悪魔編その10
時刻は深夜0時に差し掛かっていた。時計を持っていない俺が時間を確認できた理由は、自宅にある掛け時計で確認したからだ。
俺たちはなんとか逃げ切って自宅へとたどり着いた。予想通り父親は留守だった。
「さてと。お前、なんか飲むか?」
俺は自分用にコーヒーを淹れた。ついでに聞いてみたのだが銀髪の女は答えない。
「ほら、飲めよ」
「……いらないのに」
「いいから飲めって。ちゃんとお前好みの味だから」
不貞腐れた表情で、やっと銀髪の女は飲み始めた。正直こんなことをしている場合ではないが、息抜きも必要だと思う。
「それじゃあ、話をしようか」
俺は銀髪の女から聞き出さなければならないことがある。と言っても優先度が高い順番からだ。
「まずお前のことを聞かせてくれ。さっき聞いただけじゃ情報が足りない。お前を助けるためにもっと情報が必要なんだ」
銀髪の女は俺を睨むと、コップをテーブルに置いた。
「さっきも言っただろ。アタシの目的は帰ることだ。そしてそれを実行するためには契約しなければいけないんだ。アンタに出来ることは何もないんだ」
魔界に帰ること。それを実行するには契約が必要だという。
「どうして契約しないと帰れないんだ?」
「それを話してどうする?」
銀髪の女は頑なに態度を変えようとしない。
「……お前、リリスって言うんだよな? そういう悪魔がいるのか?」
このままでは彼女は何も語らない。だから別の話をしよう。
まずは名前だ。銀髪の女の名前はリリス。名前ぐらいならなんとなく聞き覚えがあるが、悪魔だとは知らなかった。
「ああ。アンタたちの世界にも悪魔の名前なら周知されているだろ」
「そんなことはないぞ。知ってるやつもいれば知らないやつもいるしな……そういえばさっき不安堂は言っていたな。オリジナルだとかなんとか……それはなんなんだ?」
銀髪の女……リリスは俺の質問責めに呆れたのか少しずつ答えるようになってきた。
「悪魔には2種類ある。オリジナルとレプリカだ。アタシはオリジナルだからホンモノのリリスだけど、レプリカは別だ。例えばアンタ、悪魔で有名な奴とといえば誰を思い浮かべる?」
「え……そ、そうだなぁ……サタンとかルシファーとかじゃないか?」
「まあそうだよな。例えばサタン。サタンは悪魔の王だ。そんな奴が実際にこの地上に現れたら、この世界は終わりだ」
俺からすれば悪魔という存在が現実にある時点で世界は終わっている気もするが。
「だけどどうしてもサタンの力を借りたい、利用したい。そんな連中が何をするかわかるか? 儀式を行うんだよ。悪魔を呼ぶ儀式をな」
そんなことをする連中までいるのか。
「実際にその儀式でオリジナルの悪魔が呼ばれたことはない。その代わりにレプリカの悪魔が呼ばれるということだ」
悪魔には2種類存在し、オリジナルはホンモノの悪魔。レプリカは、ホンモノの悪魔の力を使おうとして呼ばれた代わりの悪魔。
「もし地上にオリジナルの悪魔であるサタンが呼ばれていたら世界は終わりを迎えるだろうな。だから仮にサタンを呼ぼうとするような人間がいれば、そこに呼ばれるのはレプリカのサタンというわけだ」
「そういうシステムってことなのか……ん? それじゃあどうしてお前はレプリカじゃないんだ?」
「そんなこと知るか。アタシも気づいたら地上にいたんだよ。誰に呼ばれたわけでもなくな」
リリスがレプリカではなくオリジナルなのはどうしてなのだろうか?
しかし現状、悪魔の種類など大した問題ではない。それよりも聞き出さねばならない内容がある。
「契約ってのは?」
リリスは顔をしかめた。答えたくないのだろう。
「……どうしてそこまでして知りたい? なんども言ってるけど、アタシは悪魔だ。アタシを助けていいことなんて何もないぞ? それなのにどうしてだ?」
「何度も言わせるなよ」
もう何回目だ。俺はずっと同じことを言っているじゃないか。
「俺が助けたいから助けてるんだよ」
リリスは深くため息をついた。
「ああ、もうアンタ本当に……聞いてどうにかしようだなんて思うなよ? アンタに出来ることなんてないんだからな」
「任せろ」
リリスはコーヒーを飲みながら説明した。
「契約。それは悪魔にとって重要なことであり、この地上に存在する悪魔が契約しないなんてことは今までに1度もないぐらいだ。それぐらい契約とは悪魔にとっては重要なことなんだ」
誰もが1度は聞いたことがあると思う。悪魔が人間と契約して願いを叶えると。
「悪魔は人間と契約することでやっとその力を発揮できる。その力の源は人間の生気だ。人間の生気を吸って力を得て……最終的に人間は死ぬ。そうして悪魔は力を手に入れるんだ」
聞くだけでもゾッとする話だ。悪魔に生気を吸われ続ければ最終的には死んでしまうなんて。
「今までもそんな奴がいたのか?」
「そりゃあいたさ。もちろんほとんどがレプリカだけどね。だけど実際に力を得続けてオリジナルに匹敵するぐらいの力を手に入れた悪魔もいる。まあほとんどが倒されてるけどな」
悪魔を倒すことが出来る人物。いや、役職は決まっていた。
「そう。この世界に3人しかいないエクソシスト。あの男もそのうちの1人だ」
不安堂がかなりの実力者だということは先程の戦いを見てよくわかった。エクソシストに加えて、ゴーストアップなんて力まで有しているのだから当然とも言えるが。
だが待てよ。あの時リリスは契約をしていなかった。だから不安堂に圧倒的に倒されたのでは? もし契約をしていて、彼女が本来の力を発揮していたら?
「どうしてエクソシストは3人しかいないんだ?」
「さあね。そこまではわからないよ。昔はもっといたんじゃないのか? だけど基本的にエクソシストとして活動することなんて滅多にないから少なくていいだろ」
「なんでだよ」
「いやアンタ。悪魔なんて滅多に現れるもんじゃないぞ。それに契約が必ずしも成立するとは限らないんだからな」
「それはどういうことだ?」
「契約はな。人間側の同意も必要なんだよ。だから人間に拒否されれば契約は成立しないんだ」
確かに強制的に契約なんてさせられたら、人間側は悪魔に対して太刀打ちが出来ない。
「それなのに契約に同意する人間がいるなんて……」
「ああ。そこが1番の問題なんだ。契約は悪魔だけにメリットがあるように見えるかもしれない。だけど人間側にもメリットがあるんだ」
「それはどんな?」
リリスは一拍おいて口を開いた。
「簡単なことだ。願いを叶えるんだよ。1つだけだけどな」
願いを叶える。そんな言葉を聞けばその魅力に惹かれるものもいるかもしれない。
「と言ってもさすがに神じゃないからな。悪魔は所詮悪魔だ。叶えられる願いに限度はある。例えば世界を滅ぼしてくれ、なんて願いは叶わないだろうな。逆にいえば、億万長者になりたいと願えば叶うだろうな。ま、結局早死になるだろうけど」
叶えられる願いに限度はある。それでも願いによってはあっさりと叶ってしまう。
「それから契約時に人間側と悪魔側にそれぞれデメリットも発生する。それは悪魔ごとによって内容は変わるらしいけど」
契約といっても複雑なルールがあることが理解できる。契約は悪魔と人間互いの同意が必要で、悪魔は人間の生気を吸い力を手に入れることが出来る。
人間側は、1つだけ願いを叶えることが出来る。しかし悪魔側と人間側にそれぞれデメリットが存在し、加えて人間は生気を吸われ続けるので確実に早死になる。
「これを踏まえて聞くけど、悪魔の最終的な目的はなんだ?」
リリスはコップを俺に向けた。おかわりということだろう。
「そんなのは本人に聞いてみろ、としか言えないな。それはレプリカだろうがオリジナルだろうが共通してる点だな」
「それじゃあ、お前は目的もなく地上に来たってことになるよな……気がついたらって言ってたけど」
「なんでだろうな。本当にわからないんだよ。だけど地上に来てアタシは思ったよ」
リリスは天井を見上げた。
「なんて、いいところなんだろうって」
俺はリリスが、前に俺に対して言ったことを思い出した。
あいつは、この世界は素晴らしいと言った。どうしてそう思ったのか、その理由はあまりに単純なものだった。
「アタシはずっと魔界にいたからさ。地上に来て本当にそう思ったんだ。街の景色、匂い、食べ物、人間。何もかもが新鮮だったよ。全部、初めての経験だった」
リリスが、別の世界から来ていたから。何もかもが初めてだったのだ。
「アンタ言ったよな? この世界はいいことだけじゃないって。確かにそれはアタシも思ったさ。だけどアタシからすればそんなのはちっぽけなことだなって思ったよ。逆にさ、そういう嫌なことがあるから、いいことがよく見えるんじゃないのか?」
リリスはうっすらと笑みを浮かべていた。
「だからあの時はアンタがそんなことで悩んでるのが不思議だったんだ。何があったのかは知らないけど、そういう嫌なことがあったならなおさら今を楽しむべきなんじゃないのか?」
ああ、そうか。どうしてリリスがこんなに楽しそうに笑っていたのか。わかった気がする。
「アタシはなんで地上に来たのかはさっぱりわからないさ。だけど来たからには楽しむかって思ったんだよ」
リリスは、今を楽しんで生きているのだ。確かに俺は過去に挫折があった。そしてそれを言い訳にして今を適当に生きていた。
俺は現実から目を背けていたのだ。適当でいい。つまらない生活でいいと。そしてその逃げ道として、俺は過去を言い訳にしていたのだ。
「まあ、その結果がこのザマだけどな」
俺はリリスの味方をしてよかった。そう心から思った。俺の知りたかった答えはもう得ていた。
「……ん? どうかしたのか?」
リリスが不思議そうに俺を見つめる。
「いや、知りたかったことが知れただけだよ」
「そうか。よくわからないがやっぱりアンタは面白いな。全然つまらない人間なんかじゃないな。少しめんどくさいが」
俺は心の中で決意した。絶対にリリスを助けよう。俺はこいつの支えになりたいと。
「そうかよ。なあ、やっぱり教えてくれないか? どうして契約しないと帰れないんだ?」
「……さっきも言ったけど悪魔が本来の力を手に入れるには人間の生気を吸い続けないといけないんだ。それは契約をしないと出来ないことだ。そして悪魔が魔界に帰るためにはある程度本来の力を手に入れる必要があるんだ。だから今のままではアタシは帰ることが出来ないってわけ」
契約しなければ力は手に入らず、力が手に入らなければ魔界に帰ることが出来ない。だから契約が必要。
「……なあ、お前はどうして魔界に帰りたいんだ?」
「それは……」
なぜかリリスは答えにくそうにした。帰りたいのに理由がない。言いにくい理由でもあるのだろうか?
「俺はお前を助けたい。もしお前がよかったらこのまま地上にいるってのはどうだ? 不安堂も説得してみせる。だから……」
リリスは答えない。確かにこれは俺のワガママだ。リリスを魔界に帰すという選択肢を捨てた答えなのだから。
「今、何時だ?」
俺の提案には答えずふと、リリスはそんなことを言った。
「12時17分だけど……」
「ああ、そうか」
リリスは静かに声を漏らすと、ゆっくりと立ち上がった。
「ダメなんだ」
「え?」
「アンタにアタシを救うことは出来ない。だけどよかったよ。アンタ、あの時に比べてマシになったよ」
「おい、何言ってーー」
言葉が途切れた。その瞬間、リリスは。目の前で倒れてしまった。




