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喫茶店の紅茶 前半

 唐突な話だが、私は飲み物の中で一番紅茶が好きだ。


 特に渋味の強いブレンドの茶葉を使って、ミルクと砂糖をたっぷり入れたものが大好きだ。あれこそ多幸感に浸れる最高の飲み物だろう。と私は常々思っている。

 そんな私が紅茶に出会ったのは約15年前のことだった。




 ある日、私は母に連れられて歯医者に来ていた。

 ただの検査であったのだが、子供であった私は怖くて仕方がなくて母を困らせていた。

「あのドリルが怖い。おじさんの顔が怖い」と泣きわめいている私に、母は困りきった顔を向けていた。

 だが、単純な私は母の一言で泣き止むことになる。


「頑張って我慢できたら、お母さんおすすめのケーキ屋さんに連れていってあげるから」


 甘い物に目がなかった私は目の前の餌に食いついた。目を固く閉じて涙を止め、口から嗚咽が漏れないように歯を食いしばった。

 この変化には母も驚いたようで一拍の静寂が訪れた。その後、母の圧し殺した笑い声が耳に響いた。


 その後、ドリルも他の恐ろしい器具も出てくることなく検診は終わった。それもあって泣いたカラスではないが、私はにこにこと笑って歯医者を後にした。


 母に先導されて行ったケーキ屋は我が家と歯医者との間ほどの場所にあった。

 お菓子の家か欧州の家とでも言うような、子供が大好きそうなその店には喫茶店という看板がかかっていた。まるでただの家ではないと主張しているようだった。


 母に促されて扉を開くと金属で出来た風鈴のような音が頭の上でし、私は驚いた。上を見ると可愛らしい形をした鐘が扉についていた。

 あぁ、これか。と驚きが収まった私は周囲を見回す余裕が出来た。


 店内は外観と同じく西洋の家を連想させる物がそこら中にあった。

 外と違うのはそれが大人好きしそう。というところだ。暗めの色合いで整えられた家具や、橙色の柔らかな色味の灯り。ケーキを展示する棚でさえ西洋風だった。

 耳を澄ますと、これまた西洋の古典音楽が流れている。生憎と昔も今もそちらの知識には疎い私は、それがゆったりとした曲であるとしかわからなかった。

 店の奥からは苦いチョコレートの香りが鼻を刺激した。全てが私が知っている世界と違っていて、思わず胸が高まっていた。


 そんな私は子供ならではの大人に憧れる思考を発揮し、こんな場所に似合う大人らしい物を頼もうと心に決めた。

 奥のテーブルに通された私たちは店員に菜譜を渡された。

 菜譜は淡い桃色をしていて所々に甘い絵柄でケーキが描かれていた。その絵の横にはそのケーキの説明書きが載っていて、どれもとても魅力的だった。

 私は"大人らしい"ケーキと飲み物を探し、目を皿のようにした。道すがら母に「ケーキと飲み物1つずつだからね」と言われていたからどれにするべきか必死に悩んだ。


 まず、ケーキだ。いつもはふわふわとしたショートケーキを頼むのだが今日はそんな子供っぽい物は選べない。そう私は思っていた。

 ふわふわして甘いような物ではなくて、ならば何がいいだろう。そう考えていると周囲に広がっている苦い香りが私を誘った。チョコレートだ。

 確かにチョコレートのケーキは苦味が強く、黒い色が大人の雰囲気を感じる。

 私はケーキはそれに決めて飲み物を選ぶことにした。


 普段飲んでいるような果物のジュースでは、当然子供のようで駄目だ。そう思って探しているが、いつも飲んでいるものばかり目について"大人らしい"ものは見付からない。

 仕方がない。私は母の方を見た。母はもう注文を決めたようで私を見ていた。母に何を頼んだか聞いてみると紅茶とのことだった。

 なので、私はよくわからないが紅茶という飲み物を頼んだ。


 恥ずかしいことだが、その頃の私は紅茶という物その物も、紅茶には様々な種類があり、飲み方もストレートやミルク、レモン等があるということも全く知らなかった。

 なので店員に注文をした時に、ミルクとレモンは付けるかと聞かれ、すっかり困惑してしまった。

 母に「クリームみたいな柔らかい味と酸っぱい味、どっちがいい?」と聞かれてようやく考え始めた。

 クリームというといつも食べるショートケーキが頭に浮かんだ。今日は止めておこう。

 酸っぱい。いいかもしれない。私は伝統食材の梅干が好きだ。あのような味の飲み物なら飲んでみたい。幼い私はそう思った。

 そうして頼むものは決まり、注文は終わった。


 しばらくすると紅茶が運ばれてきた。

 透明で背の高いグラスに茶褐色の液体が入っている。角を軽く砕かれた氷が浮かび、とても涼やかだ。

 横には溶かし砂糖とレモンの輪切りが添えてあり、私にはタンポポの花のように見えた。

 母にこれをどうするのかと私は聞いた。母は「溶かし砂糖をグラスに入れて、混ぜてからレモンを上に乗せるといいよ。少し経ったらレモンを取り出してね」と教えてくれた。


 言われた通りにし、レモンを上に乗せてみた。まさに土の上に花が開いたようだ。

 そのまま、母の言う"少し"の時間について考えていると面白い変化があった。紅茶の色が茶褐色から赤茶色というような明るい色に変化したのだ。

 私はその一瞬の変化に目を奪われた。あんなに暗い色だったものがこうも変わるのかと。そう思った。

 だが、目を奪われてばかりではいけない。少しの時間はもう経ったと思った私はレモンを取りだし、軽くコップの中身を混ぜた。

 初めての紅茶だ。どんな味だろう。そういうワクワクとした気持ちが心に広がった。


 まず、汗をかいたコップを手に持った。そのまま鼻に近付けるとさっき浮かべていたレモンの香りの隙間から花の香りのような甘くて涼しげな香りが上ってきた。

 梅干しを漬けるときの甘い香りに似ているような気がしたがあれほど強く香らない。また梅の春のような華やかな香りに対して、これは夏のような後を引かないさっぱりとした印象だ。


 最初の一口を前にして、自然と唾が出てきてしまう。それは梅の味を想像しているからだったのだろう。ひとまず口に溢れている唾を飲み込んだ。

 私の口内に赤茶色が吸い込まれていった。冷たいという感覚が走った。その次に先ほどの香りが鼻の上に抜けていき、酸味と渋味が口の中を蹂躙した。最後に甘味が追い付いて口の中を癒していった。

 美味しい。素直にそう思った。梅とは全く違う味だったが、とても繊細で今まで飲んだどのお茶よりも美味しかった。

 最後まで一気に飲んでしまいたい。私はそう思った。

 だが、美味しいからと言ってあんまり飲み進めてもいけない。飲み物も1つしか頼めないのだ。


 そんな頃、ケーキが届いた。上から下まで真っ黒で、ほのかに苦い香りと甘い香りが漂っていた。

 普段食べはしないが、ショートケーキを食べていないときは食べているのだ。だから味は想像がつく。

 だが、私はその味を覚えていなかった。恐らくただのケーキというレベルだったのだろう。

 生憎と昔の事だ。今の私の記憶に残るほどではなく、ほどほどに美味しかった。きっとそんな味だったんだろう。




 まぁそんな理由で私は紅茶が好きになったのだ。


 そして、私は今日も紅茶を飲んだ。

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