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短編集  百歌繚乱  作者: 貫雪(つらゆき)
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いつ見きとてか

「お前はまだ、あの方のことを想っているのか」


 友人は私を見てあきれたような声をかけた。なぜなら私は懲りもせずに、また『大臣おとどの姫君』のいらっしゃる、対屋ついやの方ばかり見ていたからである。


「熱心と言うか、情熱的かと言うか。……というより、どうかしているんじゃないか?」


 友人の言葉は失礼なように聞こえるが、実際私はそう言われても仕方がない。あまりにも甲斐の無い恋を懲りもせずに続けているのだから。


 我が恋心を募らせる罪な方は、今都で一番の権力者である右大臣の姫君。それも正妻腹の美しさも知性も際立っておられると評判高い、右大臣のもとに御降嫁ごこうかされた皇女様の御娘君でいらっしゃる。ひょっとしたら帝の女御にょうご様(帝の妻)になられるか、それが難しければ右大臣の御友人でもある宮様の御子息を婿君として迎えられるか。あるいは少しお歳が離れても御信頼厚い大納言殿を迎えられるだろうと世間では言われている。しかし私はしがない検非違使けびいし(都の治安維持)の大尉。位低く、いつも京の市井しせいの人々の中をかけずり回っている身だ。


 今日、この右大臣邸の庭に私がいる事が出来るのは、私の主人が右大臣の御子息の御友人で、私が主人につき従っているからである。主人と言ってもその方は私よりずっとお歳下。そんな主人でさえその姫君のことは、


「自分の官位と身分では、あのような姫君はとてもとても……」


 と、最初からあきらめておられる。そのような雲の上も上、お見上げする事も永遠に叶わぬような姫君に、私は心囚われてしまったのだ。

 これがまだ、ものの道理もわきまえられぬような幼さを残した若者ならば、


「若さゆえの気の迷い。いずれ心も大人びるものよ」


 と人々も暖かい目で見るだろうが、私はすでにそのような歳ではない。周りの者はとっくに妻子を儲けていて、中には婿通いを終えて妻子を自分の家に据え置いている者も多くいる。それなのに私はいまだに結婚もせず、少年のようにあの方に胸ときめかせているのである。


 だから私の恋は誰からも笑われている。もはや注意する者も無く、面白おかしく茶化したり嘲笑っているばかりで、友人のようにあきれながらも批判をしてくれる方が、まだ情が通っているというものだった。


「いい加減に目を覚ませないのか? お前の父上も母上も、早く孫の顔を見たい。跡取り息子や先行きの楽しみな姫のお世話をしたいと嘆いているそうじゃないか。親不幸も大概にしておけよ」


 友人の言う事はもっともだ。自分でもそう思うし、こんな恋は馬鹿げていると分かっている。

 ああしかし。理性ではそう思っていても、心はあの方に焦がれてしまう。ただの一度も御顔や御姿を目にする事はおろか、御声や御気配を感じたことすらないと言うのに……。



 私が姫君に恋い焦がれたのは、まだ姫君がほんの幼い時の事だった。その頃私は幼い時から良く知っている、父の友人の娘と縁談が持ち上がっていた。ところがその娘の父親の主人が政変に巻き込まれた。右大臣との政治闘争に敗れ、都を離れなくてはならなくなった。そして従順な従者である父親は、都を追われた主人につき従ってしまった。当時は罪人同然の人に味方をすることは、都で生きて行けないことを意味していた。娘の母親は父親と別れることを望まず、娘を連れて夫につき従う事にした。


 私の親たちもそういう人につき従う親の娘と私が結ばれることを良しとしなかった。そんな事をしては高貴な右大臣方の御不興を買い、目をつけられてしまう事になりかねない。そうなったら我々のような身分の低い貴族は、一族そろって生きていけなくなる恐れがあった。

 私はその縁談を諦めるより他になかった。身分も無ければ知恵も無い若造のことである。私は自分の無力を嘆きながらも、親の迷惑にならぬようにするので精いっぱいだった。


 その話を聞いた我が主人の親が、身分低い者のあわれな話として気まぐれに右大臣のお耳に入れた時、


「せっかくの御縁談が壊れてしまうなんて。その二人の若い人はとても悲しかったことでしょうね」


 と、近くでお聞きになっていたまだ幼い姫君が、御心優しくも御同情下さったと言うのだ。

 思いがけない破談に傷ついていた私の心に、幼い姫君の優しい言葉は人づてながらも心に染みた。そして姫君の健やかなご成長や、時々漏れ聞こえる姫君のお優しさに、


「優しい姫君は、今ではどれほど御姿も御心も美しく成長なさっていることだろう」


 と思いを馳せるようになっていた。

 初めは最初の縁談で傷ついた心から、後には心優しい姫君への憧れから、私は結婚もせず、妻子も儲けずにこれまで過ごしてしまった。


 姫君の方でもお年頃になられた時、御入内ごじゅだい(女御の宮中入り)を望むには帝がまだ最初の女御をお迎えになられて間が無かったために、帝の御心が動いて下さらなかった。

 それを聞いて宮様の御子息や大納言殿が姫君に恋文を贈られたが、


「こんなにもわたくしを愛して下さっている父上様や母上様のもとを、急いで離れたくありませんわ。もう少しだけ、わたくしを父上母上のお手元にお置き下さいませ」


 と言う姫君の可愛らしい我儘に右大臣は負け、その時の姫君の縁談は無くなってしまった。


 しかしあれから時も経ち、いよいよ姫君の御縁談も決まるだろうともっぱらの評判だ。御身分がら御入内されるに違いないと言われているが、右大臣は義理堅い方なので以前にお断りした宮様の御子息や大納言殿の事も、真剣にお考えになるのではないかとも言われている。御心優しい姫君がどう思われておいでなのかは、誰にもわからない。いや、誰も姫君の御心など考えていないのかもしれない。


 だが私はそうはいかなかった。父上母上を恋しく思われるあまり、「もう少しだけ」親元に居たいと願った姫君は、今はどんな御心境でおられるのであろう?

 もし御入内なさるのなら、このようにお心優しく親思いな姫君が先に入内なさっている女御様と寵を競われるのは、御心苦しい事ではないだろうか?

 かと言って御年の離れた大納言殿の北の方になられるのも、姫君にとってお幸せな事であろうか?

 それなら宮様の御子息なら問題ないかもしれないが、この方は他にも幾人か通う先があるとの噂がある。姫君は本当に幸せになれるのであろうか?


 そんな事を考えても仕方がないと言うのに、心は姫君の事ばかりを追いかける。


 我が心の中には姫君への恋が湧きかえる、泉があるのであろう。そこから湧き返った恋は枯れる事がまるでない。こんこんと湧き出た恋心はあまりの量に池にとどまる事が出来ず、川となって流れ続けて行く。その川の流れはどこまでも続き、無限に広がるように思える草原ですら、その流れに二つに分かれてしまうだろう。

 起伏の無いなだらかな草原のように穏やかだったはずの我が心。それを真っ二つに分かつほどの恋の流れ。果してこのあふれるように沸き続ける恋心に、止む日はいつしかやってくるのであろうか?

 我が心が穏やかな草原に戻り、正気を取り戻す日が……。



 とうとう姫君の行く末が決まった。やはり帝のもとに御入内なさると言う事だった。御入内の準備は華やかに着々と進められ、その御支度の品々の豪華さ、華麗さに人々は盛んに噂した。

 事ここにいたっては我が心がどうであろうと、私は姫君を僅かに垣間見る事も出来ない。いや、もともとそんな望みは欠片も無い、まったく無駄な恋に溺れているのだが。


 そんな中、あの罪に当たって都を追われた方が右大臣と帝に許され、都に戻っていらっしゃった。そしてその方に父母が付き従ったために都を離れていたあの娘も、父母と共に都に戻ってきた。てっきり地元の国府などにいる者とでも結ばれただろうと思っていたので、彼女が独り身で都に戻ったのは意外であった。


 父親が我が家に挨拶に来ると、私も無性に懐かしかった。聞けばあの娘もやはり一度は地元の男と結ばれたと言う。だが、男は罪に当たったとはいえ都の高貴な貴族に付き従っている父親に、都との所縁を求めて娘に近づいたのが本音だったらしい。しかしその主人はいつ許されるとも分からぬ身であり、男も失望を隠さなかったそうだ。結局都育ちの娘ともうまくいかず、男は殆んど通って来なくなっていたと言う。

 そこにようやく都から主人にお許しが出たと知らせが届き、これを機会に娘は男と別れて都に戻ってきたのだった。


「やはり娘は都育ち。田舎の官人と結ばせるなど私も可哀想な事をしたものです。あの時無理にでも娘は都に残し、邸勤めでもさせておけばよかったのかもしれません」


 父親はそう言って悔いていた。そう言われると私も、もしあの時親達の反対を押し切ってでも娘と結ばれていたならば、私のこれまでの日々も大きく変わっていたかもしれないと思えた。

 思えば今の狂おしい恋も、すべては娘との縁談から始まったのだ。あの時の傷が無ければ、私はこうまでただ一度も垣間見た事さえ無い姫君に執着したであろうか?


 あの若い日。私は確かに深く傷ついた。子供のころから私を可愛がってくれたこの人の娘なら、安心して妻に出来るとその日をとても楽しみにしていた。初めての結婚に対する夢や憧れが砕かれたあの時、私はさまざまな自信を失った。親の言うなりになるしかない自分の若さ、弱さ、力の無さを、まざまざと思い知らされた。その傷が他の女人ひととの結婚を躊躇させ、自分の心の傷に同情を傾けた姫君への恋慕へと想いを向けさせた。


 ひょっとしたら私は本心から姫君に憧れていたのではなく、失った自信から目をそむけていたんじゃないだろうか?


 そう、思い到った時、私は娘の父親に、


「今お独りでいらっしゃるのなら、あなたの御娘に文を贈ってもよろしいでしょうか?」


 と尋ねていた。絶えず流れる恋心の川の水は一瞬で霧と化し、我が心の草原はあれよと言う間に晴れ渡って行ったようであった。



 翌月、私はその娘と長い時を経て結ばれた。お互いに色々あったが、だからこそ私達は結ばれるに至ったのだと思う。きっと私達には互いがそれぞれに傷を乗り越えたからこそ、強い縁と結びつきがあるだろう。いずれ寿命尽きて別れても、御仏のもと、同じ蓮の花の上に二人は出会う事だろう。

 右大臣の姫君は無事、華やかな御式で御入内なされた。私と妻は、私に妻への本当の想いを気付かせてくれた、今では帝の女御様となった姫君に心から感謝し、お幸せを祈っている。


 

  みかの原わきて流るる泉川いづみがは

  いつ見きとてかこひしかるらむ  中納言兼輔ちゅうなごんかねすけ


 (みかの原から湧き出て、原を分けるように流れる泉川のような恋心

  あなたを見かけたことなど無いはずなのに

  いつあなたを見かけたような気持で恋しく思うようになったのだろう)

 




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