おきまどはせる
その人は俺をチラリと見ると、
「そう。よろしく」
と興味もなさそうにさっさと席に着いた。俺は一番末席できらびやかな姿の高貴な方々をお見上げする。誰もが俺と、当代一の歌の名手を見比べているのが分かる。俺はこの視線に耐えるだけでも胸苦しい思いに駆られていた。この天才と比べられて心潰れることなく、生きて帰れるのであろうか?
この場におられる方々にはほんの余興の一つでも、俺にとっては気の遠くなりそうな一時であった。
俺は幼いころから本当に和歌が好きだった。我が親は下級官人の中でも特に身分が低く、下っ端官人の端にかろうじて引っかかっている程度の人だった。当然俺の元服後も無位無官で父達の雑用をこなす身の上。汚物の始末や薪運び、庭の草刈り、前栽の花の植え替えや掃除などに汗を流して体中を真っ黒にしていたり、高貴な方にお仕えしている方々の使い走りなどをしていた。
高貴な主人たちが宴を開く時、俺達にも多少の酒がふるまわれたりすると、侍所と言う我々下男や従者たちの待機所で、仲間内で寄り集まってささやかな肴と共に酒を楽しむ。そんな時俺は皆から歌を催促される。歌好きの俺は幼いころからほとんどの流行歌を覚えてしまっていて、今では誰に教わったわけでもないのに自作の歌を詠めるようになっていた。
こんな宴席でその場を楽しませるのが俺も好きで、戯言を言ってみたり、滑稽な身ぶりで話したり、軽い歌を詠んで座を盛り上げたりしていた。
そんな俺が仕える邸の主人がある国の守となられ、国司として赴任することになった。主人は俺の歌の噂を邸の者たちから聞いていて、俺に旅の徒然の心を歌で和ませるため、従者として下向の御供をするようにとおっしゃった。まさか自分の好きな歌で出世が出来るとは思わなかったが、身分がすべての貴族社会の中でも『和歌』の事だけは特別視されている。やや勢いが衰えた家の人でも、学者や流行歌人は別格として人々は扱っている。それほど貴族達は歌や学問を大切に考えているのだ。特に歌は生活に密着していて、文を書くにも、人に心を伝えるにも、子供に手習いをさせるにも欠かせない。だから俺のような者でも出世させてもらえたのだろう。
長く厳しい旅路の事だ。高貴な方も我々のような下男も、せめて旅路のあわれを歌に詠むのは貴重な都人らしいひとときとなる。邸では主人などの高貴なお方がいらっしゃる建物に近づく事さえかなわぬ身でも、この旅では主人の従者の方々に交じって歌を詠ませていただいた。主人は俺を気に入って下さり、任を果たされて都にお戻りになった後も、俺を身近に置いて下さるようになった。俺も主人のお心に添うべく、歌の解釈やより印象深く詠むための技術を、過去の歌などから懸命に学んだ。そして歌だけでなく主人のお役に立とうと、常に手元に尿筒など携えて下のお世話などもする。歌を詠む他能の無い俺には、それしか誠意の示しようがないだけのことなのだが。
そうするうちに主人は俺を重宝がって、他の邸の宴に行く時の供を許して下さるようになった。俺は主人達の宴の末席に参列するように命じられた。 身分の違う方々に何をどうすればお楽しみいただけるのかまったくわからず途方にくれたが主人は、
「ここは我々にとって心楽しくくつろぐ席。いつものように人を楽しませてくれればよい」
とおっしゃるので、ままよとばかりに戯言をいい、面白おかしく身ぶりを使い、締めくくりに歌を詠んだ。「おかし」を味わう心と言うのは身分を越えるものらしく、列席した方々は存分に楽しまれたらしい。それから俺は主人だけでなく、さまざまな邸の宴に呼びつけられるようになった。
俺の事はそのうちに都中で話題になり、詠んだ歌は流行歌として世間に知られるようになっていた。俺は身分低いながらも主人のおかげで、いつの間にか流行歌人の仲間入りをしていたのである。
俺の生活はすっかり豊かになった。宴に来て行く装束は主人がぬかりなく相応しい物を用意して下さった。それでも俺が歌を詠むと、どの邸でも褒美として衣や米を禄(褒美)として下さるので、俺はそれを売って生活出来るようになった。他の歌人とも親しくなり、歌集なども手に入りやすくなった。
同じ邸に勤める気立てのよい娘との結婚もした。俺はますます張り切って歌の研究に没頭した。今や俺は宴で戯言を言ったり、おかしな身振りをする必要はなくなった。都で名の知られた流行歌人として俺の詠む歌はすぐに受け入れられるようになっていた。自分でも詠む歌に自信が持てるようになった。
主人から頂いた装束を身につけ、これまでに研究した古歌も現代の歌も頭に叩き込み、通る道すがら人に、
「ほら、あれがあの有名な……」
と噂されながら毎夜のように邸の宴に向かう。侍小屋の片隅で下男たちに囲まれながら、滑稽な仕草をしながら歌を詠んでいた事は、遠い昔の事となっていた。
そんな中、都にもう一人話題となる歌人が現れた。その人は俺の様な賤しい者ではなく、普通の中流貴族のお家柄だ。そしてその人は本当の天才なのだと言う。歌を詠む才能はもちろん、良い歌を的確に見分け、その歌の奥深さを感じ取る才能にも大変長けていらっしゃるのだと言う。
帝もその才能の高さを認めておられて、近々行われると言う和歌集の編纂にその方も加えられるとのこと。詠むのも、鑑賞するのも、人並み以上に素晴らしい才能に恵まれているそうだ。
しかもその人の歌は神仏にも愛されていると言う。そのためその人の詠む歌は普通ではなく、彼の詠んだ歌の力によって幸運がもたらされる。俺のように宴の席の一時を楽しませるだけの儚い歌とは違うのだ。
しかしそれは雲の上の人達の世界の話。俺のようなしがない者が、このように晴れがましい宴の席に呼んでいただける今の境遇は奇蹟に等しい。俺はそのことに感謝しているので、その素晴らしい天才の事も遠くに憧れるような気持でいた。むしろその人の携わる和歌集を早く我が目で読みたいとさえ思っていた。そして彼に歌を詠んでもらう事が出来て、その歌の徳を得る事が出来る人々を羨ましく思っていた。俺なら徳の力など無くとも、その素晴らしい歌を詠んでもらえるだけで間違いなく、幸せな気持ちになれるのだから。
ところがある日、主人が俺をお呼びになって、とんでもない事を知らされた。
「喜べ! 今度殿上人達が集まる宴のお席に、私とお前が加えられることになった。このお席でお前の歌が認められれば、私は出世し、上国の国司を務めさせていただけるそうだ。そしてお前は殿上に上がる事が出来る!」
「殿上に? 私のような者がですか?」
「そうだ。その御席には今評判の天才歌人も呼ばれている。その方に劣らぬ歌を詠めるならば、ぜひ殿上での儀式や歌会、宴などで良い歌を歌って欲しいと帝自らおっしゃっているそうだ! 無論、殿上と言っても御厨子所(台所)の雑用あたりがせいぜいだとは思うが、あの雲の上の人達の世界で帝に御歌を御献上出来るやもしれんのだぞ!」
俺が……。俺の様な無位無官だった者が、雲の上の世界と言われる殿上に上がれるかもしれない?
俺は実感がなくて呆然とした。だが主人は自分の出世の事もあるだろうが、汚物の処理や尿筒を携えていた俺に思わぬ出世の道が開けたことを、心底感激して下さっているようだ。
その御心はありがたい。ありがたいが……さすがに今度ばかりは俺は怖気づいた。向こうは見紛う事なき天才。その歌には徳力が宿り、人に幸運をもたらすと言う。それに比べて俺は下男の粗野な芸の様な歌を詠み続ける、宴の一時の慰めにするしかない程度の歌詠みだ。その儚さは朝露よりもあっけない物であろう。おそらく自分で気付かぬだけで、品も劣るに違いない。
そんな俺に殿上人達の心をつかむ歌が詠めるのだろうか?
しかし私に向かって、
「良く……良くここまで頑張った。生まれた身分にもかかわらず、己の力だけで高貴な方々と肩を並べる所にお前は来た。お前は私の誇りだ。きっと宴でも素晴らしい歌が詠めるだろう」
と、まるで我が事のように喜ぶ主人の姿を見ると、自信がないなどとは言えなかった。
いよいよ宴の日となった。俺もこれまでにないような立派な衣装を着せられたが、まったく不似合いなのが自分でもよく分かった。それでも高貴な方々に礼を欠くわけにはいかない。
正月や春の除目(任官)前の寒い時期である。寒さに緊張が重なってなかなか震えが止まらなかった。他の方々は皆位の高い方ばかりで御装束もまぶしいほどに美しく、御席に着く姿も優雅である。地下人上がりの自分と違って、どの方も色白でいらっしゃる。自分は昔の庭仕事で肌が黒い所に礼を欠かない程度の化粧をしているものだから、黒い肌がまだらとなって実に滑稽な姿となっている。他の方々が白菊の美しさなのに比べ、俺は……。
余計な事は考えないでいよう。俺は歌を所望されているのだ。
ふと見ると、この席には随分と若い公達が現れた。人々が彼を一斉に取り囲む。あの歌、この歌は素晴らしかったと周りが褒めそやしている。どうやらこの方が天才歌人のようだ。
中流貴族の出と言うが、ある程度こういう席に慣れているのだろう。身なりも自然で物越しも優雅だ。眩いばかりの殿上人達に囲まれても、少しも臆することはない。むしろその才能と自信に顔を輝かせてさえいる。俺とは雲泥の差と言ってよかった。それでも我が主人は俺を彼のもとへと連れて行く。そして彼に俺のことを紹介した。
「そう。よろしく」
彼はたいして表情も変えず、俺に興味も示さずに自分の席に着いた。他の高貴な方々はすでに着席している。私と主人が一番の末席に着くと、早速宴は始まった。
大袈裟でない程度に楽の遊び(雅楽の演奏)が催され、時折雑談が混じる。興に乗って詩を吟ずる人もいる。中には舞を舞う人も出てきた。
「そろそろ歌が欲しい頃ですな」
どなたかのそんな言葉を合図に、あちこちで歌が披露される。黙って鑑賞する人、繰り返し復唱する人、歌の内容を近くの人と論じる人とさまざまである。
「次は、天才歌人の御歌を、拝聴したい」
その言葉に人々の視線は天才歌人に一斉に向けられた。彼は少しも動じることなく、良く通る美しい声で年の瀬の過ぎゆく時の侘びしさを優雅に詠んで見せた。時節に合う、響きもよい、しかも良く考え抜かれた美しい歌である。彼の心映えの清らかさが際立って、歌をより品良く、格調高く感じさせていた。
俺は愕然とした。この方と肩を並べる歌など、俺には詠めない。俺の歌にこの品位はない。俺はこのような席に交じるべきではない人間だ。一体どうやってこの場を切り抜ければよいのであろう?
俺の緊張は最大に高まっていた。思わず下を向き、手にはこぶしを握っていた。次は俺が歌を詠まなくてはならない。だが、俺の歌では座を白けさせてしまいかねない。俺にはとてもあんな歌は詠めない……。
一層こぶしを強く握ったその時、こぶしに何かが当たり、コツンと音がした。何の音であろう?
思い出した。尿筒が手にあたったのだ。今ではほとんど使う事はないが、それでも俺なりの主従の証しとして、常にこの筒は肌身離さず持っていた。さすがに今夜は置いて行こうとすると妻が、
「お持ちになったらよろしいじゃありませんか。気の張る宴に参るのでしょう? 御心が迷った時の御守りになさればいいわ」
と言って私に持たせたものだった。
俺は尿筒持ちの下男だった。その出自は変わることはない。そんな俺でも歌がどうしようもなく好きで、皆に喜んでもらえるのが嬉しくて。歌がある喜びを他の人とも分けあいたくて宴を盛り立てて……。
そうだ。俺はなぜ宴で歌を詠むのだ? 人々に楽しんでいただきたいからだ。歌で共に幸せを分かち合いたいからだ。
俺の歌には徳なんて無い。俺の歌で人に幸せを与えることはできない。だが、俺の幸せを分けあえることならできる。俺は品良く歌を詠むことはできないが、人々と共に楽しむ歌なら詠めるのだ!
俺は心を奮い立たせ、居並ぶ殿上人達に語りかけた。
「皆様。今夜は楽しんでおられるでしょうか? このお席は高貴で品の良い方々ばかりで、どの方も白菊の様な美しい白いお顔をしていらっしゃいます。でも賤しい私などはこれこの通り、土から顔を出した霜柱のようにまだらになっております」
そう言って俺は手のひらで顔を隠し、まるで赤子をあやすかのように手を観音開きに開いて見せた。一瞬面喰った人たちに俺は精一杯おかしげに笑いかけた。
だれかが「ぷっ」と吹き出すと、つられるように笑い声がさざめく。人々の顔が楽しげになったところで、
「今夜は寒いので、我が顔の様な初霜が降りることでしょう。その汚れた霜柱の様な私でも、このようにめかしこんでお美しい皆様の中にまぎれていれば、意外と白菊の美しさになじむものかもしれません。お酒も程よくお召しですから、興に乗ってあてずっぽうに白菊を手折ろうとすれば、うっかり霜柱の方を手折ってしまうかもしれませんな」
そう、面白おかしく身ぶりを交えて語ると、座はどっと笑い声に包まれた。その笑いが治まったところで、私は歌を詠んだ。
「心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花」
おおう。人々はそんな声を漏らす。笑いの後にそれとは反する季節のあわれを歌う。我が心は人々に届いたようだ。皆どの顔も楽しそうである。
これでいい。これが俺の歌なのだ。それが人々に届きさえすればいい。
俺は満足していたが、俺に向かってある人は、
「まるで、歌詠みと言うよりも、芸人の様な方ですなあ」
と、俺に向かっていやらしげな笑みを浮かべながら言う。それでも俺は人を楽しませたのだから満足している。礼を述べようと頭を下げかけると、その身を誰かにとらえられ、身体を起こされた。振り返ると、かの天才歌人が私の前に出てきた。
「こういう方に頭を下げる必要は御座いませんよ。歌は芸の一つ。芸はすべて、歌も含めて人の心を感動させる文化です。このあわれが解らぬようでは、都人とは言えませんね」
そう言われた人は恥入って、
「いや、ちょっと感想を述べただけですよ。すみませんが今夜は早く帰りたいので、私は失礼しますよ」と言って去って行った。すると歌人は、
「良い歌でございました。しかも詠み上手と来ている。あなたなら、きっと帝も御満足することでしょう。あなたの様な方とこれから歌を競えるのが、楽しみでなりません」
そう言って彼は俺の肩をぽんと叩き、会釈をして離れて行った。俺は認めていただいたのだ!
あの、天才と呼ばれる、品と徳のある歌を詠める方に……!
気づけば我が主人が私の横にいて、
「今夜気付いた。お前はあの歌人に劣らぬ天才だ。お前を引き立ててやって良かった」
と、言って下さった。俺は幸せ者である。
心あてに折らばや折らむ初霜の
おきまどはせる 白菊の花 凡河内躬恒
(あてずっぽうに手折るならば、折ってみようか
白い初霜が降りて見分けがつかなくなっているようだから
白菊の花と)




