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66話

 ロキの術が解けたことによって、まだ幻の世界を彷徨っていた者達も強制的に現実世界へと帰ってきていた。


 アーノルドもそうやって現実世界へと返された者の1人であった。


 自らが王となり、この世を統べるという快楽に酔いしれていた者。


 最強の騎士となり誰からも敬われ、どんな者でもその者の前ではひれ伏すという夢に浸っていた者。


 叶わないはずの者との恋を楽しみ新婚生活を満喫していた者。


 トラウマを刺激され震え縮こまっていた者。


 そうした夢を見て、ロキの術中に完全にハマっていた者達は幻の世界が終わった後も現実世界と精神世界の境が曖昧になり混乱している者が多かった。


 アーノルドもまたそのうちの1人であった。


 だが、他の者と違うのはアーノルドには精神世界で何があったのかの記憶が一切なかった。


 ただ激しく身を焦すほどの憎悪が際限なく心のうちから溢れ出てきており、押し留めることすら出来ずに呻き声をあげていた。


 ——『殺せ』


 ——『壊せ』


 絶え間なく心の底から湧き起こる破壊への衝動。


 まるで自身の体ではないかのような感覚。


 それだけパラク達が呼びかけようが、アーノルドは一切反応を示さない。


 そこに急いでロキのもとから戻ってきたクレマンは焦ったかのように早口でアーノルドの様子を尋ねた。


「アーノルド様のご様子はいかがですか?」


 クレマンはロキの話を聞いてからアーノルドに何があったのかを考えていた。


 ロキが第三者から攻撃を受けたのは確定である。


 それがアーノルドと何も関係がなければいいのだが、ロキはあのとき、アーノルド様は、と口にした。


 その時点でロキのあの状態がアーノルドと関係がない可能性は低い。


 最も最悪なのはアーノルドの精神世界にロキの術を介して第三者が侵入しアーノルドに攻撃を加えた場合。


 この場にそれを止める術を持つ者がいない。


 クレマンの武は『傀儡士』を倒すために高められてきたもの。


 破壊することは得意だが、治すなどといった分野は専門外であった。


 そのため現在でも攻撃されているのなら直接助ける手段が存在しない。


 その次に考えられるのは、アーノルドの精神世界でアーノルドが見ていた敵が幻想にもかかわらずロキに危害を加えれるほどの実力をもっている誰かだった場合。


 もし、夢の中に出てきたのがダンケルノ公爵だった場合、たとえそれがロキの術で生み出された幻想であってもロキに危害を加えられる可能性は確かにある。


 理の外にいるような存在ならば十分可能なのである。


 だが、ロキはあれ相手と口にしたため公爵が現れた線も消える。


 ロキが公爵をあれ呼ばわりすることはない。


 ならロキが契約しているような亜神ならばありえるだろうが、亜神にも格が存在する。


 死神のお気に入りであるロキを、人間ならともかく別の亜神に傷つけられたとあっては流石に放置はしないだろう。


 それはあの死神の沽券に関わる。


 下の者に舐められ、それを放置するのは強者の世界ではありえない。


 死神の格は亜神の中でもかなり上位。


 それ以上の存在がアーノルドの中にいるなど常識的に考えづらい。


 居たとしても一方的にロキが、その契約主の死神がやられるなど考えづらいのだ。


 死神のように自身の創造した亜空間にいるような者もいるので、アーノルドが幼いときになんらかの拍子に出会いそのまま居ついたということは考えられる。


 それならば、アーノルドが一切外に出ていなかろうがありえるのだ。


 だが、亜神との契約は契約者にもかなりの負担がかかる。


 アーノルドの今の高い能力も亜神との契約によるものだと考えれば確かに筋が通るし、その力の代償があの異様なまでの力への渇望であると考えればそれも筋が通る。


 だが、それは現実的ではない。


 力を持つにも器がいる。


 もし自分の許容量以上の力を注がれればまず間違いなくその器は壊れるのだ。


 死神以上の格をもった存在が、あれほど小さいアーノルドと契約したなら今頃アーノルドは生きてはいない。


 魂が亜神の格に耐えきれず壊れているだろう。


 だが、契約せずに居座っているというのもありえない。


 どれほど強い存在であっても、繋がりがなくては居座るために永遠に力を使い続けることになる。


 力に拘泥する彼の者達が自らを弱体化させるなんてことをするはずがない。


 そんなことをしてまでアーノルドの中に居つくメリットなどクレマンには思いつかない。


 アーノルドには悪いが、対価を支払ってまでアーノルドに力を貸す利がない。


 あるとすればただの暇つぶしといった、常人には理解できないような動機だけであろう。


 状況証拠的にはクレマンは亜神がアーノルドの中にいる可能性が高いと思っていたが、どう考えてもなんらかの矛盾点が出てきて、それはありえないという結論に結びついた。


 クレマンにアーノルドの様子を問われたパラクは困ったように口を開いた。


「それが・・・・・・理由は分かりませんが、ずっと苦しんでいます。治癒魔法をかけさせましたが特に効果はないので肉体的なことではなく精神的なことかと思われます」


 パラクは何も出来ない自分が悔しいのか拳を握りしめていた。


 クレマンは目の前で胸を抑えて苦しんでいるアーノルドに声をかけるが、聞こえていないのか、返事をする余裕もないのか、アーノルドがその声に反応することはなかった。


 目は開いているが、その意識がここにあるようには思えなかった。


(やはり誰かから精神攻撃を受けているということでしょうか。そうなるとまずいですね。ロキはおそらく死神に連れて行かれたため呼び戻せません。最悪の場合、私が強引に入ることも考えますが、それは本当に最後の手段ですね)


 クレマンは拳を握りしめ、珍しく焦っていた。


 こういう精神に関する治療が出来るものは限られている。


 今来ている者の中でならロキが最も最適である。


 だが、そのロキはおそらく死神に連れて行かれた。


 ただ能力を使うだけならば問題ないが、死神自身が動く術ともなればそれなりの対価が要求されるだろう。


 今回ならば、おそらく奪い取った敵の魂を献上するつもりだったのだろうが、不測の事態で術が強制終了してしまったため規定量の対価を得られなかったのだろう。


 殺されることはないだろうが、おそらく数日の間は戻ってこれないだろう。


 問題なのはまだ戦争中であるということだ。


 このままアーノルドを連れ帰るというのはアーノルドの経歴に汚点が付く。


 それは避けたい。


 しかし、アーノルド以上に優先するものはない。


 それならば、とクレマンは先にこの場にいる敵全てを自らが鏖殺してしまおうかと考えた。


 正直な話クレマンが本気でやれば一瞬でこんな戦いケリがついていた。


 それをしなかったのは、主にアーノルドの成長のため、それとこれからのダンケルノを担う他の若い騎士達も実戦を通して成長させるべきだと考えたからである。


 それくらいの余裕はこの戦いにはあった。


 エルフの武器というイレギュラーがあったが、それでもダンケルノ公爵家の騎士達が本来の力が出せていれば負けることなどない。


 それに当然ながらこの戦いは覗き見られている。


 敢えて覗き見させているのだ。


 アーノルドの壮烈さは隠すよりも見せる方が断然いい。


 だからこそ、アーノルドの勇姿が霞むようなことはするべきではない。


 だが、それをクレマンは緊急事態になったために為すべきかと考えていた。


 侯爵を殺すのはアーノルドでなければならない。


 だが、そんなことを言っている場合ではない緊急事態である。


 そこに聞き覚えのある調子のいい豪胆な声が聞こえてきた。


「なんだぁ?術が解けてから一向に来ねえから、こっちから出向いてやったら・・・・・・、はっ、味方の術で死にかけてやがんのかそいつ」


 気配なく忍び寄ってきたのはヴォルフであった。


 いや、気配がなかったわけではない。


 クレマンは考えに耽ってしまいヴォルフの接近に気づけなかっただけだ。


(不覚。こういう時こそ冷静にならなければなりませんね。集中を欠いて相手をできるほど甘い相手ではないですね)


 クレマンはアーノルドが一大事ということで冷静さを欠いており気配を探るのが疎かになっていた。


 だがそれでも並の者ならば近づく前にわかったはず。


 油断していたから気がつけなかったと侮っていい相手ではないと気を引き締めた。


 それに、この男が生きているということはコルドーは———。


「そう、睨むなよ。あの野郎ならまだ息があるだろうぜ。まぁテメェらの仲間に殺されてなければだがな。それに、別に戦いに来たわけでもねぇ。テメェら2人と戦って勝てるなどと思い上がるつもりもねぇしな。危ない橋は渡ろうが、落ちると分かっている橋を渡るほど馬鹿じゃねぇんでな」


 ヴォルフが顎で指し示したのはクレマンとメイリスの2人である。


 戦う気はないという意思表示なのか肩に背負っていた大剣を地面に突き刺した。


「そうですかな?あなたならば十分勝機はあると思いますが」


 お世辞抜きの本心であった。


 アーノルドがいないならともかく、今のアーノルドを護りながら戦うとなると目の前の相手は油断できるほど甘い相手ではない。


「はっ、思ってもねぇことを。俺には分かんだよ。お前とそこの女。お前らはなんだ?本当に人間か?お前らは人間の皮を被った化け物にしか見えねぇよ」


 ヴォルフは腕を組み、嬉しそうに口角を上げ、その目を眇めた。


 戦ってみたくて仕方がないのだろう。


 だが、一度ヴォルフと戦ったコルドーに言わせれば、それを言うヴォルフもまた化け物の仲間であろうが。


「ほう。それがわかっていながら何故顔を出したのですか?」


 それは純粋な疑問であった。


 普通の人間ならば、自ら危険地帯に踏み込むことはしない。


 それだけに、緊張した様子もなく薄く笑みを浮かべる目の前の男が何を考えているのか理解できない。


「テメェらここにいる奴ら全員殺す気だろ?追われる生活ってのは面倒だからな。一応挨拶だけはしておこうと思ったわけよ」


 そう豪気に言い切ったヴォルフにクレマンの目が細まった。


「しかし、ヴォルフ様。我々があなたを逃す理由など無いのですが。後の厄介な芽は潰しておくのが道理でありましょう?何か相応の条件をお持ちとでも言うのですか?」


 普段ならば言わぬ最後の言葉。


 クレマンの内心の焦りを体現したために出た言葉であった。


 それほど、いまのアーノルドの様子が気がかりだった。


 いま目の前の男の相手などしている場合ではないのだから。


 ヴォルフもそれがわかっている。


 だがこのまま話が拗れれば、一人がアーノルドを守り、もう一人がヴォルフと戦う。


 自分が望む1対1で戦うことが出来るかもしれぬという想いも少しある。


 有象無象もこの場には多くいるが、ヴォルフにとっては数に入っていない。


 が、ヴォルフとしても、いま目の前の爆弾を処理しなければどの道戦えやしないだろうと、相手の弱点でありその爆弾でもあるアーノルドを盾に戦いに持ち込むことはしなかった。


 そしてその代わりに口にしたのが、


「お前のご主人様を治してやるよ」


 何の気負いもなくそう言った。


 クレマンは怪訝な顔を浮かべざるを得ない。


 そもそもクレマンにすら正確に把握出来ていない。


 その上、さっきまで敵であった者の提案だ。


「・・・・・・それを信じろと?」


「信じるしかねぇだろうよ。ほっとけば・・・・・・そいつ壊れちまうぜ?」


 ヴォルフは底意地の悪そうな笑みを浮かべながらアーノルドを指差した。


 ヴォルフには見えていた。


 いまにも溢れそうな、決壊しそうなアーノルドの心の有り様が。


「いまのアーノルド様の状態がわかるというのですか?」


 クレマンは表情を取り繕うのも忘れ、焦ったように問うた。


 本来であるならばそのような切羽詰まった状態を見せれば足元を見られるだけであるが、クレマンは憎悪とは違うが『傀儡士』を前にしたときのような気迫を伴っていた。


 だが、そんなクレマンの様子を見てもヴォルフに浮かぶのは好戦的な笑みだけ。


 それでも渋ることなくヴォルフは条件もなく簡単に口にした。


「ああ、わかるぜ。そいつの心は今にも壊れる寸前だ。このまま放置すりゃ間違いなく廃人になるだろうよ」


 別にアーノルドを心配した風でもなく、ただ不敵に笑みを浮かべるだけ。


「それをあなたならばどうにかできると?」


「ああ。だがタダでとはいか———」


 ヴォルフが言葉を発したそのとき


「Uaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」


 アーノルドが発狂したかのように大声を上げ、それに呼応するかのようにアーノルドの周囲にある草花が黒く染まり枯れ始めた。


「っ⁈」


 ヴォルフはゾワリを虫が這ったかのような戦慄を背中に覚え、地に刺した剣を引き抜くとアーノルドから離れるように大きくジャンプし宙に逃げた。


 クレマンも一拍遅れて同じように宙に舞い、他の者達もアーノルドから離れるように距離を空けた。


 アーノルドの体という器から溢れ出るように、どす黒いオーラが噴水のように天に向かって噴き上がる。


 そのオーラは次第に物理的な闇へと変化していった。


 アーノルドから絶え間なく吹き溢れてくる闇。


 見ているだけでも吸い込まれそうなほどの黒暗。


 それを見たクレマンは本能的に危険を悟った。


「メイリス様、他の者を回収してください」


 クレマンと同じように宙に逃げていたメイリスにそう頼んだ。


 まだ地上にはロキの術から生還したダンケルノ公爵家の騎士が残っている。


 誰も彼もが空を飛べるわけではない。


 というよりも、飛べる者の方が圧倒的に少ない。


 メイリスは無表情のままチラリとヴォルフのことを見ると即座に行動を起こした。


「おお〜、怖いね〜。気の強い女ってのはそそられるもんだが、ありゃ相手にしたくないわ。愛が重すぎて相手が死ぬタイプだな」


 何をもってそう判断したのかはわからないが、ヴォルフはそう口にした。


「今、アーノルド様の状態はどうなっているのですか?」


 ヴォルフのメイリスへの感想などどうでもいいクレマンは何か知っていそうなヴォルフに対して出し渋るならば手荒な真似をしてでも聞き出すとありありとその雰囲気が物語っていた。


 ヴォルフはそんなクレマンの様子に呆れたようにため息を吐き、ガシガシと頭を掻きながら口を開いた。


「・・・・・・心が憎悪に押し潰されているんだよ。さっきの術で何を見たか知らんが、爺さん、あんたが抱えているのと同等かそれ以上の身に余るほどの憎悪だ。あの黒い物体もおそらくはあいつの抱える憎悪が実体化したものだろう。まぁ、如何に俺たちであっても触れねぇほうがいい代物だわな」


 クレマンは思わぬところからアーノルドの情報を得られたと喜びたかったが、喜ぶにも喜べない状況だった。


「一つお聞きしたいのですが、あなたがどのように何を見ているのかは知りませんが、アーノルド様の中に何かがいるというのはお分かりになりますか?」


 クレマンは亜神がアーノルドの中にいるのかを知りたかった。


 そのための質問である。


 しかし、


「爺さん。いくらなんでも欲張りすぎだぜ」


 ヴォルフも先ほどまでのようにクレマンに唯々諾々とはいかなかった。


 先ほどの質問への回答は元々は敵だったため、信用とその義理を果たすために答えたにすぎない。


 それ以上を求められて素直にタダでやるほどヴォルフはお行儀がいいわけではない。


「何がお望みですか?」


 クレマンも無理やり聞き出すよりも望むものをまずは聞く事を選んだ。


 無理やり聞き出すのにも時間がかかるからだ。


 少なくとも目の前の男は数秒で仕留めれるほど容易くはないだろう。


 だが、目の前の男がすぐに仕留めれるくらいの実力であるならばクレマンは迷わず、半殺しにして情報を聞き出すことを選んでいただろう。


「望むものは3つだ。一つは俺より強そうなお前らの実力が見たい。そのために今回わざわざこんなクソみたいな戦場に参加したんだ。それを見ずに帰ったらせっかく参加したのに時間の無駄だろう?二つ目は俺を見逃すこと。お前ら皆殺しにするつもりだろう?そうなれば当然俺も入っているわけだ。1人ならともかく2人で本気で来られたら流石に面倒だからな。それにテメェらがダンケルノでどのくらいの強さなんかもしらねぇからな。逃げたあとにお前らよりももっと強い奴らがわんさか追ってきたら鍛錬どころじゃねぇ。それは流石にめんどいし俺もわざわざ効率の悪い無駄な戦いはしたくねぇんだ。そして3つ目、あのガキの将来を純粋に見てみてぇって気持ちだな。あのガキは見ての通り化け物だ。だが、今はまだ幼体も幼体。だが、それでもこの威力だ。これを使いこなせるようになったあいつが何をするのか気になるじゃねぇか。この世を壊すのか。この世を統べるのか。そしてそんな奴と戦ってみてぇ。それまで俺は更に腕を磨く。至極の一戦だ。そのためにお前らに追われるってのは面倒だからな。だから2番目の条件だ。どうだ?」


 最後の一つはもはやクレマンに対する願いですらない。


 だがそれでもそれは後にアーノルドの敵になるという宣言。


 しかし、それでもクレマンはその条件を即座に跳ね除けれはしない。


「本当に貴方はあれをどうにか出来るのですか?」


 今も絶え間なく流れ出るドロドロとした闇の塊。


 既に地面の大半を覆っており、その勢いはクレマンやヴォルフのいる空中にも迫ってきていた。


 ——「た、助けてくれぇぇぇ———」


 ——「来るな‼︎来るなぁぁぁぁ———」


 地面を見下ろすとワイルボード侯爵家の騎士や民兵達が闇に飲まれ引き摺り込まれているのが見えた。


 まるで意志を持っているかのように人を喰らう闇の異様さは化け物を見慣れているクレマン達でも心胆を寒からしめられた。


 オウルやボードの姿もあり、必死に逃げている。


 ——「お前ら先に行け‼︎ここは俺が———」


 ——「この私がこんなところで死ぬわけにはっ‼︎お前達、私を置いていくな‼︎さっさと私の盾にならんかぁぁぁぁぁぁ———」


 次々と人が闇に飲み込まれていくその光景はさながら阿鼻叫喚の地獄絵図であった。


「はっ、さながら地獄の幕開けだな。・・・・・・出来るかどうかは正直わからねぇ。だがまぁやってみる価値はあるんじゃねぇか?」


 ヴォルフは不敵に笑い、大剣を肩に担いだ。


 そこに先ほどダンケルノの騎士を回収しにいったメイリスが戻ってきた。


「戻りました」


 相変わらず無愛想なメイリスはそれだけだった。


 だが、その手には何も持ってはいない。


「全員確保できましたか?」


「はい。ついでに気絶していた侯爵も回収しておきました」


「そうですか。ありがとうございます。コルドーはどうでしたか?」


 ヴォルフの言っていることが本当ならばまだ生きているはず。


「意識はありませんでしたが、息はありました。傷もそれほどは」


 メイリスはチラリとヴォルフを見て、クレマンに一礼すると一歩後ろに下がり、いま尚言葉になっていない叫び声を上げている痛々しいアーノルドの方をじっと見つめていた。


 クレマンはメイリスに鷹揚に頷くと、地面を睥睨した。


 見渡す限りの闇。


(もはや生き残りはいないでしょうな。しかし大変なことになりました。早急に救出しなければまずいですね)


 あのおどろおどろしい闇の塊は触れればクレマンとて無事では済まないと肌で感じ取れた。


 そしてそれを際限なく噴き出させているアーノルドにもどれだけの負担が掛かっているのか想像もできない。


 ヴォルフの言う通り、このままでは廃人になる可能性が高いだろう。


 身に余る力は器すらも破壊する。


「残ったのは我々3人だけですか。いいでしょう。一つ目は私に限り認めましょう。彼女がどうするかは彼女次第です。それと見逃す件も、認めましょう。私の権限をもって今回の件であなたに累が及ばないように手配いたします。しかし、私は一介の使用人の身。必ず為せるという約束はできませんがよろしいですか?」


「いいだろう。どうせ2番目のは出来たら儲けもんって程度だ。別に戦いになろうがそれはそれでかまわねぇよ。今更、戦うのが嫌だ、なんてことを言うつもりもねぇしな」


 カラカラと楽しそうに笑うヴォルフは、今のこの状況に対する気負いなど微塵も感じられない。


「それでは先ほどの問いに答えていただけますかな?」


 契約はここに成ったと、クレマンは先ほどの問いへの答えを急かした。


「あのガキの中に何かが見えるかだっけか?いや、俺には見えねぇな。あいつの中にはあいつしかいねぇよ。これで満足か?」


 訝しそうにクレマンのことを見るヴォルフは、クレマンのことを鼻で笑い、その後ニヤッと笑みを浮かべた。


「はい。お答えいただきありがとうございました」


(亜神ではなかったということですか・・・・・・。それでは一体アーノルド様は何を見たのでしょうか。ロキも入ることができなかったと言っていましたし、結局誰も真相は分かりませんね)


 ある意味悠長にそんなことを考えていたが、急激に状況は一変した。


 突然夜が訪れたかと思うほど辺りが暗くなった。


 アーノルドが出している闇がこの3人を逃さないとばかりにドーム状の空間を作り、空、地面ともにどこにも逃げられないように閉じ込めたからだ。


 それに闇が放つ禍々しさが先ほどの比ではない。


 差し出されたご馳走全てを喰らった怪物が、貪欲にも更に獲物を探しているかのような薄寒さを覚える。


 だが、視界一面は闇で覆われているのに何故か視覚はある。


 夜目が良いからなどというわけではない。


 よく見れば闇が赤黒く発光しているのだ。


 それがこのドームの中の光源となっている。


 その赤さが飲み込んだ者の血を連想させ、より一層不気味さ具合を底上げしていた。


「はっ、血でも啜ったかのような威容さだな。だが、これは、まるで『皇神抃拝フィーネ・エンデ・レルム』のようだ」


 ヴォルフが周りを取り囲む闇を見て、顔を顰めてそう言った。


「ですが、これは違います」


 クレマンが言うようにこれは違う。


 だが、これが何かと問われればそれに対する答えはクレマンの中にもない。


「・・・・・・それでアーノルド様をお助けするために何をすればいいのでしょうか?」


 契約が成立したならば、悠長にしている暇はない。


 すぐさま行動に移し、アーノルドを少しでも早く助けなければならない。


「とりあえず近づけなきゃ話になんねぇ。あいつを取り囲むあの周囲の闇、吹き飛ばせるか?もしくはあいつをぶっ飛ばすための隙を作れ」


 ヴォルフは大剣を握る手に力を入れながら真剣な表情を浮かべた。


 油断をするつもりはないが余裕はある。


 この程度で臆するほど今ここに集っている3人の実力も精神も弱くはない。


「いいでしょう」


 クレマンは返答しメイリスはコクリと頷いた。


「大事なご主人様を傷つけたくなきゃ、せいぜい上手いことやるんだな‼︎」


 ヴォルフ、コルドー、メイリスはそれぞれ3手に分かれた。


 アーノルドが産み出す闇は既に止まっていた。


 既に包囲が完成し、生ける者を粗方飲み込んだからだろう。


 その大きさ、そして広さは尋常ではなく周囲一帯が巻き込まれている。


 一体何人が犠牲になっているかわからない。


 ヴォルフがアーノルドを観察しているとアーノルドは先ほどのように叫ぶことなく、ただ俯いているだけで、武器も持たずその場に立っていた。


 まるで事切れた人形のようである。


 だが、その体からは黒いオーラが湯気のように滲み出ている。


 まるで悪霊でも取り憑いているかのような有り様だ。


(動かねぇ。・・・・・・いけるか?)


 甘い予想をするつもりはないが、それでも行かなければ何も進まない。


 ヴォルフが覚悟を決めたそのとき、アーノルドの姿が視界から消えた。


「ッチ‼︎」


 アーノルドの姿を目で追っていたヴォルフは大剣の腹でアーノルドの素手で放たれた攻撃をガードした。


 だが、しっかり防御したにもかかわらず10mほど飛ばされた。


「ガキの威力じゃあねぇなっ‼︎」


 その幼く、小さな拳から放たれたとは思えぬほど鈍く重い一撃であった。


 空中戦は得意じゃねぇんだよ、とぼやきながらヴォルフはアーノルドの方に向かっていく。


 アーノルドも当然のように宙に浮いている。


 だが、そこに生気のようなものは感じられない。


 自動人形のようにただ迎撃してくるだけだ。


 ヴォルフは剣戟の中で武者振るいと共に、思わず歯を剥き出しにし嬉しそうな笑みを浮かべた。


 音を置き去りにするかのような超加速。


 もう、当初の目的を忘れたかのように、ヴォルフはその剣の腹ではなく刃で以ってアーノルドへと攻撃を加えた。


 だが、その凄まじい剣撃も目にも止まらぬ裏拳の一撃で弾かれる。


 弾かれた剣から伝わる衝撃でヴォルフの腕がビリビリと震える。


 その心地よさにヴォルフが笑みを深めるが、すぐにその顔が歪むこととなる。


 間髪おかずに放たれた回し蹴りを紙一重で避けると、歯を剥き出しにし剣を振り下ろした。


 その一撃は意外にもあっさりとアーノルドに当たった。


 当たり、アーノルドを吹き飛ばしたが、斬れた感触ではなかった。


 ヴォルフは舌打ちを漏らすと共に、目を細めた。


 たしかに殺すつもりはなかった。


 だが、斬れる一撃は放ったつもりであった。


 アーノルドが着ているダンケルノ公爵家の鎧、それすら傷一つ付かないなどありえない。


 変容している。


 もはやあれは目に見えるものが全てではないと剣を握る力を強めたそのとき、ヴォルフの背中に怖気が走った。


 すぐに直感に従って右側後頭部を守るために手を上げた。


 アーノルドがヴォルフの右後ろから光の無い瞳のまま無表情に蹴りを放っていた。


 腕を挟んだため、直撃は免れたが、大きく吹き飛ばされ、少しの間右手が使い物にならなさそうだとと呻き声を上げた。


 追撃するでもなくただその場に佇むアーノルドを睨みつけ、力が徐々に上がってやがる、とヴォルフはギリっと奥歯を噛んだ。


 もちろんヴォルフもまだ全力には程遠い。


 だが、アーノルドを助ける、つまりは殺さずに無力化するためには同じ程度の実力では足りない。


 だが、相手の実力が高くなればなるほどそれを為すことも難しくなる。


 早々に決めなければそれこそ決死の戦いになりかねないと表情を歪ませた。


 しかし、ヴォルフは気づいていなかった。


 戦闘の最中いつの間にか天井付近まで来ており、天井から産み出された闇の槍が雨のように降り注いできた。


 そしてそれを避けることに気を取られたヴォルフがアーノルドの攻撃に一拍遅れた。


「ッチ‼︎」


 ヴォルフが被弾を覚悟し筋肉を固め、身体強化を全力にした。


 だが、それを遮るようにクレマンが現れアーノルドを横から殴り飛ばした。


「おせぇよ‼︎覚悟は決まったのか⁈」


 ヴォルフは咆哮のような怒号を上げた。


 如何にヴォルフとアーノルドが高速で移動しながら戦闘をしていたといっても、この二人ならば乱入してくるのは容易のはず。


 それをしてこないということは主人に牙を向けるのを躊躇ったかと。


「貴方はアーノルド様を殺す気ですか?」


 だが、クレマンはヴォルフの戦い方に厳しい視線を寄越すだけだった。


「はっ、俺の方が殺されかけてんだよ‼︎テメェこそ殺す気じゃねぇのか⁈」


 ヴォルフはアーノルドを押していたようで押されていたといってもいい。


 それに比べればクレマンの一撃は主人に放つようなものでは到底なかった。


 クレマンに殴られたアーノルドは凄まじい勢いで地面に飛んでいったが、地面に激突する前に黒い闇の塊が地面から飛び出してきてアーノルドを包み込んだ。


 クレマンは目を細めアーノルドが沈んだ闇の箇所を見るだけでヴォルフには取り合わなかった。


 少しの静寂の後、闇が蠢き出したかと思うとアーノルドの姿が闇の中から悠然と顕現した。


 その荘厳たる様を見て、ヴォルフは思わず舌打ちをした。


「・・・・・・例え首を飛ばしたとしても再生してきそうだぞ?ありゃ」


 クレマンが放った一撃は当然普通の殴打なのではない。


 普通の者なら爆散し肉片になるほどの威力だ。


 そうでない者でもまず戦闘不能になる。


 そういう一撃だった。


 だが、アーノルドの体に外傷らしきものは見られない。


 それだけでなく、先ほどまでダンケルノ公爵家の鎧だったはずのアーノルドの装いが黒い鎧へと変貌していた。


 その鎧が放つ異様さは周りを取り囲む闇のそれと遜色ない。


「おい、女‼︎テメェも遊んでないでどうにかしろよ!」


 何もしないメイリスに対してヴォルフが唾を飛ばした。


「私に命令するな」


 だが、メイリスは取り付く島もなかった。


 メイリスはずっとアーノルドから視線を外していなかった。


 表情は変わらないがどこか痛ましそうな目を浮かべているように見える。


「・・・・・・おい、ジジイ。あれでいいのか?お前からも言ってやってくれよ」


 ヴォルフはメイリスのあんまりな言動に抗議の声を上げた。


 だが、そんなふざけたやり取りをしているくらいがちょうど良かった。


 そうでなければ、この周りの覆う狂気に侵されるかもしれない。


「私には彼女を動かす権限はないのですよ。ですが、心配せずとも大丈夫でしょう。彼女がアーノルド様を見捨てるとは思えませんので」


 クレマンがそう断じると、アーノルドを見据え覚悟を決めた目をしていた。


 その頃、アーノルドは感情のない無機質な目で3人がいる空中を見つめていた。


 アーノルドが虚空に手をかざすと、地にある闇が、空中に漂っている闇が、あらゆる闇が

 アーノルドの手へと吸い込まれるように集まり禍々しい黒い剣を創造した。


 その手を起点とし、赤黒い線が生き物のように脈打ちながら剣全体へと伸びている。


 それを見たヴォルフの背中にピリピリと電気のようなものが迸った。


 強敵を前にしたときに感じる武者振るいのようなものである。


「おいおい、まじかよ・・・・・・」


 ヴォルフが歓喜とも、怖気とも取れるような声色で呟くや否や。


 アーノルドはその剣の調子を確かめるかのように上に振りかざした剣を無造作にブンっと振った。


 すると、地に稲妻のような赤い閃光が迸り、全てを破壊する黒い光線が地面を這うように放たれた。


 その光線は侯爵のいた街を完全に飲み込みアーノルドが作った黒いドームすらも貫通し空へと駆けていった。


 空いたドームの穴は闇が群がるように即座に埋め尽くされた。


 その威力を見た3人の表情が一様に変化した。


 先ほどの一撃によって生じた空間が軋むような唸り声がいまでもヴォルフ達の耳の中で鳴り響いている。


 ただの凡人ならば、先ほどのあれを『オーラブレイド』であると思うかもしれない。


 だが、此処に集う3人にはあれが『オーラブレイド』とは根本的に違う何かだと、認知出来ていた。


 その程度も出来なければあれと戦うなど自殺行為でしかない。


 ヴォルフの頬に一筋の汗が滴った。


「そうかよ。悪いが俺1人であれに手加減して技を当てるのは手に余るぞ?助けたきゃ死ぬ気でやれ。テメェらがやらねぇなら、俺があれを殺るぞ?悪いが自分の命を差し出してまで助ける気はねぇからな。それに、やらなきゃ俺らが死ぬぞ?」


 あれを見たヴォルフの顔に戦闘を楽しむ余裕の笑みは浮かんでいなかった。


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