むべ山風を
「嵐がきます」
地元の男はそう言って雲を眺めていた。
「なぜ、こんな時期に。もう嵐の季節はとうに過ぎているはずだが」
「でも、この風は嵐を呼ぶ風です。長年ここに暮らしていて、向こう山の方からこんな湿った風が来る時は、いつだって嵐が来たんだ。私は長い間ここで暮らしてるんです。これは間違いなく嵐を呼ぶ風です」
今日、私は国司の任を終えて、ようやく家族の待つ都へと帰る事が出来る。今は出立前の慌ただしい時で、ここで物品交換や旅支度の世話になった地元の人々に報酬の禄などを与えていたところだった。だがその地元の男が急に吹きつけてきた風に顔を上げ、空を仰ぎながら嵐が来ると言ったのだ。
「嵐になるのは明日ではないのか? この日は陰陽師に用心深く占わせて旅立ちに良い日だと確認して決めたのだから」
「そんなこったあ下々の私にはわかりゃしませんが、嵐は間違いなく来ますよ。季節外れの嵐なんて何があるか分かったもんじゃねえ。皆さんも嵐が過ぎてから御出立なさった方がいいんじゃねえですか?」
そんな事を言われても仕度は万端整ってしまったし、都入りの日取りの都合もある。ここでも悪くない日取りで出立をしたいが、都入りの時など最善の日取りを選ばなければ都人の笑い者になる。可能な限り旅は予定通りに、余裕を持って行いたい。
「日取りと言うのは変えられぬ物。嵐にも何か意味はあるのであろう。山の神が我が旅立ちに花を添えて下さっているのかもしれぬ。それゆえ占いもこの日を選んだのだろう」
私がそういうと男は、
「御身分のある方の考えるこったあ、分からん」
とかブツブツ言っている。それを言うなら私も下々の考えることは分からない。
彼らは親切な時もあるのだが卑屈で時にずる賢く、いつでもその場の報酬やその日を食べつなぐことしか考えていない。身分ある者が知識を駆使して暦や星の動きを読ませ、先々まで滞りなく物事を動かすことに気を配っていることや、細やかな人間関係で世の中を安定させ、帝の御世をお守りしていることなど想像も出来ずにいる。
神仏を我々以上に恐れているにもかかわらず、その神仏の理に則った儀式や占いを理解していない。何も考えずにその場だけをしのぐ生き方をして、何かあればその時になっておろおろとうろたえるばかりだ。
そんな彼らでもこの国の民だ。私は彼らのためにも国司としての仕事を務めた。都からのさまざまな催促があろうとも、自分の懐が痛まぬようそれなりに利を確保しながらとはいえ、彼らを苦しめるような厳しい徴収を課すような真似はしなかったつもりだ。
だが彼らはそういう事も理解せずに、これから旅立とうとするわれわれをあきれ顔で見送っている。
「あなた様はここ最近の国司様の中でも、私らのことを考えてくれた良い国司様だった。くれぐれもご無理せずに、お気をつけて都へお帰りくだせえ」
さっきの男は別れ際までそう言って、私にぺこぺこと頭を下げていた。
「そういうお前こそ気をつけるがよい。私達が旅立てば次の国司が来るまで役人も手薄になる。水の出る所など様子を見て回る者もいないだろう。自分の身は自分で守るように」
「これは、ありがとうごぜえます。肝に銘じます」
「我々の心配はいらん。帝をお守り下さっているこの国の神の御加護がある。日々行を行う御仏の守りもある」
私はそう言って無知な男に安心させる。
「それに我々にはどんなときにもあわれを知る心があるのだ。この山に吹きつける風の風情を味わいながら車に揺られることとしよう」
しかし時が経つにつれて風は強まり、黒雲が空を覆い、嵐の気配は濃くなってゆく。あっという間に天候は変わり、激しい雨風に我々は一歩も先に進めなくなった。
「これ以上は無理です! 少し道を戻りましょう!」
従者がたまらずそう叫んでいるので、私も日取りのことなど構っていられなくなった。
戻る道すがら、途中に村落が見えてきた。するとあの我々を見送った男が現れて、
「あれに見えるは私の住む村です。皆様、村の長の家においでくだせえ。長の家は大きいから、皆さんが嵐をやり過ごす事が出来るでしょう」
これは実にありがたい申し出だった。我々はその村の長の家に入り、どうにか嵐から身を守る事が出来た。
「いや、あの男のおかげで助かった。ひどい旅立ちとなったが、あの男と引き合わせて下さったのも神仏の御導きだったのでしょう」
従者は濡れた身を拭きながらそう言った。
「まったくだ。あの男はどこにいる? さっそく褒美を与えねばならぬ」
しかし男の姿は見えない。その時、
「水が出た! 村の家が流されているぞ!」
と叫ぶ声が聞こえた。外を見ると近くの川が決壊したのだろうか? ひどい濁流がごうごうと音を立てて田を飲み込み、長の家より低い所にある小さな小屋が、次々と流されている。そこには多くの物と共に、人や幼子までもが容赦なく流されていくのが見えた。とても正視など出来ない。まるで地獄その物だ。
「一つ間違えれば、我々もあのように流されていたのだな……」
私は呆然としながらつぶやいた。ああ、私の思慮などまだまだ足りなかったのだ。危うく自分の従者たちを危険にさらすところであった。
「あの男はどこだ? まさか……」
「それが……。あの男は妻子のいる自分の家に戻ったそうでございます。彼の家はこの家よりずっと低い所にあるそうです。おそらく、もう……」
従者は肩を落としながら苦しげに言った。私は痛感した。これまで私が知っていたあわれなど、たかが知れていたのだ。自分達の身を救った男が、このようなむごい目に遭わなくてはならないとは。これこそが本当のあわれ。この世の悲しみと言うものだったのだ。
翌日、空は嘘のように澄み渡り、風は穏やかさを取り戻し、日差しは柔らかく頬をなでていた。だが、目の前には流されてしまった田畑と、村の惨状が広がっていた。生き残った人々は涙を流す暇さえ許されずに、あわれな者達の亡きがらを弔おうと知り人の姿を求めていた。私は手助けに従者たちに亡きがらを探させ、後かたずけを手伝わせた。
やはりあの男も亡きがらとなって見つかった。きちんと埋めてやり、皆で手を合わせる。
せめてもの供養に草花を手向けようとしたが、
「無理でございます。昨日の嵐でこの辺りの草花だけでなく、高い所に生えていた草花でさえも、風に揉まれてすべて萎れきってしまっております」
私が昨日知ったあわれでさえ、まだまだ甘いものであったのか。
命の恩人に礼も言えず、むざむざ死なせてしまったというのに、せめてもと思った草花でさえ手向ける事も出来ぬ虚しさ。世にこれほどのあわれがあるだろうか?
自分の無知さ、愚かしさを知らねばならぬのは私の方であった。
人は皆、この空しく無常な世を生きている。身分ある者もそうでない者も。
神仏の懐の中で我々は、ただ平等に生かされているのみである。
吹くからに秋の草木のしをるれば
むべ山風を嵐といふらむ 文屋康秀
(吹くとたちまち草木がしおれてしまう、秋の山風
なるほど、だから山風のことを「嵐(荒らし)」と言うのだなあ)




