7話
アーノルドが目を開けると、草原の上に横たわった状態であった。
もはや反射的とも呼べる動きですぐさま上体を起こし立ち上がると、突然光の玉のようなものが明滅しだしたかと思えば、アーノルドの周りをフワフワと漂い、そこから声が発せられる。
『魔法試験へようこそ。これから試験の概要を説明するよ。一度しか言わないのでよく聞いておくこと』
光の玉から聞こえてきた声はどことなく先ほどの女性のように思えたが、その口調は似ても似つかぬものであった。
『まずこの空間は魔法によって創られた仮想空間なのでたとえこの世界で死んだとしても現実では死なないから安心していいよ』
“魔法?”とアーノルドは疑問を浮かべたが、あの機械を見ていない者に説明するつもりはないということかと自己解決してスルーした。
『でも、死ぬ前にギブアップすることで試験を終えることもできるから、もしものときは『ギブアップ』と叫んでね。それじゃあ試験の内容について説明するよ。試験内容は至極簡単。ただこの場にいる魔物から生き残りましょう。ただしこの空間では使えるのは魔法だけ。身体強化やその他一切の力は使えないから気をつけるように。また魔道具などを使うことは禁止だよ。この試験は見られているので不正しようなどとは思わないように。この試験の点数は生き残った時間によってつけられるよ。魔物を倒した数は点数に関係がないので、暗殺者のごとく隠れるもよし、勇ましく魔物を倒すもよし、そこは自由に選ぶこと。ただし時間が経過するごとに難易度も上昇していくからね。それじゃあ始めるよ。さぁ準備はいいかい? 5、4、3、2、1、スタート!』
一方的にそれだけを言うと、光の玉は消滅した。
アーノルドはすぐに身体強化を使ってみようとしたが、本当に使えなかった。
まるで何かに阻害されるかのように力が湧き出てこない。
「なるほどな。しかし……、これほどの空間を作る力が存在するだと?」
アーノルドの常識に照らし合わせればありえなかった。
人の意識を切り取り、それを空間に押し込める。
クレマンなどのような魂を扱う術を使える者ならば出来るのかもしれない。
アーノルドは覚えていないことであるが、実際にロキがその術を行使している。
だが、ロキのあの術は人の記憶を媒介とした擬似世界の創造であり、実際に世界を構築しているわけではない。
それにあの擬似世界を創造するのとて理外の存在である死神の力を借りて行っている。
だが、今回行われているのは純然たる世界の創造。
それも見渡せぬほど広大な世界だ。
果たして端があるのかすらわからない。
たとえ小さな箱庭だとしても世界の創造とは人の力には手に余るものだ。
莫大な魔力があったとしてもほんの小さな部屋程度が限界だろう。
アーノルドが入ったのは魔道具らしき機械であったが、いまのアーノルドの知識では魔道具であろうと到底このような世界の創造など再現できる気がしない。
そんなことを考えているとアーノルドの思考を中断させるかのように視界の端に動くものが飛び込んできた。
一匹のウサギ。
いや、ウサギのような魔獣だ。
魔獣といっても、ただの動物と変わらぬくらいの力しか持たぬ下位の魔物に分類されるもの。
見てくれは可愛いが、その目はえんじ色に燻み、牙とでも言うべき尖った前歯がある。
アーノルドは『火球』らしきものを出現させ、悲鳴すら上げさせることなくその魔獣を消滅させた。
魔法は問題なく発動した。
そこは現実と何ら違和感はない。
だが、やはり普段当たり前のように身体強化を使っている身からすれば咄嗟の時に困ることは目に見えている。
あの光の玉は隠れるも戦うも自由と言っていたがアーノルドに隠れてやり過ごすなどという選択肢はない。
これほど楽しい遊び場も存在しないだろうと娯楽とでも言うかのように気分が高揚していた。
アーノルドはわずかに笑みすら浮かべ、自身に迫ってくる魔物のほうへと体を向ける。
アーノルドがその場に留まり大体15分弱が経過した。
いまのアーノルドは最初に浮かべていた笑みなど、もはや見る影もなかった。
(つまらん。なんだこの試験は)
もうすぐ15分も経過するわけだが、アーノルドはただひたすら作業のように迫り来る魔物をその場から一切動くことなく処理していただけだった。
力を見せぬために下位魔法相当の魔法のみという縛りで魔物を倒している。
何を以て下位魔法という分類にするのかという問題はあるが、そこに込められた魔力量というもので分類するのならばアーノルドの放つ魔法は間違いなく下位魔法と言える。
だが、ただ下位魔法に見せているだけでその実、アーノルドが放っている魔法はどれも中位魔法並みの威力を持っている。
その魔法でただひたすら一撃で迫りくる魔物を屠っているのである。
その証拠とでも言うべきか、アーノルドの周りにはある一定の距離を置いて血一つすらない。
それは自らの領域にいまのいままで一体たりとも魔物の侵入を許さず倒しているということ。
この仮想世界特有のこととして倒された魔物は数秒で光の粒子となって消えている。
そのためアーノルドの周りには魔物の死体は一体もないが、アーノルドは既に何百体という魔物を屠っている。
だが、時間が経つごとに魔物の強さも数も変化していることは感じ取っていた。
いまでは見渡す限り、四方八方から魔物という魔物がアーノルドへと迫ってきているのだ。
小型の魔物、中型の魔物、アーノルドが見たことがある魔物に見たことがない魔物、そのどれもがアーノルドにとっては取るに足らぬ雑兵に過ぎぬもの。
だが遂にずっと変わらぬこの状況に変化が訪れる。
自らが放った魔法が魔物へと着弾するのを見たアーノルドはその表情をわずかに顰めた。
アーノルドが放った下位魔法に耐えた個体が出てきたのだ。
だが、その程度で焦ることはない。
ただ一撃で倒せなかっただけで危機と言うには程遠い。
すぐさまもう一撃放ち、その魔物を屠る。
だが、それからアーノルドの攻撃を避けるもの、弾くものなどが現れてくる。
下位魔法の限界といえるだろう。
徐々にアーノルドが敷いた領域の中にジリジリと魔物が侵入してくるようになる。
処理が追いついていないのだ。
だが、それでもまだアーノルドに危機感を持たすほどではない。
それに合わせ、魔法の威力そして発動速度を変えればいいだけだ。
だが、それから数分、20分が経過する前くらい、魔物の数が目に見えて多くなった。
視界全てを覆い尽くすくらいの魔物の群集。
地表だけでなく空をも飛翔する魔物も出てきた。
このままでは囲まれ押しつぶされるのも時間の問題である。
この試験を監視している者がいるとあの光の玉が言っていたためあまり力を見せたくはないが、どれくらいが合格点かわからないため、無様な結果を残すわけにはいかない。
下位魔法程度の魔法でこのくらい生き残れるのだ。
中位魔法を使える者ならばもっと生き残っていても良いはず、とアーノルドはそう考えた。
(致し方ないか)
もはや一体一体処理するなど到底不可能なほどの魔物の大群が迫ってきているのを見たアーノルドは初めてその身に纏う雰囲気を変えた。
アーノルドは周りに迫りくる魔物達を蹴散らした後に四方を土の壁で覆った。
——中位土魔法『土壁』
初めての純粋な中位魔法の発動。
だが、それは攻撃ではなく自身を覆い隠すためのもの。
小型の魔物から中型の魔物それら全てがこの草原に唯一空いた隙間を埋め尽くすようにアーノルドの土壁に向かって突撃していく。
魔物達はアーノルドが作った土壁などまるで粘土のように粉砕し、そのまま止まることなく蹂躙するかのように驀進していく。
魔物同士がぶつかり、さらがら戦闘機のような爆音を轟かせ、まるで怨敵でも探すかのように咆哮をあげる魔物達による狂騒が奏でられる中、その中心にアーノルドの姿はどこにもなかった。
アーノルドはいま山岳地帯の山の上部にある断崖の先から、遠く離れた魔物が犇く草原地帯を見下ろしていた。
「やっと本番といったところか。随分と悠長なことだ」
アーノルドは薄らと笑みを浮かべてそう呟いた。
時間にしてわずか十数秒。
たったそれだけの時間で遠く離れたこの場まで来ていた。
距離にして数キロメートルは離れているだろう。
(マードリーの前で使ったことがない技だが、ちゃんと使えたな)
アーノルドが使ったのは移動魔法とでも言うべきもの。
マードリーが人体の移動など怖くて無理だと言っていたものだ。
たしかに見えぬところに飛ぶというのは危険極まりない。
想像がしにくいため、あらぬところに出ればそのまま窒息死してしまうだろう。
だが、見えるところならば比較的想像がしやすい。
それでも危険であることには変わりはないが、草原地帯からもこの山岳は目視できていた。
それにアーノルドはマードリーがこれに等しい魔法を使っているのをおそらく見ていると思っている。
アーノルドとマードリーが初めて会ったとき。
マードリーは書斎に突然現れた。
ただ、透明魔法のようなものを使っただけとも考えられるが、マードリーの性格上おそらく違うだろうと。
ならば、おそらくマードリーは移動魔法を扱える。
マードリーはある意味過保護なのだ。
だからこそアーノルドが死ぬ可能性のある危険な移動魔法をいままで使わせなかったのだろう。
だが、あの光の玉の言葉を信じるのならば、この空間でなら最悪死んだとしても大丈夫だ。
何をしたかさえ見られなければ練習にはもってこいだろう。
(さて、どこまでやるかだな)
一息吐いたアーノルドであるが、いまの状況は所詮仕切り直しに過ぎない。
これまでずっとこの試験を受けているのでわかるが、魔物は明らかにアーノルドの位置を察している。
そして魔物達は元々この世界にいるのではなく明らかにどこかで生成されている。
いくら倒そうとも撃滅できることはないということだ。
(なるほどな。この試験の本質はまさしく生存にあるわけか)
アーノルドは先程まではただただ魔物を倒すことを目的としていたが、この状況を俯瞰的に見て、冷静になってみればこの試験の本質が見えてきた。
この試験は魔法の腕を見るための試験ではない。
魔法師としての資質を見るための試験だと。
アーノルドとてある程度この世界の普通というものを知っている。
それに当てはめて考えてみれば、ただの受験生があの数多に犇めき合う魔物達を倒し、生き残るというのは至難の業だろう。
あれは中位魔法が使える程度ではどうにもならない。
もちろんアーノルドがその気になれば、広範囲大規模魔法で殲滅することはできる。
だが、おそらくはそれをしたとしても魔物がすぐに復活し元通りの状況になることは感覚的にわかった。
あの草原地帯はまさしく死地だ。
上位魔法以上の連発など受験生に求められるようなものではない。
そこからわかるのはあの場に留まり戦うという選択は凡俗にとっては間違いだということ。
ならばアーノルドの中の前提が変わる。
はたしてどこまで生き残るべきだろうかと。
一般の受験生が、逃げて、隠れて、そして戦ったとして果たしてどれくらい生き残ることができるだろうかと考える。
少なくとも10分は超えるだろうと。
そして15分くらいが中位者の境目となるあたりだろうと。
15分を過ぎたあたりから下位魔法を凌ぐような魔物が出始めてきた。
だからこそ、それまではたとえ魔物に見つかろうとも逃げながら戦えるだろうと考える。
試験で魔法を選択するということは最低でも中位魔法くらいは修めている者が多いはず。
それならばあの程度は簡単に倒せるだろうと。
だが、アーノルドはわかっていない。
まったくもってわかっていない。
アーノルドの魔力量、そしてその魔法の精度、練度、習熟度。
それらすべて皆が持つものではない。
アーノルドにとって魔法とは自由の翼だ。
調整ができ、操ることができ、どうとでも出来るある種万能なもの。
だが、一般人にとって魔法とは数多の鎖によって呪縛された不自由な翼だ。
ほとんどの者は魔法を撃った後に操作などできない。
魔法を自由自在に変化させることもできない。
魔法をそう何度も連続で撃つことさえできない。
その鎖を一つ一つ丁寧に解いていくことで徐々にできることが増えていく。
そして強くなっていけるのだ。
基本的に魔法師とは守られながら戦う者だ。
その威力、そして汎用性こそ戦場においては高いが、決して一人で戦うようなものではないのだ。
それを知る者と知らぬ者。
それこそが魔法師としての格を分けると言われているほどだ。
一人で戦おうとする魔法師は半人前だとさえ蔑まれる。
だが、アーノルドにとってそんな認識などない。
魔法師が一般的にそういうものだということを知ってはいる。
あの戦争でも魔法師は固まり、騎士達に護られていたのだから。
だが、まさしく知っているだけだ。
アーノルドという魔法師は一人で戦い、またアーノルドの周りにいる魔法師もまた一人で戦う。
それこそが当たり前であり、普通のことだ。
アーノルドに言わせれば、一人で戦えぬ魔法師など半人前なのだ。
そしてそれがアーノルドの中の常識だ。
魔法を学び始めた当初から今の今までアーノルドにとって魔法師とは一人で戦う者のこと。
それ以下でもそれ以上でもない。
だからこそ、それに当てはまらぬ半人前のことなどそもそも考慮に入れていない。
実際にはこの試験の合格者の平均生存時間は9分ほど。
まずこの試験、逃げることは可能であるが、完全に隠れるということは不可能である。
どういう理屈か魔物達にはこの世界にいる人間の居場所がわかるようになっている。
そのためどこに隠れようとも見つかるのは時間の問題だ。
受験生の選択としては戦いやすいところを選びながら逃げるというものになる。
そして逃げながら戦うのである。
その場に留まればただ囲まれて処されるだけだ。
またこの仮想世界にあるさまざまな地帯がもつ特性もそれぞれ異なるため、逃げる場所によっては自身に有利に働く状況も作り出すことはできる。
それゆえ、どこまで正確に状況判断できるかがこの試験の肝であると言える。
だがそもそもアーノルド達が暮らす現実世界は魔物がそこらかしこに蔓延る世界ではない。
限られた場所にしか生息しない魔物達と戦い慣れている者の方が圧倒的に少ないのである。
たとえ人と戦い慣れている者でも魔物と戦うというのはまた勝手が違う。
そのため自分自身が魔法に優れていると思っている受験生でも大抵は10分にさえ届かず死ぬ。
そういう者の方が慢心し、油断する。
仮にそこから生き残ったとしても15分を過ぎたあたりで中位の魔物が徒党を組んで襲いかかってくる。
20分に近づけば中位の魔物が群をなし、上位の魔物が出没し始める。
もちろん地帯による微細な違いはあるし、地帯によっては強力な魔物の出現によって逆に他の魔物も近寄らないこともある。
草原地帯はある種最も標準的な地帯であった。
だが、どの地帯であろうと上位の魔物ともなれば辺り一帯を消滅させるようなブレスを撃つものも出現するため、そこまでいくとまだ子供に過ぎない受験生が生き残れる領域ではとてもではないが現実的ではない。
そもそも中位の魔物でも対処できない者の方が多いだろう。
アーノルドは当たり前のようにやっているが、確実に急所となるような部位に当てなければ一撃で仕留めるというのは難しいのだ。
個体にもよるが普通は何度も魔法を当てながら徐々に削っていくのである。
だが、受験生達が死ぬ原因の多くは魔力量の管理ができていなくて、いわるゆガス欠となって死ぬことが大半だ。
魔物の大群が自身に襲いかかってくる構図。
恐怖するなというほうが酷であろう。
それもほとんどの者にとっては初めての経験なのだ。
だからこそ半錯乱状態となって、必要以上に魔力を使ってしまうのである。
如何に己を把握し、状況を把握し、賢く生き抜けるか。
それこそがこの試験で求められるもの、そして魔法師としての資質だ。
自身の魔力量の管理は魔法師としては至極当然の話であり、魔法師としての実力は如何に実戦で効率よく動くことができ、生き残れるかなのだから。
己の魔法の腕を見せる場と勘違いした者による、開幕からの派手な魔法の連発によって起こるガス欠など論外である。
派手な魔法など必要ない。
見栄などで、魔法を連発する者など評価されるわけがないのだ。
ここはトライデント魔導王国であり、実力こそが評価される国なのだから。
アーノルドは移動魔法という自らの魔法の実験も成功し、試験としてももう十分ではないかと思い始めていたが、ただ死ぬというのも面白くない。
せっかく自身が望むような実力相応の試験に近づき面白くなってきたのだから。
だが、極力己の力を晒したくないことには変わりない。
全力を出さずとも楽しめばいい。
そのときアーノルドの表情がピクリと動き、視線だけを左右に振る。
(囲まれているな。それもすぐに襲ってこないとなるとそこそこ上位の魔物か。上位の魔物クラス相手に中位魔法でいけるか?)
流石にこの場に留まり過ぎたようだった。
魔物がアーノルドを囲うように集まってきていた。
アーノルドにとって上位の魔物は集団で襲われようと負けることはない。
この4年間で何度もその程度の魔物は屠っている。
今更、その程度の魔物相手に緊張することはない。
ただし、それはあくまでアーノルドの持ちうる力がすべて使える場合だ。
剣術も使えず、身体強化も使えず、上位魔法以上も使わないとなるとアーノルドにもどうなるかわからない。
さらに言えばここには生息域などという概念がない。
どんな魔物がいるのかさえわからないのだ。
だが、それこそアーノルドにとっては愉悦に他ならない。
戦いというものは事前の情報がものを言う。
だからこそ魔物を知り、人を知り、それを倒すという訓練を繰り返す。
だが、本来戦いというものはいついかなる時に起こるとわからぬもの。
そんな折に悠長にも情報がどうこうなど言ってはいられない。
だからこそいまの状況は理想的な訓練に等しい。
自ら課した縛りに加え、物理的な縛り。
逃すには惜しい。
(来るッ!)
アーノルドは僅かに変わった魔物の気配を読み、その場で飛んで宙返りをしながらそのまま断崖絶壁から飛び降りていく。
その顔には薄らと笑みが張り付いていた。
アーノルドがいたところには一見何もいないように見えるがその地面に生えている草が踏まれているようにひしゃげている。
そして徐々にギョロッと飛び出たような目に爬虫類のような細長い舌を持った茶色い表皮の魔物がまるで空間に色が塗られていくかのようにその姿を現す。
(砂擬態蜥蜴か)
アーノルドも見るのは初めての魔物であるが、知識としては知っている魔物だ。
姿が見えない魔物というだけで気配を読める者にとってはそれほど厄介ではない。
だが、それはあくまでも広域魔法を使えれば、だ。
囲まれているあの場を脱したのはいい判断だった。
だが、かなりの高度から飛び降りたため、身体強化なしで着地するのはなかなか骨が折れそうだと心の中でぼやく。
そんなアーノルドの耳につんざくような鳴き声が聞こえてきた。
(ワイバーンか。丁度いい)
その声を発したのは体長5メートルほどの翼竜とも言えるようなワイバーンという一匹の空を飛ぶ魔物であった。
ドラゴンもどきとも言えるが、そう揶揄できる者など少ない上位の魔物に分類される強力な魔物である。
アーノルドは空中で体勢を整え、ワイバーンを迎え撃つ姿勢を取った。
再び威嚇するように咆哮をあげているワイバーンが大口を開けてミサイルのように突っ込んでくる。
アーノルドはワイバーンに向けて手を翳すが、少しばかり考えてからわざわざ詠唱を開始した。
『ケレス神の名に誓い、爆発せし土の弾丸を作らん』
——中位土魔法『岩弾丸』
アーノルドが前に翳した手の先に魔法紋が3つ浮かび上がり、同時に3個の岩弾丸がワイバーンに向けて発射された。
ワイバーンもそんなものに当たるかとばかりにその巨体に見合わぬ素早い動きで躱したが、アーノルドの放った岩弾丸がワイバーンの横を通り抜けるそのとき、小規模だが直撃すれば人を肉塊にできるくらいの威力で爆せた。
その爆発にワイバーンの片翼が巻き込まれる。
——グギャアァァァァァ
爆発に巻き込まれたワイバーンは悲鳴をあげ、翼がもげたために飛行を保てなくなりゆっくりと落ちていく。
「ッチ!」
アーノルドが思ったよりも手前で落下していったワイバーンに舌打ちをし、ワイバーンを追うように風魔法で自らの体を加速させワイバーンの首元にしがみついた。
ワイバーンも暴れ、なんとかアーノルドを引き剥がそうとするが、むしろアーノルドの締め付けによって悲鳴のような鳴き声をあげている。
重力に従い、そのままの勢いで墜落していく。
落下地点を見ると森かと思うくらい数多の木々が乱立しているが、それがクッションになりはしないだろう。
そのままワイバーンとアーノルドは共に生い茂る木々を薙ぎ倒し、凄まじい爆音を轟かせながら地面へと墜落していった。
その衝撃で地震かと思うほどその地が揺れる。
一体どれほどの高さからの落下であっただろうか。
身体強化も使えぬ常人ならば文句なしで物言わぬ肉塊に成り果てているだろう。
そうでない者でも鞭打ちになるか脳震盪を起こすことは間違いない。
だが、その中心部からムクリと立ち上がったのは無傷のアーノルドであった。
そしてその代わりに着地のクッションとして利用されたワイバーンは光の粒子となって消えた。
しかし、無傷といえどそれは外傷の話だ。
衝撃による内臓などへの多少の内傷は免れえなかった。
だが、それでも行動に支障をきたすほどではない。
アーノルドの今の体はクレマンとの訓練により金剛石のような頑丈さを手に入れている。
クレマンの師である『拳姫』エレナの流派である拳剛流の基礎となる体作り。
最初は岩のような硬さを目指し、そして金属とどんどん強度を高めていき、最終的には金剛石のような硬さを手に入れるという。
クレマンの体など、コルドーがオーラを纏った剣で斬りつけても傷一つ付かなかった時はアーノルドも本気で驚いた。
その場にいた誰もがその表情を引き攣らせていただろう。
もちろんアーノルドとて例外ではない。
コルドーはそこで改めてクレマンとの格の違いを認識し、より厳しく訓練に励んでいたのはいい副産物であったが、アーノルドも天の高さというものを改めて認識する出来事であった。
クレマンはもはや誰にもそれを継承するつもりはなかったようだが、アーノルドが体裁すら捨てて頼み込んだ。
と言っても、二つ返事であったが。
アーノルドからすれば喉から手が出るほど欲しいものだ。
そうした少数流派の技能は望んで手に入るものではない。
『拳姫』エレナもまた当時のダンケルノ公爵と同等の力を持つとまで言われていた傑物だ。
多くの技は失われクレマンによる複製らしいが、体づくりは拳剛流オリジナルのもの。
それら全てを修める機会があるのならば修めたいと思うのが道理である。
その末にアーノルドは身体強化など使わずとも、生身で身体強化を使った以上の体の頑丈さを手に入れた。
それに身体強化を使えば、もはや生半可な者ではアーノルドに傷一つすらつけられないだろうほどの体だ。
それがなければ先ほどの衝撃を生身で受けることはしなかっただろう。
ゲイツの一撃が彼の予想に反して通らなかったのもこれが理由である。
アーノルドは音を聞きつけ近づいてくるであろう魔物から離れるために即座にその場所を移動した。
今の場所は山の中腹より少し下。
しかしぬかるんでいて足場も悪ければ木のせいで見通しも悪い。
アーノルドが山から降りる方へと走っていると、木々の中に隠れるようにある岩の影、そこから突然ゴツゴツとした長い腕がアーノルドを横薙ぎにするように凄まじい勢いで飛び出してきた。
咄嗟にアーノルドは飛び上がり、その攻撃を避けながら宝石のような光沢を放つその腕がアーノルドの真下を通り抜けるのを驚きをもって見ていた。
(気配がなかっただと⁈)
だが、それで終わりではない。
振るわれた腕を避けたまでは良かったがその魔物、金剛魔人のもう一本の腕が飛んだままの状態のアーノルドへと間髪いれず襲いかかってきた。
(避けきれんッ!)
——下位無魔法『防御』
躱せないと判断したアーノルドは咄嗟に『防御』を張ったが金剛魔人の腕はまるでそんなものは存在しないかのごとくアーノルドが張った『防御』を貫いてくる。
その迫りくる巨腕の威容はまるで極大の隕石が突っ込んでくるかのような錯覚すら引き起こさせるほどだ。
直感的に自身の体の強度では防げないと認識できた。
そもそも『防御』は下位魔法といえど、魔力を込める量でその強度を高めることができ、そこそこの攻撃を防ぐことができる。
それこそいまの『防御』は瞬間的に上位魔法並みの魔力量を用いたのにまるで少しの衝撃で割れてしまう脆弱なガラスであるかのように破壊されてしまったのだ。
この魔物の強さというものがそれで測れるというもの。
少なくとも上位の魔物の中でも物理的な攻撃力は群を抜いているだろう。
だがその『防御』もまったくの無駄というわけではなかった。
そのあるかないかのタイムラグのおかげでアーノルドは咄嗟にその攻撃の隙間に腕を挟み込みガードが間に合った。
だがそれでも、金剛魔人の一撃はまるで爆弾が爆発したかのような衝撃を生じさせ、アーノルドを周辺の木々をへし折らせながらまるで弾丸のような速度で吹き飛ばす。
アーノルドは凄まじい勢いで先ほど飛び降りた断崖まで吹き飛ばされ、そこに叩きつけられることでやっと止まることができた。
吹き飛ばされた距離は実に数百メートルを超えるだろう。
身体強化も使えない今のアーノルドでは相応のダメージを受ける一撃だ。
だが、それでも相応なのだ。
魔法にも身体能力を向上させるものはあるにはあるが、それ一つでは身体強化には及ばない。
体の強さ、それこそが騎士と魔法師との違いとも言える。
だが、クレマンによる体作りはその身体強化すら凌駕している。
「……っぺ」
アーノルドは口の中に溜まっていた血を吐き捨てムクリと立ち上がった。
そしてその黄金色に輝く双眸が遠く離れた金剛魔人を鋭い目つきで睨みつけると、まるでその視線だけで殺したのだと言わんばかりに金剛魔人が胴体から爆散したかのように吹き飛んだ。
「……瓦礫風情が調子に乗りやがって」
アーノルドは悪態を吐くようにそう吐き捨てたが、その態度に反し、歩こうとしただけでよろめいてしまう。
アーノルドのダメージもそれほど軽くはない。
まるで腕が爆せたかと思うほどの衝撃。
その衝撃のままに崖に叩きつけられたのだ。
凡人ならば今頃挽肉にその姿を変えていただろう。
だが、アーノルドはその痛みではなく、金剛魔人という魔物の気配を探れなかったことでその表情を歪める。
アーノルドはずっと探知魔法を拡げていた。
自分から数メートル以内にいる生物を感知する魔法だ。
それなのにあの金剛魔人の気配は感知できなかったのである。
(自然系の魔物には効かないってことか? マードリーのやつ、そんなこと言ってなかったぞ?)
アーノルドは先ほどの金剛魔人に殴られた右腕を押さえながら後ろの断崖へともたれかかった。
内出血かそれとも骨が折れているのか、殴られた腕は未成熟なりんごのように青くパンパンに腫れ上がっていた。
見るのも痛々しい有り様である。
(現実ではないと言っていたが、痛みは本物だな)
如何にアーノルドが金剛に迫る体を手に入れたとはいえ、それでもその熟練度はクレマンにはまだ遥かに及ばない。
クレマン曰くまだ十パーセントにも満たぬという。
ただの魔物の攻撃ならば、これほどのダメージを負いはしなかっただろうが、相手もまた金剛と名のついた体を持つ魔物であり、上位に分類される魔物の攻撃だ。
それに加え身体強化も使えぬ状況である。
流石に身体強化なしに無傷とはいかなかった。
アーノルドはあの黒い力に頼らなければ治癒魔法を使えない。
魔法とはたしかにマードリーの言うように想像によって大抵のことは再現できると言える。
だが逆に言えば、想像できなければ魔法が発動しないということだ。
アーノルドには正確な医学の知識はない。
それゆえ想像できぬため治癒魔法は使えないのだろうとアーノルドは結論付けている。
それ以外で発動しようと思えば、詠唱する通常の魔法を使うしかない。
だが、それで行使する治癒魔法はそれこそ資質によると言っていい。
要はそっちの方法でもアーノルドは治癒魔法は使えないのだ。
戦いの中で回復できるかどうかというのはかなり重要な要素であるが現状はどうしようもない。
数年前は全く自らの意志で使えなかった黒いオーラによる力も、この数年間で多少は扱えるようになっていた。
だがまだ扱うのは難しく、あれをここで見せるつもりもない。
黒いオーラと金色のオーラ。
本来人間が持つオーラの色は1種類と言われている。
なぜアーノルドは2種類あるのか、そして未だにその力が何なのかアーノルド自身にも分かってはいない。
クレマンはオーラとはその人の性質を表すものだと言う。
己を知れば、その本質もわかるのだと。
だが、マードリーはオーラとは根源だという。
この世の真理に繋がる根源であると。
だが、どちらにせよいまのアーノルドに理解できないことには変わりない。
アーノルドは着ている服を破り、アーノルドが吹き飛ばされている最中にその身で粉砕したことによってできた木の破片を添え木として使った。
ないよりはマシだろうと。
すぐに動かなければまた次の魔物が来る。
——21分
アーノルドは駆けていた。
しかし地を進んではいない。
先ほどと同じ魔物がいればまたしても不意打ちを受けることになるかもしれないからだ。
足場はぬかるんでおり、どうしても初動が一歩遅れてしまう。
それゆえ木の上を身軽に駆けていた。
だが、当然その程度で魔物共は許しはしない。
アーノルドも探知魔法を使うまでもなく魔物の気配を感じ取っている。
だが、おそらく正確にアーノルドの位置がわかっているというわけではなさそうである。
見通しが悪いこの場では、アーノルドの方が先にそっぽを向いている魔物を見つけることもある。
アーノルドは木々の上を疾風のごとく駆けながら、その魔物達を屠れるだけの威力をもった攻撃を正確に叩き込みながら進む。
後ろから追ってくるのは放置だ。
どうせ追いつけやしない。
だが、アーノルドが次に足場として使おうとしていた木が何かからの攻撃によって突然爆せた。
それによって瞬間アーノルドの足が一本の木で止まる。
だが、そうは言っても1秒にも満たぬ間だ。
だが、その刹那まるで地雷でも爆発したのかのようにその木の下の地面が爆せ、爆音を轟かせながら土の中に隠れていた巨大ワームが大口を開けて足場としている木ごとアーノルドを飲み込もうとしてくる。
休む暇すらない魔物の謝肉祭である。
(ワームだと⁈ 生息域が明らかに違うだろうが! 無茶苦茶しやがる)
アーノルドは言葉とは裏腹に、その顔には笑みが覗いていた。
その巨大なワームの口は直径5メートルはありそうなほどである。
既にアーノルドは先ほどまで乗っていた木から足が離れ、その身が宙に浮いている。
もし地面を駆けていたならば今頃はもう、あのうねうねとした触手のようなものが数多くある口の中であっただろう。
本来ならば宙に浮こうがアーノルドは魔法によって動くことはできるが、ワームとは思えぬ俊敏さによって捕らえられ、その全てを飲み込まんとする悪食の口腔から逃れられそうにはなかった。
「くっ」
その口から漂ってくる凄まじい悪臭にアーノルドが思わず涙目になっている間に、そのままバクリとワームの口腔に飲み込まれる。
木々の間にまるで一本の巨大な柱とでも言うかのようにそびえ立つ巨大なワーム。
獲物を飲み込まんとするためか、再び地中に潜ろうというのか、ワームはその身を蠕動させる。
だが、そのワームの動きが突然ピタリと止まり、ワームの内部から弾けんばかりの力の奔流が巻き起こる。
——風魔法『風魔の断罪』
上位魔法に相当するアーノルドのオリジナル魔法とも言えるもの。
アーノルドを中心に竜巻のように風の刃が広がっていく。
その風はワームをまるでみじん切りに刻まれた肉塊のようにその姿を変え、その周囲にある木々や隠れていた魔物までも細切れにしていった。
そしてアーノルドはそのままワームの体液が撒き散らされた地面へとぺちゃっと降り立つ。
履いている靴が汚れてしまったが、アーノルドはこの程度の汚れなど気にもならない。
その程度は日常茶飯事だ。
汚れなど気にしていて戦いなど到底できはしない。
だが、気にもならないからとずっと居たいわけでもない。
しかし動けなかった。
(囲まれている。それも相当数に)
たった数秒その場に釘付けにされただけでこれだ。
もはや生き残らせる気などないな、と嘲るような笑みを浮かべた。
少なくとも、いまアーノルドを囲んでいる魔物達はその気配からして並大抵の魔物ではないことがわかる。
それに先ほどのアーノルドの攻撃を往なし生き残っている者達だ。
死力を尽くさなければならないほどではないが、中位魔法という縛りを設けて舐めて勝てるほどの相手ではない。
上位魔法相当の魔法が使えることは見せてしまった。
まぁそれはいいのだが、これ以上を見せるかどうか。
——否。
(ここまでだな。流石にこれを生き残れなくとも合格点には届くだろう)
アーノルドの目的は試験に受かることであり、実力をひけらかすことではない。
先ほどまでとは明らかに試験の難易度が異なり、上がっている。
普通の受験生のレベルを既に超過したと判断したアーノルドはもう生き残ることをやめた。
(もう少し児戯に興じたかったが仕方ない。これも受かればまた興じることもできよう)
木の影から凄まじい速さで投げられた石の礫。
おそらくは隠れ警戒している魔物による牽制攻撃のようなもの。
アーノルドはその攻撃を感じ取っていたが、それを見ることも避けることなく直撃させ、頭が弾け飛ぶことで簡単に死んだ。
後に残されたのは光の粒子となっていくアーノルドの体だけであった。




