幽霊編・成その7
俺と富士見は2人でとある住宅街に向けて歩いていた。その場所は外湖神社からそう離れた場所ではなく、比較的近い距離にあった。
きっと、彼女が生きていた頃に住んでいたからこそ、外湖神社によく遊びに行けたんだろう。
「それじゃあ……冬峰さんは、生きていた頃に住んでいた場所にいるってこと?」
白い息を吐きながら富士見は問いかけた。
「さあな。でもその住宅街に何か執着がなければいる意味もないだろ。だからきっとそうなんじゃないかって」
冬峰の位置を特定出来たのは、霊能力者である姫奈さんのおかげだ。彼女が張った結界内で、1番強力な霊力を持つものがその住宅街周辺にいることがわかった。
だから俺は、冬峰がかつて住んでいた場所なのではないかと仮定したのだ。
「……そもそも冬峰さんって、実態を保てない時はどんな状態なのかしらね?」
冬峰は自身が幽霊だと自覚している浮遊霊だ。全くもって矛盾している存在だ。
しかし彼女はれっきとした幽霊であり、近くに霊的存在がいないと彼女は実態を保てない。つまり、通常であれば彼女の姿は見ることが出来ないのだ。
「そりゃもちろん見えないだろうな。今となってはそうとも限らないかもしれないけど」
「そういうことを言ってるんじゃないわよ」
富士見は俺の言葉を遮った。
「つまりふじみーはこう言いたいわけだ。ふゆみんは実態を保っていない時、どんな感情を抱いて、どうやって過ごしているんだろうってことだろ?」
富士見の気持ちを代弁してヘッドホンが答える。否定しないということは、ヘッドホンの考えは間違っていないのだろう。
彼女が実態を保っていない時。彼女の目には何が見えていて、どうやって過ごしているんだろう。帰る場所もなく、ただただずっとこの世を彷徨う。それが彼女の常識であり、日常。そんな生活をずっと、ずっと……
「私はね、あなたが土津具君に言った言葉、あれは間違っていないと思う」
それはきっと『幽霊はこの世界に存在してはいけない』という言葉のことだろう。剛を説得するために放った言葉。それは事実だ。だけど……俺は自分の矛盾に気づいていた。
「だから……きっと冬峰さんは成仏されるべきなんだと思う。大除霊とか悪霊とか関係なしに。きっと幽霊は、ここにいるべきじゃないんだと思う」
冬峰が神域に残ると告げた時、俺ははっきりと自分の言葉で告げたのを覚えている。
幽霊がいちゃいけないなんて誰が言った? と。
それは本心で思ったことだ。冬峰に消えてほしくない。その想いから放った言葉だった。
だけど……それでも理解はしている。幽霊はこの世に未練を残した存在。彼らをこの世に留めさせて、一体誰が幸せになれるというのだ? むしろみんなを苦しめてしまっている。残された人や、その幽霊自身も。
「ああ。そうだよな。あいつをこのまま留めても誰も幸せにならない。だから……俺が終わらせないとな」
全てはあの日。外湖神社で冬峰の正体を知った時。彼女の吸収を拒んだ時点で苦しむのはわかっていた。ただその時を引き延ばしただけ。だからこそ俺に責任がある。俺があいつを満足させてあげないといけないんだ。
「全く……アンタってやつは本当に自由なやつだよ」
らしくない声を出すヘッドホン。ああ、全くその通りだ。こんな自由なやつじゃなければ悪魔なんて助けたりしないよ。
「ん……? おい、なんか人が倒れてないか?」
再びヘッドホンが声を出す。しかし先ほどとは打って変わって大きな声だった。
彼女の言葉に釣られて正面に目を向ける。少し先の方に男性が1人うつ向けで倒れているのが見える。道端の方だが、周りに人は誰もいない。
「富士見!」
「ええ」
俺たちは倒れている人に駆け寄り声をかけた。
「大丈夫ですか!? あの、大丈夫ですか!?」
男性の肩に触れて軽く身体を揺すった。ひどく肩が重いように感じた。しかしそれ以上のことはなく、彼が幽霊に取り憑かれているわけではないことも理解できた。
「あ……ああ、す、すいません。最近ちょっと立ちくらみが酷くて……」
顔を上げた男性は50代ぐらいで、身体を怠そうに起き上がらせた。まだ意識がはっきりとしていないのか、目が泳いでいる。しかしそれでいて受け答えははっきりとしていた。
「立ちくらみって……大丈夫なんですか? 他に何か異常は?」
今度は富士見が男性に声をかける。
「え、ええ今のところは……いや……はい。私自身は大丈夫なんですが……どうも最近妙なことになってまして」
男性は壁に手を掛けながら、ゆっくりと立ち上がった。
「妙なこと……?」
「はい。最近、家にこもっていると何かにずっと見られているような感覚がありまして……近所の人にも聞いてみたんですけど、どうやら私だけらしく……最近噂になってる幽霊の仕業なんじゃないかって……」
男性は背後を気にしているのか、その場でずっと立ち止まったままだ。さらには体まで震わせている。
「それに……この冷たさは異常ですよ!! いくら冬とはいえこんなに身体が冷えるなんておかしいです!!」
よく見ると彼はかなり暖かそうな格好をしていた。厚手のダウンに手袋、ニット帽までかぶっていた。まるで雪国に住んでいるかのような格好だった。
「やはり私はきっと何かに取り憑かれているんだ……」
富士見は俺の目を見た。彼女が何を言いたいのかはすぐにわかった。
俺が彼に触れた段階で幽霊に取り憑かれている形跡はなかった。確かに妙な感覚は覚えたが、彼は取り憑かれていない。それは俺がゴーストドレインを所持しているからこそ理解できることだった。
「それは……わかりませんが、あなたの家はこの近くなんですか?」
下手なことを言っても混乱させるだけだ。まずは彼から得られる情報が欲しい。
「ええ……もうすぐそこのところですよ……それが何か?」
「もしかしたらその家に何か問題があるのかもしれません。案内してくれませんか?」
男性は怪訝そうな表情でこちらを見る。それもそうだろう。俺たちは彼から見ればただの高校生であり子供だ。何を言っているのか訳がわからないだろう。
「実は私たち知り合いに幽霊関係の専門家がいまして……よろしければ協力させていただけませんか?」
富士見の言葉に嘘はない。俺の父も、彼女の両親も、どちらも専門家なのだから。
「そうなんですか……この悩みが解決するんだったらもちろん……と、言っても家はほんとすぐそこですよ」
男性は後ろを向かずに指で家の方向を示した。
「えっと……どれですか? あの赤い屋根の?」
「ち、違います……その隣の緑の屋根の家です。あそこは元々知り合いの家だったんですが、その知り合いが引っ越して家を譲り受けたんです……」
「ああ、あのみどり――」
その緑の屋根に目を向けた瞬間だった。
背筋が凍った。視界がかすみ、脳に異常が発生した。なんだ、これは。酷く頭が痛い。なんであの家を見ただけでこんなに、こんなにも悲しい気持ちを抱かないといけないんだ?
「……待ってください。知り合いの家、とおっしゃいましたよね? その知り合いって……」
富士見の問いかけに息が詰まる。まさか……まさか。
「もしかして……知り合いなんですか? その、冬峰さんと?」
その瞬間、俺の視界に映った1人の少女。鹿馬中学の制服を着た小さな女の子。彼女と目が合う。脳にビリビリとした衝撃が走る。冷たく悲しい衝撃が伝わる。
あいつはこんな……こんなになるまで。この世界に残り続けていたというのか?
「やはりそうでしたか。と、なれば冬峰さんはもうあの家には住んでいないと?」
「ええ……今から数年前に旦那さんを亡くしてから引っ越したようで…………ま、まさかとは思いますが彼が霊となりこの地を彷徨っているのでは……??」
それはおそらく冬峰の父のことだろう。残念ながら冬峰のお父さんは亡くなっているようだ。しかしお母さんはまだ生きていて、どこかに引っ越したという。
そう、か。冬峰、お前は……お前が最後にやりたいこと、それがなんなのか……わかった気がする。
「怪奇谷君……?」
富士見は至って普通にしている。彼女には先ほどの衝撃はなかったのだろうか?
「え、ちょっと!?」
俺は男性と富士見を置いて走った。緑の屋根の家。それを見つめる少女の元に。
「お、おいおいアンタ急にどうした!?」
しかし少女は俺を見ると、なぜか慌てて姿を隠そうと、近くの電信柱に向かっていった。
だけど当然彼女は子供だ。俺の方がスピードは圧倒的に速い。簡単に追いつくことが出来た。
「ハァハァ……」
とはいえ久々に走ったので息が切れる。目の前には少女がこちらを見ずに立ち止まっている。そんな彼女の肩を俺はゆっくりと叩いた。
「よお、おはよう。冬峰」
彼女の身体は冷たかった。こんなにも……俺はずっと彼女を、こんなになるまで苦しめていたっていうのか?
「……おはようございます! 魁斗お兄さん!」
そんな彼女は、いつものように。太陽のように眩しい笑顔で答えたんだ。




