幣も取りあへず
「まことに? まことに我が娘である中宮(帝の正妻)が御懐妊なされたと?」
私は喜びのあまり、その知らせがすぐには信じられないほどの気持であった。
「はい、間違いございません。しばらく前から御兆候は見られたのですが、たまたまお具合の悪い時に当たられたのかもしれぬとご実家であるこちらへの知らせは控えていたそうでございます。ですがこの度、典薬(医師兼薬剤師)も間違いなく御懐妊であると見定めたので、早速知らせが届いたのです」
「おお……。ついに」
「おめでとうございます。私もこのような喜びごとの知らせをお伝えできることを、どれほど誇らしく思っているか」
私の一番の側近の従者はそういいながら、すでに涙をこぼしていた。もちろん私も目が潤むのを止められずにいる。長年の望みが今ようやく叶った喜びは、何物にも代えがたい喜びである。
我が娘の姫は帝が御即位する前の東宮(皇太子)の時から、女御(帝の妻)として宮中に上がっていた。帝にとって一番最初の女人であった。
姫は裳着(成人)の直後に入内したが、その時東宮は娘の二つお歳上であらせられた。東宮とはいえこの年頃ではまだまだ幼さを残しておられるので、しばらくは我が姫の女御ともども、御遊び相手同士の延長のような生活を送られていた。
その時東宮には他の女御もおられず、御年若なお二人の事なのでまだ頑是ない御心が抜けぬのも仕方がないと、早く皇子をお産みいただきたい心を持て余しながらも、御二人のご成長を見守っていた。
時が流れ、御二人とも良いお年頃になられたので、そろそろ御子を授かるのではないかと期待を寄せていた矢先、前の帝が病に罹られ、御位を降りてしまわれた。急ぎ御世代わりが行われ、今の帝が帝位にお付きになり、しばらくは落ちつけぬ日々が過ぎて行った。ようやく宮中も世の中も安定したが、
「お聞きになりましたか? 宮様の御娘が今度新帝に御入内されるとか」
と、言って来る人がいた。年が若いと油断するうちに、他の幼い姫君達がご成長していたのである。さっそく御世代わりを機にちょうどお年頃を迎えていた宮様の姫君が、新帝のもとに御入内された。さすがは宮様の子女らしく、入内の御仕度も御式も大変きらびやかな、立派なものであったという。
内大臣である私は、その宮様と政では何かと争う事が多かった。儀式への取り計らい、天変や病魔に対する祈祷などの対策や備え、除目での人事の決定など。我々は若い時から何かと競い合って来た。私は身分は下でも決して宮様に引けを取るようなことは無く、相応に良家の嫡男として誇りを持って帝に尽くし、出世をしてきた。しかしどうしても宮様に敵わぬ物がある。宮家と言う御血筋だ。
だが私にも宮様をしのいでこの世の一の人となる手段がある。娘を入内させ、帝の女御として皇子を生ませ、女御を中宮(正妃)に、やがてその皇子に東宮、帝へと御上りいただき、国母となった中宮の父として、帝の実の祖父として、帝をお助けする立場になるのである。それはこの国を牛耳るに等しい事。その時は宮様よりも権勢を上回る事が出来る。我が家は宮家をもしのぐ、この世で一番栄える家となるのだ。
しかしその宮様が、ご自分の姫を帝に差し上げて来たのだ。私は気が気ではなく、帝に急ぎ、
「ぜひ我が娘の女御に中宮宣旨をしていただきたい」
と懸命にお願い申し上げた。
「宮様の御娘がどれほどきらびやかな御入内をなされようとも、我が娘は帝がまだお若いころから帝に寄り添い、尽くしてまいりました。その御心を決して無碍に扱われないように」
と御助言申し上げた。帝も若くして結ばれた娘との縁は、決して軽んじられぬと思って下さったのだろう。すぐに娘に中宮宣旨の詔が下された。
しかしこの帝は冷静な方であられた。私が中宮の父であることを重んじてはいても、それを政に持ち込むことは無かった。重用する者も我が家人と宮家に仕える者と、同数の者を重用した。何か意見が分かれた時も、私と宮様、どちらからも詳細をお聞きになられた。
肝心の夜のお召しは、中宮と宮様の娘とどちらに偏る事も無く、一日おきにお召しになられるという。
そのうちに良家から母の身分も悪くない姫君が、一人、また一人と入内してきた。帝は出来る限りどの女御にも顔が立つよう、それぞれの方をお召しになられる。私も宮様も自分の娘に関心を示していただこうと、さまざまな寺に願を立て、良い衣を次々用意し、素晴らしい道具や物を取り寄せ、才長けた女房(侍女)や美貌の女房を雇い、宮中に送った。どちらもまったく引くことは無かった。私はこれまでの苦労に見合う結果を何としても出したかったし、宮様も宮家の誇りがあったのだろう。
だが他の女御などに皇子が生まれでもすれば、帝の御心がそちらの方に傾かないとも限らない。私も人の親として我が子の可愛さは知っている。それはただ人ならぬ身の帝と言えども、同じ御心をお持ちであろう。あの宮様の娘に子が生まれれば、私の信頼も、中宮の立場も、どこまで維持できるか分からない。親は血を分けた子供には弱いものなのだ。
しかし中宮に懐妊の御兆候はなかなか見られない。中宮はどの女御よりも先に宮中に入っている。本来なら今が女ざかりの頃。このまま御子が無いままでは、世間から『素腹の中宮』などと陰口を叩かれかねない。それでは中宮ご本人にも気の毒な事だし、他の若い女御と比べて年々不利になってしまう。私はたまらなくなって、
「祈祷を! 都中の……いや、都の外の寺にも祈祷をさせろ! 何としてでも中宮に御子を生んでいただくのだ!」
と、所かまわず見境なしに叫んだ。頭に血が上り、身振りは不要に大きくなり、手足は震え、妻や周りの者は、私の気がふれたと思ったらしい。思い悩んだ中宮の母である北の方(正妻)は私の様子を中宮に文で知らせた。そして中宮は私に文を届けてきた。
「お優しい父上。わたくしのことであまり御心を乱さないでください。お召しは通り一遍に思われるかもしれませんが、帝はわたくしを愛して下さっております。私の前での帝は、大変御心深い方です。私が子を産まぬことを気に病まぬように『子だけが女人の立場を決める訳ではない。あなたは私の正妃です。その誇りを持って胸を張っていらしてください』と言って下さいます。そして『他の誰よりも長くともにいる二人の絆を信じるように』とおっしゃって下さるのです。わたくしは帝の広い御心に守られておりますわ。御父上もぜひ、広い御心をお持ち下さいますよう」
私は驚いた。私の手元にいた時あんなに幼かった娘は、いつの間にか宮中で成長を遂げていた。自分の苦しい境遇の中、帝を夫として信じ、父の私に気遣いを見せる立派な中宮となっておられた。私は何の成長もせず、中宮を励ます事も忘れた愚かな父だというのに。
私は中宮にお詫びとお礼の文を書き届けた。そして中宮の御心の成長を喜んでいると書き足した。そのほんの三ヶ月ばかり後に、中宮御懐妊の知らせが届いたのだった。
私は初瀬参りを思い立った。中宮の懐妊への願かけが叶えられたお礼参りでもあるが、初瀬はその昔幼かった中宮と旅したことのある、思い出の寺でもあった。邸中の者を皆連れて、私は初瀬へと旅立った。周りは秋らしい美しい錦に彩られていて、中宮の懐妊を山々も喜んでいるようだ。あまりの美しさに牛車を停めさせ、山々を眺める。
「おや、こんな所に道祖神が」
従者の一人がそう言って道端の小さな石に彫られた神に手を合わせた。
「おお、中宮がご懐妊出来たのは神仏の御加護あったればこそ。小さな神とはいえ大切に崇めなくてはならぬ。幣(神に捧げる色とりどりの布切れや紙切れ)を捧げて、感謝をしなくては」
そう言って誰か幣の用意をしている者はいないかと問うたが、誰も用意していないという。側近の従者は、
「手ぬかりな。これは中宮様のためのお礼参りの旅だというのに」
と、下男を叱っていたが、私は中宮の「広い御心を持って」と言う言葉を思い出した。
「良い。こういう事は形以上に心が大切なのだ。この素朴な神にはこの美しい山々の錦を手向けることとしよう。神よ、この美しい錦の山は、神に捧げる幣の代わりでございます。旅路のことで形こそ整ってはおりませぬが、それほどの感謝を捧げたいと思う、私の心をお受け取りください」
私はそう言って小さな石に手を合わせた。このことを中宮に文で知らせたら、中宮は御喜びになるであろうか?
我が手を離れ立派な中宮となった娘を思い、同時に娘はすでに遠い世界の人となり、これから帝の御子の母として違う世界を生きて行くのだと、寂しさを感じながら、中宮のこれからの幸せを私は祈った。
このたびは幣も取りあへず手向山
紅葉の錦神のまにまに 菅家
(この度の旅は道祖神に捧げる幣の用意をしていませんでした
代わりに手向けの山の錦の紅葉を捧げましょう
どうぞ御心のままにお受け取りください)
※菅家とは学問の神様で有名な、菅原道真の事です。




