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天使な悪魔と悪魔な天使

作者: 新尾 六

「ご指名ありがとうございます。わたくし、本日よりあなたの守護天使となりましたタローと申します」

「わたくしめは今日よりあなたさまを奈落に突き落とすよう言い付かりました悪魔のジローでございます」

 よろしくお願いします。

 個別に自己紹介をしたふたりの声が重なった。

「なに、それ?」

 事情が飲み込めないわたしをよそに、母は涼しい顔でようかんをかじる。「あら、やっぱり獅子やのようかんは美味しいわぁ」と。


 いつものように会社から帰宅してみたら、リビングに見知らぬ男が二人、母とお茶を飲んでいた。

 そしてわたしを見るなり深々と頭を下げた彼らがのたまった台詞がそれ。わたしの耳が正常に働いてくれているのなら、目つきの悪い小柄な男が自分を天使と、おっとりとした雰囲気の長身の男が自分を悪魔と言ったように聞こえた。

 幻聴か?

 どこの世界にこんなばっちり日本人顔の天使と悪魔がいるというんだろう。

 いやいや、そもそも天使と悪魔って――。

 冗談にしてはあまりにもお粗末すぎて笑えない。本気なのだったら即刻病院へ送りつけるべきだ。むしろ入ったきり出てきてくれるなというレベルだ。

 新手の悪質商法か、何か怪しげな団体への勧誘か。

 背の高い方は身だしなみにも気を使っているようだけど、ネクタイが真っ黒の喪服だし、小柄な方にいたってはパーカーにジーンズだ。詐欺を働くにしたってもうちょっとまともな人選というか、服装というものがありそうだと思うのだが。――素人の浅はかさだろうか?

 しかし、言うに事欠いて天使と悪魔だなんて。

 今時そんな馬鹿げた設定、誰が信用するんだか。つくならもっとマシな嘘を考えてから出直してこい。

 いや、それともそれは本当に冗談で、実はパーカー男が父の隠し子で、喪服男が雇われ弁護士とか?

 ――いやいや、それすら突飛過ぎる妄想だろう。

 いくら常日頃からぽやぽやしてる母でもそんな奴ら相手に談笑なんて。――しないとも限らないのが怖いところだけど。

 とにかく、こんな怪しげな男共を家に上げてしまっている母はやっぱりヤバい。

 ぽやぽやのほほんはいつものことだけど、これはない。父さんが単身赴任中なんだからもっとしっかりしなくちゃダメだとあとで説教しておかなければ。

 どうしたものだろうか。

 こんなときに文哉ふみやは何をしてるんだろう。受験が終わったからって遊び呆けてないでさっさと帰ってくればいいのに。わたし一人じゃ心もとないじゃないの。あの不良弟! と、帰宅していない弟に毒づくのは理不尽か。

 意を決し、

「とにかく、お引き取りください」

 ソファにかけ直し、日本茶をすするどこをどう見ても日本人、成人男性にしか見えない彼らに言い放てば、彼らと一緒に母まできょとんとした顔でわたしを見つめ返してきた。

 母よ、あなたはどちらの味方なんだ。と思うと余計にイラつく。

 駄目だ。やっぱり母は当てにならない。ここはわたしが自力で何とかしなければ。

 この家の長女として、社会人として。こんなやつら、カモられる前に追い払ってやる。

「生憎ですけどね、家のリフォームはする気はありませんし、絵画にも興味はありません。祖父母は遠方で元気に暮らしておりますし、父からも最近金銭的なトラブルが起きたとは連絡が入っていませんし、起きたとしても一人で片づけられるでしょう。ああ、女性問題でいらしたのでしたら、浮気相手と直接交渉しますので連絡先だけ置いていってください。その他訪問販売の類もお断りいたします。警察を呼ばれる前に帰ったらどうですか」

 内心どきどきしながらまくしたてたわたし。

 よくやった! と、心のなかで自分自身を褒め称え、相手がどう出るかを見守りながら、気を抜けばすぐにすくみそうになる足に喝を入れる。

 それなのに。

「いやあねぇ、しおりったら。この人たちは訪問販売とか詐欺とかそんなんじゃないわよぅ? 天使のタローくんと、悪魔のジローくんだって言ってるじゃないの。それより、そんなところに立ってないで獅子やのようかんいただきましょ。タローくんたちが手土産に持ってきてくれたの」

 美味しいわよ?

 と手招く母に目の前が真っ暗になった。

 どうしよう。ヤバいどころじゃあない。

 母はすでに洗脳された後だったのだ! 

 いくらなんだって、常人離れしてる母だって、天使とか悪魔とかさらりと言うはずがないじゃないか。

 どうしよう! 父さんごめんなさい。わたし母さんを護れなかった……。早くいい病院に……。いや、その前にこいつらを警察に突き出すのが先か――。でも、わたしまで洗脳されたらどうしたらいいの? それよりも文哉に連絡を取らなければ……。

 冷静に対処しなければ。そう思うのに、わたしの頭のなかは当然のように大混乱した。

 何のトラブルもなく穏やかに過ごしてきた、可もなく不可もなかった二十三年間があっというまに、この一瞬で崩壊してしまったも同然なのだ。混乱せずにいられようか。

「栞? 顔色が悪いわ」

「母さん!」

 心配してるのはあなたのことなのにっ!

 洗脳されているのにもかかわらずいつものように穏やかにほほ笑む母の姿に目の奥が熱くなった。

「――っぅ」

 いけない、このままでは泣いてしまう。

 いいや、ここで涙を見せたらいけない。悪党どもの前で弱みは見せてなるものか。絶対に母さんを取り戻してやるんだから。

 決意し、とにかく母とどこか安全な場所へ移動しようと考えついて一歩踏み出したのだが。

 動揺していたせいか、ふらついてしまったわたしを、どういうわけだか長身の男が素早く立ち上がって支えたのだった。

 これも手のうちか?

 控えめな眼差しでわたしを見つめる茶色の瞳を睨みつけてわたしはやんわりと方にまわされていた手を悪意を込めてはじいた。

「触らないで、悪党」

「――え?」

 わたしの剣幕に一瞬怯んだ喪服男が息をのむ。眉をひそめてわたしを凝視し、口を開きかけて固まっている。

 たぶん、この次の場面で凶悪な笑い方でもされ、口汚く罵られたのなら、わたしの納得がいった。

 しかし、目の前の男が作ったのは、ぱあああああっと。見ているこちらが恥ずかしくなってしまうようなはにかんだ、控えめだけれど滲み出る嬉しさを隠しきれない、ものすごく乙女チックな初々しい笑顔――迂闊にも見惚れてしまうような笑顔――だったわけで。

「ありがとうございます」

「――は?」

「悪党だなんてはじめて言われました。すごく、その、……嬉しくて。栞さんが俺のマスターでよかった」

「はあ?」

 ぽっと目元を染めて恥じらう大男にぞわりと肌が泡立った。

「あらぁ、栞ったら、もうジローくんと仲良しさんなのねぇ」

「はああ?」

 そして相変わらずのんびりと見当違いなことを言う母には軽く殺意を覚えた。

「ちょっとー、栞は僕のマスターでもあるんだからね?」

 さらに割って入って来るパーカーの目つき最悪男には、もう頭痛がした。

 何を言ってるのこの人たちは?

 わたしを除いて和やかに談笑するこの雰囲気は、洗脳するものとされるものの関係には到底見えず、だからと言ってその関係性は依然として不透明である。

 誰かまともに説明してよ!

 叫ぶのを堪え、もうどうにでもなれと力なく母の隣に腰を据えれば、彼ら二人はにっこりとわたしに笑いかけるのだった。


「今度の春から文哉も一人暮らしでしょう? 栞と二人だけでこの家に住むのもなんだか頼りないかもって思ってた矢先に頼もしいわぁ」

 と母さんがにっこりと笑えば、

「これで俺も安心して俺も家を出ていけるよ」

 と弟がそっけなく言う。

 六人掛けのダイニングテーブルで、わたしの向かいには目つきの悪い男、母の向かいには背の高い男。彼らはわたしたち家族と一緒に夕食を、母の作ったとんかつを美味しそうに食べている。

 別に追い出すのを完全にあきらめたわけではないけれど。

 母と弟がすんなりと彼らの存在を認めてしまったのでは、わたしひとりが出ていけと声を荒げるのも億劫で、仕方なく喋る代わりに黙って付け合わせのキャベツを咀嚼する。

 あり得ない。わたしが思うのはただそれだけだ。

 彼らの言うことには、彼らは本物の天使であり、悪魔であり、兄弟であるらしい。小さい方の天使が兄で大きい方の悪魔が弟なのだと。――信じるかどうかは別として、それが彼らの主張なのだから、今はそういうことにしておこう。

 その彼らが我が家へやってきた理由はただひとつ。

 わたしの人生をしあわせにするか、ふしあわせにするか、ただそれだけを競いに来たのだと。

 なぜ、わたし?

 しかし、わたしの問いには答えずに兄弟は話を進めた。

 彼ら、天使と悪魔はお年頃になると揃ってひとりの人間に的を絞り、一定期間の間でその人間をしあわせな人生に導けば天使の勝ち。ふしあわせにすれば悪魔の勝ち。という勝負をするよう、各々の上層部から言い渡されるのだそうな。

 勝てば双方ともに階級が上がり、負ければ階級が下がるのだとか。

 なんて身勝手な争いなんだろう。

 そんなものに付き合わされるなんてたまったもんじゃない。いきなり天使だ悪魔だっていう人間が目の前に現れたって困るわよ。しあわせとかふしあわせとか、そんなもの目には見えないんだから、当人の知らないうちにこっそりとやればいいじゃないの。

 と、わたしなりの正論を叩きつけてみれば、

「本来ならばこっそりと秘密裏に競うのですが、今回は異例です」と、大人しそうな弟が切り出して、

「そうそう。本当なら天使と悪魔は人間の前に姿を現すことなく競うんだよね。だーけどね? 今回は別なんだなぁ。栞の家系には天使と悪魔の血が入ってる特別な家系なわけ。なら、だよ? ほぼ身内の君に姿を隠す必要はないかなぁってことで、今回は特別に人間仕様の姿で来てみたわけさ」

 と、兄が悪びれることなくさらりとのたまった。

 ついでに、母さんと共に「ねぇー」と、笑いあって。

 何、それ?

 絶句する私に、しかし母と弟は何の混乱もなく兄弟たちと談笑しているのだから信じられない。

「ああ、母さんの曾じいさまと曾ばあさまがそうだったんだっけ?」

「そうそう。おじいさまが元天使でおばあさまが元悪魔だったはずよ。うふふ。わたしたちも天使と悪魔の親戚ですものね。タローくんもジローくんも遠慮なんかしないでゆっくりしていってね」

 一同、あははははと、和やかに笑い合う。

 だがわたしだけがその輪のなかに入れない。

「その話、初耳なんだけど……」

 箸を止めて母を見る。

 分かるようにちゃんと説明して、と。

 どうして文哉までそんなふうにすんなり状況を受け入れてしまうの、と。

「分かるように説明してよ」

「あら、前からそう話していたでしょう? 文哉は覚えているのに栞は忘れちゃったの?」

「姉さん、大丈夫か?」

 母の言葉に追い打ちをかける弟、そしてその話が当たり前の、周知の事実のような顔をしてわたしを見る兄弟たち。

 わからない。そんな話を聞いた記憶などわたしにはない。でも、まさか本当にわたしが覚えていないだけ?

 わたしを不思議そうに見つめる母と、怪訝そうな眼差しを寄越す弟。

 二人の眼差しにせっつかれるようにわたしは自分の記憶をたどる。

 思い出せ。いつかどこかで聞いたことがあるかもしれない。思い出せ、わたしの脳。

 古い建屋、母の実家。農家だった祖父母の家は台所が土間だった。薄暗くひんやりとしたそこに立つ母と祖母。ふたりが話す秘密の会話のなかに天使だの悪魔だのという台詞が出て来たのだろうか?

 それとも、じめじめした仏間で手を合わせる祖父と、ご先祖様たちの会話のなかでそんな話をしていたの?

 だめだ。わからない。思い出せない。

「――ごちそうさま」

 もうこれ以上は物事が考えられそうにない。

 あら、もういいの?

 母の呑気な声を背にわたしはさじを投げて自室へと引き上げた。



 だが、わたしが自室へ逃げ込もうと彼らには足があり移動が可能だったのだ。

「心配しないでいいよ? 君が覚えていないんじゃなくて、覚えている彼らが普通じゃないんだ」

「彼らの記憶を少し操作したんです」

 ベッドに身体を投げ出していたわたしの前に自称天使と悪魔はけろりとした顔で現れた。

 ノックもない。扉を開けた様子もない。しかし、彼らはわたしの部屋のなかにいた。

 さもそれが当り前であるかのように。天使は無遠慮にベッドに腰掛け、悪魔は所在無げに本棚の前に突っ立っている。

「――なんで入って来てるのよ」

「だって天使だし」

「……悪魔ですから」

 それは正直聞き飽きていた。だからといって、別の文句を期待したわけでもないが。でも、これから迷惑をかけるであろうわたしに、もう少し気遣いをしてくれたっていいんじゃないだろうかと思うのだ。

 なんでもかんでも置いてけぼりにされているのは癪にさわる。

「で? どうしてわたしの記憶はいじらなかったわけ?」

 こうなったら何を言われようと驚いてなんかやるものか。

 それだけを心に決め、わたしは起き上がってベッドの上に正座した。

「わたしの記憶もいじってしまったらもっとすんなり事が運んだんじゃないかしら」

 精いっぱいの皮肉。

 彼らの言うことを信じたわけじゃない。一ミリたりとも受け入れたわけじゃない。

 でも、もしも彼らの言う通りだとしたら、わたしが思い出せないのも、母と弟が彼らと当たり前に接している理由に説明がつく気がしたのも事実。

 もしも、天使と悪魔を名乗る彼らが――人ならざる者の手で――本当に母と弟の記憶に手を加えているのなら、諦めて腹を括るしかないのかもしれない。――ほんっとうに非現実的で、呆れるほど馬鹿げている話だけれど。

「まずは周りから足元固めていこうと思ってねぇ。あくまでもターゲットは君だけど、君に僕たちの存在を認めてもらうにはまずお母さんと弟君をこちらがわにつけようと思ったわけ。みんなで追い出しにかかられたら立つ瀬がないからねぇ。敵を落とすにはまず地固めからっていうのが勝利の鉄則でしょ?」

「汚いわ」

 天使のくせに。という言葉は、相手の主張を認めることになるので飲み込んだ。

「そうまでして姿を現す理由なんてないはずよ。『本来』のようにこっそりしあわせにしたりふしあわせにしたりしたらよかったじゃない。そっちのほうが害は少なかったはずだわ」

「そうなんですが……」

 きゅっと口を結んで俯いた弟とは真逆に、

「だってー。せっかく人間界に降りてきたんだもの、遊びたいじゃないの。女の子とか女の子とか、女の子と」

 兄がへらりと頬を緩ませやがった。

 なにが天使よ。

 また肯定しそうになり、しかし肯定などしてやるものかとわたしは意地で兄の方を睨みつけた。

「素直じゃないねぇ。ま、そこが落とし甲斐があって面白そうなんだけど、さ」

「――は?」

 そこは、しあわせにする甲斐がある、ではないのだろうか? と、首をひねると、自称天使は驚くほど清らかな笑顔をふりまいて言った。

「しあわせにする、なんて抽象的な事するのめんどくせーから、手っ取り早く僕が君をしあわせにしてやるってことさ」

 僕って頭いいでしょ? ね?

 念押しするその男の笑顔の裏にドス黒い感情が見えた気がした。

 何言ってんの? このひと。

 天使だ悪魔だというのも理解したくない話なのに、この上もっと厄介事を押し付けようっていう気?

 言っている意味がわからない、と仕方なくもう一人の方に視線を向けて適切な説明を求めたのだけれども。

 兄よりは幾分感じのいい弟は、腕組みをしていた手をとき、若干申し訳そうに言いにくそうに、

「俺はあなたを全力で惚れさせて、手ひどく振ってふしあわせのどん底に叩き落とす所存ですから」

 と、これまたわけのわからない返しをしやがった。

「いい加減に、してよね」

 辛うじて凄んでみせる私に、

「いい加減にするのはそっちなんだねぇ」

「覚悟、しておいてくださいね」

 言い残して、兄弟は音もなく消えた。

もちろんつづきません。

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