73話 幕間2
とある執務室。
「う〜ん、さてどうしたものか」
デスクに突っ伏し、難しい顔をした男が唸りながら何やら思案していた。
「どうかなさいましたか?」
側に控えていた男がそう聞くと、突っ伏した状態からチラッと顔を上げた。
「優秀な人材が2人も死んでしまったんだよ」
そう口にした男の顔は本当に泣きそうなほど沈痛な面持ちであった。
そう言われたもう1人の男は少し驚いたように目を見張った。
「……珍しいですね。読み違えたのですか?」
「分からない。でも、やっと闇が見えたんだ」
そう言う男の口角は先ほどの沈痛な面持ちが嘘かのように嬉しげに上がっている。
「闇……ですか」
男は困惑気な表情を浮かべた。
突然闇などと言われても、闇とは何なのかすら分からない。
だが、この男は時折こういう意味のわからないことを言うためそれを追求していてはキリがない。
それに自身はただ忠誠を誓った目の前の男の剣であればよい。
ただの道具たる自分が考えを張り巡らすことはない。
「ああ、全てを呑み込む漆黒の闇さ。これから異質な者達が動き出す。そして世界もまたそれに伴い蠢動するだろう。彼が台風の目となるか、それとも別の者か。だが、どちらにしても今後この国にとって重要な人物になるに違いない。彼の者こそがこの国に変革を齎すのだと」
――∇∇――
「案の定、ダンケルノ公爵家が勝ったか。考えるまでもないことであったがな」
「はっ、そのようでございます」
エールリヒの父親であるハルメニア王とアーノルドのところに使者として出向いていたラントン・ドラゴノート公爵が王城のとある一室にて対談していた。
その空気は予想していた以上に重苦しい。
何せ問題が山積みなのである。
教会との鉱山の件、アーノルドの件、エールリヒの件、王妃の件、そして行き過ぎた発言をした貴族の件。
挙げればキリがない。
此度の戦争の件では王が放った諜報員も死んでいるため、どのような戦いが繰り広げられたのかは一切分からない。
だが、死神の顔は遠く離れた王城ですら見えるくらい巨大であった。
故にそれは分かっている。
だが、アーノルドの創り出した黒いドーム、あれは王城からは見えていない。
分かっているのはただ辺り一体が綺麗さっぱり更地になったという結果だけ。
そしてそれを為したのがダンケルノ公爵家の三男であるアーノルドである可能性があるというだけ。
王としてもまさかという思いである。
此度の戦いは事実上ダンケルノ公爵家の示威行為にしかならないだろうと思っていたのだ。
たかが五歳のアーノルドが何か出来ようはずもないと高を括っていた。
舐めていたわけではない。
ただ常識人であっただけなのだ。
それにいまはあの死神のせいで民達も慌てふためいている。
遠く離れた王城ですら見えたということは当然そこまでに住まう民達も目視している。
その後始末もしなければならない。
幸いにもその尻拭いはダンケルノ公爵が買って出てくれたために王がするべきことはそれほどないのだが。
そんな王の今の心配事は、王としてではなく一人の親としてエールリヒはあの惨劇に巻き込まれずしっかりと逃げれているのかというものだった。
実際誰が本当に死んだかすら分からない。
エールリヒの生死を確かめる方法は今のところないのだ。
エールリヒは王がエルフの存在に気づいておらず、更には自分の力でエルフを逃げ出させたと思っているようだがそんな上手いこといくはずなどないのである。
この国も一枚岩では当然ない。
そして王も無条件に誰も彼もと従えれるわけではない。
政敵となる派閥が当然ながら存在している。
その内の1人が、というよりも筆頭が王妃である。
王妃は建国当初から存在する公爵家の一つであるマルキュール公爵家の令嬢であった。
無視できるほど小さい家門ではないのだ。
だからこそ政略結婚することになった。
王もエルフの存在は把握していた。
だが、今それを元に王妃と揉め事を起こすのは愚策であった。
それゆえに放置していたのだ。
どの道、既にエルフを捕らえているのだ。
いま逃そうが後で逃そうが大した違いなどない。
楽観的なわけではなく王の中にある損益に基づく計算によって放置することを決めたのだ。
それにあのエルフを手に入れてから王妃は大人しくなった。
その間にできるだけやれることを済ませておきたかった。
その選択の結果、民が害される場合もあるだろう。
だが、エールリヒが思っているほど王は民を第一には考えてなどいない。
民あってこその国であるので当然民のことをそれなりには考える。
だが、民のために全てを犠牲にするつもりなど毛頭ない。
民がいるからこそ国があるように、王がいるからこそ民に安寧を授けることができる。
その一線は当然存在する。
王がエールリヒに対して民を大事にしろと口酸っぱく言っていたのは、王妃による洗脳教育に抗うためであった。
だが、エールリヒは王妃による貴族という存在の偉大さを教育されても尚、下々の者に対する慈愛の感情を失ってなどいなかった。
だが、それを悟られぬように王妃の目があるところでは尊大に振る舞い、慈愛の感情を他者に見せることはなかった。
それが故に、王もまた勘違いしていた。
だが、エールリヒもまたそう考える王の思考を理解出来ていなかった。
王は民のことを考えぬ嘗ての王達の末路をよく知っている。
それゆえに、エールリヒにそのような結末を辿ってほしくはなかった。
しかし、王も王たる者の在り方など強制するつもりはなかった。
それは徐々に学び、自ら形作るもの。
王や教育者がとやかく言うことではない。
王になる者ならば他者ではなく自ら切り拓かなくてはならない。
だからこそ王は色々と口うるさくは言わず、民のことを考えろ、としか言わなかった。
民を虐げる暴虐の王にだけはなって欲しくないと願っていたが故に。
そんな折、エールリヒが何やら画策しているというのが王に伝わってきた。
それゆえ、王は王妃を地方にやり、更には王の密偵であるエルフを守る護衛を務めている者にも話を通しておいた。
それにエールリヒがアーノルドに何かしらちょっかいをかけようとしていることはダンケルノ公爵にも話は通してある。
皆は王がダンケルノ公爵家を疎ましく思っているようだが、王にとってはどうでも良い。
この国に属する貴族ならば王家を尊重しろなどというのが、ダンケルノ公爵家に対してはそんな主張が自分達の勝手なものでしかないことが分かっているからだ。
それを分からぬ嘗ての王家の者、もしくはわかった上で従えてやろうと暴走した者が過去にいただけのこと。
今代の王はダンケルノ公爵家と王家の関係をしっかりと弁えている。
だからこそ筋を通したし、その程度で何かしてくるほどダンケルノ公爵は狭量でも暇でもない。
ならば後はエールリヒがどこまでやれるかだ。
エルフがどう応じるかはエールリヒ次第であったが、どちらにせよエールリヒにはいい経験になるだろうと思っていた。
その末にエルフの奴隷紋が消せたというのは僥倖であったのだが、まさかエールリヒがそのまま帰って来ぬというのは予想外であった。
だが、王にエールリヒを連れ戻す気はない。
それはエールリヒが残した一通の手紙を読んだからだ。
王族としての責務を放棄するというのなら連れ戻すが、その責務を果たしにいくというのならば好きにすればいい。
それに最後の別れにするつもりもないと書かれていた。
今後どうなるかは分からないが、ただ温室でぬくぬくと育つことだけが良いことであるとは王も考えていない。
普通であれば、王族たるもの危険を極力排除すべきであると考えるがそれだけで生きていけるほどいまのこの世は甘くない。
それに王位継承権を持つのはなにも1人ではない。
少しばかり政界が荒れるであろうが、どの道荒れることには変わりない。
これを機に膿を出すのも悪くはないのである。
「エールリヒの件はまぁいい。あやつが決めたことだ。まだ子供ではあるが……、奴も王家の血を引く者だ。最低限の責務は弁えている。鉱山の件もダンケルノ公爵が動くそうだ。そちらも心配はいらんだろう。ブーティカ聖国とてこちらとの軋轢は望むまいて。問題は王妃の件だ。エルフを捕らえていたなどという醜聞が広まれば多少のダメージを与えられるだろうが、それでも降ろすには弱い。エルフを捕らえるな、という法があるわけでもないしな。まぁ奴隷はこの国では違法行為であるが、もはや証拠がない。まったく、頭の痛くなる問題だ。貴族共は誰もが逆らえぬ権威を持つダンケルノ公爵家に大層敵愾心を向けているようだが、私からすれば貴様らの方がよっぽど敵に見えるというのに。権力に群がる害虫共が。ダンケルノ公爵は権力など目も暮れぬというのにな」
王は心底めんどくさそうにため息を吐いて、テーブルの上のティーカップを手に取った。
王がそのようなことを口から溢すのはそれだけラントン公を信頼しているのだろう。
王に敬意を払わぬだけで敵になると言うのならば貴族全員が敵と言っていいではないかと王は鼻で笑った。
所詮ほとんどの貴族が王に払う敬意は形だけだ。
虎視眈々と自身の権力を上げることにしか興味がない亡者ども。
王などその権力を授ける審判員程度にしか思っていないのだと王には見えていた。
本当の意味で敬意を持つ者など目の前にいるラントンくらいのものだと。
王の派閥に属する貴族ですら無条件では信用できぬ。
「無知蒙昧な貴族は炙り出され篩に掛けられるのです。そういう意味では今回のことも悪くなかったように思われます。そしてそのほとんどが王妃の派閥に属する貴族です。それだけでもダメージを与えることにはなるでしょう」
「だが、所詮は末端よ。主要な重鎮共はただ座視していただけ。まったく、ままならんものよのう」
嘆くようにしみじみと言葉を発する王に対し、ラントンは口を紡んだ。
「まったく、馬鹿どもにも困ったものだ。自身の欲のみを叶える者共を一掃出来ればどれほど爽快か」
鼻を鳴らした王に対して、ラントンは苦笑した。
そうできればどれほど爽快かは言うまでもない。
ラントンとて自身の立場を捨てて、ただ殺してやりたいと思った者も大勢いる。
「しかし、ラフリート卿を王妃の護衛に付けたのはやり過ぎなのではないでしょうか?」
ラフリート卿とはこの国所属の最強の騎士。
この国の騎士で唯一超越騎士に至った者だ。
王を守る最強の近衛騎士を如何に王妃も王族とはいえ、護衛に付けて城から離すのはやり過ぎなのではと思っていた。
「——奴は王妃の手の者だ。いや、正確には我が弟のか」
王は目つきを険しくし巌のような声でそう言った。
「なっ⁈ 馬鹿なっ⁉︎ あ、いえ、失礼致しました」
ラントンは自分の耳を疑うような発言に思わず素を出してしまった。
それほどまでに驚きは大きい。
王弟が王妃に与しているなど寝耳に水であった。
ラントンから見た王弟はそこまで権力に固執しているようには見えなかった。
権力を求める王妃と手を組む理由が分からない。
「かまわん」
王はそう言うがラントンの顔はより険しいものとなっていった。
それは困惑と怒りによるものだ。
王族である王弟に対してラントンがどうこう言うことは出来ぬが、近衛騎士でありながら二心を持つなど言語道断。
その様な騎士、今すぐにでも首を刎ねてもおかしくない蛮行である。
「奴を殺せる者も、奴を罷免させる名分も今のところない」
ラフリート卿はいまや近衛騎士団の副団長であり、騎士団の顔だ。
敵であると分かっていても何もしていない者を権力で追い出すのは愚策であると王はため息を吐いた。
ラントンはダンケルノ公爵ならばと思ったが、それを察したように王が先に口に出す。
「ダンケルノは国内の権力争いには関与せぬ」
ラントンも王家とダンケルノ公爵家がどのような約定を結んでいるのか知らない。
それを知るのは王とダンケルノ公爵家歴代当主のみ。
「あのエルフを捕らえてきたのはラフリート卿だ。だからこそ、この城から出しておかねばならんかった。まったく、我が父上に比べてなんたる様よ」
王はソファーに深くもたれかかった。
ラントンは前王陛下の時から王家に忠義を誓っている忠臣だ。
確かに前王陛下は凄まじいお方であった。
だが、何か功績を残すことだけが王の為すべきことではない。
何もない泰平の世であっても十分なのだ。
だが、それを考えるのは王の領分。
臣たるラントンが口出しするようなことではない。
飲んでいたティーカップを静かにテーブルに置いた王が足を組み、その表情を引き締めた。
「それでは本題に入ろうか」
ラントンと2人で対談することにしたのは邪魔する者を減らすため。
今からする話題は他の者達が居ては話が進まない可能性がかなり高い。
そんな無駄な時間を過ごす余裕などいまの王にはない。
ラントンも閑談が終わったと真面目な顔で姿勢を正した。
「此度の戦いは謎が多い。まずはあの巨大な怪物。あれが一介の使用人によって為された。その意味は計り知れん」
「その通りで御座います。そして、全てを消し去ったという謎の黒い球体。それを為したのが——」
ラントンは一度アーノルドと直接顔を合わせている。
その時にアーノルドの実力をラントンの能力をもって測ろうとした。
だが、測ることが出来なかった。
それがなぜか。
最初はダンケルノ公爵家内において為されたために、ダンケルノ公爵家の使用人達の誰かがそれを阻害したのではないかとも思っていた。
ただの給仕をするような使用人ですら計り知れないほどの力を持つ魔窟だ。
十二分に可能であろう。
だが今となっては、アーノルド本人の力がラントンに測れるほど弱い力ではなかったからではないかと頭を過ぎる。
それは本来ならば考えるまでもない絵空事だ。
たった五歳の子供と十倍ほども歳を重ねた大人。
その力など比べるまでもない。
だが、いくら否定しようともその考えが頭から離れない。
王もラントンもあの結末をダンケルノ公爵家以外が招いたのだと言われれば、鼻で笑っただろう。
だが、ダンケルノ公爵家の歴史を深く知っているだけにアーノルド本人があの惨劇を招いたということを否定しきれないでいた。
貴族共は卑しい下賤な血が入った紛い物の貴族にそれほどの実力などあるはずがないと決めつけ、無様を晒すかどうかで賭け事をしている者達までいた。
ラントンは娼婦の血が入っているからという理由でどうこう言うつもりなどないが、そもそもどのような者でもあの年齢で何かを為すなどということが常識的にありえないと思っていた。
使用人を殺したというのも子供特有の癇癪だろうと思っていたが、実際に接してみて思っていたよりは遥かに理知的であったためラントンは考えを改めた。
凡夫にはとても見えなかったが、それでもまだ孵化する前の卵のようなものだと思っていた。
相手を侮辱するために賭けをするようなダンケルノを嫌う貴族にとっては、アーノルドがどのような結果を晒そうが如何なる手段を以てしても嘲笑しただろう。
要は、貴族共にとっては騎士達に全てを任せ、アーノルド本人が何も為し得ないことが無様に相当するため、戦の場で何もできず騎士達を見守るしかないアーノルドはどう足掻こうが嘲笑の的になると予想していた。
アーノルドにとってはたとえ戦自体に勝とうが、貴族としては負け戦になるだろうと。
現にあれほどの結果を叩き出そうとも戦いが終わった後にダンケルノ公爵家を口撃した貴族達もいた。
が、結局は返り討ちに合い、王の仕事が増えただけであったが。
王もラントンもこの国の貴族達もダンケルノ公爵家の力など本当の意味では知らないのだ。
同じ貴族であろうと、ダンケルノ公爵家と協力するようなことなどないのだから。
ダンケルノ公爵家が動くのならば、それはもう他の貴族の助力など無意味に等しい。
如何に報告があれど、知るのは結果のみ。
どうやってそれらを為したのかまでは分からないし、全力に近い力を出す必要もないため力の底など到底見ることなど叶わぬのだ。
だからこそ見誤っていた。
推し量れていなかった。
ダンケルノ公爵家の真の力を。
年若きダンケルノが動くということがどういう結果を齎すのかを。
「……魔力暴走ということも考えられます」
いまアーノルドがどうなっているのか、ダンケルノ公爵領は厳重に封鎖されておりその様子は分からない。
だが、もしなんとも無いならばアーノルドの姿が一切見えないのは明らかに不自然だ。
ならば、何らかの原因で表に出て来れなくなっていると推測出来る。
その中でも可能性が高いのが、魔力暴走だ。
子供の頃に力の制御を誤り、周囲を巻き込み魔力が尽きるまで破壊の限りを尽くす。
それはしばしば起こる。
だが、規模が違いすぎる。
現実的では到底ない。
こんなこと他の貴族に言おうものならば嘲笑の的になるだろう。
だが、そんなことを口にしたラントンに対して王は笑み一つ溢さなかった。
神妙な顔で何やら考えるだけだ。
「この際、ただの暴走なのか力の発露なのかはどうでもよい」
暴走した結果寝込んでいようが、自らの力を使いすぎて寝込んでいようがその圧倒的な破壊がアーノルドによって為されたという限りそんなことは些事だ。
「ラントンよ、お前の能力が彼奴に効かなかった時点で考慮しておくべきだったのやもしれんな」
王にとって大事なことは貴族を守ることではない、国を、そしてその基盤となる民を守ること。
今回の戦争では侯爵の蛮行により、かなり無駄な死が横行した。
それに加え、まさか鏖殺されるなど考えてもなかった。
王の中でダンケルノ公爵家の三男の名が鮮明に頭に刻まれた。
――∇∇――
ブーティカ聖国。
ブーティカ教の総本山であるこの国の更に中枢。
限られた一部の者しか入ることを許されていない聖域。
水晶宮かと見間違えるほど透明度が高い石に囲まれた厳かな場所。
そこに青白い衣服を身に纏い、神聖なる雰囲気を身に纏った女性が1人ポツンと円卓の一席に座っていた。
その後ろには白いローブを身に纏い、フードで顔を覆っている者が2人ほど立っている。
「定刻になりました。定例議会を開始いたします」
後ろに控える者がそう告げると、空白の席の上に人のような像が照射された。
『『『我ら主のために全てを捧げ、主のために尽くす者なり』』』
それらの像から声が発せられた。
その決まりきった文言をその女性は冷めた感情のない瞳でただ聞いているだけであった。
『此度は些かばかり荒れそうな議題が多いですな』
映し出されている者の1人が薄らと笑みを浮かべながらそう声に出した。
ここに集まるはブーディカ教の大司祭、そして教皇。
年に数度ある定例報告会である。
この通信機となっている神具によって遠く離れた場所にいようと、こうして情報を共有できる。
これによって教会はこの世全ての情報を瞬時に把握している。
だからこそどこで何が起ころうとも時間のラグ無しに行動に移すことができるのだ。
いくつかの些細な議題が終わり話も佳境に入ってきた。
『カーボ大司祭殿、此度の件、一体如何様な事で御座いましょうか?』
同じく大司祭の1人、カーボ大司祭とは派閥が異なる政敵とも呼べる者がカーボ大司祭に厳しい声色で問いつめた。
何せ教会所有のエルフの武具を勝手に貸し出し、その末に手に入れたのが厄介事となるだけの鉱山の権利などありえぬことだ。
ダンケルノ公爵家を抱える国に対して真っ向から喧嘩を売ったのだ。
それも独断で。
その行動を責めて権威を失墜させるには十分な出来事である。
今回の最も重要な案件のうちの一つと言ってもいいだろう。
皆がカーボ大司祭に険しい視線を送る。
それはカーボ大司祭の派閥の者も同様だ。
同じ派閥の者がやらかせば、その皺寄せが自分にも来るではないかと内心怒り猛っている。
だが、誰が見ても馬鹿な真似であるのは当然のことである。
だからこそ、その余裕の裏には何か秘策があるのかとまだ声は出さない。
それに、当の本人は涼しい顔をして微笑んでいる。
その顔は今から責められるような者には到底見えない。
それには、糾弾しようと声をあげた者も眉を顰めざるを得ない。
どう考えてもダンケルノ公爵家と事を構えることに勝るような功績があるとは思えないからだ。
ダンケルノ公爵家相手に水面下で出し抜こうとすることは良くある。
一線を越えなければ、簡単に全面戦争になることはない。
それすら探れぬ者が大司祭になるなど到底不可能だからだ。
だが、今回のことは考えるまでもなくその一線を超過している。
ただの大司祭が国相手にそれもダンケルノ公爵家相手に喧嘩を売るなど蛮行も良いところだ。
カーボ大司祭は満を持したかのようにその口角を上げ、これから自身が受けるであろう賛辞によって満たされる未来への期待を隠しれていない。
そして悦びに満ちたその口をゆっくりと開き、語り出した。
『——以上が今回の件に対する報告となります』
普段ならばすることもない恭しい一礼、執事の真似事のようなその振る舞いは他の者を揶揄しているようでもあるがその真似事だけはなかなか様になっている。
ただし、その体型をどうにかすればであるが。
教皇の顔色は話を聞き終えても終始一切変わらないが、大司祭達の表情は驚愕に見舞われている者、苦々しそうに顔を顰める者、反応は様々であるが、カーボ大司教の話を聞いた者の中に責める声をあげる者は皆無であった。
いま聞いたことが事実であるならば、責めるどころかそれこそ称賛されるべき大功績である。
本当に一国を敵に回してもお釣りが来るかもしれないほどに。
それに、実際に彼の国が敵に回ることはないだろう。
相手が望むのであれば言い値の賠償を払ってさえいい心境である。
というよりも恐らくカーボ大司教はそれをすることによって、真なる目的から他国の目を逸らそうとしているのだろう。
権威を求めた大司教の暴走。
そういう筋書きなのだろう。
裏に何かあると分かってもそれが何かなど教会関係者でないと、それも大司祭クラスでないと分からない。
『だが、あの戦場に諜者を送り込んだ件はどう説明するつもりだ?』
先ほどとは別の者がカーボ大司教に詰問した。
ダンケルノ公爵家の戦場に敵として教会の人員を潜り込ませることはあってはならないことだ。
ダンケルノ公爵家には真っ向から挑んではいけないのである。
遠くから監視者を残すだけならばともかく、明確に敵となり相対したならば、それは相手への口実を与えてしまう。
だが、功績に対して責めるには弱い。
それでも、何かしら責めておかなければこのままカーボ大司教の権威は他の追随を許さなくなってしまうほどだ。
同じ派閥の者ですら手放しで喜ぶことは出来ないほどに。
『私の与り知らぬことですな。ですが、彼女も私の部下の1人。監督責任を果たせなかった私にも責任はありましょう』
そう口にするカーボ大司教の感情に陰りなど見えない。
むしろ嬉しげにも見える。
実際にはカーボ大司祭は彼女が残ったことを当然知っている。
知っているも何も、彼女が昇進したいという気持ちを持っていたことを利用し、わざとあの場に置いてきたのである。
彼女が自分《カーボ大司教》を責める材料にでもなればいいと。
だが、死ぬための生贄にでもするつもりであったにもかかわらず、しぶとくも生きて帰って来たのは予想外であった。
しかし、首を切ることなどいつでも出来る。
今も逃げぬように牢へと繋いでいる。
表向きは勝手はことをした罪人として、内実はいつでも始末できるように。
表情には微塵も出さずに、いけしゃあしゃあと自分は悪くないが責任を取ると口にする。
部下を切り捨てる気満々である。
だが、ここにいる大司教ともなればそうやって他者を蹴落として上り詰めた者達だ。
今更その程度のことで眉を顰めるような者はいない。
汚点になったのか、自ら敢えて汚点を作ったのか、それを知るのはカーボ大司教のみであるが他の大司教にとってはどうでもいい。
責め入る隙が用意されているならばそれを利用するだけ。
その上で更に追い詰めれば問題がない。
確かに此度の件は余りあるほどの功績だ。
だが、それ一つでどうにかなるほど甘くはない。
むしろ誰も味方が居なくなればそれこそすぐに失墜することもある。
だからこそ、自身の汚点となる行動を多く用意したのであろうが、ここに集う者達は貪欲なる聖者だ。
その程度では満足しない。
そしてカーボ大司祭とてそれは分かっている。
その時、いままで沈黙を貫いていた教皇が口を開いた。
「その子、私のいる聖都まで送りなさい」
『……えっ、あ、はっ!かしこまりました』
カーボ大司教はまさか教皇が口を挟んでくるなどとは思っていなかったのか焦ったようにそう口にした。
教皇は基本的に大司教達のいざこざに興味を示さない。
神に直接仕え、神の代弁者たる者。
それが教皇。
見上げるは神の座す上のみ。
下の者達が何をしようと、神の邪魔さえしなければ基本的には不干渉。
だが、それゆえに組織は腐敗していく。
もっとも、どこにも必要悪は存在する。
それによって上手くいっているならば構わないのかもしれない。
少なくともそうやってこの世は廻っている。
『……しかし、この情報は事実なのでしょうか?』
カーボ大司教の話が一段落した後に、最後の話として上がったのは今回のアーノルドの件。
この世の調停者の役割も自負している教会としては世を乱す可能性のある者に誅伐を下さなければならない。
いくらダンケルノ公爵家といえどそれは同様だ。
無闇に手を出すのは憚られる相手であるが、それでも世を乱す者ならば放置は出来ない。
少なくとも大司祭達はそう認識している。
如何に派閥争いをしようが神に仕える気持ちには偽りはない。
神がしろと言うなればどんなことでもするだろう。
そしてそこに記されている情報はカルガリード王国が売った情報よりも更に詳細だ。
どこから手に入れたのかはそれを持ってきた教皇以外に知る由もない。
「事実です。神《ラーマー様》を疑うことはおよしなさい」
教皇は凍てつくような声色でそう口にした。
『っ⁉︎し、失礼致しました。主よ、我が失言をどうかお赦しください』
先ほど疑問を声に出した大司祭はロザリオを口につけ懺悔するように祝詞を唱えた。
『……では、この者を神の元に還しますか?』
皆が言葉を発するのに慎重になる中、アーノルド達の国にいる大司祭の1人が発言した。
アーノルドを誅伐の対象にするのかどうかと。
もし対象となれば、動くのは発言した大司祭となる。
だが、教皇はそれに対して泰然と首を横に振る。
「まだそのときではありません。いまはまだ見守るだけです。彼の者がこの世に害為す者か、それとも世を護るものか。その判決は未だ出ておりません」
1章完




