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第2-32話

 退場していくマリアを見ながらボスは愉快げに鼻を鳴らした。


「思った以上に面白い見せ物だったな。そこまで期待していなかったがなかなかどうして。尼さんもやるもんだ」


 上機嫌そうな物言いとは裏腹にその視線は鋭く細められている。


 そしてそれはアーノルドも同じであろう。


 マリアが見せた絶技とでも言うべきもの。


 あれを見て平静でいるのならば、それを理解出来もしない愚物か、あの程度は気にするまでもない強者だけだろう。


 少なくともアーノルドが無視できるものではなかった。


 それにマリアはおそらく実力の半分もまだ出してはいない。


「そういやお前は教会と一戦やりあったんだっけか? シスターってのはあのレベルのやつがわんさかいやがんのか?」


 そう問われたアーノルドはボスに目を遣ることもなく、頬杖をついたままあの時のことを考える。


 アーノルドと教会の衝突。


 事の発端はアーノルドの持つ剣の神具だ。


 所用があり教会に赴いた際に偶々出会った大司教。


 その者が神具は教会に帰属するべきものと声高に主張し、アーノルドへと迫ってきた。


 当然そんなものは無視したのであるが帰る道行の最中、自身の欲を隠しもせずアーノルドに襲いかかってきたのが発端。


 神具を手に入れ、教会に持ち帰れば大司教としての発言力が更に高くなるのだとかほざき、神の天罰が降る前に寄越せなどと言ってきた。


 戦いとなって出てきたのは、その教会に属していた大司教に同調でもした神官、司祭がわずかに、そして異端審問官のような黒服達が大勢。


 後に分かったことであるがその大半がその大司教の私兵のようなもので正式にその教会に属していた者ではなかった。


 そしてシスターもその教会にはいたはずだが、戦いの場に出てくることはなかった。


 だがそれが大司教に同調したシスターがいなかったからなのか、それとも普通のシスターがそこまで強くないからなのかはわからない。


 そこまで考えたアーノルドは煩わしそうに嘆息し、ボスを横目で見遣る。


「そもそもそんな話をしてやるほど貴様と親しくなった覚えはないが? そんなことよりもさっさと本題を話せ」


「つれねぇ野郎だ。もう少し、こう……寄り添おうって気持ちがねぇもんかねぇ〜。カァー、最近の若者はどいつもこいつも余裕がなくていけねぇな!」


 大袈裟に煽るようなリアクションをするボスであるが、それでも尚表情がピクリとも動かないアーノルドに呆れたようにため息を吐いた。


「まずはこの前の騒動についてからか。さっきも言ったが、俺はあの件でテメェにとやかく言うつもりはねぇ。だが、たしかに下がうるせぇのも事実だ。この世界、舐められれば終わりだって考えている奴も多いからな。テメェを殺すべきだと、そういった声が日に日にデカくなってやがる」


 予想通りと言えば予想通り。


 王が思いのままに行動できず貴族の顔色を窺わなければならないのと同様に、いくらマフィアのボスとて独善的に全てを決めることはできないということだろう。


 そしてマフィアなどどこまでいこうとも独善的な連中の集まりだ。


 アーノルドが次の言葉を予想して小さくため息を吐いていると、ボスがニヤリと笑う。


「——そこでだ。取引といこう」


「取引だと?」


 予想だにしていなかった言葉を受け、アーノルドの眉が上がる。


「ああ、とはいっても。俺たちの間、ここだけでの取引だ。俺はテメェからブツを貰い、テメェも見返りを得る。お互い対等な関係で、対等なやり取りをするわけだ。上下関係なんて当然ねぇ。だがここにいねぇ奴はそんなこたぁ知らねぇから、テメェが詫びの品を俺に渡したってことでケリがつく」


 いい案だろうとでも言いたげな笑みを浮かべたボスは、空のグラスにドボドボと酒を注ぎ、それを手に取りながら、アーノルドを指差す。


「で、だ。肝心の取引の内容だが、今度バルデバラン学院で開かれる新鳳祭はテメェも知っているだろう?」


「ああ……」


 学期の終わり頃に一年生のために行われる大きなものとしては学院の最初の行事。


 新入生だけが参加できる闘技大会や学生向けに格安で武器や薬剤などが売り出される出店などもある、文字通りの祭だ。


 それ以外に一年生に向けた上級生による研究発表会などもあるようだが、高等部でもない学生レベルの研究発表にアーノルドはたいした興味もなかった。


 闘技大会も出る気も観る気もないため、アーノルドにとってはどうでもいい祭だ。


「くだらない祭だろう」


 そう吐き捨てたアーノルドに同意だとでも言うかのように笑い出したボスであるが、神妙な面持ちで、だがと呟いた。


「新鳳祭の中で行われる新鳳戦。今回ばかりはそれをくだらねぇとも言えねぇのよ」


 たかが学院の闘技大会如きが重要だとでもいう雰囲気を醸すボスにアーノルドが困惑顔を浮かべる。


「なに、そう難しいことでもねぇよ。その優勝者に与えられる景品(もん)を俺に売って欲しい」


 そう言われたアーノルドはまるで理解できない言葉を話されたかのように更にその表情を顰めた。


「売れ? 寄越せではなくてか?」


「売れだ。相場——つってもいまは相場なんてないに等しいが、その二倍で買い取ってやる」


 薄らと笑みを浮かべてそう言うボスにアーノルドはその双眸を更に細める。


「たかが学院の優勝景品如きを売れと? それも二倍で買い取るとは随分と性急だな」


 駆け引きすらなく初めから最高入札を決めてくるような言動にアーノルドがどういうことかと睨みつける。


「……まだ対外的には景品の情報は出てねぇだろうが、俺が手に入れた情報が本当なら、それは是が非でも欲しいもんだからな」


 要は駆け引きすら面倒だと。


 必ず手に入れるという意思表明ということか。


「で? それをなぜ私に依頼する」


 その闘技大会はどういうわけか正体を隠して参加できる。


 おそらくはそうでもしなければ人がまともに集まらないからだろう。


 仮になんでもない下のクラスの学生が勝ったとしてその者は今後その優勝に見合った生活を送れるかといえばそうでもない。


 上位のサークルに取り込まれ奴隷のような生活を送るか、目をつけられまともな生活を出来ないようになるかだろう。


 だからこそそれを理解している者はわざわざそんなものに出場したりしない。


 だがそれでは可能性ある者も自らを封じて芽を出す可能性が無くなってしまう。


 流石にそれは本意ではないということなのだろう。


 だが正体を隠して参加できるがゆえに、不正の隙もまた大きくなる。


 目の前の男がその気になればそれを利用して人を一人くらい送り込むこともできるはずだと。


 アーノルドやその他の強い面々が出場するというのならばともかく、アーノルドも他の者達もそこまで出場する者はいないはずだ。


 アーノルドはそのような大会そのものに興味がないし、他のものにとってはとあるルールがあるゆえに出るのを渋る者も多いはず。


 今回のこの大会に出場した者は年度末の選抜大会に出場できないというルール。


 他校との交流試合など、より多くの者達と戦える機会があるそちらを重視する者の方が多いだろう。


 謂わば今回のこの大会は言ってみれば弱い者達のための大会といったところ。


 だからこそある程度強い者を送り込めば景品など簡単にゲットできるだろうと。


 そう思い、アーノルドは訝しげな視線を送る。


 ボスもその視線の意味を察してかあごを撫でながら、愚痴でもこぼすかのように口を開く。


「正体を隠して参加できるあの大会だが、さすがに略奪しようにも、俺んところの奴を送り込もうにも、あのババァの結界がある限り俺らには無理だ。バレるからな。あれの目を掻い潜って学院に送り込める奴なんざこの国にはいねぇよ。だから手に入れるためには中の生徒に依頼しなきゃならんってわけだ。それも優勝が確実で、尚且つたいして景品自体に興味のない奴にな。だがそんな都合のいい奴はそうはいねぇ。そんな時にできたお前との縁。俺としちゃ逃す手はねぇわけだ。実力も文句ねぇしな」


「で? その優勝景品ってのはなんなんだ? 結局それが良いものならばわざわざ貴様に手渡す道理もないわけだが?」


 アーノルドは元々闘技祭などに興味がないが、それが何か次第ではわざわざ渡す道理もない。


 少なくとも目の前がここまでして欲しがるものだ。


 まともなものではないだろう。


「焦んなよ。テメェへの見返りも当然金だけじゃねえぜ? それはただのブツに対する対価だからな。まぁそれについて話す前に、まず優勝景品についてだが、そいつは魔道具だ。それもエルテミス・ヴァレンヌが作ったつぅ新しい技術が埋め込まれた魔道具」


 その言葉にアーノルドの視線が険しくなっていく。


 視線が険しくなったのは魔道具という言葉ゆえか、それ以外か。


 予想よりも鋭い視線を向けられたボスは意外そうに眉を顰め、戯けたように肩をすくめた。


「おいおい、そんな睨むなよ。魔道具つってもどうせテメェが使うようなもんじゃねぇよ。エルフの神具って知っているか? その中に『友誼の飛揚』っつぅ名がつけられた、仲間がいればいるだけ全員の能力が上がる神具があるんだがよ、情報によりゃ、その能力を再現したっていう魔道具が今回の優勝景品になるんだとよ」


 更に詳しく聞けば、エルフの神具とは違い、やはり内部にマナを貯蔵することは出来ないもののようではあるが、その効果は再現できたのだとか。


 まさしく天才の所業だと。


 また一つエルテミスの名が上がり、星も一つ昇格するのではないかとまで予想されているのだとか。


「つってもまだ大幅に劣化したもんらしいがな。まぁそうじゃなきゃそんなやべぇもんを優勝景品程度にはしねぇだろうがな。どうせテメェは誰かとつるむようなタイプじゃねぇだろ? サークルに入るような奴らなら自身のサークル強化のため、いや、自分の立場の強化のために是が非でもそいつが欲しいとこだろうが、お前は手放しても惜しくはねぇだろう?」


 上位のサークルにとって自身のサークルだけが強くなれる魔道具の入手など心血を注いでも為そうとするだろう。


 そしてそれが新入生しか入手できないものとなれば当然今年入会してきた新入生にそれを託さざるをえない。


 そしてもしそれを入手できたのならば、その新入生のサークル内での立場はそれこそ幹部に匹敵するほどの待遇すら望めるだろう。


 その優勝景品に関する情報が本当ならば、皆が血眼になってそれを欲するため、例年よりも戦いが熾烈を極めることになることが予想される。


 それこそ普段ならば出てこないであろう、上位のクラスの生徒も出てくるかもしれない。


 だからこそサークルに属すつもりもなく、そんな上位の生徒であろうと勝つことができるアーノルドに依頼をするということなのだろう。


 だが誤算があるあとすれば、魔道具の能力に魅力はなくともアーノルドにとっては魔道具それ自体が価値あるものだ。


 惜しくないわけではない。


 当然ボスはそんなことなど知らず、そのまま喋り続ける。


「で、だ。それが果たしてどこまで再現できたものなのか、どのくらい能力が上がるのかはわからねぇが、俺にとって重要なのはそんなもんが一つでも世に出回ることだ。それが敵に渡ればそれだけ俺らにとっちゃ脅威になるし、それより更に劣化版でも複製品が出回ればもっとめんどくさいことになる」


「複製品?」


「ああ、まぁテメェは知らねぇか。ここらでは質の悪い魔道具もどきが出回ることがあんだよ。たまに当たりもあるが、基本的には超欠陥品の廃棄品だがな。どこの誰かは知らんが、見様見真似で作ってそれをここらで流してやがる。才能もねぇくせに、なまじ少しばかりの腐った才があるからやめられねぇ馬鹿がな。作ったはいいが、中身を理解していやがらねぇからただの欠陥品なんだろうよ」


 その欠陥品に煩わされたことでもあるのか、ボスの言葉は少々刺々しいものを孕んでいた。


「……その程度の可能性に怯えているのか?」


 ボスの言葉通りならば、成功品が作られる可能性は限りなく低い。


 物も一つとなれば、失敗によって永遠に失われる可能性の方が高いだろう。


 それでも尚回収したいというのは、その限りなく低い可能性を恐れているのか、それとも別の理由を隠しているのか。


 探るような視線を向けるアーノルドにボスはジロリと真剣な眼差しで見据えてくる。


「当然だ。少しの可能性であろうが無視はしねぇ。排除できるリスクはあらかじめ排除する。万全を期してこそ後に後悔することはねぇんだぜ?」


 臆面もなくそう言い切ったボスの様子に嘘は見られない。


 むしろそれをして当然、誇らしげともいえる態度だ。


「マフィアならばマフィアらしくどうとでもなるだろう」


「奪えってか? 手に入れたやつから奪おうにも匿名で参加できやがるから、どこの誰がそれを手に入れたのかもわからねぇ。そもそもの話、お前がどう思っているのかは知らねぇが、あのババァは敵に回せねぇんだよ。だからあんまりあの学院で好き勝手するわけにはいかねぇんだ。だからそうやって手間取っている間に誰かに奪われりゃ、それこそ俺たちからすれば面倒なことになるってわけだ」


「……くだらんな」


「だがそのくだらねぇことで今回のこともなかったことになるんだぜ? そもそも元々今回の件は俺らには比はねぇはずだぞ? テメェとあの屑の間での出来事だろうが。テメェが一方的に攻めてきて、一方的に嬲り殺していったんだからよ。俺は巻き添えを喰った被害者だぜ?」


 知ったことかと、そう口を開くより前にボスがアーノルドの言葉を遮る。


「ああ、何も言う必要はねぇよ。さっきも言ったが別に俺もそれでテメェを責めるつもりはねぇからな。それにテメェに渡すプレゼントを考えりゃ、テメェにとってもメリットしかねぇはずだぜ?」


「プレゼント?」


「ああ、テメェがいま一番欲しているものをくれてやるつもりだ」


 得意げな笑みを浮かべるボスに対してアーノルドの表情はスッと冷めたように退屈げなものへと変わる。


「確かに貴様は珍しい素材を扱っているようだが、別に貴様に頼らなければならんこともないぞ?」


 だがそう言われたボスはキョトンと一瞬目を丸くし、カラカラと笑う。


「確かに素材もあるにはあるが、そんなもんじゃねぇよ。そのぶら下げている剣に勝る素材なんざそうそうねぇからな」


 当然のようにアーノルドのことを調べ上げていると言外に告げてくるボスを若干睨みながら続きをあごで促す。


「あの嬢ちゃんに情報屋を探させていただろう? テメェにも情報を集める部下はいるだろうに、なぜそんな奴らを頼ろうとしたのかは結局あの嬢ちゃんが口を割らなかったからわからなかったが……必要なんだろう?」


 必要だ——とは言わない。


 たしかに人手は足りていないが、それでも必須というわけでもない。


 とはいえ、いらんと手放しに言えるわけでもない。


 現状アーノルドが有する諜報部隊の者達では人手が足りていないのは事実だ。


 伝手がないよりはある方がいい。


 その僅かな悩みが表に出てか、眉間に皺を寄せているアーノルドをフッと笑ったボスは粛然とその口を開いた。


「——ラン・デジール」


 ゆっくりと、絡めとるような視線を向けてそう言いきったボスはフッと笑う。


「情報屋を探してんなら知らんわけはないだろう?」


 ラン・デジール。


 この国随一と言われる情報屋のスペシャリスト集団。


 この国で情報屋についての情報を集めたときにまず名が上がる。


 属している人数、誰がリーダーなどかは不明。


 だが依頼した情報はどんなことだろうが手に入れてくると言われているほどその評価は高い。


 誰かのお抱えということもなく、幽霊のように神出鬼没で捕まらない。


 何より特異なのは、情報屋側が完全に顧客を選ぶこと。


 どれだけ金を積もうと、どれだけ権力を有していようと、彼らが気に入らなければ依頼を引き受けることはないという。


 接触してくるのも向こうからで、こちらから探すことはほぼ不可能だとも言われている。


 顧客を選ぶ基準は不明。


 しかし、この国の中枢の機関ですらその者達を使っているという信憑性の高い噂が流れるほど、その情報収集力は群を抜いているらしい。


 リリーが探していたのもおそらくはこのグループだろう。


「聞いた話では、気に入った者以外の依頼を受けることはないとのことだが? そもそも貴様らに紹介するだけの繋がりがあるとは思えんが」


「繋がりなど当然ある。さっきの新鳳祭の情報だってそいつらから手に入れたもんだからな」


 そう自信満々に嘯いているボスであるが、その真偽をアーノルドが確かめる術などないのだから信憑性においては無意味だ。


 だが嘘を吐いている気配もなかった。


「……貴様が紹介するといって、奴らは応じるのか?」


 人を選ぶというのならば、たとえ顧客の紹介であろうが一蹴に付すだろう。


 それでは取引の材料にはなりはしない。


「心配はいらねぇよ。そこのところは話をつけてある。お前が頷けば、あとは俺が場所を教えるだけだ」


 ニヤッと笑みを浮かべてそう言うボスであるが、アーノルドはどこか腑に落ちず、その表情を険しげに歪める。


「……それを信用しろと? その行った先で襲撃されると言われた方がよほど現実的だぞ?」


 だがボスはグラスを呷りながら嘲るように失笑を漏らす。


「そんなことするくれぇならここにいるメンツで襲った方が手っ取り早いだろうがよ」


 おそらくはここにいる者達がアノッソファミリーの主要メンバーだ。


 ゴルドルフィの存在感も凄まじいが、それだけでなくその他の者達もアーノルドが片手間で倒せるような者達ではなさそうであった。


 言葉を選ぶことなく言うのであれば、アーノルドよりも強い。


 目の前のボスも態度そのものは飄々としているが、その実力が相当なものであることは疑うまでもなかった。


 なぜマフィアのボスなどしているのか不思議なくらいだ。


 だからこそ確かにボスの言う通りアーノルドを叩き潰すのならばいまここで襲いかかった方が手っ取り早いことに間違いはないだろう。


 険しい目つきで闘技場を見下ろしているアーノルドにシビレでも切らしたか、ボスは大きくため息を吐いた。


「何を迷う? 天下のお貴族様が、それも名のある貴族の子弟が、たかがマフィア如きの力が少しばかり増大する程度のことで臆しているわけではないだろう?」


 明らかな挑発ではあるが、実際それも無視はできない。


 ボスは不安要素は限りなく減らすと言ったが、それはアーノルドとて同じこと。


 ただでさえ強いとわかっている者達の力を上げる可能性がある魔道具。


 それを渡すなど、わざわざそんな危ない橋を渡る必要もない。


「……別にテメェにデメリットなんざねぇだろ。最初に言ったがこれは対等な取引だ。貸し借りなんざねぇんだぜ? 俺も欲しいものを手に入れて、テメェも欲しいものを手に入れる。問題あるか? それとも端からマフィア如きと取引なんざする気はねぇってか?」


 ずっと考え込んだままのアーノルドに顔を顰め、少しばかり声色を落としてそう問うてきたボスにアーノルドはやっと視線を向ける。


 ジッとアーノルド睨むように見てくるボスに対してため息を吐いたアーノルドはその口を億劫そうに開いた。


「……いいだろう。その挑発に乗るのは些か癪ではあるが。下手に拗らすよりはそれで精算するとしよう」


「そうこなくちゃな」


 アーノルドが乗ってきたことでボスはニヤッと口端を上げた。


「私が差し出すのは優勝景品の魔道具が一つ。貴様が差し出すのは金と、ラン・デジールとの取引のための情報。相違はないな?」


「ああ」


「だが、新鳳祭はまだ二月(ふたつき)は先だろう。それまではこの取引は先延ばしにするのか?」


 取引完了まで結局二ヶ月も先になるのならば、下の者が暴走する可能性が残っているだろうとアーノルドはボスを睨め上げる。


 だがボスは毅然と首を振る。


「いや、取引は今日で終わりだ」


「……表向きはか?」


「ああ。だがお前への報酬は前払いしてやるよ。奴らとの接触はいまがいいんだろう? サービスだぜ?」


 随分とこちらに寄り添うように接してくるボスにアーノルドの眉が寄る。


 思えば最初からだ。


 最初はこちらへの敵意を隠しているのかとも思っていたが、ボスの様子からして本当にアーノルドに敵意といったものはなさそうであった。


 そもそもこれだけの戦力を持っていて、いくらアーノルドがダンケルノ公爵家のものだからと襲いかかって来ないのも不思議である。


 理性的であると片付けることもできるかもしれないが、ずっと閉鎖していた国の人間がそこまでダンケルノ公爵家を恐るというのも腑に落ちない。


 むしろ知らぬからこそ、その恐れも少ないはずだ。


「先払いとは随分気前がいいな。私が魔道具を渡さない……もしくは得られなかったらどうするつもりだ?」


 裏の人間ならば取引の品は同時にやり取りするのが基本だろう。


 アーノルドが必ず優勝するとも限らず、ましては今日初めて会ったばかりだ。


 約束を守るかどうかも定かでない。


 何をもってそれほどまでにアーノルドを信じているのか。


 それとも用意できない、その状況をこそ狙っているのか。


 だがそんなことを考えるアーノルドを嘲笑うかのようにボスは不敵に笑う。


「別にそれでもいいぜ? まぁその場合、当然金は払わねぇけどな」


 渡さなければどうなるかといった脅しの言葉でもなく、本当にどうでも良さそうにそう言ったボスに対してアーノルドの眉が更に険しげに寄る。


 是が非でも手に入れたいといった態度に矛盾しているし、悪意のようなものも感じ取れない。


「まぁお前を信じてるってこった」


 そう言いならが笑い声を上げるボスに呼応するように、アーノルドの目が先ほどまでとは違った意味で細まる。


「信じている? はっ、よくもぬけぬけと」


 信頼関係など最低でもいくつかの信用を経て、積み上げていくものだ。


 まだ何もない、そもそもそれを積み上げる気もないアーノルドに対して言ってくるなど笑止千万。


 不機嫌そうに眉を顰めるアーノルドにボスはまたしても不敵に笑う。


「そう裏を勘繰るなよ。お前がちゃんと持ってくれば問題はねぇよ。そうだろ?」


 間違いではない。


 たしかにアーノルドが持ってくれば問題ないし、アーノルドも先にこちらが報酬を受け取ったからとブツを渡さないつもりもない。


 だがボスの狙いがイマイチ見えてこず、何を考えているのかわからないのはどうも気持ちが悪い。


「ああ、そういや自己紹介がまだだったな。俺の名はドラム・ボルサーノだ。よろしく頼むぜ?」


「今回限りの関係によろしくもないだろう」


 アーノルドが素っ気なくそう言うと、いやいやとドラムは否定する。


「人生がどうなるかなんてのはわからねぇぜ? 一度縁ができりゃ、案外続くことも多いもんだ。俺とお前はこうやって縁が出来ちまった。繋がりは大事にしなきゃならねぇぜ?」


「くだらんな。それは群れなければ何もできない者の思考だ」


「人を使う支配者の考えじゃねぇってか?」


 アーノルドの言葉に好奇心でも刺激されたか、僅かに好奇の視線を向けてくるドラムの言葉をアーノルドは厳然と否定する。


「いいや、私の考えとは違うというだけだ」


「ほう……」


 興味深く探るような視線で低くそう呟いたそのとき、ドラムの元へ部下らしき人物が耳打ちにくる。


「そうか、わかった。おい、どうやらテメェんとこの嬢ちゃんが着いたらしい。ああ、それとこれが取引地点だ」


 ドラムがそう言うと同時、その側近がアーノルドの前に一枚の折り畳まれた紙を差し出す。


「見たら燃やしておけ。まぁどうせテメェ意外は使えねぇだろうがその方が面倒は少なく済むだろうよ」


 そう言われたアーノルドがその紙を手に取り立ち上がると、ドラムが意外そうな声色で呼び止めてくる。


「おいおい、もう帰るつもりか? 続きを見ていかねぇのか? あのシスターもだが、他にも手練れが出てくるぜ? まだまだ楽しみはこれからだってのによ。今後のためにも見といた方がいいんじゃねぇか?」


「……魔道具は手に入ったらちゃんとくれてやる」


 アーノルドはそれだけ言うと、部屋の出口へと向かっていった。



「よかったのですか。あのような取引で」


「構いやしねぇよ。どの道俺らが奴に手を出すわけにはいかねぇだろ?」


「たしかにそうですが……」


「ああいった手合いは下手に駆け引きするよりも適当に転がしといた方がいいんだよ。どうせあの取引で俺らに損なんざ一つもねぇんだしよ」


 そう言いながらお前もどうだとその側近に酒が入ったグラスを差し出すが、その側近は僅かに首を振りそれを拒む。


「まぁラン・デジールの方も、俺らが言わなくとも奴らから接触するだろうしな。俺らが教えたって方が高値がつくだろ? 元手がゼロだから、その分だけ俺らの益となる。あいつらにも奴らにもな」


「しかし……、敵に塩を送るような真似をしてもよろしいのですか?」


「敵に塩か。それがどうなるかは奴ら次第だろうよ。あの坊主は一癖も二癖もありやがるし、奴らは興味がある奴しか相手にしねぇ。俺らも使い所は見極めぇと逆に悟られる可能性がある。そこは気をつけておけよ」


「承知しております。奴らとの接触は極力“知らぬ者”にしているので」


「ああ、そういやこれをアイツらに頼むのを忘れていたな」


 一枚の紙をヒラヒラと揺らすボスはその紙をそのまま放り捨てた。


「……まぁいいか。あの爺さんも、もうそろそろヤバそうだしな。俺らが向かわせた結果戦闘になりましたじゃあ、損の方がデケェか」


「……よろしいのですか?」


 若干躊躇いがちに聞いてきた側近をボスは鼻で笑い飛ばす。


「あの爺さんの命令(おねがい)を俺が聞く道理もねぇよ。それで跳ね返ってくんならそんときはそのツケを払わせるだけのことよ」


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