第2-27話
アーノルドはエバンの言葉にくだらなさそうにため息を吐いた。
魔法師が剣士に及ばないなどという妄言もさることながらアーノルドを魔法師と思っている愚鈍さ。
あのゲーテの授業に観戦とはいえ参加出来ている時点で特抜性として剣士の才覚も認められているということ。
それに気がついていない。
「安心しろ。貴様相手に魔法は使わん」
アーノルドはぞんざいにそう言いながら、ゆっくりと黒剣を解き放つ。
魔法師が魔法ではなく剣で戦うという、自身を馬鹿にするかのような言葉に言い返そうとしたエバンであるが、その黒剣の剣身が放つ怪しき紫黒の輝きを見て思わず押し黙ってしまった。
「へー、あれがゲーテ様が欲したっていう宝剣? 確かに凄いわね」
「ん? 俺は単にゲーテ様の逆鱗に触れたって聞いていたが」
アーノルドとゲーテの会話は遮断されていたがゆえに噂は一人歩きし、さまざまな事実無根なことが事実として広がっていた。
ゲーテが剣を欲したというのはその美しさとゲーテの剣への熱意ゆえに。
そして逆鱗に触れたというのも、たかがシュヴァリエが分不相応にもゲーテの講義を受けようとして直談したとしてだと。
そういった憶測が憶測を呼び、次第に多くの造言が事実のように広まっていた。
真実であるゲーテがアーノルドを勧誘したという噂も当初はあったが、その信憑性の低さに次第にその噂は掻き消えていた。
エバンは乱れた心を振り払うかのように頭を振り気を取り直し、先ほどのアーノルドの言葉を思い出してかその顔を徐々に怒りに染めていった。
「お前……この俺を侮辱するか! 魔法師の分際でこの俺と剣で戦うだと⁈ 馬鹿にするのも大概にしろッ‼︎」
「馬鹿にするか……。まぁ否定はすまい。貴様らの愚鈍さは馬鹿にするに値する愚劣さだからな。だがまぁそんな貴様らの愚劣さもたまには役に立つこともある。さて、はたしてどこまで耐えられるか……見てみるとしよう」
アーノルドがそう言いながら、自身のオーラを黒剣へと流す。
それを見たエバンはビクリと怯えと驚愕をその表情に滲ませ、少し離れたところから見ているリンネはゾクゾクとした好奇の笑みを浮かべていた。
「な、なんて禍々しいオーラなの⁉︎」
「おいおい、まずいんじゃねぇか? あれはエバンには無理だろう。流石に俺たちも間に入ったほうが良くないか?」
過激派に属するこの二人であるが、その目を狂わすほど自国が優れているなどとは妄信してはいない。
優れたものは優れたもの。
それは他国のものであろうとも変わらないということを知っている。
それにアーノルドの黒剣から流れるオーラの波動は剣士であるこの者達にとってそれがどれほどの境地なのか当然理解している。
だがリンネは薄く笑みを浮かべたまま首を振る。
「いいえ、まだ大丈夫でしょう。オーラが使えるのと使いこなせるのもまた別問題よ。いくらなんでも使いこなすにはまだ幼すぎるわよ。見せかけだけってこともあるじゃない。それに何も境地だけが勝負の全てを決めるわけじゃないわ。アンタもそれは知ってるでしょ? それにエバンだって弱くはないわ。勝機は十分あるんじゃない?」
それらしいことを言い、ある意味適当とも言える言葉を嘯いているリンネをリーフィルは胡散臭げに見ていた。
だが確かにリンネの言うとおり、勝敗は境地だけでは決まらぬし、エバンに勝機がないとも思わなかった。
「それにどうせここは学院の敷地内よ。スリザーヌ様の結界がある限り、どうせ死ぬことはないわ。それに……、あの一年とエバン……どっちが勝つか見ものじゃない?」
リーフィルはその言葉に口端を歪めた。
「けっ、相変わらず悪趣味なやつだ。昔から自分の手を汚さずに何かを得るのは得意だったな」
「失礼ね。まるで私が性悪みたいじゃない。私は別に望んで誘導なんてしてないわよ。少しばかり有益な助言を送るだけよ。必要以上に干渉しないわよ。それに、その結果どうなろうが私の知ったことではないわ」
ふっと微笑むリンネにリーフィルはケッと悪態を吐くだけでそれ以上何も言いはしなかった。
そんなリーフィルを見て愉しげに微笑んでいたリンネであるが、その視線をアーノルドに移し、何やら思案するかのような表情を曇らせた。
「……それにしても、あれでなんでシュヴァリエなのよ。この国の教員も遂にそこまで腐ってたってわけ?」
「どうだかな。最近は紛いものも増えてきている気はするが、それでもそこまで腐っちゃいないはずだが……。とはいえ、教師がどうであろうとあいつがまともじゃないのは確かだな。今年の一年は傑物が多いと聞いていたが、まさかグランクロワ以外にもいるとはな。それにグランクロワにも紛い物が混ざっているなんて噂もある。今年はなんだか全体的にきな臭い。クラスの体をまるで為していないな。これだから他国の者を入れるのは反対だったのだ」
そう嫌悪を露わにするリーフィルにリンネが意味ありげな流し目を送ると、リーフィルはバツが悪そうに鼻を鳴らした。
「だが……デメリットばかりでもなかったのは確かであったがな。エバンも盲目を捨ててその辺りをもう少し考えられるようになれば少しは成長しそうなんだがな」
「まぁそこはあの親と境遇のせいもあるでしょうね」
そう言いながらリンネはエバンへと視線を移した。
エバンはアーノルドのオーラを見て表情を強張らせていた。
「オーラマスター……だと?」
ポツリと呟くように言ったエバンの言葉にアーノルドは怪訝そうに眉を寄せる。
「オーラマスター? なんだそれは。まさか、たかがオーラが扱えるだけでマスターなどと言っているのか?」
嘲笑するわけではないが、呆れを含んだような瞳を向けられエバンの表情がピクリと動く。
オーラマスターという言葉はこの国の、正確にはこの学院で使われるオーラをある一定レベルまで使えるようになった者達のことを言う俗語だ。
オーラマスターとして見做されるのは、自らの武器に自身のオーラを通せるようになること。
身体強化程度ではオーラマスターとは見做されない。
中等部でそのオーラマスターの境地に至れる者は一割どころか一分にも到底満たない。
せいぜいそれぞれの学年で数人もいればいい方だろう。
誰もいないような年度も普通にある。
要はそれに至った者は優秀なる者の証であり、中等部の暗黙の限界、それに至ったという証。
だからこそ敬意を込めてマスターなどと言うのだ。
当然二年になったばかりのエバンにはまだ到達出来ていない境地だ。
だがエバンは中等部卒業までにその境地に至れると見込まれている者の一人でもある。
しかしそう見込まれているにもかかわらず、エバンの二年でのクラスはコマンドゥール。
最高位のグランクロワの称号は授けられずともグラントフィシエには属せると思っていたのに、その二○人にすら入れなかったことはエバンの矜持を大層傷つけていた。
それを、シュヴァリエであるアーノルドごときがその境地に至っているという冗談もさることながら、まるでなんの価値もないかのように話すアーノルドにエバンはギリっと歯を噛んだ。
「よくも……ッ!」
だがすぐにそんな現実を直視しないかのように鼻で笑う。
「そんな程度で良い気になっているようだが、それが出来たからとお前が強いわけではないということを知らんようだな。所詮お前などシュヴァリエの落第者にすぎん。落第者にすぎんお前など俺の敵ではない! お前に本当の剣術とはどういうものか、この俺が教えてやろう!」
エバンは強気にそう嘯き、得意げに口端を上げる。
「雑魚ごときには勿体無いが、お前は我が流派の技で倒してやる。光栄に思うことだな。……リーンとかいうあの女も、お前も、シュヴァリエごときにしかなれん雑魚はこの俺の前に跪き赦しを乞うておけばいいだよッ!」
そう言うや否や、エバンはアーノルドに勢いよく突っ込んでくる。
だがアーノルドは剣を依然として下げたまま、その剣の向きを僅かに変え、エバンを見据えるだけだった。
そんなアーノルドの態度も癪に触ったか、エバンは舌打ちしながら剣を目の高さまで。
「喰らえ‼︎ 『三仙弦』‼︎」
踏み込みと共に勢いよく放たれる刺突をアーノルドは三歩後ろに下がりながら、鼻差で避ける。
だがエバンはそのまま腕をしならせるように振るい、離れていくアーノルドにまるで獲物を定めた蛇のように追従していく。
だが二撃目に振るわれた攻撃もまたアーノルドは身を逸らしギリギリの間隙で避けた。
——明らかに見切られている。
それが外から見ているリンネ達の感想であった。
だがエバンの顔にはまだ憂いも焦りの表情も浮かんでいない。
「これで終わりだ‼︎」
エバンがそう言いながら、回転斬りのように一転しながら全体重でも乗せるかのように渾身の力で攻撃してくる。
それもまた同じように避けようとするアーノルドにエバンがニヤリと笑う。
次の瞬間、避ける余裕あるはずのエバンの振るう凶刃がアーノルドに襲いかかる。
剣を振りきりスタッと着地したエバンはまるで血でも振り払うかのように剣を一払いし、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……よく避けたな」
そう言うエバンの顔は憎しげであり、苦々しいものでもあった。
アーノルドはそんなエバンをまるで評価でもするかのような静かな瞳で見据えていた。
「悪くはなかったぞ。お前がもっと強ければ当たったかもしれんな。……だが、その程度では私には届かん」
エバンの攻撃はその実、三撃目だけが本命だった。
一撃目、二撃目は“敢えて”避けれるギリギリを攻め、エバンの剣域を錯覚させ、相手の全てをエバンの望むように誘導する。
そしてその上で最後の攻撃は本気で踏み込みその上で剣の握り手すら変え、大幅にその間合いを広げることで相手を斬るのだ。
本来ならば握り手ではなくオーラで剣長を伸ばす技であり、連撃の狭間などに用いらてこそ真価を発揮するものであるが、そこはまだエバンが未熟ゆえにこの形態でしかまだ使えていない。
だがこの技はアーノルドのように相手の間合いを見定め、ギリギリ避けるような者の方が罠に嵌まりやすい。
しかしながら、エバンが分かっていないのはアーノルドとの実力差だろう。
似た実力者の間ではそれも立派な技になろうが、乖離した実力差の前ではその程度は小手先の誤魔化し程度にしかならない。
見てから反応できるのだから。
アーノルドはエバンの伸びたと錯覚させるような一撃を見てから上体を逸らすことで避けていた。
その表情には微塵たりとも驚きのようなものはなかった。
だからこそ先ほどのアーノルドの言葉はむしろエバンの矜持を傷付けたと言える。
だがエバンは今の攻防を終えて尚アーノルドが自身よりも格上であるとは認めていない。
アーノルドがジュヴァリエである以上、たとえ負けようともアーノルドが上であると認めることはないだろう。
それだけエバンにとってクラスとは、そして属している国とは人を構成する全てなのだ。
アーノルドの言葉に怒りの表情を浮かべたエバンはすぐに次の構えを見せる。
「ッ……なら! これでどうだッ⁉︎ 『乱翔龍』‼︎」
そう叫ぶと、エバンの体がまるで発光しているかのようにオーラに包まれる。
そしてエバンのそのオーラが煌めく道となり、さながら龍が激しく翔けるような軌道を描く。
だがエバンはアーノルドに向かうでもなくその周囲を囲うように激しく動きまわっていた。
傍目からはただの撹乱目的か、意味のわからない行動ではあるが、アーノルドはその動きを鮮明に目に焼き付けながらエバンの動きを追っていた。
だが少ししてエバンは雄叫びをあげながらアーノルドの方へと突っ込んでくる。
「死ねぇぇええええええ‼︎」
すると突如、アーノルドの体にエバンの方へと吸い込まれるかのように引力が生じる。
(なるほど。空気を斬り裂き、風を生み出すことで対象の動きを阻害する術か。おそらくは擬似的な魔法陣を残存する“オーラ”で描いたといった感じか。面白いことを考える。だが……威力はバルトラーの持っていた神槍の方が格段に上だな)
範囲は極小なれど、いまアーノルドがいる地点は小さな台風が吹き荒れていると言って良い。
常人なれば立つのが困難なほどの状態だ。
だがアーノルドにその程度の術など効きはしない。
「面白くはあるが……くだらんな」
そう呟くと共にアーノルドは突撃してくるエバンの剣を黒剣で弾き飛ばした。
その衝撃で仰け反るエバンの表情は愕然としていた。
「なっ、……なぜ、……なぜ動ける⁉︎」
エバンのその驚愕は心の底から出た言葉であった。
たしかにエバンの実力では“真”の『乱翔龍』には及びはしないが、相手は自身よりも格下のシュヴァリエなのだ。
そうなれば、技が完成した時点でもはや必中なのは疑うまでもない。
暴れる風が相手の体の自由を奪い、動けるはずがないのだ。
そもそもシュヴァリエごときに使うなど勿体無いほどの奥義。
自分よりも格上の相手ですら倒せる可能性を秘める技。
これがあるがゆえに、エバンはオーラマスター候補と呼ばれているのだから。
だからこそ、自身が使うと決めた時点で勝ちは決まったも同然のはずだったのだ。
——それなのに!
そう憤りつつも、呆然と立ちすくみ動かないエバンをアーノルドが鼻で笑う。
「なんだ。その程度の技が最強だとでも思っていたのか?」
「違うッ‼︎ この技の本領はこんなものじゃ……いや、そもそもシュヴァリエごとき屑が……屑がなぜ⁉︎」
エバンは本当に理解できないと頭を抱えながら、まるで常識の埒外の存在にでも出会ったかのような愕然とした表情を浮かべ、うわ言のようになぜと言い続けている。
そんなエバンにアーノルドはため息を吐いた。
「くだらんな……。貴様は至極つまらん。貴様は相手も見ずに貴様の思い描いた幻人と戦っているだけだ。誰が相手だろうと貴様は貴様にとっての理想の弱者としか戦っていない。だからカーボ(弱者)ごときに遅れを取るのだ。相手が本気で自分の思うように動くと思っている。想定外を想定すらせず、自らの妄想の中でのみ戦いを展開するなど……いっそ哀れみすら湧いてくるな。見慣れぬ技ゆえに少しばかり見定めようと思っていたが、興醒めだ。使い手がこれでは技の方が泣くというものだな」
アーノルドはそう言うと、瞬間移動でもしたかのように一瞬でエバンの後ろへと回り込む。
「たしか……『三仙弦』だったか?」
「なっ……⁈」
アーノルドが先ほど見たエバンの技の原理を紐解き模倣する。
一撃、二撃——
「な、めるなぁぁぁ‼︎」
流石にエバンが使っていた技だけあってかその対処もお手のものだったのだろう。
三撃どころか二撃目で打ち返された。
「流石に誘導が甘かったか。見た目ほど簡単ではなさそうだな」
技の性質上、迎撃された時点で完成せぬゆえに、本来迎撃しようとする気持ちにすら起こさないのがこの技の完成系だ。
そこまで相手の動きそのものを誘導し、そうせざるをえない状況に追い込んでこそであるが、技を知るエバンが相手ということもあるだろうが、いきなり出来るほどアーノルドの技量も足りているわけではなかった。
そういう意味ではエバンの技量はその一点においてのみアーノルドを凌駕しているとも言えるかもしれない。
だがアーノルドはつまらなさそうにため息を吐くだけだった。
「そもそもこれは単体で使う技でもなさそうだがな。応用は効きそうだが……。とはいえ、私にはいらんな」
謂わばこれは相手を操り、干渉する技。
アーノルドにとってそのような“小細工”など望むものではない。
いまのアーノルドの瞳に映るのはあの極大の斬撃のみ。
だがその言葉にエバンの顔が般若のように変化する。
己の自慢の流派の技を無価値なものと断じられたのだから然もありなんであるが、びっくりするような変貌具合だ。
リンネ達ですらギョッとしている。
だがアーノルドはそのエバンの表情を見て冷笑し、珍しくも笑い声をあげる。
「ハハ、良いぞ? さっきまでより随分マシな面構えになったな」
そう言うと、アーノルドはオーラを剣だけでなく身体全体に立ち昇らせた。
黒々としたオーラがアーノルドを包む。
どれだけ頭に血が昇っていようとも、その暗々としたオーラを見れば血の気が引いていくような想いが湧き上がるのか、それとも先ほどまでの攻撃で万策でも尽きたのか、エバンは睨むだけで突っ込んでくることはなかった。
「さて、代償は払わなければな……」
アーノルドがそう呟き、構えたのを見たエバンは瞠目する。
——さっきの自分と同じ構えをしていたのだから。
——『乱翔龍』
アーノルドの黒閃が翔ける。
エバンなどの比ではなく、それは本物の黒龍を想起させ、オーラだけでなくアーノルドが突き進む道全てに跡を刻む。
——馬鹿な‼︎
——ありえない‼︎
心の中でそう叫ぶほどエバンの顔は悲壮と驚愕に満ちていた。
アーノルドが予想した通り、これは擬似的な魔法陣を描いているに等しい技だ。
マナではなくオーラで描いているため厳密には魔法陣とは違うし、おそらくはかつてこの技を生み出した本人も魔法陣を描いているなどとは思っていないだろうとアーノルドは予想している。
それがわかったのはアーノルド自身が魔法陣を“描ける”からに他ならない。
何も知らないであろう剣士が術理を生み出すというのは相応に面白く興味深いことであった。
だが効率でいえばかなり悪いだろう。
もし同じ技を発動するのならば、それこそアーノルドならばマナで魔法を構築したほうが早い。
アーノルドもまたなぜオーラで魔法のようなものが発動するのか、その原理は理解できていないが、それでもマナとオーラではその変換効率も大きく違うことは知っている。
マナとオーラは共存関係にはないと。
むしろ排他的なのだ。
それゆえ、一歩間違えれば技は発動しないかその威力はかなり減衰してしまうことは間違いない。
正確にただ一つの正解を寸分の狂いもなくなぞらなければならないため、難易度でいえばかなり高い技なのだ。
エバンとて死に物狂いで鍛錬し、本来ならば数十年から一生涯、どれだけ早くとも十年はかかると言われる家門の秘技を前代未聞の早さ、やっとの想いで修得できたのだ。
全ては嘗ての栄誉と権威を取り戻すためだけに。
それをたった一度見ただけで模倣するなど認められるわけがなかった。
自分は天才だからこそこの歳で使えるようになった。
——天才だからこそ!
——天才の自分以外にできるはずがない!
それを凡俗で屑なシュヴァリエになど使えるはずが、そもそも自身の一族の流派を習ってもいない分際で出来るはずがないと、もはや慟哭にも近い叫びを心の中で浮かべていた。
だが無情にもアーノルドの技は完成に近づいていく。
エバンもまた幾千幾万では効かぬほど何度も繰り返してきたがゆえにアーノルドの歩法が間違っていないことがよくわかる。
エバンはすぐに技の完成を阻止しようと動くが——時すでに遅しであった。
アーノルドの動きはエバンのそれよりも洗練され、速度も比較にならない。
すぐに技が形を為し、実体を生み出す。
生み出された幻風もまた黒龍の吐息を思わせる威力をもってエバンに襲いかかってきた。
「うぐっ……‼︎」
酔ったなどと表現できる域を超えて突如目がぐるりと回り、フラついたエバンに対し、そのままアーノルドの一閃が襲いかかった。
——ボトッ
反応できるはずもなく何かが落ちるような音を聞いたエバンであるが、同時に生じた少しの衝撃にフラつき、そのままバランスを崩す。
地面に手をつこうと伸ばすも、そのまま顔面から突っ込んでしまった。
痛みに顔を顰めながらも違和感がある左腕の方を見るとエバンの左腕が肘辺りからごっそりとなくなっていた。
一瞬理解が追いつかず呆然となるも、認識してしまったことで痛みが襲いくる。
「ぐああああああああああああああ。痛い痛い痛いーーーーがぁぁああああああぁあぁぁ~~~~~~」
獣のような悲痛な叫び声をあげ痛みにのたうち回るエバンであるが、そんなエバンをアーノルドはまるで実験動物でも見るかのように冷ややかな目で見ているだけだった。
「やはり死なぬのならばこの程度はいけるのか。失血死の可能性はと考えていたが……まさか腕の切断面が結界に覆われ失血を留めるとはな」
アーノルドは思わず失笑してしまった。
この学院内で誰かを殺すというのは相当難易度が高いことは理解できた。
とはいえ、誰かを傷つけるだけならばそれこそ手加減すれば容易に行えることも理解できた。
もし全ての攻撃を弾くような結界が貼られているのであれば、エバン達のような者達がこの学院内で大きな顔をしていることもなかっただろう。
防ぐのは即死級の攻撃のみ。
だが学生達に即死級の威力を持った攻撃などそうそう放てはしない。
もちろん、殺すだけならば頭や首、心臓を狙えば誰であれ死に至る攻撃は放てるだろうが、たとえ先ほどのエバンの攻撃がそこらの普通の学生に放たれたとしても、エバンが当てるところさえ選べば、結界を発動させず傷付けることができただろう。
傷付けた後は結界により失血を阻止し死が防がれるのであれば、尚更エバン達からすれば遠慮なくやれる。
死なぬ保証付きでいくらでも虐げられるのだ。
やり易いことこの上ないだろう。
そこではたと気づく。
あのときおそらくボルネイを殺そうとしてもおそらくこの結界に阻まれていただろうと。
結界自体を破れる自信はあるが、それでもより面倒なことになっていたのは違いない。
そう思えば、いまの選択は間違いではなかっただろうと。
アーノルドがそんなことを考えていると、リーフィルとリンネがエバンへと駆け寄り、斬り落とされた腕に何かを振りかけ切断面に引っ付けたかと思えば、リンネが何やらビンのようなものを取り出していた。
リンネが口でそのビンを閉めているワインコルクのような栓を開け、そのままエバンに飲ませたかと思えば、そのまま患部にも振りかけていた。
それにより、エバンの苦痛に歪んでいた顔も徐々に元に戻り、信じられぬことにどうやら腕も引っ付いていたようであった。
「ほう、興味深いな」
アーノルドはそう言うと、手に持つ剣の向きを僅かに動かし、一歩近づく。
だがリンネがアーノルドの前に立ち塞がる。
「もう勝負はついたでしょう。流石にこれ以上続けるってんなら見過ごせないわね」
そう言いながらリンネとリーフィルの二人は自らの剣をいつでも引き抜けるようにか手にかけた。
「ほう、二人がかりか。構わんぞ。なんならそこのも加えて三人で来ると良い。実験も大方終わった。ならばあとはこの学院のレベルを見ておくのも悪くはない。果たして貴様が、いや、貴様らが大口を叩くほどの実力があるのか……」
挑発するような視線をリンネへと向けるアーノルドであるが、その視線を遮るようにエバンが立ち上がり、リンネ達に対して憎々しげな顔を向ける。
「俺を、この俺を馬鹿にするつもりですか⁉︎ この程度——」
「あれを本気でこの程度なんて思っているのなら、随分と失望させてくれるわね」
リンネが先ほどまでのふざけた様子とは異なり真剣な、だが到底親しい者に向けるようなものではない静かな声色でそう言うと、エバンは苦虫を噛み殺したかのような表情をして視線を逸らした。
心では認められなくとも頭はもう理解しているのだろう。
アーノルドの方が格上だと。
だがそれでもエバンはまだ認めないだろう。
認めるわけがなかった。
リンネは苦悩と葛藤に表情を歪ませているエバンの肩を労りでもするかのようにポンと叩き、ニッコリと笑みを浮かべる。
「それにその腕も応急処置に過ぎないし、何よりあれ……高いのよ?」
その金額を想像してか表情を更に歪ませたエバンを愉快げに見たリンネはその瞳で今度はアーノルドを見据えてくる。
「ねぇ。なんでシュヴァリエなんかに属しているわけ? わざと試験で手を抜いた? それとも試験でなんかやらかした? もしくは……いえ、そう言えば……、今年の入学試験で試験官複数名が処分されたって聞いたけど、それに巻き込まれたって感じかしら? いや……、でも、補填はされるだろうし、どうにも辻褄が合わないのよね」
アーノルドが何も答えなくとも、リンネはただ一人で喋り続けている。
リンネとしても答えを知りたいというよりはただ声に出して整理したいといった感じなのだろう。
その間、リーフィルは処置なしといった感じでリンネを見ており、エバンを守る気こそあれ積極的に戦いを起こそうという気配は感じなかった。
そうこうしていると整理し終わったか、リンネはその視線を再びアーノルドへと向けてくる。
「ところで……、このまま引き下がってくれるのならこっちから攻撃をするつもりはないのだけど。期待してもらって悪いけれど、私って荒事はあまり得意じゃないのよね」
リンネは全然そんなことは思っていなさそうな表情でそう嘯いていた。
「お互い面倒ごとは避けたいじゃない? だからここで引いてくれるのならば、こっちも攻撃するのはやめてあげれるわ。ここでお互い引けばwin-winじゃないかしら」
傲慢にして上から。
だが面倒だと思っているのもまた真実なのだろう。
ここでアーノルドが引けばリンネもまた弁明する必要も隠蔽する必要もなくなるのだから。
だがそれでも積極的にそうなれば良いなどとは思ってはなさそうであった。
どっちに転んでもいいと考えているのだろう。
リンネからは敵意というより好奇の視線をヒシヒシと感じる。
「ねぇ、ところでさっきのってその剣だから出来ることなのかしら? その剣ってもしかして……神具なの?」
リンネの視線はアーノルドの持つ黒剣に釘付けであった。
見てすぐに技を模倣するなど並大抵の実力では出来ない。
それもエバンの技は何度か見たことがあるリンネからしてもなぜそうなるのか原理を理解できていないものだ。
だがそれも神具の力となれば別だ。
その見た目もまた神具と言われても遜色がないほど人を魅せるものである。
そのためリンネが黒剣を神具の類と考えるのも無理はないだろう。
「——ふざけているのか?」
神具だと仮定してあれこれと考え込んでいるリンネにアーノルドは不機嫌さを滲ませそう言った。
「ああ、やっぱり神具なわけ——」
「相手が弱ければ自分の好きなようにし、相手が強ければ戦いを辞めてやるとはな」
「ああ……、そっち?」
リンネは愉しげな声色から一転、つまらなさそうに肩をすくめた。
「でも世の中そんなもんでしょ。わざわざ強いやつに喧嘩を売るなんて馬鹿のやることだわ。生涯勝者であり続けるのならば、勝てる相手に勝負を挑むか、それとも万全の準備をして自惚れた強者に挑むか、そうでしょう? 勝てない相手を見極めるのもまた強者の生き方よ。本当に強いやつってのはね、自分の実力をちゃーんと把握してるものなのよ」
それを聞いたアーノルドはくだらなさそうに憫笑した。
「戯言だな。出来てもいないことを誇られてもな」
「あら、その物言い……引く気はないってことね。まぁ当然と言えば当然か」
予定調和とでも言うかのようにリンネは不敵に口元を歪めながらも微笑した。
「なら仕方ないわね。あんたは確かに強いわ。その歳でその強さ、私でも妬ましく羨ましく思うほどの強さと才能を持っているわ。それゆえに自惚れる気持ちもわかるわよ。でもね、お姉さんが教えてあげる。戦いは境地が全てではないってことをね。過ぎた強さは慢心を生むってね!」
好戦的な笑みを浮かべながらリンネが左手をアーノルドに向けたその瞬間、アーノルドの足下に大きな魔法陣が浮かび上がる。
「封魔法『典式鎖錠—肢限牢』!」
リンネがそう叫ぶと、そのまま四本の鎖が魔法陣より伸び上がり、アーノルドの手足に絡みついて四肢を縛り上げる。
見るからに頑丈な鎖がそのままアーノルドを宙に縛り付けた。
「ふふ、ふふふふふ、ふふふふふふふふ」
リンネはそんなアーノルドを見て、大層嬉しげに笑い声を漏らしていた。
「やっぱりまだまだ甘いわね。何も無詠唱は貴方だけの専売特許じゃないわよ? 剣を持っているからと魔法を使わないってわけではないの。まぁ……これはあんたには言うまでもないのでしょうけど。でも、やるとやられるでは違うでしょう? 慢心は隙を生み、油断は失敗を生むわ。少しは勉強になったかしら」
四肢を鎖に縛り上げられ身動きが取れなくなっているアーノルドを見て、終始嬉しげに微笑んでいるリンネは嗜虐的な笑みを浮かべてそのままアーノルドへと近づいてくる。
「それは私の家門、ご先祖様が生み出したオリジナルの魔法に私が少し手を加えた魔法よ。どうかしら。まったく動けないでしょ? 相手を完全に封じ込めないと発動出来ないのが難点だけど、あんたみたいに初見相手だと、それも自信満々で自分の強さに自惚れているようなやつには嫌というほど決まるわ。こうなったらそこらの教師ですら解けないわよ」
さぁどうするの、とリンネは愉しげな笑みを浮かべる。
だが縛られ尚アーノルドはニヤリと笑みを浮かべていた。
「ほう……、それでどうするつもりだ? まさかこれで終わりではあるまい」
「あら、強がりかしら? そうね。もうこうなったら煮るなり焼くなり自由だし……まずは従順な犬にでもなるように躾でもしようかしら。それとも……」
「——なんだ、これで終わりか」
アーノルドがつまらなさそうにそう言うと何かが振動しているかのような、思わず耳を塞ぎたくなるキーンとした音が鳴り響く。
思わず表情を歪め、耳元に手を当てるリンネであるが、数瞬の後——アーノルドを縛る全ての鎖が同時に砕け散った。
その砕け散った鎖は元々が魔法で生み出されたものであったためか霧散して消えていく。
「……う、嘘でしょ?」
己の魔法にそれだけ自信があったのか、消えゆく鎖を呆然と見つめているリンネは目を見開き引き攣ったような笑みを浮かべていた。
それだけ絶対の自信があったのだろう。
だがすぐにバックステップでアーノルドから距離を取る。
それだけアーノルドから感じる力が増大していたからだ。
「慢心? 油断? くだらん戯言だ。この私にそのような感情などない」
夢現であろうとも死してすぐのアーノルドにそれらの言葉は最も似つかわしくない。
リンネの魔法とて破ろうと思えば、攻撃を喰らう前に破ることもできた。
「それなら……ッ‼︎ 封魔法『牢王岩柱陣』‼︎」
リンネがそう叫ぶと、アーノルドの八方を囲むように大きさ三メートルはある、複雑な紋様が表面に刻まれた石の柱が現れた。
そしてその石柱がアーノルドを閉じ込めるようにガシャンと閉じた。
岩の紋様が光りだすなか、石柱の中から声が聞こえてくる。
「——私からも貴様にありがたい言葉をくれてやろう。攻撃をするならば常にそれが破られることを想定して動くといい」
——『天儀黒閃』
心胆を寒からしめるようなその声が響くや否や、黒い閃光が地を駆け、石柱を最も容易く崩壊させながらリンネへと迫っていくる。
「オーラブレイド⁉︎」
嘗て見たことがあるそれとの余りの威力の違いに、いやっ、と頭が否定するが、そんなことを考える頭とは裏腹にリンネは手を合わせすぐに詠唱を開始する。
「『恩賜を庶幾せし、臣が祝禱を捧げる。万象全てを飲み干せし永劫の冠を顕現させよ』——封魔法『棺鳳劫』」
リンネが詠唱し終えると、その眼前に浮かぶ魔法陣から大きな棺桶のようなものが現れる。
詠唱と共に放たれたアーノルドの知らぬ魔法。
おそらく先ほどのリンネの言葉からこれもまたオリジナル魔法なのだろう。
その棺桶が開くとその中は底すら見えない漆黒の空間であった。
アーノルドが放った『天儀黒閃』が吸い込まれるようにその棺桶に入っていく。
ギギギとまるで虫の鳴き声のように軋む不快な音が鳴り響き、二つの技がぶつかりせめぎ合っている。
だがその威力を吸収しきれないのか次第に棺桶にヒビが入ってくる。
「くっ……完全詠唱したってのにそれでもダメだって言うの⁈」
魔法を放ってからもそれを維持しているのかリンネは苦しげな顔つきで棺桶を見つめ、悲痛な声を漏らした。
そして遂に棺桶が壊れ、放たれた威力そのままにリンネへと迫る。
リンネも心を奮い立たせ剣を構えるが、オーラブレイドを習得していないリンネには打つ手などもはやなく、避ける時間すらももはやない。
死すら感じさせる迫る剣撃の威力に、リンネは思わず目を瞑ってしまう。
来たるべき衝撃に備えるが、いつまで経っても来なかった。
どういうことかと体を固くしたまま目を開けようとすると、不機嫌そうなアーノルドの声がリンネの耳に飛び込んでくる。
「——どういうつもりだ?」
その声を聞き、薄く目を開けたリンネは驚いたような声をあげる。
「が、学院長様⁉︎」
リンネの前に立っていたのはこの学院の学院長であるスリザーヌ・ガルフィードその人であった。




