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短編集  百歌繚乱  作者: 貫雪(つらゆき)
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冬ぞ寂しさ

 とうとう私はこの山深い里の地に来てしまった。いずれはこうなるであろうと思いながらも、


「私はこれでも帝の皇子なのだ」


 と言う思いから、都人みやこびとは自分を必要としているに違いないと自分に言い聞かせ都に留まってきた。

 私は都に生きるに値する人間だと疑わずに生きていた。……いや、疑わずに生きていきたかった。



 昔私が元服した日、父帝はこう言った。


「そなたはまぎれもなく我が息子。だが残念ながらそなたの母の父、そなたの祖父は朝廷に背く真似をしてしまった。そなた達母子に罪は無いが、そなたの母も出家した今、私はこの国の帝として、そなたを他の皇子と同列に扱う訳にはいかなくなった」


 父帝は私を見ながら話すうちについに声を詰まらせた。その姿で私は父帝の愛と苦悩を知ることが出来た。私は確かに父帝に愛されていた。


「こうしてそなたを臣籍に下す以上、そなたに我が心を知って欲しいとはとても言えない。だが、出来る事ならばそなたには私達の血の繋がりを誇りに思って欲しい。我が愛を疑わずにいて欲しい。そして皇子の地位に惑わされずに、一人の人間として人生を豊かに生きて欲しいのだ」


 私は父帝の心と願いを理解した。私なりに「帝の皇子」の血筋を誇りとし、それでも父や兄弟達の臣下として都人の役に立ちたいと、心から願っていた。何の罪もなく世を捨てねばならなかった母の無念と、私を臣籍に下さねばならなかった父帝の苦悩を、自分が誰よりも立派な臣下となることで晴らして差し上げたいと思っていた。

 しかし朝廷の実質的な権力をを握っているのは公卿たちであった。彼らは自らの権勢を競い、帝や異母兄弟の東宮(皇太子)に近い取り捲きになることを望んでいた。そして常に時の権力者の顔色をうかがい、出世競争に翻弄されていた。


 それは皇族で無くなった我が身が、大変不安定な立場になると言う事だった。母上は罪人の娘として出家させられたために、私の大きな後ろ盾になるのは不可能だった。私は父帝の子であると同時に、他の異母兄弟との政権競争に敗れた者でもあった。どんなに「帝の皇子」としてあがめられようとも、公式には他の貴族同様「ただ人の臣下」でしか無い。若い私は他の大臣たちの子息と変わりない立場で、それでいながら皇族出身という事で他の人より高い従三位の位を頂いている。もちろん父帝の御配慮からだろう。


 しかしそれは当然人々の嫉妬を呼ぶ。


「いくら帝の皇子様とはいえ、罪人の娘の子が……」


 と、陰で疎ましく思われているのが伝わってくる。元服の時の添い伏し(最初の妻)は美しい大臣の姫であったが、大臣はこの姫を東宮に差し上げるつもりでお育てしていたので、皇族から離れた私の妻にしかなれなかったことに姫共々落胆していた。当然私への扱いも慇懃無礼いんぎんぶれいな冷たさがあり、私の足も遠のいてしまう。かといって身分の低い他の女人にょにんのもとに通っても、女達や身分の低い者は皆私を「帝の皇子」と言う目で見てしまう。彼女達は必要以上にかしこまり、私を通して帝や皇族の人間達を見てしまう。そして心安く接しようとするたびに、


「わたくしのような人間に、そのようになされてはもったいない」


 と言って、尊敬の陰に心を潜めてしまう。

 私は誰からも心から愛される事が出来ない。私はどんどん孤立するばかりであった。


 そんな中で私に親しげに近づいてくる人がいた。その人は頻繁に我が邸を訪ね、酒や歌や世間のあわれについてなどを私に話聞かせてくれた。孤独だった私には彼の訪問は本当に心安らぐ一時で、彼が、


「秋は寂しく、人恋しく思える物でございます。今度、わたくしの親しくしている友人達を御紹介させていただきましょう」


 と言った時など、実に嬉しく思ったのだ。


 彼が連れてきた友人達は、皆陽気に私を楽しませてくれた。庭の前栽に植えた美しい花を眺めながら、自分の恋の冒険など披露し、今様などを歌っては皆で楽しげに笑っていた。私は人生の花がようやく咲いて、我が袂に花びらを散らし始めたのかと喜んでいたのだが、話はいつしか最近の朝廷の有り様へと傾いて行った。そしてそれぞれが今の朝廷に不満を漏らし、


「そのように思われませんか?」と私に同意を求める。どうにも返事をしかねていると、


「わたくしたちは、あなた様の境遇を大変不憫に思っております。あなたは帝の皇子様です。今のようにくすぶっていてはいけません。どうか私達に今の朝廷を変えるお力を貸してはいただけませんか?」


「しかし私は今ではただの臣下の身の上。どうする事も……」


「ですから、あなた様が帝や東宮に代わられて、朝廷を正して頂きたいのです」


 と言って来た。


「つまり、私に父帝や東宮の地位を襲えとおっしゃるのか」


 すると彼らはさっきまでの陽気さや慕わしさを一変させて、自分達が朝廷でどれほど不遇な扱いを受けているかをとうとうと捲くし立ててきた。その目は野心にギラギラし、世の中への不満でその顔は醜いまでに歪んでいた。


 世の中に不満を感じる我が姿も、このように歪んでいるのであろうか……?


「私に父や兄弟を裏切る気持ちは微塵もない。皆、ここから去るが良い!」


 ぞっとする思いで私はそう言ったが、目の前の者は、


「朝廷に不満を持つ者がこうしてあなた様の邸に集った。人々はあなたもわたくし達の仲間であるとみなすことでしょう。もうあなたは逃れることなど出来ません。こうなったらわたくし達と共に立ち上がる他にないのです!」


 と言って、なおも私に政変を起こすことを迫った。私はかまわず彼らを邸から追い出し、事の次第を帝のもとに知らせた。彼らは速やかに謹慎を申しつけられ、すぐに事態を知らせた私は咎められることは無かった。しかし私に対する人々の視線は一層冷たさを増した。私はまるで世に災厄をもたらす者のような目で見られた。私自身も人々が信じられなくなった。私は所詮人に愛されることのない人間らしい。

 私は都に絶望した。僅かな供周りや使用人達だけを連れて、山奥の小さな里にある古式ゆかしい皇族所縁の邸に身を寄せることにした。この世でたった二人、私を愛してくれる父帝と母上を思ってかろうじて出家は思いとどまったが、この先都で生きていきたいとは思えなかった。 



 人々は秋を寂しさの季節と言うが、そんな物この山里の冬に比べれば大したことはない。この地は山から凍てつく風が一日中吹き荒れる日々が続いたと思うと、やがて白い雪に覆われてしまった。深い雪が山路を埋め、邸を閉じ込めると辺りはまったくの静寂に包まれた。

 夜が明けても鳥の声すらしない。あれほど夜中に聞こえた虫の音も聞こえない。もちろん獣の気配もない。鉛色の空と、枯れ果て色を失った草さえも雪で埋め尽くされ、生きとし生ける物の気配も、僅かな色さえもない、何もかもが死に絶えたような白い世界。このどうしようもなく孤独な世界にしか私の生きる場所はないのだ。


 心荒れ果てた私は使用人に当たり散らした。そうせずにはいられなかった。彼らの世話が無ければ生きては行けぬ我が身だが、その事さえも呪わしい。

 愛を失った私は鬼と化した。事あるごとに従者を罵倒した。些細なことで下男を打ち付けた。下女であっても容赦はしない。脇息や身の回りの物をすぐに投げつける私に、ついに人々は近づかなくなった。


 特に近くで世話をする女房(侍女)にはひどく当たった。彼女は私に都の女人達を思い起こさせた。「帝の皇子」とあがめながらも、全く私を愛そうとしない女達の姿が彼女に重なって見える。私は彼女を打つだけでは飽き足らず、御帳台(寝台)の中に引き込んで本能のままに乱暴な行為を繰り返した。身体のあちこちが赤くなっているので、おそらく後でひどい痣となることだろう。そのうち彼女はまったく無反応になり、悲鳴や苦痛を訴える事も無くなった。


 生きているのだろうか?


 さすがに不安になり身体を離すと、彼女は痛むであろう身体を自ら抱えるような仕草で起き上がった。そして、一滴の涙が頬を流れ落ちる。自分がしたことでありながら正視できず、私は目を背けた。すると彼女はぽつりと言った。


「皇子様は、これほどまでに人を愛したかったのですね……」


「愛したい? 人に愛されることのない私に、そのような心など無いであろう」


「いいえ。皇子様は誰よりも人を愛したいのです。どれほど愛を得られなくても、愛する心は止められない。ですから私達にすがるような目で当たられて、後悔の色を浮かべた目を背けられるのでしょう。私達は皇子様に当たられる事も辛うございますが、そのような皇子様の御姿を見る事も辛いのでございます」


「おまえは、私が憎くはないのか?」


「皇子様の事は、御元服なさってからずっと見ておりますもの。皇子様もどんな御境遇にいらしても、御父上であらせられる帝を裏切りはなさらなかったではありませんか」


 そう言ってその女房は頬笑みさえ浮かべた。


 何と言う献身。何と言う優しさ。


 私は心が洗われた。そして私の中の鬼がこの女によって払われた。


『一人の人間として、豊かに生きて欲しい』


 父帝の言葉が思い出された。ああ、私は人々に愛される事が難しくても、人々を愛する心は取り戻せるかもしれない。


「雪が溶けたら都にお戻り下さいませ。ここはあまりに寂し過ぎますわ。都には皇子様の愛していらっしゃる人々が、大勢いらっしゃいます。人は、人の中でしか生きられないものですわ」


 私は彼女の身をそっと抱き寄せた。その身のぬくもりに心が震える。私はようやく自分の中の愛に気づいた。

 鉛色の雲の向こうが、僅かに明るくなっている。寂しい冬はきっともうすぐ終わるだろう。


 私の心には、ようやく春が訪れていた。




  山里やまざとは冬ぞ寂しさまさりける

  人目ひとめも草もかれぬと思へば    源宗于朝臣みなもとのむねゆきあそん


 (山里は、冬こそ寂しさが勝るものだ

  訪れる人の視線もれ、草木も枯れてしまうと思うので)





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