待ち遠しく思いながら。




  朝ぼらけ有明の月と見るまでに

  吉野の里に降れる白雪      坂上是則さかのうえこれのり


 (夜明けごろ、ほのかな明るさに有明の月かと思って見てしまうほど

  吉野の里に降り続いているのだな、白雪は)


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