鮓処の饂飩
私が地雷原に突入するようになったのは、いまから数えて14年前の料理と父母の言葉が切っ掛けだった。
その事について語るためにはまず、私の両親について説明しなければならないかもしれない。
彼らは旨い店を探すのが好きだった。食道楽とでも言うのだろうか?
飲食店と名のつく店は目に付いた端から入り、あそこはどうだった。こっちはどうだった。と議論するのが彼らの常だった。
もちろん近くに限らず、稼動車で2時間かかるような場所で食べることもざらだった。
そして旨いと彼らが納得した店だけが、子供だった私も連れていってもらえる場所だった。
その日、父母に連れていってもらえた店は、店構えも小さくただの一軒家のようだった。
道路に面してはいるが、駐車している稼動車は私達だけで、店内からの灯りを覗いても人影がちらほらとしか見えない。
旨くないんじゃないか?
私は父母の実績を横に置いてついそのように考えてしまった。
周囲を見回して看板を探す。入り口と思われる扉の横に掛かっていた。
鮓処。ただそれだけが木の板に墨で書かれていた。
鮓! 今日は高級料理か! と私は心の中で快哉を上げた。鮓といえば我が国を代表する伝統料理であり、海の向こうの国々でも有名な料理なのだ。
鮓とは、米を炊いた物を冷まし、鮓酢と呼ばれる甘酢を混ぜる。それを一口大に握り、タネと呼ばれる魚介の切り身を乗せるという言うだけであれば簡単な料理だ。
人によってはこんなものは料理ではないというかもしれない。だが、この料理はとてつもなく難しいのだ。
まず素材からこだわる。
米は他の料理と違い、鮓専用の特別なものを使う。更にただ新しい物がいいというわけではない。新旧を混ぜて使うのだ。ケチな訳ではない。そうした方が美味しく出来上がるのでそうしているに過ぎない。
タネと呼ばれる魚介の切り身も、市場へ足を運んで目で確かめて美味しい物を店で出す。
これだけなら、他の料理店でもよくある風景だろう。
次に料理人の腕にこだわる。
鮓の料理人は職人あるいは板前と呼ばれ、米の炊き加減や握りの微妙な調節などで10年は修行しなければ一人前とは見なされない。
堅くならないようにふんわりとした米の食感を残しつつも、崩れてしまって食べにくくならないように握らなければならない。
それだけでも難しいのに、タネに手の熱が伝わらないように一瞬でそれを終わらせなければならない。
この料理を出す店。しかも父母が認めた店だ。確実に美味しい。
父母に促されて暖簾をくぐるとそこには板前と数人の客しかいなかった。机はいくつも空いているのに皆が板前の前に座っていた。
私たちも同じように空いている席に腰掛け、父母が私の分も含めて注文をした。
その注文を聞いたとき、私はん?と思った。なぜ鮓ではなく饂飩なのだろうと。
饂飩というのは太くもっちりとした麺をスープと一緒に食べる、麺料理の一種だ。
様々な種類があり、出汁の取り方や麺の打ち方など熟練の技が必要となる料理である。
周りをよく見ると他の客達も鮓を食べている者もいるが、全員の前に饂飩の丼が置いてある。
なぜだろうかと考えていると板前が私の目の前に丼を置いた。饂飩だ。
まず、丼の中を覗いてみた。透明感のある黄金色とでも言うのだろうか? コンソメスープに似た色合いの中に大量の麺だけが入っていた。
麺は正に太麺で、まるで丼の中に白蛇が踊っているようだった。
次に香りを嗅いでみた。鰹のような魚介系の出汁の香りと醤油の香りがした。鮓処であることを生かしてだろうか?
魚を丸ごと競り落とすことを考えれば、頭や骨の部分など、余るところは山ほどある。そこを上手く利用しているんだろう。
せっかくの麺が伸びてしまってはいけないので、最初の一口を啜った。
とてもコシの強い、どっしりとした麺だ。小麦独特の甘味がほのかに舌を染めていく。そして麺に膜を張るようについてきたスープが塩味と風味を加え一体となっている。
私は思わず「旨い!」と声を出していた。それほどまでに驚いたのだ。 饂飩はこんなにも旨いものなのか! と。
その後は夢中だった。具もなく、ただ麺とスープだけがあるそれを無我夢中で食べ尽くした。
食べ終わってからもまだ食べたいと思い、思わずおかわりを頼んでしまったのだ。
私にとってこれは驚愕だった。そして思ってしまった。本業ではない饂飩でこれだけであれば本業である鮓はどうなんだろう。と。
家計を握っている母にねだり、鮓も食べた。しかし、鮓にはそれほどの感動はなかった。
美味ではあるが饂飩には及ばないのだ。
どうしてだろう?と父母に聞いた。そうするとこう答えられた。
――意外だったからだよ。
と。
意外。確かに思いがけないことではあった。不意をつかれたとも言うのかもしれない。
そしてこうも言われた。
――隠れた看板メニューは、他の人が知らないかもしれないという優越感に浸りながら食べるものだ。
それから私は、隠れた逸品を探すようになった。