魔法の世界へ
酒場へ戻ってくると、魔女様は酒場の魔女が出したと思われる干し肉を齧っていた。
私が帰ってきた事に気付くと、席を立って私のところにまで歩いてくる。
「もし他に酒場を運営している魔女が居たら教えて頂戴。お酒が売れて困る事は無いからね」
「一応、探しておきます」
「頼んだよ。じゃあ、帰りましょうか」
魔女様が私の肩に手を置く。
転移魔法を使って帰るんだ…せめてお辞儀くらいしておかないと。
私は酒場の魔女に頭を下げると、その直後魔女様の転移魔法が発動し、元の執務室に戻ってきた。
…あんまりにもあっという間に行き来できるから、外国へ行ったという認識はないけど…私達は間違いなく魔女王国とは違う場所に居た。
そんなことが出来るって事は…家に帰るのもすごく簡単で、移動の時間の事を考えなくていいからとっても便利。
「転移魔法…私も使えたらなあ」
「修行すれば使えるようになるわよ。まあ、修行を付けてくれる魔法使いが居ればだけど」
「え?魔女様が修行を付けてくれるんじゃ…」
「私が?弟子なんて、久しく取ってないわよ。そんな暇ないもの」
魔女様には公務がある。
弟子を取って、魔法を教えている余裕なんてないらしい。
…まあ、仕方のない事だ。
魔法を使えるようになるのは諦めたほうがいいのかな?
「…でも、あなたなら弟子に取れそうね。常に私の隣りにいるもの」
「ホントですか!?」
「ええ。私が魔法を教えてあげてもいいわよ。ただし…」
魔女様は、常に隣りにいる私なら魔法を教えてあげられるとおっしゃった。
私が魔女様に魔法を…そうしたら私も魔女になって、多くの人から『魔女様〜!』『魔女様〜!』って呼ばれたりするかな?
いいなぁ…そんな暮らし。
「…話聞いてる?」
「あっ!す、すいません…」
「やれやれ」
自分の世界に没入し、多くの人に持て囃されることを想像していたら怒られてしまった。
「いい?これはあなたの未来を決める話よ。しっかり聞きなさい」
「はい…」
魔女様は真剣な表情で私の肩に手を置くと、本当にまじめな様子で話し始めた。
「魔法を学ぶということは、人間でなくなるのと同義よ」
「え?」
人間でなくなる?
そういえば、ゲイル神官も魔女様の事を人の皮を被った悪魔って呼んでたような…
「魔法使いは普通の人間とは違うの。魔法を使い始めたその瞬間から、人に課せられた『命の壁』が機能しなくなる」
「『命の壁』?」
「ええ。神が人間に与えたものの一つであり、300年以上生きられないというもの。これはどうあがいても覆らないし、どんなに頑張っても2、3年の延命しかできない。“人間”であればね?」
…どういうこと?
「…簡単に言えば、人間を人間たらしめる神から与えられたものを自分で捨てるという事。それは神への反逆であり、許されざる行為だ。魔法使いが聖教に狙われる理由はそれね」
「なるほど…」
「反逆者である魔法使いは神が与える権利を受け取ることが出来ず、神官などの存在からの攻撃に弱くなる。その代わり、『命の壁』が存在しないから人の寿命を遥かに超えた時間を生きることが出来る。私はこれでも500年生きた魔法使いだし、知り合いには1000年以上生きている魔法使いもいる。ただしそれは、人間をやめたからこそできる事。人間至上主義の聖教からすれば異端もいいところ」
…やっぱりよくわかんない。
いきなりそんなこと言われても、私のお馬鹿な頭では理解できないや。
「それでもいいと言うのなら、私はあなたを魔法使いにする。見習い魔女として、面倒を見てあげるわ」
「なります。魔法使い!」
「…本当に覚悟を持っているんでしょうね?」
「もちろんですよ!どんなにつらい道も、魔女様と一緒なら大丈夫です!」
「――嬉しい事言ってくれるじゃな…」
「はい?」
「何でもないわ。そこまで言うのなら、私が魔女としての教育をしてあげる」
そう言って私の頭に手を伸ばしてくる魔女様。
そうして、魔女様の手に光が集まってきたかと思えば、それが私の中に流れ込んでくる。
「私の魔力で、使われず凝り固まっている魔力と魔法の才能を刺激し、使えるようにする。かなり苦しいが、頑張って耐えなさい」
「は、はい…」
かなり苦しいって…どれくらいだろう。
あんまり痛いのは嫌なんだけどっ!?
そんな事を考えた直後、私の体の中の何かに外から触られた。
そして…
「あ、あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!」
痛みでも、苦しみでもない。
『言い表しようのない苦痛』。それ以外の表現が見つからない苦しみ。
例えるなら、口から棒を突っ込まれて体の中にまで押し込まれ、なおかつ水の中に落とされている。
そして、体の中を触られて中から思いっきり押されているような感覚。
…いや、そんなものじゃない。
これはもっと激しくて、どうしようもなくて…どれだけ手足を振っても、体をジタバタさせても収まらない。そんな苦しみに襲われた。
私はその苦しみから逃れようと、魔女様手を振りほどこうとするが、体が動かない。
「もう少しだけ我慢して。そうしたらこの苦痛はいったん終わり」
誰かに捕まれているわけでも、縄で縛られているわけでもないのに、誰かに拘束されている感覚があり、体が一切動かない。
魔女様の魔法か何かのせいで…こんなに苦しいのに動けない。
何もできず、ただ叫び続けるばかり。
無限に感じられる時間を苦しみ、ようやく解放された。
「よく耐えたわね。200年前に育てた弟子は、これを始めて数秒でもう無理と泣き出したのに」
「…私は…優秀ですか…?」
「温室育ちの女の子にしては、耐えた方じゃない?何せ30秒の間ただ叫んでるだけなんですもの」
「30秒…?あの時間が…?」
私の感覚では、何時間も苦しんでいた。そう感じるほどの苦痛。
我ながら、よく耐えたと思う。
「魔女様…私は…魔法使いになれますか?」
「誰だって正しい修行をすれば魔法使いになれるわ。今のアレも、本当は長い年月を掛けて自分で身につけることなのよ?」
「自分で…?」
「ええ。その場合、時間を掛けてゆっくりやるから苦痛を感じない。その代わり、あなたがお婆さんになるまでずっと同じことの繰り返しよ?私はそこまで悠長に待てないわ」
…苦しむ必要はなかった?
でも、魔女様に魔法を教えてもらうには今すぐする必要がある。
正しい方法で魔法使いになっていれば…私は…
「確かにこの方法は苦しいけれど、正しい方法はもっと苦しいわよ。何十年と時間をかけるんですもの。どれだけ頑張っても成果のでない日々を、何十年と過ごすことになるのだから」
「はい…」
「さて、魔力をほぐしたところで、もう一度同じことをしましょうか?」
「…え?」
あの苦痛を…もう一度?
そんなの絶対に嫌だ!
「魔法使いになるためには、まず魔力を知覚しないといけない。そのためにも、魔力がどういうものかを感じ取り、自分の意志で操れるようにしないと」
「そのために…また苦しむんですか?」
「必要なことよ。さっきのアレで魔力を知覚し、操れそう?」
魔法使いになるためには…魔力を操れないといけない。
そして、それを手っ取り早くやるためにはあの苦しみをもう一度…そんなの嫌だ!
私は何とか魔力を自力で知覚し、操ろうと目を瞑って意識する。
手を強く握りしめ、体を震わせていると魔女様が溜息をついた。
それに恐怖で体が強張った直後……私は変わった感覚を掴んだ。
それは形があるようでなく、私がこういうものだと思えばそうなり、触ろうと思えば触っている気分になる。
「魔女様…これが魔力ですか?」
そう聞いてみると、魔女様が私をジーッと見つめる。
そして、大きく目を見開いた。
「そんな馬鹿な…たった一回の呼び水で魔力に覚醒するなんて…」
「…凄いことなんですか?」
「私でも14回。200年前の弟子は28回呼び水をしたわ。それなのにあなたは…」
信じられないものを見るような目で私の体をジロジロ見る魔女様。
…そんな事しても多分何も変わりませんよ?
そう言いたくなる気持ちをグッと堪え、魔女様がを観察し終えるまで待っていると、今度は私の顔の前に手をかざし、何か魔法を使い始めた。
「この魔法…というか、魔力の流れをよく見て?」
「魔力の流れ…?」
「そこまではわからないのね…じゃあ、魔力目に集めてみて?そして、目を魔力で覆ってごらん?」
「えっと…こうですか?」
魔力をグニャグニャ曲げて、目に集める。
そして、集まった魔力を目に被せるように動かそうと頑張っていると…視界がおかしいことに気が付いた。
「魔女様…なんか変です」
「それが魔力よ。正確には『霊視』と呼んで、魔力や神聖力を見るために使うわ」
「じゃあ…この魔女様の手を流れてる光の線は…」
「魔力ね。この流れを、真似できる?」
沢山の光の線が、魔女様の手の中を流れている。
まるでそれは川のようで、私は魔力が川を流れているイメージをしながら魔力を操ってみる。
「そうそう。初めてにしては上出来ね」
「ありがとうございます!」
「じゃあせっかくだし、基礎術式に関しても教えましょうか?あなた、数学は得意?」
「へ?」
「魔法は術式が大事なの。基礎を覚えるまで、今日は寝させないわよ」
「え、あの…私数字は苦手…」
「さあ第一問。公式を教えるから一緒に解いてみましょう!」
そう言って、魔女様は魔法陣を出現させた。
そこから先は、頭がパンクしてあまり覚えていない。
でも、魔法の基礎術式というものはほんのちょっぴり理解できた。
私が魔女様のように魔法を仕えるようになるのも、かなり先の未来の話だということも、同時に理解できたけどね?