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「そりゃあ、焼きもちですよ。嫉妬」

聖務長(ヴァルトルーデ)さまがわたくしに?」

 礼拝堂を出て、フローラに付き添われながら自室へ戻る道すがら、足止めされていた事情を話すと意外な言葉を聞いた。


「ウータとウーテの選定にかこつけて更なる寄進を要求しなくても、神殿(ヴァルトブルク)は潤っています。それはひとえに、イルムヒルトさまのお陰です。ご自身の代で必ず雨の恩寵を受けられる神子姫(フランツィスカ)さまがいらっしゃるのは素晴らしいことですよ。でも、同時に、その人気が高いことへの妬みがあるんです」

「イルムヒルトさまの人気の高さに危惧を抱いてもいるでしょうね。だから、ウータとウーテの選定では自分の力の及ぶところを見せておきたいのかもしれません」

 後ろからフローラの弟フロレンツが付け加える。彼もまたイルムヒルトの傍仕えとして同じ部族からついてきた。

 物心ついたころからいつもいっしょだったふたりがいたから、神殿にやってきてもそう寂しくはなかった。


 イルムヒルトは六部族のひとつエドゥアルトの出身だ。

 幼いころ、両親から引き離されるようにして神殿に連れて来られた。イルムヒルトはウルリーケ神が持つと言われているのと同じ黄金の肌をしていたからだ。きっと女神に愛される子供だと言われ、実際にそうだった。

 両親は嘆き悲しんだが、やがて子供が生まれ、悲しみはいくらか慰められた。イルムヒルトは歳の離れた弟妹ができて安心した。

 自分は神に仕える身だから。それに、フローラとフロレンツがいる。


 神子姫は常に存在することはなく、雨乞いの儀式(ロスヴィータ)ができる者はさらに少なかった。

 そんな希少価値のある神子姫であるイルムヒルトはときおり向けられる欲得づくの視線が煩わしく思え、行方をくらますことがあった。神殿のどこかであったり、奥庭であったり、そして、市街地であったりした。


 最近では新ウータ、ウーテ選出の影響で神殿や庭ですらあれこれ声を掛けられ、自分こそをと売り込まれる。

「心地よい風が緑の葉を揺らします。神子姫さま、ご機嫌うるわしゅう。ところで、わたくしは実は神殿の書の三分の一、いえ、半分近くは手に取りまして、」

 イルムヒルトが挨拶を返す前に本題に入る。自分がいかに優れた知識を持っているかを示そうとする。


「とても熱心ですことですわね。わたくし、先だってとても興味深い記述を拝見しました」

「どんなことでしょうか?」

 礼儀上はそう問い返したが、そのまま続けて話しそうな様子を見て取ってすぐにイルムヒルトは続けた。

「ウルリーケ神の友神さまについてでございます。ご存知でしょうか? 我らが女神さまと同じく銀糸の恩寵をもたらす神を」

「い、いや、浅学のため存じ上げませんでした」

「そうでしたか。同じく地上に恵みをもたらされる神なのです。ぜひ知りとうございますれば、もし、書庫にて見かけられましたら教えてくださいませ」


 自室にたどり着くまでにほかに三人に声を掛けられた。

 のらくらかわすと、勝手に失望されたり食い下がられたり、ときには敵意を向けられることすらある。


「食欲が失せたわ」

 最近、疲れのせいか、立ちくらみをよく起こすようになっていたが、一気に倦怠感に襲われた心地になる。せっかく整えられた朝食も手を伸ばす気になれない。

「そうおっしゃらないで果物だけでも口にしてくださいませ」

 フローラになだめすかされてみずみずしく口当たりの良い食べ物を腹に納める。


 うんざりした様子の神子姫を思いやって、フローラ、フロレンツ姉弟は退室し、イルムヒルトはひとりになった。

 イルムヒルトは気晴らしに街へ出ることにした。頭から大ぶりの布をかぶって人目を忍ぶ。

 神殿の儀式や式典でもなければ、質素かつ簡素な身なりをしている。そして、強烈な日差しが降り注ぐこのヴィンフリーデでは日よけに布を被ることは茶飯事だ。ちょうど良い外見隠しになる。目深にかぶれば、珍しい色合いの瞳を隠せるし、黒い髪、褐色の肌の人間はこの地方ではどこにでもいる。イルムヒルトの肌はよくよく見なければ黄金と知られることはなく、褐色に紛れやすい。


 フローラ、フロレンツ姉弟に後からこっぴどく叱られることを承知で、単独で出かけた。

 勝手知る神殿内を素早く進む。朝から祈りを捧げに訪れた信心深い人に紛れて神殿を出ることに成功した。

 ようやく自由に息を吸える心地になったが、布は頭にかぶったまま取らないでおいた。


 豊かな土地ならではで、多くの物品、人々が行き交う。人々の営みは太陽と共にあるため、朝早くから店が開いており、すでに活気づいていた。

「お姉さん、こっちの果物はどうだね? 瑞々しいよ!」

 顔を隠して街へ出るのが楽しいのは、こんな風にイルムヒルトもふつうに声を掛けられることだ。


 神子姫として神の恩寵を乞うのは大切な役目であり、この地になくてはならないことだと知っている。

 けれど、たまにはこうして媚へつらいもないやり取りをしたい。神子姫には重責とともに欲を満たしてくれという願望が付きまとった。それは粘度の高い泥のようにイルムヒルトを絡めとろうとした。神殿から出ると身が軽くなり息をするのが楽になる気がした。積もり積もった疲労も忘れることができた。


「おや、お嬢さん、きれいな肌色だね」

「本当だ。まるで黄金のようじゃないか」

 イルムヒルトが手を伸ばして果物を取ろうとしたのを、目ざとく見つけた者がいた。

 はっとそちらを振り向きながら、さりげなく頭にかぶった布を鼻先にずり下ろす。なんの装飾品も身に付けてこなかったというのに、今ばかりは自身の珍しい肌色が恨めしい。黄金にも例えられる肌、人々が熱望する深く湛える水のような瞳の色合いは、いつだってイルムヒルトを周囲に埋没させることなく、ときに面倒事を連れてくる。


「綺麗な肌だなあ。ちょっと顔を見せてくれよ」

 声がした方には、二十代半ばの健康そうな男性数人がいた。外から流れてきた者たちのようで、少し肌色や髪質がヴィンフリーデのものとは違う。彼らは一様の表情でにやにやと笑っていた。なぜか神殿で絡めとられる泥と同じ粘度を感じて、イルムヒルトは迅速に自分ができることを行動に移した。つまり、踵を返して逃げ出したのだ。


 豊かなヴィンフリーデにはいろんな者が集まって来る。外から来た者たちはまず、この地の豊富さに目を見張る。色とりどりの物品、多様な味わい、溢れる商品に心躍らせる。そこで浮つかずしっかり働いて根を下ろして暮らせば、土着となる。けれど、上っ面の心地よさだけを享受しようとすれば、無法者となる。

 そして、イルムヒルトに声を掛けてきた者たちは後者だった。


「逃げたぞ、追いかけろ!」

「あっちだ!」

「すばしっこいぞ!」

「ちょっと、あんたら、やめなさいよ!」

 獲物を追い回す舌なめずりするような声音に、店の人間らしき声が制止するが追跡の足音は止まらない。


 それでも、イルムヒルトは最悪なことにはならないだろうと楽観していた。この地で神子姫を害しようものなら、袋叩きに合う。いざとなれば頭からかぶった布を取って、周囲に助けを求めれば良い。

 そう思っていた。

 けれど、どこをどうしたものか、狭い路地に追い込まれてしまった。


 人通りが途切れ、さすがに危機感が塊となって喉の奥からせり上がって来る。折悪く、忘れ去っていた疲労が足をもつれさせる。

 懸命に重い足を動かし、地理に詳しいことを活かして逃げようとした。せめて、人通りが多いところへ———。


「見ぃつけた」

 楽し気な節がついた声が前方からする。とっさに後ろを向いたら、そちらにも人影がある。

「おっと、通せんぼだよ」

 獲物を追いつめ児戯めいた物言いをするのに加虐性を読み取り、心臓が早鐘のように鳴る。

 布の端を握りしめ、これを脱いで見せて神子姫であることを明かし、無体をやめるように言うべきかどうか迷う。

 果たして、彼らは神子姫という存在にどれだけの価値を見出すだろうか。ヴィンフリーデ生粋の者でないのであれば、もしかして一時の欲望を優先するのではないだろうか。

 そんなイルムヒルトの迷いを読み取って、男たちは楽しそうに喉を鳴らす。

 イルムヒルトは降雨のためではなく、ただただ神に救いを求めた。



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