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短編集  百歌繚乱  作者: 貫雪(つらゆき)
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長々し夜を

 秋の夜は訪れが早い。夕日が長い影を差す物悲しい雰囲気にため息などついていると、あっという間に夜が訪れてしまう。


 そして夜が長い。静けさにどれほどの時が経ったのだろうかと夜空を見ても、まだ月はそんなに高く上っていなかったりする。やがて虫達の鳴き声が盛んに聞こえ、星の輝きが増してきても、まだまだ夜は続く。いつになったら夜明けが来るのかと寝返りの数だけが増えて行く。


 その女人ひととは宮中で出会った。俺はようやく蔵人くろうど(宮中の雑務や連絡係を請け負う職)になったばかりで、彼女は帝の女御にょうご(帝の妻)様にお仕えする女房にょうぼう(侍女)。だが宮中に上がって間もなかった。

 互いに仕事に慣れるのに必死な時で、俺は蔵人頭にしょっちゅう怒られていた。彼女もまだ男と話をするという事に慣れておらず、蔵人頭に伝言一つ伝えるのにも顔を赤らめてもじもじしていた。俺はもちろんそういう彼女を可愛らしく思っていたが、残念ながら俺が彼女に見せる姿は蔵人頭に不手際を注意されている所ばかり。まったくさまにならなかった。


 宮中行事が立て込んで誰もが忙しい正月、俺はまた不手際を起こしてみっちり説教されて落ち込んでいた。蔵人所に近い西南の渡殿に寄りかかって、ふてくされて立っていた。


「あの、蔵人の方でいらっしゃいますか?」


 おどおどとした声に、あの、彼女だと気がついた。扇でしっかりと顔を隠しているのに、それでも心もとなそうに柱の陰に顔を隠している。……いや、柱にしがみついているのかもしれない。


「何か用ですか?」


 彼女は帝の女御様の使われている女房だ。俺は昇殿を許されているとはいえ、所詮しょせん六位の蔵人。本当なら非礼になるのだが、むしゃくしゃしている俺はつい、そっけない言い方をした。


「蔵人頭の方に伝言をお伝え願いたいのですけど」


白馬あおうま節会せちえの準備で飛び回っているから、しばらく蔵人所には戻らないと思う。どんな御用ですか?」


修理識すりしきに修理を……」


 小声で話す彼女に俺は意地の悪い気持ちを持った。彼女の脅え様に自分の憂さ晴らしをしたくなったのだ。


「声が小さすぎて聞こえない。もっとこちらに寄って頂かないと」


 そう言うと彼女はおぼつかない様子でこちらににじり寄ろうとする。しかしとうとう体制を崩して前倒しになった。顔を隠す扇も取り落してしまい、慌てて長い髪と手で顔を覆う。

 しかし、その一瞬に見えた彼女の顔は驚くほど美しかった。正直彼女の余裕の無さから、これほどの美女とは思っていなかった。


 考えてみれば彼女は頻繁に女御様の御用を仰せつかっている。こんなに頼り無いのにとあきれていたが、この美しさならきっと女御様のお気に入りなのだろう。いつもお傍に置かれているので、御用を言いつかる機会も多いに違いなかった。


 彼女に取り落した扇を拾って返し、落ち着いたところで用件を聞く。


「女御様のおまし所の一部を、正月前の『鬼やらい』の時にわらわが傷つけてしまったのです。その修理の御相談をいつしたらよいのか尋ねてくるようにと」


「ああ、それなら私は修理識に知人がいるから、直接その人に言って問い合わせてもらえます。その方が話が早い。話が着いたら私がお知らせしましょう」


 こうして俺は口実を作り、用件の返事と共に彼女に恋文を贈った。そして幾度かの文のやり取りの後に、恋人同士となった。折を見ては夜に彼女のつぼね(侍女があてがわれる部屋)を訪ねる楽しい付き合いが続いたが、彼女が休みを取って里(実家)に戻った時に、親に俺との付き合いを知られてしまった。


 彼女の親は俺の事を認めてはくれなかった。彼女は意外なほど身分の高い人の姫だった。だが彼女は妾腹の姫らしく、彼女は父親ともほとんど話をしたことがなかったほどだ。だからあんなに男と話をするのが苦手だったのだ。父親は本妻の姫達の縁談に力を入れていて、それで彼女を女御様の女房として宮仕えに出したらしい。


 本当なら彼女も本妻腹同様に隠し守られ、高貴な方との縁を世話されたり、同じ宮中に上がるのでも、更衣(帝の妻でも女御より下の身分)を目指してもおかしくない立場だ。だが正妻に気を使うのか、彼女にはまったく手をかけず、器量の良い彼女には宮仕え先で高貴な方の御目に留まるのを期待していたようだ。

 

 それがようやく昇殿を許されたばかりの蔵人を恋人にしてしまったのだ。そう言う親が俺のことを認めるはずなど無かった。

 これまで放っていた娘なのに、年頃になれば親の役に立てという事だろうか? 確かに貴族の世界では娘は婿となる人への捧げもので、自分の出世や家の繁栄のために地位の良い人と縁を結ぶのは何よりも大事な事だろう。

 だが、それまで父親らしいことをろくにせずに萎縮した彼女をいきなり宮仕えに出して、緊張の連続だった彼女が俺のような男にやすらぎを求めた気持ちを父親は少しでも分かっているのだろうか? 俺にはとても情のある親心とは思えないのだが。


 それはともあれ、俺達の心は離れずにいた。もちろん、夜に二人きりで逢う事など許されない。もしこっそり会った事が知られれば、彼女の親は彼女を実家に帰してしまう。あるいは俺の親に圧力をかけて来るだろう。だから俺は精力的にどんな些細な御用でも引き受けた。宮中の女御様方に「重宝な男」と思っていただけるようにした。そうすることによって、女御様にお仕えする彼女に近づく事が出来る。それからは彼女とは昼間は互いの御役目によって目を交わし合い、心を確かめ合う事が出来るが、夜になると決して逢う事が許されない関係になった。


 まるで山鳥のようだと思った。山鳥のつがいは昼間とても仲がよさそうにしていても、夜にはそれぞれが谷を隔てて別々の山で眠ると言う。俺は夜が嫌いになってしまった。

 そして秋になると、彼女の結婚が決まってしまった。やはり身分の高い方々は御簾の内にも入れるので、彼女の美貌を御存じになる。その中の御一人が彼女を妻にと望まれたそうだ。彼女は宮仕えもやめさせられ、高貴な方のやしきの奥に暮らす事となった。



 こうして俺達の恋は引き裂かれてしまった。彼女は高貴な方の数多い妻の一人となった。もう俺には手の届かない女人ひとだ。

 もしかしたら彼女はよくある物語のように、俺に何もかも捨てて彼女をどこかに盗み出して欲しいと願っていたのかもしれない。あるいは縁談だけでも壊して、せめて山鳥のような仲を続けていたいと思ったかもしれない。


 しかしそれで彼女は幸せになれるだろうか? 俺は結局は宮仕えでしか生きていけない男だと思うし、彼女を守るにも宮仕えの世界の中でしか守る事が出来ないだろう。

 また彼女もきっとこの貴族社会の中でしか生きることはできない。多くの妻の一人として生きるのも辛いものはあるかもしれないが、俺と山鳥のような関係でいる事が幸せとも思えない。

 俺達の恋は儚く終わる運命だったと受け入れる他に無かったのだ。


 運命に引き裂かれたとはいえ、これは俺と彼女が選んだ人生だ。それを悔いてはいけないと思う。彼女は彼女なりに今の立場での幸せを探すだろうし、いつかつかんで欲しいと思う。

 俺も俺なりの幸せをこれから探すことになるだろう。きっといつかは傷が癒える日が来るはずだ。


 だが、それでも俺は夜が嫌いだ。特に長く続く秋の夜は大嫌いだ。夏の夜が短いだけに秋の夜の長さは心がくじけそうになってしまう。

 秋の夜の長さは、まるで山越えの旅路のように俺を疲れさせる。足を引きずるようにして歩いても歩いても、夜明けと言う目的地が見えては来ない。そんな長い、長い夜。


 虫の声を煩わしがりながら、幾度も幾度も寝返りばかりを打つ。思い出すのは遠い日の逢瀬に味わった恋人の優しいぬくもりと安らかな寝息。あの頃はあんなに夜を待ち焦がれていたと言うのに。今は山鳥の尾のように長く感じるばかりだ。

 ……山鳥はまだいい。昼間は恋しい雌鳥に会えるのだから。


 昼間彼女に会う事も出来なくなった俺は、こうして彼女を想いながら、今夜も秋の夜長を一人寝で過ごすのだ……。



  あし引きの山鳥の尾のしだり尾の

  ながながし夜をひとりかも寝む   柿本人麿かきのもとのひとまろ


 (山越えの長い道を思わせる山鳥の長く垂れた尾のように長い、長い夜を

  寂しく一人で寝なくてはならないのだろうか……)




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