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2 侯爵令嬢ロレッタ

 もちろん、今の自分のことも覚えている。自分の中に二つの別の人の記憶。それなのに違和感なく、どちらも私だと判る。

 今の私は…、ロレッタ・アーヴェ・ボルドリーニ。ボルドリーニ侯爵家の長女、10歳。

 あの時、私を西の森へと追いやった、エリオ様の婚約者、それが今の私だった。


 かつての自分らしい何かを思い出したのは、フィオリ暦1011年11月11日。奇しくも以前の私が聖女候補と言われた日だった。

 その日は父と共に王城に呼ばれていた。エリオ様の婚約者になり、初めての顔合わせに伺うのだ。

 今の私がエリオ様を見るのは、これが初めてだった。かつての私も幼いエリオ様を見たことはない。ちょっと楽しみだった。

 かつての、私の知っているエリオ様は、穏やかで柔らかな印象で、誰にでも優しく、笑顔を絶やさない方だった。のだけど…

 今、目の前にいる小さなエリオ様は、妙に不機嫌で、腕を組んでちょっと睨むような目で私を見ていた。

 この婚約が気に入らない、と言っているように見えた。

 そうは言っても、私にどうこうできるものでもない。

 昨日までの私は、王子様の婚約者になれる、未来の王妃になれると、脳天気に喜んでいた。

 今日だって、馬車の中であのエリオ様にお会いできるのだ、と、少し期待をしていた…かもしれない。王立学園にいた間の4年間、ずっと憧れ、遠目に見つめてきた人だから。

 でも、世の中そう甘いものではないんだなぁ…。

 にこやかに話す王様とお父様を横目に、じっと礼儀正しく、大人しく座りながら、今の私にできることを考えていた。

 決して好かれていない。それはそれで仕方がない。エリオ様のお邪魔にならないよう、明日から始まる王妃になるための特別なお勉強を頑張って、すこしでもエリオ様をお助けできるようになるしかない。

 最後まで友好的になることはないまま顔合わせは終わり、私は、

「これからもよろしくお願い致します」

とだけ口にして、礼をして家路についた。


 それから、私はほぼ毎日お城に通い、王妃教育を受けた。

 正直に言うと、勉強の内容は難しかった。令嬢としての作法は見栄もあってそこそこ身についていたものの、語学や、地理や歴史、経済の勉強になると、一体この10歳までどれだけサボってきたんだろうと思うほどに基礎が頭の中に入っていなかった。かつての私の記憶がなかったら、お手上げだっただろう。

 家に帰ってからも復習をし、兄の家庭教師の先生にも判らないことを質問して、それでも追いつかない有様。

 王様は一体私の何を見て王子の婚約者にしようなんて思ったのか。我が侯爵家との縁が欲しかったのは判るけど、見る目のなさにあきれるしかない。

 

 何度か王城に上がるうちに、エリオ様が剣の鍛錬を受けているところをお見かけすることがあった。

 すぐに講義が始まるので、ゆっくりとお話しすることはできなかったけれど、時々目が合って、軽く手を振ると、ぷいっと顔を背けられてしまう。

 どうしてそんなに嫌われているんだろう。何かしでかしたのか、10年分の記憶をたどっても心当たりはなく、落ち込みそうになったところに、私を案内する王城の侍女がずいぶんご機嫌な様子で、

「殿下は照れていらっしゃるのですよ。ほら、耳が真っ赤」

と言って、クスクス笑っていた。

 見ると、確かに赤いように見えたけれど、それは剣の鍛錬で体の熱が上気したからにしか見えなかった。

 それでも、かつての私はエリオ様が剣を持つところなど見たことがなかったので、そんな姿も素敵だなぁ、とさらにときめきが深まり、例え親の命であっても婚約者になれてよかった、と思わずにはいられなかった。

 

 ある日、いつものように軽く手を振って、そのまま講義のある部屋まで移動していると、エリオ様が鍛錬のお相手の方に何かを告げ、その手を止めて追いかけてきた。

 こんなことは初めてだったので、何か失敗してしまったのかと心配していたのだけど、

「今日の講義は同席する、少し遅れるけれど待ってて」

と言われた。

 見学? よくわからないけれど

「はい、お待ちしております」

と答えて先に部屋に向かった。

 その日は語学の日だった。いつもは私の椅子が用意され、先生がお一人つきっきりで講義されるのに、部屋には椅子が二つ並んで用意されていた。

 少し遅れてやって来たエリオ様は、私の隣の椅子に座った。

「では、今日からはお二人一緒にお勉強いただきます」

 先生の言葉に、耳を疑った。

 今まで一度だって誰かと一緒に学んだ事なんてないのに。

 聞くと、先生のご都合で午後に時間がとれなくなったそうで、私の先生を変える案もあったのだけど、進み具合も同じくらいだったので一緒に受ければいい、とエリオ様がご提案くださったとのことだった。

 婚約者とはいえ男女が一緒に学ぶのは、王城では異例のことらしいのだけれど、判らないところを教え合い、一緒に考えるのはとても楽しく、負けられないという思いもあって、いつも以上に理解が深まった。

 思いのほか私達の成績が上がったので、他の講義も可能なものは一緒に受けるようになった。


 授業の後のお茶の時間も私には楽しみで、例え10分でもお茶の時間は欠かすことなく同席してくださるので、きっとエリオ様も楽しんでくださっているのだと思う。

 私の好きなお菓子を覚えていて、いつも譲ってくださった。でも本当はそれがエリオ様もお好きなものだと判って、それからはお互い譲り合いになり、特にマロンパイが出る時はいつも多めに用意されるようになった。

 お話をしているうちに、初めのような警戒した様子で私を見ることもなくなり、時にはお勉強のことで意見を交わしたり、他国の様子や街の噂を教えていただいたり、家族の秘密の話なんかもして、和やかな時間を過ごすことができた。


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