大衆食堂のスパイススープ
――旨い物が食べたい。
働いて働いて疲れたときにふと心をよぎる言葉だ。私の仕事は肉体労働に分類されるもので終わった後の空腹感は凄まじい。
しかし、そんな時に食べる旨い物はとてつもなく美味だ。だから私は食べる。食べてしまう。
今日は何を食べようかと町を歩いていると一軒の大衆食堂が目についた。そうだ。あそこにしよう。
私は鳴く腹を押さえながら、その大衆食堂へと足を早めた。
「いらっしゃいませー」
扉が開くと同時に店員の流すような歓迎の声が聞こえる。
大衆食堂のような格式張らない料理店ではこのように、客が気楽には入れるよう正面から声をかけないようにするそうだ。
犯罪者であろうが、誰であろうが気安く軽めに声をかける。そのお陰か、店内は大入りであった。
空いてる席ならどこに掛けても良いと言われたので一番近くにある、先程空いた席に腰掛けた。
机には既に菜譜が置いてあり、ここに書いてある料理の中から好きな物を選ぶらしい。
それは硬質な紙で出来ていて、様々な絵と文字が載っていた。絵は学がない者にも選べるようにという店側の配慮だろう。
細々とした所に気遣いを感じ、ここが成功している所以を感じた。
菜譜の一番左上を見る。牛の肉の煮物を米の上に乗せた、どんぶりと呼ばれる料理だ。
ここには一番その店が自信がある料理を載せることが多い。知らない店であればこの辺りにある料理を選んでおけばまず間違いはないだろう。
次に右上、左下、右下と四隅に目を走らせる。この点を結んだZは客の目に止まりやすいが故に左上ほどではないが自信のある料理が並ぶ。
ふと、私の目が一点で止まった。
店員を呼び、菜譜に書いてある名前を告げる。他に付け合わせはいるか?と聞かれたがそれだけでいいと伝え待つ。
私が選んだのは先程のZの線外にある、所謂自信のない料理だ。
旨い物が食べたいのならZに沿ったものから選べばいいと思われるだろう。
だが、隠れた逸品とも呼べる物はこのような外れた場所にあるものだと私は思っていた。
少し待つと料理が運ばれてくる。早い。
あらかじめ作ってある料理を器によそっているだけなのだろう。だがそれでも早く、労働者の虫が鳴りやまない腹には有り難かった。
それは米を炊いた物に香辛料のよく効いたとろとろしたスープをかけた料理だった。
まず、赤のような茶のような刺激的な色彩が目に飛び込んできた。スープに入っていた野菜はとうに溶けてしまったのか姿かたちも残っていない。
次に鼻腔を辛い香りがくすぐる。作り置きだからだろうか? 香りに覇気が無いように感じ、やや寂しかった。
匙で米とスープを掬ってみる。米はスープが染みるのを想定してか固めに炊き上がっていた。また、スープはこの料理にしてはサラサラになるように作られているようだ。
これくらいサラサラにするのであれば、麺と合わせるかパンを添えて吸わせながら食べる方がいいかもしれないと頭をよぎった。
まず、一口。
スープの塩味が舌の上で広がった。次にスパイスの味がそれを覆い隠すように跳ね回る。最後に米の食感がサラサラとしたスープにアクセントを加える。
これを頼んだのは間違いだったか、とこの一口で私は思った。
最初から最後まで香辛料が様々な面を見せながら舌を喜ばせるのがこの料理だ。
だが一番最初に広がった味はなんだ? ただの塩スープだ。
恐らく他の料理に使うスープを使い回し、香辛料で色を変え香りを与えて誤魔化したのだろう。
更に言えば、香辛料も古くなっていたのだ。
この手の物は香りがしっかりと生きている期間が短い。古くなった物を捨てずに使い続けるとこのようなピントがボケた香りになってしまう。
残念に思いながら私はその料理の成り損ないを食べ進めていった。
腹が減っているのだ。空腹は料理を最高に美味しくしてくれる。それは料理未満でも食べられる程度には美味しくしてくれるということでもあった。
地雷原を進んだのは自分であったし、仕方がなかった。
叶うことであれば次こそは多幸感を味わえる隠れた逸品に巡り会えれば。そう思った。