第2-26話
黯き瞑き闇の中。
アーノルドは、いまそこに一人——ポツン——と立っている。
光源が無いにもかかわらず、鮮明に見える周囲。
地はまるで水面のような光沢を放ち、一歩動けば波紋のように波が広がりやがて消えていく。
水天彷彿の如く、遥か彼方まで続く天と地の境界線は曖昧であり、四方を見渡すも何一つ目に入る物はなかった。
一面に広がる水面の煌めきが月明かりの様相を醸し、ある意味優美な情景とも言えるが、暗愁漂う雰囲気が辺り一帯に蔓延り、とてもではないが物見遊山などといった気分にはなれない。
(どこだここは? 私は一体何を……)
アーノルドはここに至るまでの記憶を探ろうとするも、何一つ思い出せることはなかった。
分かることは、少なくとも自らの意志でここに来たわけではないのは確かだということくらいだ。
周囲には物音一つなく、そもそも周囲の光景は現実味すら欠けている有り様だ。
ここで留まっても仕方がないかと一歩踏み出そうとしたとき、背後からポタっと一滴の水が落ちるような音が響き、動きを止める。
『——よう』
後ろから突如響いた声。
即座に振り向けば、腰くらいの高さの岩にまるでアーノルドが成長したかのような姿の男が片足を立てて座っていた。
だが、実際アーノルドに似てはいるが、その瞳は鮮血のように紅く、本来白目の箇所がこの場の情景を映すかのように黒く濁っている。
そしてその肌もまたこの世界ではあまり見ないような褐色であった。
姿形は人であるが、その目のせいか人と言うには些か躊躇してしまうような出立ちだ。
それに先ほどまであんな岩は明らかに無かった。
「誰だ貴様は?」
『はっ、俺様が誰かだと? 随分とつれねぇことを言うじゃねぇか』
そうニヤリと嗤う男から、突如尋常ではない力の波動が吹き上がる。
その余波がアーノルドにまで襲いかかり、揺れ動く地の波がアーノルドの足を絡め捕った。
アーノルドは反射的に腰に差す剣に手を伸ばすが、その手が空を切る。
『どうした? 探し物は……こいつか?』
アーノルドの顔でするには似つかわしくないほどいやらしく細められた目で嗤みを浮かべたその男は、ニヤリと笑いながらその手にもつ剣を見せびらかすように前へとかざしてきた。
その男が持つ剣は明らかにアーノルドの黒剣であった。
「貴様……私のものを奪うとは……」
『奪う? 奪うだと? 馬鹿言うんじゃねぇよ。こいつは元々この俺様のもんだ。端からテメェのもんじゃねぇよ』
傲慢を詰め込んだかのような態度でそう嘯いた男は、アーノルドを見て静かに嗤い声を溢す。
『……納得いかねぇって顔だな? だがな、弱ぇテメェが納得する必要はねぇ。ただテメェは俺様の言葉に頷いとけばいいんだよ。それが嫌ってんならテメェの力を……示してみろよッ‼︎』
叫ぶかのようにそう言うや否や、男は岩場から飛び上がり、宙からそのままアーノルドに斬りかかってくる。
『シャハハハハハ、そらよ‼︎』
その一撃で地が爆せ、地に満ちる液体が飛沫のように宙を舞う。
「っ……‼︎」
間一髪、ギリギリ避けていたアーノルドは、体勢を立て直すとそのまま剣を振り下ろした状態で隙だらけの男を殴りつける。
身体強化をした程度のただのパンチであるが、それでも常人ならばその一撃でダウンするほどの力は秘められていた。
だが殴った手から伝わる感触からアーノルドの顔が苦々しいものとなり、思わず舌打ちしてしまう。
男の顔を撃ち抜いたアーノルドのパンチはピクリとも男を動かせていなかった。
『なんだよ。この程度か?』
嘲るように細められた真紅の瞳を向け、ニヤリと嗤みを浮かべる男は手に持つ剣を粗雑に地に突き刺した。
怪訝そうに眉を顰めるアーノルドであるが、その行動の意味はすぐにわかる。
『——失望させてくれんなよ。拳打ってのはな……こうやって撃つんだよッ‼︎』
至近距離から放たれた拳をアーノルドは咄嗟に腕でガードをするが、ミシリと腕が嫌な音を立て、まるでガードなど意味をなさないかのように盛大に吹き飛ばされる。
体が地を跳ね、水飛沫を飛び散らせる中、アーノルドは体勢を立て直し、そのまま足を地につけ、吹き飛び滑る勢いをどうにか殺す。
「ッチ!」
男が追撃してくるのかと思いきや殴った位置でただ嗤みを浮かべているだけだった。
アーノルドは苛立たしげにその男を睨みつける。
「貴様……、一体何だ?」
『何だ? 何だときたか。はっ、それを今のテメェが知る必要はねぇよ』
目を眇め、嘲るようにそう言ってくる男にアーノルドがギリっと歯を噛んだ。
「ふざけたことを……」
『ふざけてんのはテメェの方だ! こいつがなきゃ何も出来ねぇってか⁈』
そう言いながらその手に持つ黒剣をコンコンと叩く。
『テメェにこいつを持つ資格なんざねぇ。何もわかってねぇテメェにゃあ分不相応ってもんだ!』
「……貴様などがこの私に資格を問うか。一撃喰らわせただけでそこまで調子に乗るとはな。ならば良いだろう。誰であろうと、この私から何かを奪うと言うのならば、その報いを受けさせるだけだ」
アーノルドは静かにそう言うと、魔法を発動すべく、その身に魔力を湧き上がらせる。
剣がない程度でアーノルドが止まることはない。
剣が無ければ魔法、魔法がなければ剣、そのどちらもなければこの体をもってして相手を斃す。
どんな状況、どんな相手であろうともあらゆるものを使い斃し、その屍を超えて誰にも侵されぬ頂きへとたどり着く。
注がれた魔力によって一つの大きな魔法陣がアーノルドの周りに浮動する。
遠慮など一切ない極大の魔法だ。
そしてすぐにその魔法陣がこの場の暗冥を照らすほど皓々と輝き始める。
——だが
——その魔法陣はまるでガラスのように砕け散った
『シャハハハハ、何も分かってねぇテメェじゃあ無理だって言ってんだろうが‼︎ そら、ぼーっとしてんなよッ‼︎』
全身に“赤黒い”オーラを纏わせた男が地に足を強く打つことで地が波打ち、それによって打ち上がった水が噴水のごとく一面に浮き上がる。
瞑さも相まって、浮いた水がまるで鏡のように漆黒の世界を反射し、アーノルドの視界全てを暗黒が遮った。
だが相手の気配を感じ取り、水面の一瞬の変化を感じ取れるアーノルドの動きには焦りも迷いも微塵たりともない。
視界の端で水がピクリと不自然な変化をするのを見たアーノルドはすぐに迎撃のために構える。
——だが来ない。
——来るはずのところから攻撃が来ない。
アーノルドが不審に思い周囲を警戒してすぐ、左に打ち上がる水森から黒剣の鋒が水面を斬り裂きながら顔を出す。
すぐに迎撃しようと体の向きを変えるが——
「ぐッ……なんだと……ッ?」
感覚的には避けれたはずの一撃が、認知すらできない攻撃であったかのように気付けば自身に突き刺さっていた。
『シャハハ、ざまぁねぇな!』
嘲るようなその声はアーノルドの後ろから聞こえてくる。
黒剣の鋒はアーノルドの前面から奥深くまでアーノルドの胸を貫いていた。
だがその柄を握る者はいない。
黒剣にはいつの間にか鎖が繋がれ、投げられたそれが弧を描きアーノルドへと刺さったようであった。
『この程度も避けられん奴が※になるだと? 笑わせてくれるぜ。その体たらくで口だけは達者ときたか。くだらねぇ。弱い奴に何かを語る資格なんてねぇんだよ! テメェに、※※を持つ資格はねぇ‼︎ せいぜい喰われる前に手放すこったな‼︎ シャハハハハハハハハハハハ』
ザザッと砂嵐の中にいるかのように男の言葉が聞き取れない箇所があり、アーノルドは怪訝とそして胸に刺さる剣の痛みに表情を険しくさせる。
高笑いをし終えた男はその手に持つ鎖を引いて、アーノルドから黒剣を引き抜くとその柄を掴んだ。
そしてその黒剣に先程の比ではないオーラを纏わせた。
世界そのものを塗り潰すかのような重圧とオーラの顕現。
地がまるでマグマのように沸々と湧き動き、宙に浮いた水が蒸発するかのように弾け飛ぶ。
『じゃあな。“次”はもっと楽しませてくれよ?』
そのまま“動けない”アーノルドにオーラブレイドなどと形容するも憚られる威力の、もはや斬撃とすら形容しがたい、視界一面を多い尽くすほどの一撃が襲いくる。
アーノルドの意識はその斬撃に呑まれると共に消えていった。
――∇∇――
「はっ……‼︎」
自室のベッドで目覚めたアーノルドは全身を駆ける悪寒に加え、嫌な汗でびっしょりであった。
「はぁ……はぁ……」
思わず胸を押さえ呼吸が荒くなっているアーノルドは先ほどのことを思い出し、苛立たしげにガンとベッドの横にある小さなテーブルを叩く。
その衝撃でメイドを呼ぶベルが下へと落ち、カランカランと音を立てる。
「——失礼します。如何致しましたか?」
普段滅多に呼ぶことがないベルが鳴ったことで少し困惑げな顔でそう問うてきたメイドに対し、アーノルドが険しく細められた双眸そのままに視線をそちらに向ける。
「……なんでも……いや……、風呂の用意をしてくれ」
流石に体が汗で気持ち悪いと稽古の前に朝風呂に入ることにする。
「か、かしこまりました」
普段メイドに当たることもないアーノルドの不機嫌そうな瞳に気圧されたメイドは少しばかり表情を引き攣らせながら引き下がっていく。
「悪夢……と言うには少しばかり現実じみていたな」
アーノルドはそう言いながら、服を捲り上げ、刺された胸をさすり何の跡もないことを確認してから傍らにある剣に視線を移した。
二本の剣は寝た時と全く変わらずそこにあった。
「……」
——何も分かってねぇ
その言葉がアーノルドの頭にこびり付いて離れなかった。
――∇∇――
アーノルドがいま受けている授業はこの国の歴史だ。
人気がないのかあまり生徒はいないが、それでも他国の下級貴族らしき者達がちらほらといる。
授業はつまらぬとは言わぬがそれでも確信をついたものではなさそうであった。
「——ですからバルデバラン大王は七人の臣下を連れて国を変えていったと言われています。そこで……」
アーノルドが教師の話を止めるように手を挙げる。
「そこの君、なにかな?」
「バルデバラン王が連れてきた七人っていうのはどこから連れてきたんだ? 平民か、当時の貴族か、それとも他国の者か。その辺りの情報はないのか? そもそもなぜ王が一人でどこかに出掛けている。王が出かけるのに供が一人もいないというのは史実としてはあまりにもおかしいのではないか?」
王が突然どこからともなく七人の人物を連れてきたなど、物語であっても無理があるというものだ。
教師の男は深く頷いた。
「ふむ……、最もな疑問ですね。良い着眼点です。ですが、記録に残るバルデバラン大王は幼少の頃から王宮を抜けて遊びに行く悪癖があったという記録が残っており、その時によく平民と遊んでいたと記録されていました。そのときに出会った者達とそれからもずっと交流を続け、満を持して王宮へと連れてきたとされています。そしてその者達と共に当時の国に革命を起こし、いまのこの国を——」
「されていたということは、要は憶測の域を出ないものだということだな?」
教師の言葉を遮るように被せられたその言葉に、その教師は少しムッとする。
「たしかに憶測ですが、これらは我々歴史家が研究に研究を重ねて……」
「何も憶測が悪いと言っているわけではない。ただの確認だ。事実なのか推測なのか。そこから得られる情報は天と地ほど違うだろう」
その言葉にハッとしたような顔をした教師は一度深く目を閉じて息を吐いた。
「そうですね。これは事実を元に生み出された最も可能性の高い推測です」
「なるほど。わかった。続けてくれ」
――∇∇――
歴史の講義が終わりアーノルド達はまた斜陽館へと向かう。
「そう言えばあれからカーボ君達と会ってませんね」
アーノルドはその言葉には答えず、煩わしそうに鼻を鳴らすだけであった。
同じ授業を受けていたり、同じサークルに属していない限りこの広大な学院内で偶然出会うことは少ない。
それにアーノルドは学道の授業が中心であり、そもそも受けている授業もレベルが高いものが多い。
そうなればサークルの集まりなどでなければ会うことはないだろう。
すれ違う者たちは皆、何らかのサークルのバッチを付けている。
それこそ付けていないのはアーノルドくらいのものかといわんばかりに例外なく皆が付けているのだ。
だがまるで召使いかのように荷物全てを持たされ、悠々と歩く者達の後ろを頭を低くして歩く者達も多い。
アーノルドはそんな者達などまったく眼中にもなさそうだが、パラクはそれを見るたびに少しばかり顔を顰めていた。
「なぜ……人は、ああも人を虐げようとするのでしょうね」
また一組、すれ違う者達を見てパラクが独りごちる。
それを聞いたアーノルドが失笑する。
「なにを馬鹿げたことを。それが人の本能であり欲求だからだ。人よりも上に立ちたい。人よりも優れていたい。そして認められたい。それらは人間が人間である以上当然のようにもつ欲だ。その快楽に身をやつした奴は他人を蹴落とす程度のことは平気でする。お前もこれまでそういった奴を何度も見てきただろう。所詮人間なんてものはその欲を抑えているか抑えていないかでしかない」
「……で、ですが……ワラローの著書では」
だがパラクはその言葉には納得できないのか、それとも心がそれを否定するのか信じたくないのかアーノルドの顔色を伺うかのように控えめにある有名な著者の名を口にした。
だがアーノルドはそれも鼻で笑う。
「欲求に従い愚者になるか、欲求に抗い賢者となるか、か。くだらんな。人種抑求論など持ち出すとはらしくないなパラクよ。愚者も賢者も違いなどない。賢者など所詮は表皮だけの仮初のもの。愚者も賢者も所詮表裏一体よ。分ける意味など端からない。この世に賢者などいないのだ。自分を賢者などと思い込んでいる奴などただの迂愚にすぎん」
「では……あの者達は自分を賢者だと思い込んでいる愚か者ということですか?」
「いいや、そうとも言えん。……そもそも弱者が弱者として扱われるのは当然のことだろう。何を憂うことがある」
アーノルドにとってはそれこそが絶対不変の世界の掟。
理とさえ言える。
だからこそアーノルドは自らを磨くし、それを放棄した者になど興味がない。
「ではアーノルド様は……あれが当然だと言うのですか?」
パラクが何かを噛み殺すかのような表情でそう言ったのを見たアーノルドは怪訝そうに眉を寄せた。
「……何を悩んでいるのか知らないが、やりたいことがあるのならばやればいい。軽率な行動はするなと言ったが、私は止めはしないぞ? それが真にお前がしたいことならば躊躇う必要などない。それと、あれが当然かどうかなど私にとってはどうでもいい。別に助けを求められたわけでもない誰とも知らぬ者達のことなど気にかける必要などあるまい」
アーノルドならば死んでもあんな選択はしない。
自ら選んだ選択、選ばざるをえなかった選択に関わらず、“自ら”選んだという事実には違いない。
その選択の末の結末がどうであろうとも、誰とも知らぬ他人の行く末になどにアーノルドは何も感じない。
「助けを求められれば……アーノルド様は助けるのですか?」
「そのときの気分次第だな。私は偽善者でも善人でもないのでな。極論、私は私以外の人間などどうでもいい。気にかけるにしても臣下であるお前達くらいで十分だろう」
何を今更と表情で語るアーノルドから視線を少し下に下げたパラクは少しの間憂いを秘めた表情をしていたが、少しして先ほどの悩んだような表情を捨て去り、一種の決意を秘めた顔付きになっていた。
「なんだ。いいのか?」
「はい。私の中で答えが出ましたので」
パラクは力強く頷いた。
それを見たアーノルドは鼻を鳴らし、前に向き直り進む。
が、すぐその表情が険しいものとなる。
少し前、アーノルドの行く手を遮るように横に並ぶ者が三人。
廊下の角で待ち構えていた。
この前教室で見た顔だ。
アーノルドはくだらなさそうに鼻を鳴らし、珍しく横に逸れて通り抜けようとする。
だが当然そうはいかない。
「おい、なに無視してやがんだ。お前を見つけるのには随分苦労したぞ? 手間かけさせやがって。まぁいい、付いてこい」
そう言い、逃さぬためか肩を掴もうとしてきたその少年の手をアーノルドはパシンと弾く。
「なっ……テメェ……!」
熱り立つ少年に対してアーノルドは煩わしげにため息を吐いてジロリと睨む。
「飯事なら他所でやって欲しいものだが……断ると言えばどうするつもりだ?」
「シュヴァリエ如きが生意気な。お前のような屑にそのような選択肢などない。黙ってついて来い」
アーノルドはその少年の後ろ、この前パラクが張り飛ばした者へと視線を向ける。
報復に来たにしては、その少年は異様なほど静かであった。
「アーノルド様、如何致しますか? 消せと仰っていただければ今すぐにでも“六人”全員消しますけれど」
アーノルドの耳元で言った言葉であるが、流石に距離が近いため聞こえていたのだろう。
少年達だけでなく護衛の者達全員が殺気立つ。
「いや、いい。試したいこともあるしな。ちょうど良いだろう。そら、何を突っ立ている。連れて行くところがあるのならばさっさと案内しろ。貴様らの余興に少しだけ付き合ってやろう」
アーノルドの尊大な態度にその少年は舌打ちをするが、それでもここで事を起こすつもりはないのか苦々しげに付いて来いと言って歩き出した。
少年達は前に、護衛の者達はアーノルド達が逃げ出さないようにか後ろに付いて歩いていた。
向かう途中多くの者達がアーノルドへ憐れみのような視線を向けてきていたが、表立って視線を向ければ自分も標的になると思っているのか助けようとする者もいなく、すぐに皆が視線を外していた。
それから誰も何一つ喋ることもなく歩き続け、人気のない校舎から離れた森の入り口のようなところでやっと少年達が止まる。
授業などにも用いられる魔物も生息しているという、学院の敷地内にある広大な森が眼前に広がっていた。
「悪くない。お誂え向きだな」
アーノルドがクククと笑っているのを頭のおかしなやつを見るように少年達は顔を顰めていた。
「何言ってんだお前。わかっていねぇようだが、ここは誰も来ない場所だ。もう助けは呼べないぞ?」
ニヤリと嫌な笑みを浮かべる少年であるが、アーノルドは怯えるどころか薄く笑みすら浮かべていた。
「で、どうするつもりだ?」
そんな態度に少年は舌打ちをし、視線を逸らした。
「……ちょっと待ってろ。もう少しでお越しになるはずだ」
すぐに襲いかかってくるのかと思いきや、何やら誰かが来るのを待っているかのようであった。
「お、来られたか」
一人の少年がそう言うと、遠くの方から三人の生徒らしき人物が歩いてくるのが見えてくる。
その三人の生徒が近づいてくると、少年達だけでなく護衛達も跪き、頭を下げた。
「「「リンネ様、リーフィル様、エバン様に拝謁を賜り光栄で御座います」」」
それを聞いたアーノルドは思わず失笑し、危うく吹き出しかけた。
まるで王にでも謁見するような仰々しさだなと。
そのように取り繕い、自身が上にいることに甘心するとは。
「くだらん児戯もここまでいくと愉快でさえあるな」
そう小さく嘲りを浮かべながら言葉を溢した。
するとエバン達がアーノルドの方へとやってくる。
エバンはアーノルドを真っ直ぐ睨みつけているが、リーフィルという男とリンネという女はアーノルドにはあまり興味がなさそうにあくびをしたり鏡で自身の顔をチェックしたりとしていた。
「どうした。この俺を知らんわけでもあるまい。さっさと跪き挨拶をしろ」
「知らんな。誰だ貴様は」
アーノルドがそう吐き捨てるとパラクがアーノルドに耳打ちをしてくる。
「ああ……、貴様、カーボにやられていたやつか。興味がなさすぎて忘れていたな」
アーノルドがそう言った瞬間エバンの顔が沸騰したかのように赤くなり、歯をギシリと噛む。
だがその怒りを自力で抑え、鼻息を漏らしながら気分を落ち着かせていた。
「まぁいい。今日は何もお前をどうこうしようとここに来たわけではないからな。だがそれもお前の選択次第ではあるがな。まずお前に選択肢をやろう」
尊大な態度を隠しもせず、上から目線で嘲笑するかのような瞳を向けてくる。
「よく聞け。選択肢は二つだ。これから虐げられ酷く惨めな学院生活を送るか……、それとも栄えある我らのヒエナサークルに入り栄華を共にするか、だ。本来ならお前のような屑など入れんところだ」
考えるまでもないだろうとでも言わん笑みを浮かべるエバンに対して、アーノルドが嗤い声を漏らす。
「……何がおかしい?」
「一つ聞こう。なぜ私に声をかける?」
この場にいる者達からアーノルドに向けられる視線はとても友好的なものではない。
提案してくるエバンとてアーノルドを蔑みの目で見ていることは疑うまでもない。
他の者達などアーノルド達が逃げれないようにか周囲を囲んでさえいる。
まさに四面楚歌。
むしろ襲いかかってこないのが不思議とも言える状況だ。
となればそんなアーノルドをわざわざ脅すでもなく自身のサークルに入れようとするということは何かに利用しとうとしているか、罠にでも嵌めようとしているということだろう。
アーノルドの視線を受けたエバンは不機嫌そうではあるが、ため息を吐くだけだった。
「まぁいいだろう。どの道入るに当たって条件は言わなければならんからな。とはいえ大したことではない」
そう言ったエバンは嫌悪感を露わにこちらを威圧するかのように睨みつけてくる。
「あのカーボとかいう屑と縁を切れ。ただそれだけで栄誉あるヒエナサークルに入れるのだ。悩むまでもないだろう。さぁさっさと選べ」
そのときずっと鏡を見ていたリンネが痺れを切らしたように口を挟んでくる。
「ねぇ、本当にそいつがそうなの? 全然そんな風には見えないんだけど。どうせその剣がすごいってだけでしょ? 別にそいつ自身をサークルに入れなくても、手を出さないって条件の代わりにそいつの剣を貰うって条件とそのカーボってやつに関わらせないようにすれば、それでいいんじゃない?」
リンネという少女の胸元を見れば、どうやら中等部の者ではなく高等部の二年生らしかった。
「高等部の人間がサークルに関与してはならないと説明を受けた気がするが、気のせいだったか?」
アーノルドがそう言うと、リンネはフッと見下すような笑みを浮かべる。
「……顔は悪くないけど私に対する言葉遣いがなってないわね。どんな学校に通っていたのかは知らないけれど、初等部で先輩は敬えって教えられなかったのかしら?」
「はっ、この国では強い者が全てと聞いたぞ? 少なくともこの学院内では優れた者こそが全てだとな。先輩後輩などというだけで敬えなどと。それも貴様ごときが私に敬意を払えとは、冗談にしても笑えんぞ?」
その言葉にエバンとリーフィルは気を悪くしたように顔を顰める。
だがリンネという少女はむしろ気をよくしたように快活に笑っていた。
「あはは、やっぱり入学したての一年ってのは躾のしがいがありそうね。まったく、自分が優れているだなんて勘違い。入学したての新入生にはあるあるよね」
「貴様はどうやらこれまで誰にも躾をされなかったようだな。実力差も見破れんとは……貴様程度で優秀とされるのならばこの学院も程度が知れているな」
リンネの胸には第“八“研究棟を示すバッチが付けられている。
この研究棟の数字は高いほど優秀であることの証であり、研究棟の数字はこの国の星と同数存在する。
アーノルドがこの前会ったラン・ノイマーが第一四研究棟だったわけだが、上位の棟は空きも多く、これは上から数えて上位十人に入っているほどに高い。
そう思えば第八というのは学生にしてはかなり高い方だ。
その自負があるゆえかリンネは不機嫌になることもなく。アーノルドの挑発とも取れる言葉に好戦的な笑みを浮かべる。
「へー、なかなか生意気じゃない。そこまで言うのなら、その剣を賭けて私と勝負しない?」
「ほう、ならば貴様は何を賭けるつもりだ?」
だがそこに慌てたようにエバンが口を挟んでくる。
「ちょっ、ちょっと待ってください、リンネさん。流石にこの時期にそれはまずいですって!それにその剣はヴァレンヌ家が狙っているという情報もあります。流石に……」
「ああ、あの牝狐ね。それは確かに少し面倒ね」
「それに貴女が手を出したらそれも面倒ですって。ここは俺に任せてください」
そう言ってエバンが一歩前に出てくる。
「この際、お前のその態度は後回しでいい。さぁ、選択肢は与えたはずだぞ。さっさと選べ」
不機嫌そうでどうでも良さげな態度。
どちらを選ぼうと対応にさして差はなさそうであった。
「……くだらんな」
「それは……断るということか?」
「当然だろう。入る理由がない」
「あの女といいお前といい。この俺を、俺達を舐めているとしか思えんな。ならばその理由を作ってやろう。あの女同様、どこまで耐えれるか見ものだな」
武力行使でもしてくるつもりか、エバンがニヤリと好戦的な笑みを浮かべる。
「——それなら、俺にやらせてください」
エバンが剣に手をかけようとしたその時、この前パラクに張り飛ばされた少年が名乗りを挙げてくる。
その瞳は明らかに憎悪に満ちている。
「……まぁいい。誰がやろうとも同じだろう。だがやり過ぎるなよ。気絶させたりしたら面倒だ。嬲るのならば意識を失わんように手加減はしろ」
「ありがとうございます」
そう言い、その少年は憎々しげな視線を向けて腰に差す剣を抜く。
「ヴァルド・ギリークだ。これから貴様の主人となる者の名だ。その貧相な頭に刻んでおけ。屑なお前でもギリーク家の名くらいは聞いたことがあるだろう? その嫡男たるこの俺に仕えれるなど貴様には過ぎた栄誉であろうが……奴隷としてこき使ってやるから覚悟するんだな」
「ギリーク家……知らんな」
アーノルドが鼻で笑いながらそう言うと、ヴァルドは鼻筋に皺が寄るほど怒りを露わにし出す。
「たしか……新入生同士の戦いはあと二ヶ月は禁止ではなかったか? それに私は学道の専攻だぞ?」
首元のバッチがよく見えるように首を傾けるアーノルドに、ヴァルドは剣の鋒を向けてくる。
「はっ、それは星詠戦の話だろう。星詠戦は何かを賭けて行うものだ。ならば何も賭けなければ問題はないんだよ。ただの学生同士の喧嘩だ。喧嘩に校則も何もありはしない。つまり貴様をここでどうしようが関係ないんだよ! 目論見が外れて残念だったな? だが学道を選ぶような軟弱者の分際でこの俺にあのようなことをするとはな」
今のこの国では学よりも武が重んじられるようになっている。
強くあるためには学がないといけない。
しからば、強くあれば学など勝手についてくるのだと。
もちろんそんなことなどないのだが、理論しかできない者を見下すような風潮はついぞ絶えないのだ。
「この前の借り、そしてその態度……タダで済むと思うなよ。死なない程度に甚振ってシュヴァリエごとき雑魚がこの俺様に盾ついたことを後悔させてやる。二度と逆らう気持ちなど湧き起こらないように、これから誰が貴様の主人であるかその身に嫌というほど刻んでやるぞ」
静かな怒りとでも言うべきか、声は落ち着いているが、その体はいますぐにでも殺してやりたいという気持ちが溢れ出るくらい力が入り、僅かにオーラらしきものが溢れ出していた。
「なるほどな。喧嘩とあらば仕方ない。こちらが一方的にやったでは後が面倒だからな。ただの喧嘩だ。それも売られた喧嘩。ならば仕方あるまい」
まるで誰かに念を押すかのようにそう言うアーノルドに少年は怒りを爆発させた。
「ごちゃごちゃとうるせぇんだよ! 貴様はさっさと俺のサンドバックになっときゃいいんだよ——‼︎」
そう言い、駆け出そうとしたヴァルドであるが、突如耳を劈くような轟音と共に吹き飛ばされる。
地面は抉れ、一直線に焦げたような跡が伸びている。
「ほう。ここでは問題なく魔法は発動できるのだな。さて、それで生きているか?」
アーノルドは薄く笑みを浮かべながら興味深げにヴァルドが飛んでいった方向を見ていた。
「な、なんだ……今のは?」
誰が言ったか、少年達の護衛達含め、それを見ていた者は一様に目を見開き驚き慄いているかのような表情を浮かべている。
アーノルドが放った『雷撃砲』。
雷を纏わせた上位魔法に匹敵する一点集中型の一撃。
起動から発動までたったの○・五秒。
発動速度と破壊力。
どれを取っても優秀な魔法だ。
特に雷魔法は突破力に特化した攻撃力の高い複合魔法だ。
地面が焦げたようにプスプスと黒く焦げ、霧散していない雷電が未だに宙と地を這うかのごとく蠢いている。
アーノルドはその雷電の道を戦いの最中とは感じさせぬほど悠然に歩いて行く。
「……うぐっ……」
うめき声をあげているヴァルドを見れば、『雷撃砲』によるダメージはなさそうで、ただ吹き飛ばされたことで生じた衝撃によるダメージだけでありそうだった。
「ほう、やはり生きていたか。攻撃が当たる瞬間、何らかのバリアらしきものが展開されていたが……死に至る威力では自動で発動するということか? 興味深いな。ならば、これならどうだ?」
アーノルドの頭上に三つの魔法陣を同時に浮かび上がる。
「三重詠唱⁈」
「それも無詠唱とはね。一年にしてはなかなかやるじゃない」
リーフィルが驚きを露わにし、リンネが興味深げに笑みを深める。
そしてリーフィルは更に地面が焦げたような跡を見て、目を細めた。
「そもそもさっきのあの魔法はなんだ?」
「おそらくはオリジナルの魔法でしょうね。まさか他国にも“そんなこと”をする者がいるとはね。聞いてた話と違うわね」
実際にはただの複合魔法なのだが、やるとなれば四種類の属性を同時に、そして精密に扱わなければならないため広く知られてはいない。
使い手が極端に少なく文献も少ないのだ。
ほとんどの魔法師はそもそも適性ゆえに使う属性が一つか二つに限られているのだから。
だが知っている者ならば知っている魔法であるため単純にリンネ達の知識不足とも言える。
「一つ目だ」
浮かび上がる魔法陣の一つが燦爛と輝きを放ち始める。
「ぐああああぁぁぁあっぁぁあぁ」
中位魔法相当の威力をもった風魔法を凝縮した一撃を浴びせ、風の刃が少年の皮膚を斬り裂いた。
雷魔法に比べれば殺傷力という点ではかなり弱いが、それでも使われる魔力量はほとんど同じであった。
「これで当たるということはやはり込める魔力量ではなく、単純に威力によるものか」
淡々と実験でもしているかのようにそう言うアーノルドに思わず見ていた者達の表情が引き攣る。
「二つ目だ」
二番目に大きかった魔法陣が煌々と光り輝き始める。
「ぎゃああああああああああああああ……」
少しばかり皮膚が焼けたように黒くなるが、それでも死なぬ程度の雷撃。
問題なく攻撃は通ったようであった。
「三つ目だ」
一際大きな魔法陣がまるで本物の雷かのように天から地に降り注がれた。
そのあまりの轟音にリンネ達は思わず耳を塞ぎ、片目を閉じる。
攻撃自体は少年の隣に落とされた。
直接的に当てるのではなく間接的に当てればどうなるか。
直接当てないため、威力はかなり減衰されるがそれでも人一人を死に至らしめるには十分な攻撃力を秘めていた。
その結果は“防がれる”であった。
「なるほどな」
攻撃を喰らおうとも、死なぬように調整されているがゆえにまだ意識のあるヴァルドはあまりの恐怖ゆえかその顔を涙と鼻水に濡らし、失禁までしてしまっていた。
そんなヴァルドなど知ったことではないとばかりにアーノルドはもう一度、一つの魔法陣を浮かび上がらせ、それをまたしても少年目掛けて撃ち込んだ。
その威力は二回目に撃った程度のもの。
だがその攻撃はまたしても結界に阻まれる。
ヴァルドはそれで恐怖の臨界点を超えたのか気絶したようで、地面に倒れ伏した。
「ということは、一撃で死に至る攻撃ではなく、死に至る攻撃全てを防御する結界か。凄まじいな」
アーノルドはそう言いながら少し愉しげとも取れる笑みを浮かべていた。
アーノルドが実験をする最中、リンネは驚愕に目を見張っていた。
「わたし、この学院の結界が展開されてもダメージ喰らっているの初めて見たわ」
「俺は見たことがあるぞ。ただ……先生同士の模擬戦闘でだがな。ああいや……、生徒でも一人いたな。たしかいま中等部三年のグランクロワのやつだったか。にしても、あいつがシュヴァリエとは何の冗談だ?」
リンネとリーフィルの表情には先程までの嘲りは消え、研究者然としたものとなっていた。
結界自体が展開されることはこの学院ではある程度の武を修めた者達にとってはよくあることだ。
リンネもリーフィルも人一人を殺すくらいの攻撃など当然できる。
そもそも剣で斬りつければ場所によっては否応なく発動するだろう。
試合ならばそれで決着ともなるが、それでも大抵の場合攻撃の方が結界に弾かれるのだ。
結界の方が押され、攻撃を喰らった者が吹き飛ぶなど並大抵の攻撃では為し得ない。
いくら相手がまだ弱い同じ一年のコマンドールとはいえ、一年の、それもシュヴァリエが出来ることではないのだ。
二人は少しの間、考え込んでいるのか黙り込んでいた。
そんな二人にエバンが声を荒げる。
「先輩方! まさか臆しているのですか⁈ あいつは所詮はシュヴァリエですよ⁈ あれが特抜性のゆえんなのでしょうが、戦いにおいて魔法師など真の剣士の敵ではありません! 我々剣士にとって恐れる必要すらない軟弱者達です!」
先輩だからか言葉は丁寧であるが、明らかに不機嫌そうに、まるで戦場で臆して逃げようとする者を見るかのような瞳を向けていた。
リンネはそんなエバンにわからぬように内心ため息を吐きながら口を開く。
「魔法師が剣士に劣るっていうのは同意しかねるけれど……、スリザーヌ様くらいの魔法師ならともかく、ただの魔法師なんてほとんどはただの的に等しいというのは事実だものね。あんたが言っていることも分からなくはないわ。……で? あの一年は使えずに終わったわけだけど、次はあんたがあの子とやんの?」
「当然です。このまま一年のシュヴァリエ如きに舐められて終わるなどヒエナサークルの者としてありえないでしょう。先輩方こそ忘れてしまったのですか? 我々の高潔なる魂の在り方を! 奴はこの俺をひいてはヒエナサークルを侮辱したのです。あいつにはまず我らのサークル員に手を出した報いを受けさせなければなりません。それに加えて我々の意志に叛いた罰も下さなければならないでしょう。二度と逆らおうなどとは思わないように……」
カーボに向けていたほどの憎悪ではないが、それでもかなりの敵意をアーノルドに抱いていることは誰の目にも明らかであった。
そんなエバンにリンネは内心嘆息する。
「この時期に上級生が一年に手を出したら、流石にお咎めなしってわけにはいかないと思うけど?」
「それはこちらでどうにかなりますので。それに痛めつけて少しは現実というものを見せるのも上に立つ者の義務でしょう? 俺はその義務を遂行するだけで違反など犯していないのですから、なに一つ問題などありませんよ」
暴論、極論であろうとそれが通るのが巨大サークルの強みであり、この学院というところだ。
弱者の弁より強者の弁が優遇される。
当の本人はそれを暴論などとは微塵も思っていなさそうであるが。
「まぁ好きにすればいいと思うけど、“前”みたいに舐めてかかると痛い目を見るかもしれないわよ」
リンネはエバンの実力を知っている。
エバン・ランポール。
剣の名家バルフォメット家の次家に当たるランポール家の人間。
ランポール家は一世代前までは分家であったのだ。
ゲーテが当主となったのはまだ数年前。
エバンが生まれた時にはまだエバンは分家の人間としてその権力を誇っていた。
まだ小さいゆえにその権力の意味も理解出来てはいなかったが、それでも自身はすごい人間なのだと幼心に思っていた。
だがゲーテに代変わりしてランポール家の当主である父エバンの父はアーリに負けた。
死にこそしなかったがそれでも負けは負けだ。
そして分家から次家になっただけで全てが失われた。
それまで住んでいた豪華な屋敷も、権威も尊厳も。
そしてランポール家の分家としての歴史も。
だが幼い頃に根付いた心の在り方というものはそう容易くは変わらない。
自身はすごい人間であり、他の者達は劣る人間なのだと。
自分が認められるような者達以外に負けるなどあってはならないのだと。
そして分家の地位を“アーリ”から取り戻すために、その態度だけでなくしっかりと実力も磨いている。
それがエバン・ランポールという人間。
「……リンネさん、いくら貴方でも許せる言葉と許せない言葉がある」
たかがシュヴァリエに負けるとも取れる発言が気に障ったのかエバンが先輩に向けるには似つかわしくないほど険しい目で睨む。
「あら、ごめんなさいね。……でも私、あんたのそういうところは好きよ。だからあんたのその態度も目を瞑ってあげるわ」
だがその欠点、その傲慢さゆえに相手を舐めてかかるという悪癖もまた見ている分には滑稽で面白く、勝とうが負けようが見せ物としては十分楽しめるためリンネはエバンを気に入っていた。
だからこそ忠告はしない。
これ以上何も言いはしない。
「……さぁ、戻ってきたわよ」
リンネは薄く笑みを浮かべながらエバンにそう言った。
見れば、アーノルドが失神した状態の少年を片手で持って引きずりながら向こうから悠然と歩いてきていた。
そして手に持つ少年を他の少年達がいる方へと放り投げ、エバンの方へと問いかける。
「次はお前か?」
その態度は敵に対してするには不適切なほど気負いなどなかった。
明らかに下に見られている。
それがエバンの脳を沸騰寸前まで至らしめる。
だがエバンが口を開くよりも前に先ほどの少年の護衛らしき者が抜剣してアーノルドに襲い行く。
「貴様‼︎ よくもヴァルド様を‼︎」
「……事ここに至るまで動けなかった分際で吠えるな」
——拳剛流第二章一節『無貫』
斬りつけてきた剣を掻い潜り、そのまま腹部に必殺の一撃を叩き込む。
護衛の男はその身に纏う鎧にピキリとヒビが入るような音が鳴るのを聴いたと共に意識を失い吹き飛んでいく。
「ッチ」
だがアーノルドは思わず舌打ちをする。
どれだけ硬かろうが相手の防御を無視して攻撃を与えることから名付けられた『無貫』であっても結界を突破することは出来なかった。
殺しても良いと思って放った一撃であったが、先程よりも明らかに結界の強度が上がっていた。
とはいえ突破ができないだけでその衝撃までは殺しきれないようであった。
結界の上から殴ろうともそれ相応のダメージは入ったはずである。
おそらくは本当に“死なない”という一点に特化した結界なのだろう。
いくら待てども吹き飛んだ騎士の男が起き上がってくる気配はなかった。
それに他の護衛達も襲いかかってくる気配はない。
あくまでもそれぞれの少年達の護衛ということなのだろう。
一方エバン達はあまりに一瞬の出来事で何が起こったのか理解できていなかった。
護衛の騎士ゆえに学生のレベルは超えている。
一瞬の交差とはいえ、その展開はまだ真の戦いに慣れてはいない学生の目では追えぬくらい刹那のものであった。
特にアーノルドの動きは最小限のもの。
エバン達には騎士の男が斬りかかったようにしか見えなかった。
だがそれでも予想はできる。
おそらくは護衛の騎士が攻撃を叩きこむ寸前に魔法を発動したのだろうと。
先ほど見せた無詠唱による魔法の発動速度ならばそれも不可能ではないだろうと。
「一年生とは思えないほど強いわね。明らかに戦い慣れているわよ。あんた、本当に大丈夫?」
それはエバンにとって最大の侮辱であったのかその顔を怒りに染めてリンネを睨みつけ、そのまま何も言うことなく見てろと言わんばかりの態度でアーノルドの方へと歩いていった。
リンネはそれを愉快そうに見送っていた。
騎士の方を見ているアーノルドにエバンが、おいと声をかける。
「お前のその自信の源は魔法の発動速度か? はっ、雑魚相手ならばそれも通じてきたかもしれないが、この俺に通用すると思うなよ! 魔法師はいつまで経っても真の剣士には及ばないってことを教えてやるよ!」
騎士のことがあったからか先ほどのように脳が沸騰したような感情はエバンの中から消え失せていた。




