悪魔編その2
銀髪の女はコーヒーを初めて飲んだのか、目を輝かせている。
「おお! これは甘いな! これなら飲みやすい!」
あっという間にコーヒーを全部飲み干した。そんなに美味かったのだろうか。
「アンタのオススメはやっぱりさっきのブラック? なのか?」
「いや、俺のオススメはGエナジーっていうエナジードリンクだな」
「なっなんだそれは! うまいのか!?」
す、すごい食いつきようだな。あと地味に顔が近い。こうしてみると目つきは悪いが顔立ちは整っており、どちらかというと美人の部類に入るんじゃないか?
「あ、ああ……俺の一押しだ。ぜひ飲んでくれよな」
「ここに売ってるか!? 売ってるなら飲むぞ!」
「え? まあ売ってないことはないと思うけど」
銀髪の女は勢いよく立ち上がった。また買いに行くのだろう。それは全く問題ないが、俺は女の手を掴んで止めた。
「なんだ? なぜ止める?」
「いや、どうせ行ってもわからないだろ? 俺が買ってくるからちょっと待っててくれ」
俺はそう言って店内に三度入った。店員の元に飲み物を持っていくと、またかといった表情をされたような気がする。
「こ、これが……!」
Gエナジーを見て喜ぶ銀髪の女。まだ飲んですらいないのになんだってこんなことで喜ぶんだ。
「じゃあ早速ッ!」
女は待ちきれなかったのか、グビッと飲み始めた。そして止まることなく一気に飲み干した。
「プハァー!! なんだよこれ! うまいじゃん! なんでこんなものがあるってもっと早く言ってくれないんだよ!」
いきなり理不尽だな。酔っ払いかよ。
「アンタはもしかして飲み物マスターなのか?」
「はい?」
「そこにあった物に書いてあった。たくさんの飲み物を飲み尽くした人間には飲み物マスターって称号を与えられるって」
一体何を見たんだこの人は。
「そこって、コンビニの中にある雑誌か?」
「??? 多分それ」
多分ってなんだ。コンビニの雑誌以外他に何がある。
「まあ俺は飲み物マスターじゃないぞ。強いて言うならイヤホンヘッドホンマスターと呼んでくれ」
「なんだそれ? イヤホンにヘッドホン? それはどんな食べ物だ?」
「は? 食べ物なわけないだろ。イヤホンだよ。それにヘッドホン。まさか知らないのか?」
「うん、知らないな。あるならぜひ見せてくれ」
これは驚いた。世間知らずもいいところだ。やはり日本人じゃないのだろうか? 仮に外国人だとしても、イヤホンヘッドホンを知らないなんてことあるだろうか?
「えっと、イヤホンは今持ってないけどヘッドホンならあるぞ」
カバンにしまっていた壊れかけのヘッドホンを手渡した。
「ふ〜ん。これがヘッドホンねぇ。ねえ! これはどうやって食べるんだ?」
「あ、あのなぁ。それは食いもんじゃないんだ。音楽を聴くための機械だよ。まじで知らないのか?」
銀髪の女は首を傾げている。本当に知らないのか。からかっているようにも見えないし……
俺は試しにヘッドホンを使わせてみた。銀髪の女はヘッドホンを被り静かになった。
「……」
俺は、何をしているのだろう。目の前で音楽を聴いている銀髪の女を見ながら思った。静かに目を閉じ、自分の世界に入り込んでいる。
その姿を見て、美しくも歪な姿。そんな意味不明な感想を抱いた。
「これ、すごいな!」
銀髪の女はヘッドホンを外し、子供の様にはしゃぎながら感想を言った。とてもシンプルな感想だ。
「やっぱりすごいな……もっと、知りたいな」
「……えっと、あんたは外国人なのか?」
視線を逸らす銀髪の女を見て、俺はふとそんなことを聞いていた。
「そうだなぁ、まあそんなところ。そういうアンタは当然、普通の人間だな」
「当たり前だろ。人間以外に何があるってんだか」
それにしても、不思議な人だ。飲み物やヘッドホンを初めて知ったなんて。
この人にとっては何もかもが新鮮なのだろうか。だからもっと知りたい、と。
「さてっと。アタシは帰るよ。アンタはよくここに来るのか?」
銀髪の女は立ち上がってそんなことを聞いてきた。
「え? あ、ああまあ……そんなにってわけじゃないけど……」
「そうか。ならまた会うかもな。じゃあな!」
銀髪の女は早足で去っていった。何か急ぎの用事でもあるのだろうか?
どの方面に帰るのか観察していると、俺とは帰る方向は別のようだ。
「って、なんでそんなこと気にしてんだ」
不思議なこともあるもんだ。だけどきっと今日だけだ。そう思って俺は帰宅した。
「お! 今日も来たか!」
いつからだろう。俺はコンビニに向かう頻度が増えていた。
結局次の日も、その次の日も、銀髪の女はいた。会うたびに俺たちは話した。と言っても、主に俺が話すのを銀髪の女が楽しみにしているといった様子だった。
例えば学校のこと。あるいは食べ物のこと。そして友人(主に剛)のこと。
そんなごく普通な話を聞いて、銀髪の女は楽しそうだった。俺はそんな彼女の姿を見て、いい気分になっていたのかもしれない。
「今日は何を話せばいいんだ?」
ちなみにだが、俺はこの銀髪の女の名前を知らない。そして俺も自己紹介はしていない。
お互い聞いてこないし、なんだか聞くタイミングを失ってしまった気がするのだ。
「そうだな」
銀髪の女は俺の目を見た。なんだ。いつもと様子が違う??
「アンタのことを聞かせてくれ」
「お、俺のこと?」
どういうことだ? 俺のこと?
「そうだ。アンタの話が聞きたい」
「えっと、それを言うなら今まで話した内容は全部俺の話ってことになると思うんだけど」
「そういうことじゃないんだよな。そうだな……」
銀髪の女は一瞬考えたのか動きを止めた。そして口を開いた。
「アンタ、常につまらなさそうだなって」
「……ッ!」
「話してる時もさ、なんだか他人事っていうのかね。アンタが話してる内容って基本他人の話であってアンタ自身の話じゃないよな。ってアタシは思うんだけど」
事実だ。俺の話す内容は自分の出来事じゃない。それを見透かされたというのか。
例えば学校の話。学校でこんな噂があった。という話をする。しかしそれは俺の感想ではなく他人が言っていたことをそのまま伝えているだけだ。
食べ物の話。これは雑誌などに乗っていることを話している。
友人の話。これも剛の生態を説明しているだけだ。俺の感想、考えは何も伝えていない。だからつまらなく見えたのだろう。
それ以前に、俺自身が楽しいと思ったことが全然無いというのが問題なのだが。
「アタシが言うのもなんだけどさ。どうしてアンタはそんなにつまらなさそうなんだ? この世界にはこんなにも楽しいもので溢れているのに」
「そりゃあわからないだろうさ」
「わからないさ。だから教えてくれない?」
俺は口を開いていた。
「この世界はあんたが思ってるほど楽しいわけじゃない。そりゃあ楽しいこともあるさ。だけどそれと同時に楽しくないことも多いんだ。俺はな、特にそれを味わっちまったんだ。そのせいで何もかもがつまらなく感じるようになった。知らないだろうけどな、俺って実は昔は諦めが悪かったんだぜ? 何事にも努力したし頑張ったさ。それでもダメなことはあるんだよ。どんなに頑張ってもな、報われない人もいるんだ。それが、俺なんだ。そんな奴が楽しい生活を送れるわけないだろ?」
いきなりこんなこと言われても困るだろう。わかってるさ。
だけどこれが今の俺を作っている原因だ。俺は頑張った。何事も諦めずに。周りのやつも言っていた。俺の取り柄は諦めが悪いことだと。そんな俺でも、もう諦めるようになってしまった。
「そうか。アンタの人生を見てきたわけじゃないからなんとも言えないけどな。結局さ、それだけのことなわけか」
「それだけ……?」
「アンタからすれば気持ちはよくないよな。わかってるよ。でもアタシはそう思っちゃうんだよ。それはそれ。これはこれ。その時きつかったのはわかるけどさ、それで今を楽しまないってのはもったいなくないか?」
俺は立ち上がっていた。ここまで話がわからない奴だとは思っていなかった。
「何がわかるんだ? 言ってるだろ? 俺だって今を楽しみたくないわけじゃない! だけどもう楽しめない性格になっちまったんだよ」
「だったらまた変わればいいじゃん」
「……っ! うるさい……! 何も知らないくせに勝手なこと言うな!」
俺は自分で言うのもなんだが、珍しく怒鳴りつけその場を立ち去った。何かを言っているような気がした。だけど俺は聞かなかった。
「なんだよ、なんなんだよ! せっかく……」
せっかく、久しぶりに楽しいと思えていたのに。俺は一切後ろを振り返らずに家に帰った。




