表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

華夏風韻 〜中華幻想七縁譚〜

一笑傾天

作者: 白玖黎


 その昔、中原に天下随一(ずいいつ)の笑みを持つ女がいた。

 女は貴族の出ではなく、庶民(しょみん)から成り上がった士大夫(したいふ)の娘であったが、その美貌(びぼう)と気立ての良さで一躍(いちやく)名を(とどろ)かせた。

 国中の誰もが女の容貌に思いを()せ、あわよくば彼女を妻妾(さいしょう)にすることを夢見た。


 女は良く受け答えをし、加えて賢明(けんめい)だったため、吝嗇家(りんしょくか)の大商人にも一目を置かれた。

 洗練された立ち居振る舞いは、堅物(かたぶつ)の貴族の子息をも魅了した。

 老巧(ろうこう)画伯(がはく)は女の美貌に自慢のひげが抜け落ちるほど興奮して、石楠花(しゃくなげ)(つゆ)に濡れる美人の姿を描き上げた。

 著名な詩人は国を傾けるほどの美と称した。

 さらにその(うわさ)が皇帝の耳に入ると、宮廷(きゅうてい)に女を召し上げ、これを妃嬪(ひひん)にしようとした。


 殿上(てんじょう)の玉座の前に現れた女は、噂に(たが)わぬ美しさだったという。

 しかし、ひとつだけ話とは違うところがあった。女は決して人に笑いかけることはなかった。

 大商人にも、貴族の子息にも、画伯や詩人にも、国主である皇帝にさえも。


 だが、そんな些細(ささい)なことで女の価値が揺らぐはずもない。

 むしろ誰がどのようにしてこの女を笑わせることができるだろうか、と女への注目は炎の如く燃え盛った。

 その勢いは、嫉妬(しっと)に狂った実の妹が女の顔を焼かんとするほどだった。


 あるとき、女は気まぐれにこんなことを言った。

 わたくしの望むものをくださった殿方(とのがた)を終生の伴侶(はんりょ)にいたしましょう、と。

 その言葉に国中が色めき立ち、女の歓心(かんしん)を買うため、自慢の宝を持つ者は我先にと彼女の元へ(おもむ)いた。


 ある者は、まばゆいばかりの黄金珠玉を。

 ある者は、国を容易(たやす)く動かすほどの権力と地位を。

 またある者は、広大な土地や千里を駆ける馬、異国の珍しい嗜好品(しこうひん)、あるいは女の好む白粉(おしろい)や果実などを持っていったが、女はそれらには見向きもしなかった。


 それからしばらくと経たないうちに、国が崩壊の危機に直面する。

 その日は奇しくも、宮廷で女の生誕を祝う(うたげ)(もよお)されていた。

 国中がお祭り騒ぎのなか、狙いをすましたように天から大勢の神兵(しんぺい)が押し寄せてきたのだ。


 神々の兵士は華麗な剣さばきで瞬く間に宮殿を包囲し、都を陥落(かんらく)させた。

 雲海の狭間から降り落ちた雷霆(らいてい)は皇帝の脳天に落ち、宮殿を激しく揺るがした。

 民は皆、天の怒りに身を(すく)ませ、神仙の威光(いこう)(ひざまず)いたという。


 誰もがこれは罰なのだろうと悟った。

 たったひとりの、取るに足らない人間の女に惑わされる皇帝、民、そして国への真っ当な天誅(てんちゅう)なのだと。




 変わり果てた都を見下ろし、城壁の上に立ち尽くす女の前に、天から光り輝く蛇体が伸びてきた。

 七色に(ひらめ)(うろこ)と目を(みは)るほど大きな夜明珠(やめいしゅ)(たずさ)えるそれは、龍神だった。


「主は傾国(けいこく)の美女だというのに、微笑(ほほえ)みすら見せず、常に憂い顔をしておる。だが、どうだ、一国の国主となった気分は」


 いつしか女の噂は天の龍神の元にも届いていたらしい。

 龍神は何者にも(しば)られぬ自由と、中原の覇権(はけん)を女に与えた。女は、変わらず(うつ)ろな目をしている。

 さながら戦場に咲く雛罌粟(ひなげし)の花の如く、亡国無二の美を見た龍神は満足げにうなずいた。


「しかし、主はやはり笑わぬのだな。我を見ても驚きもせぬ」


 黄金の双眸(そうぼう)を細め、「他に所望するものでもあるのか?」と龍神が続ける。

 一国を滅亡させたからには、やはり、天下随一の笑みというものを見ておきたかった。


「恐れながら、お願いしたき()がございます。これまでに出会った殿方は皆、無理だと仰るのですが……」

「構わん、申してみよ」


 途端(とたん)、女はその場に崩折(くずお)れ、(そで)を濡らして声を(しぼ)り出した。


「どうか、どうかこの顔を(つぶ)してください。この顔のせいで、わたくしは大変不幸な目に遭いました。毎日男に言い寄られ、望んでもいない後宮入りを強いられて……わたくしはただ、片田舎で父母兄妹と静かに暮らしたかっただけですのに。これまでに私の願いを聞き入れてくれたのは、妹だけでした。ですが、その妹も今は……もし、あなたさまがわたくしの顔を潰してくだされば、わたくしはきっと、終生堂々と笑って、あなたさまのお側でお仕えすることができるでしょう」


 女の話を聞き終えると、龍神はたちまち長いひげを震わせ、大口を開けて(いきどお)った。


「ならぬ! それだけは許さぬ。都での暮らしが気に入らぬなら、離宮を建てればよいだろう。諸国に攻め入り、領地を広げ、気に入る土地を探せばよい。地上で見つからないのなら、天上を探せばよい。なに、天を傾けることなど、神仙ともあろう我にとっては容易いことだ。それに、我の伴侶となったのならば、もう言い寄られはせぬ。そのような罰当たりは、すぐさまいかずちで焼き切ってやろう。ゆえに、過ぎ去りし日々に執着せず、その地で国を(おこ)し、安心して新たな生活を始めるがいい」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ