【第9話】認知症の魔女、記憶の森へ
――深夜2時。
静まり返った施設内を、誰かの足音が鳴る。
「……王に、報告せねば……」
その声の主は、ミルダだった。
ローブを羽織り、杖を手に、まるで“かつての宮廷魔導士”のような足取りで玄関を開けようとしていた。
「ミルダさん! 危ないっ!」
レオンの声が響いた瞬間、ミルダの足がもつれ、前のめりに倒れる――
ぱしっ。
地面につく直前、レオンの“癒やしの結界”が展開され、柔らかな光がミルダを包み込んだ。
「大きなケガはなかった……よかった」
ミルダを部屋に戻した後、レオンは額の汗をぬぐった。
その手には、小さな記録帳が握られていた。
【ヒヤリ・ハット記録】202X年 魔月9日
対象者:ミルダ・エルフローネ
内容:夜間の記憶混乱による徘徊・転倒未遂
対応:巡回中に発見、癒やし魔法で保護、身体損傷なし。
翌朝。職員ミーティング。
「まずいな……“記憶の揺らぎ”が進んでる」
優一は記録帳を読みながら言った。
「声かけを増やすのと、夜間の出入り口に“注意封じ石”を設置しよう。軽い結界で転倒を防げるかもしれない」
「それって違法じゃないのか?」グランが眉をひそめる。
「本人の尊厳を奪う強制力がない範囲で、だよ。ちゃんと合意は取る。
“安全”と“自立”の間のバランスを見極めていこう」
レオンが、手を挙げた。
「ぼく……巡回の記録と、利用者さんの様子、毎日まとめてみます。
看護の修行にもなりそうだし、何かあったとき、対応が早くなると思うんです」
優一は満面の笑みを見せた。
「いいな、それ。レオン、セカンドリーフの“看護魔導士”任命だ」
「えっ!? ぼ、ぼくにそんな立派な……」
「安心しろ、称号だけで給料は上がらない」
「そんなぁ……」
その日の午後、サラが新しく設置した“ヒヤリ・ハットノート”を掲示板に貼り出した。
横にはグランの手書きの注意マーク。そして――
「……これはなんだ?」
ヴァルゴが提出した“魔界流リスク管理呪文”が添えられていた。
《冥界波動探知式》
“眠れぬ者の気配、闇に咲く花となりて知らせよ”
「意味は……分からんが、なんかロマンはあるな……」
優一は苦笑しながら、それをノートの横に貼っておいた。
その夜、ミルダがぽつりとつぶやいた。
「……ワシ、また……何かしでかしたかの?」
「少し、歩いてただけですよ。でも、ミルダさんの魔法がまだ残ってるって、みんな信じてます」
レオンはそう言って、そっと魔力を手に灯した。
「ミルダさんの記憶が少し混ざっても、それは“過去の重み”です。
誰かの大事な歴史なんですから」
ミルダは目を細め、そっとつぶやいた。
「おぬし……ただの坊主じゃなかったのう。……よい看護魔導士じゃ」
次回:「介護と“旅立ち”の話。スライム長老、静かなる別れ」
次に訪れるのは、“看取り”という現実――。
静かに終わる命に、優一たちは何を伝え、どう寄り添うのか。
第9話まで読んでくださって、ありがとうございます。
介護の現場では、予定通りにいかないことがよくあります。
急な体調の変化、いつもと違う様子、誰かの想いがすれ違ったり――
それでも、“何とかしよう”と動くのが介護士たちです。
きれいごとだけでは済まないけれど、
それでも日々を支える誰かがいて、寄り添う姿がある。
異世界の中でも、そんな“現場のリアル”が伝わっていれば嬉しいです。
次回は、ちょっとしたきっかけで変わっていく誰かの心を描く予定です。
引き続き、よろしくお願いします。




