プロローグ
「はぁっ、はあ……。やったか!?」
目の前に倒れる三体の魔物――虎のような見た目でそれぞれ固有の属性、炎、氷、雷を纏っている――が動かない様子に、男が勝利を確信する。
――刹那。三体の魔物は一斉に飛び退き、一箇所に固まる。と同時に衝撃波を伴う猛烈な咆哮を上げ、男の身体を吹き飛ばした。
「ぐぁっ!?……っとと。ちっ、これはまずいな」
男の視線の先にいたのは、先程まで虫の息だった三体の魔物――ではなく、一体の巨大な化け物だった。三つ首の頭一つ一つは先程まで闘っていた三体の魔物のそれだが、ただ合体したにしては体躯があまりに巨大になりすぎている。
「ファングケルベロス・カイザーか……」
――ヤバい。
男は握った鞭を構え直し、どう闘うか決めあぐねていた。
このボス戦が始まった時点で、操獣の男が連れてきたビーストは五体。セイバーウルフ、アサルトホーンブル、マウントベアレスラー、セイントピーコック、グレネードイーグルだ。
先の戦いでは、ピーコックの強化付与魔法でそれぞれの魔物の弱点属性を攻撃に付与し、ウルフ、ブル、ベアそれぞれが一体ずつと戦い、空中からイーグルが遠距離攻撃で支援しても尚苦戦したのだ。
だが、三体が合体したことで弱点属性が無くなっているだけでなく、ステータスもサイズと同様に三倍どころじゃないほど強化されているだろう。せめて巨大化したことでスピードが落ちていてくれればいいが――。
「ッ!まずい、大技だ!」
思考に集中している間に、ケルベロスは三つの口を同時に大きく開き、そこに異なる三色の光球を出現させている。
「ピーコック!魔力障壁全開!総員障壁内に退避!一発凌げば隙が生まれる!衝撃に耐えつつ攻撃準備!」
ビーストたちが備えると同時、三つの光線が放たれる。それらは螺旋を描きつつ融合し、三色の輝きに彩られて男に迫る。どん!と大地を揺るがす衝撃を発して虹色の大きな壁が行く手を阻むが、光線は途切れるどころか徐々に威力を増してゆく。
「くそ、耐えられないか……。ウルフ、ブル、ベア、突撃準備!障壁が破られた瞬間散開して突撃!イーグルはそのスピードで先行、遠距離攻撃で隙を広げろ!」
バリン!光の束が魔力障壁を破った。
「行け!!」
四体のビーストが咆哮し、大地を蹴り、両翼を広げ、魔物へ吶喊する。
イーグルの投擲する手榴弾が、ウルフの牙と額の剣が、ブルの巨大な角が、ベアの剛腕から放たれる爪が、次々と四方からケルベロスを襲う。
「ぐぅ……っ、があぁ!」
男はピーコックを庇って光線に穿たれた脇腹を押さえ、倒れ伏していた。
「ピーコック……、ヒールだ……。お前は怪我してないか……?」
キュイ、と小さく鳴いて美しい羽根を広げ無傷を主張したピーコックは、その羽根を輝かせて男の傷を治療する。
「くそっ、俺がこのザマじゃみんなに指示が出せねぇ……。前線はどうなってる……?」
男はケルベロスの様子を見ようとするも、男を護るように間に立ち塞がるピーコックがそれを遮る。行動パターンはゲーム内のAIによるもののはずだが、このピーコックの行動は明らかにそれを外れている。
そのひたむきに主人を護ろうとする姿に、男は口元を綻ばせる。
「ったく、ちょっと掠っただけじゃねぇか。いくら身体能力が最弱のロールだからって、過保護なんだよ」
言葉と裏腹に満更でもなさそうな男に、ピーコックは柔らかで暖かな光を当て続ける。
「ピーコック、もう大丈夫だ。よっ、ほっ、よし、痛くねぇ!助かったぜ、ピーコック……」
軽く動いて痛みがないことを確認して振り返ると。
ピーコックは、吹き飛ばされてきたベアの下敷きになっていた。
「ピーコック!ベア!」
倒れているのは二体だけではない。ウルフも地に臥し、ブルは辛うじて立っているものの左前脚が負傷したのかガクガク震わせており、歩くことすらままならない様子だ。
唯一未だ闘っているイーグルも、その攻撃をケルベロスは意に介さない。MPが回復しきっていないためイーグルに攻撃が届かないようだが、もう一度先の光線が放たれたらやられてしまうだろう。
「回復!ダメだ、ピーコックがやられてる!……あ」
三対の目が、男を見据えていた。イーグルに有効打がないケルベロスは、攻撃出来る別の対象を見つけたようだ。
――刹那。
「かはっ……!」
遥か遠くにいたはずの巨体が突然眼前に現れたと思ったら、中央の頭によって弾き飛ばされていた。
ドッ!ドッ!ズザザザーッ!
男の体は二度バウンドして転がり、地に倒れ臥す。
魔物はそこでようやくMPが回復したのか、先と同じ光線を溜め始めた。
それに気付いたイーグルが、魔物と男の直線上で翼を大きく広げ滞空する。
「ま……待て……、イーグル……、やめ……ろ……」
ウルフが、ブルが、ベアが、満身創痍で三つの首の前に立ち塞がる。
ピーコックが羽根を大きく広げ、虹色の壁を展開する。キュアアアアと叫ぶピーコックは、虹色の壁をもう一枚、さらにもう一枚展開した。
「多重障壁……、お前……、今、限界を超えたのか……」
イーグルが翼をはためかせて竜巻を生み出し、ウルフ、ブル、ベアが咆哮してそれぞれの武器を光輝かせ、光球を破壊すべく攻撃する。どれも男の初めて見る技だ。
それらが光球に到達した瞬間。
光が、放たれた。
「うがぁーっ、負けたあぁーっ!!」
そこは、とあるアパートの一室。ヘルメット型のVRモニターを脱ぎ外し、眼鏡を掛けなおしている女の名は、清水春香。三十代独身。
「ちくしょー、他のロールは全部上級職になれたのに、操獣だけ進化できねぇ……。」
ぼやきながらノートパソコンで『LSO攻略 操獣 ビースト最強』と検索する。LSOとは、先ほどまで春香がプレイしていたゲーム『LEGEND STORY ONLINE』の略称である。
「使役できるビーストの数、強さとも下級職で使える中じゃこれが限界。となると、今の物理特化型よりスピード系や魔法系のビーストを試すか……」
もう何度も見た攻略サイトのどこかに見落としているヒントがないものかと、食い入るように情報を漁っていると――。
『操獣が最弱と呼ばれる理由15選』のリンクが目に入った。
嫌なものを見ないように勢いよくスクロールすると、操獣攻略ページのコメント欄が目に入る。『単体最弱✖→ビーストいても最弱〇』『上級職の竜騎士なったけどステゴミカスすぎワロタwwwwww』『ライドしての移動は楽しいけどどこ行っても勝てんから楽しくない』などといったコメントが視界に入り――。
パタン、と春香は目を閉じて静かにパソコンを閉じ、ベッドに並べられたぬいぐるみの一つを手に取ると、大きく息を吸っておもむろに顔をうずめた。
「もごもごもごもご!もごもごもごもご、もごもごもごもごもごぉーっ!(うっせぇバァーカ!どいつもこいつも、好き勝手言ってんじゃねぇーっ!)」
これは、春香がアパート暮らし二年目で習得した、壁の薄い賃貸住宅専用のストレス発散法である。
「もごもごもごもごもごもごもごもごもごもごぉーっ!もごもごもご、もご、もごぉーっ!もごぉーっ!(弱いのはてめぇらのオツムだろうがバァーカ!てめぇらなんか、もう、バァーカ!バァーカ!)」
いつもなら最初のもごもごぉーっでスッキリする春香だが、今日はそれだけでは治まらなかったらしい。成人とは思えないほど貧相な語彙力で、ご近所に最大限配慮して慟哭する三十代女性の姿は、あまりに滑稽だった。
「くっそー、しゃーねぇだろー?あのビーストたち可愛いし、アイツらに囲まれてケモノハーレムとか人類の夢じゃんかよー」
そう寂し気にぼやく春香も、言葉の裏では操獣が最弱だと認めてしまっているようだ。
「はぁ……。モフモフケモミミっ子たちに囲まれてぇなぁ……。そんでそいつらと世界中を旅できたら、最高だろうなぁ……」
遠い目で憧憬を口にし、溜息をつく春香。
「ちくしょう!今日はもう終わりだ終わり!宴するぞぉーっ」
無線ヘッドホンを装着し、冷蔵庫からストライクO、通称ストマルを取り出し、350mLのそれをカシュッと開けて一息に飲み干す。ベッドとテーブルのあるワンルームでほんのわずかに開けたスペースで足を大きく広げ、構える。そのまま数秒動かなくなったかと思えば、突然。
肘を直角に曲げた両腕を下向きにブンブンと振り回し、左腕を斜め上に大きく伸ばして右腕をクルクル回す――。
そう、オタ芸である。
ヘッドホンの中ではテンションの上がる曲が鳴り響いているのだろうが、傍から見れば深夜に無音の室内でひっそりと荒ぶる妖怪である。
だが、これもご近所に最大限配慮した運動法で、両足を固定することで足音がしないうえスペースも取らない、アップテンポで激しく暴れられる最高の運動なのだ。
そして、酒を飲んでから激しい運動で血行を良くすると、当然アルコールが全身に回り――。
「うぃー、テンション上がってきたぁあーっ、もう一発いくかぁーっ、すとまるすとまぅーっ」
すでにふらつく足取りで冷蔵庫へ向かうと。
「ありぇー?すとまぅがいにぇーぞぉー?おしゃー、かいにいこー!」
そう言って短パンにTシャツ姿(働いていない俺は勝ち組、と大きく書かれている)のままヘッドホンを外し、財布も持たず手ぶらで家を出る。
そして当然のように何も買えず帰路に就いた直後であった。
――清水春香がガードレールから転落し、命を落とすのは。
『清水春香さんですね。貴女の魂は、輪廻の理に従い別の世界で新たな生命に宿ります。もし何か要望があれば、内容次第で一つだけ叶えましょう』
「ん?あれ?どこここ?あ、あぁー、そういうことね、はいはい。理解理解」
春香は、突然の超常的な現象に混乱したのはほんの一瞬で、すぐに現状を理解した。三十代にして未だ厨二病を卒業していない春香の妄想脳内完結が、状況に即した生まれて初めての瞬間である。
「それでは、名も知らぬ女神さま。次の転生は、清水春香としての記憶、そして過去に経験した前世歴代の記憶を引き継げるよう所望致します」
『なるほど、貴女の要望は理解しました。ですが、清水春香になるまでの記憶は転生時に完全に消去され、復元は不可能です。現在の器三十三年の記憶、忘却しているものを含めその全てを確実に定着させましょう』
「感謝致します!ちなみに、転生後はどのような世界に行くのか、お教え頂けますか?」
『構いません。その世界は、貴女が生前に干渉していた世界によく似ていて、魔物や冒険者たちが暮らしています』
「それって、もしかして『LEGEND STORY ONLINE』ですか⁉」
『はい、但し貴女の知るゲームはあくまでゲーム。類似点が多いですが、システムによる蘇生や転移などは一切ないのでご注意を』
「なるほど……。他にもいくつか確認したいのですが、ロールは……」
言葉の途中で、春香は突然強い眠気に襲われたように意識を手放しかける。
『後のことは、自分の眼でお確かめなさい』
「めが、み……さ……」
春香の声はそこで途切れる。
『輪廻を巡る魂は死亡日時と近い新たな器に宿ります。とはいえ、前世の記憶を引き継いだ者がアレの娘として転生するとは。私たち管理者ですら遠く及ばない存在に、導かれているのでしょうか……』
――この世界では、人間のほかに様々な魔物が生きている。
生きるため人々を襲う魔物たち、大切な人を守るため魔物を討伐する人間たち、互いの溝は次第に深まり、ついには戦争に発展していく。
人々のため魔物を滅ぼさんとする王国軍、それに対抗する魔王軍、そして和平の道を模索する聖教会。
『アナタ』は、人間として生まれながらもそれぞれの立場の考え方全てに触れ、そしてどの組織に所属するか選択する――。
『LEGEND STORY』シリーズ最新作の『LEGEND STORY ONLINE』で使えるロールは十種類、その全てが熟練度を上げることで上級職に進化する!
剣士。武器は一振りの刀のみ。その刃の鋭さは積み上げてきた研鑽の証。感情と覚悟を鋼鉄に乗せて、あらゆる敵を斬り伏せろ!
魔杖。知性高き者、精密な詠唱技術にて自然の力使役せん。其の炎森を荒野に変え、其の水流新たな湖を生み出さん。これを人々は魔法と呼ぶ。
武僧。鍛錬の果て会得した、大気のエネルギーをその身に纏う気功術。拳で、脚で、己が躰で、命尽きるまで闘い続ける。それが俺の生き様だ!
狩人。罠を張り巡らせ、圧倒的な素早さで敵を狩る。長弓、クロスボウ、双剣を使いこなし、相手の苦手な間合いで戦う。罠や毒で動きを封じ、息もつかせぬ連撃だ!
騎士。鎧の内に秘めたるは、誇りと人々を愛する心。たとえ鎧が砕けても、揺るがぬ正義と信念で愛するものを守護り抜く!
歌姫。歌の力で人々を癒し、活力を与える希望の象徴。攻撃、防御に催眠も、音楽の可能性は∞!私の旋律に酔いしれなさい!
隠密。闇夜に潜み忍び寄り、情報や財宝を盗み出す。戦闘になれば猛毒の暗器や罠で敵を翻弄、一瞬の隙を狙い撃ち!
銃士。遥か彼方より敵を穿つ。数多の銃を使いこなす、遠距離戦の覇者となれ!どこに逃げようと、この弾丸がお前を打ち抜く、必ずな。
蛮族。圧倒的な怪力で斧やハンマーを振り回す!防御、回避、戦術だぁ?そんなもんは必要無ェ、何もかもをぶっ壊す筋肉こそが最強だ!
操獣。ビーストたちと心通わせ、ともに敵に立ち向かう!騎乗スキルで空を飛び、大河を上り、大地の果てまで駆け抜けろ!
その力で所属組織の信念を貫くための冒険へ出かけよう!
~『LEGEND STORY ONLINE』~
ここは、どこだろう……。
温かい毛布か何かに包まれているのか、なんだかとても心地よい。
「わぁ、ジニア、ジニア!目が覚めたみたいだよ!パパでちゅよ~。ジニア!初めての声掛けはこれで大丈夫だったかな⁉」
「カミールったら、もう少し落ち着きなさい。産まれたばかりなんだからびっくりしちゃうでしょ」
そう言えば私は転生したんだったか。
「くくっ、記憶を引き継いだ転生は初めてでゃったが……成功ちたようだな……」
くぅっ、こんな台詞を本当に口にできる日が来るとは!ってことはここ、本当に異世界?
キョロキョロと辺りを見回すと、何やら知らないおじさんがこっちを見てギョッとしていた。
「キミ、今喋って……え?」
やべっ、この状況、どう考えてもこのおっさんが私の父親だよな。んで、私さっきなんて言った?まずい‼これは怪しさ満点の何かに娘の身体を乗っ取られたと早とちり(合ってるんだけど)されて拷問されるもしくは捨てられるパターン⁉まずったぁ!
「生後すぐ喋れるなんて、この子は天才だぞ!世界一可愛いだけじゃなくて世界一賢いんじゃないか⁉」
ふむ。新しい私の父親は阿呆のようだ。
だがこれで危険が去ったわけじゃない!さっきちらっと声が聞こえた母親らしき女性の反応は?
「ふふっ、カミールったら。寝てる私を元気付けたい気持ちは嬉しいですが、生後すぐの娘まで冗談に巻き込むのはやめなさい」
……。うん、なるほど。この父親は普段奥さんのためにいろんなネタを披露する芸人魂の持ち主のようだ。た、助かったぁ~。
「カミール、私にも、その子の顔を見せてくれる?」
「ああ、勿論さ」
どう見ても慣れていない手つきで迫ってきたため一瞬身構えるも、慎重かつ丁寧に抱きかかえる優しい腕に、私は体を預けた。
「まあ、可愛い……。」
それ以上言葉が出ないのか、感極まったのか涙ぐむ私の新しい母、ジニア。
「ジニア、この子の名前なんだけど、僕と君の共通点である、花の名前から名付けたいんだ」
「そうね……。アイリス……なんてどうかしら」
ふむ。私の名前はアイリスになるらしい。気に入った。
「アイリス、僕はカミール、キミのパパだ」
「ジニア。あなたのママよ。よろしくね、アイリス」
「パッパ!マッマ!アイリチュ!よぉちく!」
最初の挨拶は大事だ。私は新たな父、母に別々の手で指をさしながら呼びかけ、最後に自分の顔を両手で指さし、ぺこりと頭を下げた。
「わわっ!落ちる!落ちる!」
「まぁ!可愛いぃー!カミール!今この子、喋ったわ!天才じゃないかしら⁉」
「だからさっきからそう言ってるじゃないかぁ!」
ともかく、こうして私の新たな人生が、幕を開けた。