17
エアハルトのハーラルトは最初、「魔力譲渡」のための婚儀に強硬に反対したと聞く。聞き及んだ当初は、神子姫などともてはやされている自分の役立たずぶりを知ってのことゆえだろうと思った。
しかし、雨乞いの儀式を行うにはどうしても魔力が必要となる。個人の感情など二の次だ。
そんな風に考えていたが、見合いで話したハーラルトは好青年で落ち着いていて、イルムヒルトを気遣った。誘拐された折にも救助に駆け付けた。
そして、神々の前で自分がイルムヒルトを守ると言ってのけた。
だから、イルムヒルトにとっては「魔力譲渡」だけではなく、婚儀であるのだ。
閨でことに及んだ際、温かな魔力が身体に浸み込んでくる。確かにそう感じたのに、体調が悪くなった。医師は魔力を大量に得たからだろうと言った。枯渇していた魔力を得たから。反動で多少の間は体調不良となる。
魔力をもらうしかない自分が不甲斐ない。昔はさぞかし偉そうにふるまっていただろうに。
「わたしの魔力が合わないのでなければ良いのですが」
ハーラルトは寝台に横たわるイルムヒルトを心配した。
「うつくしく愛おしい瞳、肌、唇。すべてが欲しくてたまらなくなる」
こちらをのぞき込んでくるハーラルトの目こそ、イルムヒルトの心の中まで見透かされそうだ。
イルムヒルトはふと、攫われたときのことを思い出した。
なにがなんだかわからないまま、フローラが傷つけられたのが分かった。そのまま運び連れ去られて押し込まれた部屋で、誰になにを聞いても答えは返ってこなかった。
焦燥と不安と心配とでないまぜになっていると、見知った人間が現れた。
見合いで会ったエメリヒの長の子息だ。
「あなたにはエアハルトの長の息子との婚約を破棄していただく。わたしが魔力を差し上げますよ」
さもお前のためだと言わんばかりの物言いである。
「馬鹿にしているわたしに組み敷かれ、魔力を注ぎこまれるのはさぞ屈辱なことでしょう。お可哀想に」
カッと頬が紅潮する。見下されているのだと感じた。昔、あんなに偉そうに振舞っていたことへの意趣返しだと思った。
勢いよく彼を見ると、その秀麗な顔に憐れみが浮かんでいた。
悔しくて仕方がなかった。己の不甲斐なさに。
神子として誰よりも優れていなければならないと、常に自分を律してきた。なのに、努力では及ばない領域でこんな風に見下されるのだ。
エメリヒの子息はイルムヒルトの反応を楽しんだ後、夜に再び来ると言って去って行った。
彼の言葉が実現しなかったのは、ひとえに救出隊の迅速な対応のお陰だった。イルムヒルトが助け出されたときには夜の帳が下りようとしていたのだから。
そして、エメリヒの子息ではなく、エアハルトのハーラルトと婚儀を挙げた。
ふたたび魔力を得た後、雨乞い儀式をできるか?
実際に雨は降るか?
ヴィンフリーデのすべての者が抱く懸念は、降り注ぐ恩寵の銀糸によって払拭されるのだった。
エメリヒが他国と通じており、それを覆い隠すためにエーヴァルトこそがそうしているという噂を流していた。
エメリヒは次期長が神の寵愛を受ける神子姫の婚約者に内定したと言って他国の商人をも抱き込んだ。
とにかく、エメリヒの長の長子が神子姫と通じ、魔力譲渡をしてしまえば伴侶候補など覆ると考えていた。そうして神子姫と結婚したあかつきには、便宜を図ってやろうと言い、誘拐を成功させる武力として他国の力を借りようとした。
しかし、あまりにも迅速に潜伏場所が明るみになった。そのまま隠れ場所で日が沈むのを待って偽装兵士に守られて街を出る予定だった。エメリヒの長の長子はその前に神子姫を我が物にする腹積もりだった。
それらはすべてヴィンフリーデ随一の戦士によって覆った。
街の周辺に続々と集まっていた偽装兵士は呆気なく五部族によって蹴散らされ敗走した。
救出された神子姫は疲労のあまり倒れ、神の怒りで三日三晩暴風が吹き荒れた。人々はみな恐れ入る。過去に神の勘気に触れて滅んだエーリヒの悲劇を思い起こさずにはいられなかった。
猜疑と不和の悪循環は六部族を内側から崩壊させるのではないかと多くの者が恐れおののいた。
けれど、神子姫はエアハルトの長の長子と婚儀を挙げ、ふたたび魔力を取り戻し、雨乞いの儀式を執り行って天の恩寵を乞うた。神はその祈りを聞き届けた。
集まった者たちは歓呼の声を上げる。
そして、珍しいことに、その場で神子姫はみなに声をかけた。
「諍いを起き、不和が生み出されています。相手の意見を取り合わず、衝突するものだとやる前から努力を放棄する。
猜疑と名状しがたい恐怖に支配されているのです。
過去にばかり目を向けて縛られていては、決して前に進むことはできません。
我が国だけではありません。周辺諸国だけでもない。すべての国において、すべての人たちは、この世界を作り替える力を持っているのです。
自分の行いを顧みるよりも、他人のせいにするほうが簡単です。しかし、わたくしたちは簡単な道を選ぶのではなく、より多くが幸せになる道を選ぶべきです。
天の恩寵は地上のすべてに等しく降り注ぐのですから」
エメリヒの犯した罪は長の子息の暴走によるものだった。
捕縛され尋問にかけられた彼は語った。
「自分の求婚を受け入れなかったのがいけない。なぜ受けないのだ」
さも不思議そうに言ったのだという。
女性を屈服し、支配するのが結婚ではありませんよと思わず口にした尋問員を、理解しかねるという表情で見返したという。
神子姫の宣言によって、ほかの五部族、なにより神殿はエメリヒを許した。
ハーラルトは言った。
ウルリーケ神だけでなく蛇神も信仰したいと。神はそれを鷹揚に受け入れた。そして、ハーラルトの自身の力でイルムヒルトを守るという言を歓迎した。
イルムヒルトは開眼する思いだった。
そうだ。自分の力でできることをしなければならない。また、できるように努力しなければならない。そして、過去の過ちに関して相手が改悛するのであれば、和解の道を閉ざすべきではない。
自分たちが目指すべきはそれだ。
イルムヒルトはそうする力があるのだとみなに呼びかけた。
神は慈悲深くもあり、ときに無慈悲でもある。人はただ、地上にあって己の力を尽くすのみである。
神子姫が高らかに宣言した。地響きに似た歓声が呼応する。
彼女はまさしく、神子姫のなかでもとくに神に愛されるフランツィスカである。多くの人々に希望と勇気をもたらすのだから。
※参考資料
世界を動かした21の演説 クリス・アボット 清川幸美訳 英治出版
おまけ1
ウルリーケ神と蛇神さま。
ふたりは仲良し。
「それでね! それでね!」
「ええい、おしゃべり神め。いい加減、その口を閉じよ」
「…。……」
「でね! でね!」
「うぬぬ」
ふたりは仲良し。
おまけ2
蛇神さまの天罰。
語尾に「にょろ」がつく。
「行ってきたにょろ」
「———おまえ! 天罰を受けたのか」
すぐにばれてしまうので、寡黙になる。
蛇神さまにとって、しゃべるのを禁じられるのは大いなる苦痛なのであった。
おまけ3
蛇神さまを祀る神殿で酒宴。
蛇神さま、酔って気持ちよくなってふわふわと身体が浮く。ハーラルトに蛇身をまきつけたまま天界に連れて行く。蛇神さま、そのまま寝る。
眷属の蛇たち、神が連れてきた人間に驚き、ぴゃっと跳び上がる。
どうする?!
「地上に戻してください」
ハーラルトの願い通り、地上に送ってくれるが、まったく知らない場所だった。
そして、冒険が始まる。
おまけ4
蛇神さまを祀る神殿で酒宴。
蛇神さま、酔って気持ちよくなってふわふわと身体が浮く。ハーラルトに蛇身をまきつけたまま天界に連れて行く。
「蛇神さま、またですか?!」
今度はハーラルトが巻きついた蛇身を叩くと起きる。
周囲を見渡す蛇神さま。
「あれ? また連れてきちゃった」
てへ。鎌首を傾げる。
そして、蛇神さまとハーラルトの天界での冒険が始まる。
なお、ハーラルトは蛇神をまつる神殿で神の眷属扱いされ崇められる。
※蛇神さま:おしゃべり。お酒好き。酔うとお気に入りに巻きつく。大きくて頑丈な人間は巻き付きやすい。酔いすぎるとふわふわと身体が昇っていく。




