幽霊編その14
体感にして1秒。ほんの一瞬の出来事だった。この身体は感じた。確実に何かが変わったということが。
何が起きた? そして何が変わった? この感覚はなんだ?
ゾワゾワしたこの感覚。初めての感覚だ。だが悪魔が現れた時の感覚、それに近いものを感じる。
しかし何か別の感覚が同時に起きてしまったため、はっきりとしたことは一切わからない。
悪魔と何か……別の存在が現れたような……
「なんだ……何が起きた」
思わず周りを見回す。何かが近くにいる、そんな気がする。
すると、木々の方から音がする。カサカサと音がするのだ。虫か? それとも風か?
それだけならよかった。だがさらにおかしなことが起きた。
来遊家の駐車場に停められている2台の車。その内の1台のヘッドライトが唐突に点灯し始めたのだ。
「なんだ……なにが、どうなってる?」
俺が車に近づくと、今度はもう1台の車のワイパーが勝手に動き出した。さらにはクラクションまで鳴り出した。
どうして誰もいないのに。誰も操作していないのに勝手に動き出すんだ。
なんなのだ。この現象は。
俺は原因を探るべく、とりあえず車に触れてみた。
「なっーー」
瞬間、頭の中に何か妙なものを感じた。
何か、力のようなもの。それが集団でこの車に取り憑いている。それを俺は感じることが出来た。個々でそれは存在している。
「なんだ、これ……なんなんだこれ!」
初めて味わう感覚におかしくなりそうだ。そもそもこれはなんだ? 悪魔ではない。全く別の何か……
まるで、亡霊のようなーー
「待てよ……これは……まさか……」
この車に取り憑いている存在。取り憑いているということはそういうことが出来る存在ということだ。
つまり、これらは幽霊なのではないだろうか?
だとすれば納得はいく。なぜなら俺は、除霊師、霊媒師、霊能力者の力を持っている。存在しないはずの幽霊に対するための専門家としての力。
もちろん使ったことはない。しかしこの感覚。それ以外に想像がつかない。
霊媒師は幽霊を操れる。つまり触れれば幽霊だと判断できる。だから触れた時に頭の中にこの存在のことが入ってきたのだ。
霊能力者は霊力、という力を察知できる。先程感じた感覚はおそらくこれだ。
そして知っている。除霊師がどうやって幽霊を除霊するのかを。
「じょう・じょう・おん・じょう・じょう」
車に触れて、妙に昔から頭に残っていた呪文を唱える。その瞬間、ワイパーが動いていた車は停止した。この車に取り憑いていた幽霊が除霊されたのだ。
「これは……ほ、ほんとに……幽霊が」
信じられない。こんなことがあるのか。存在するはずがないものが、この世界にいる。
俺は隣の車も同じく触れて除霊する。すると、やはりヘッドライトは消灯した。
他にもいるのだろうが、数が多すぎる。どうしてこの辺りにこれほどの数の幽霊が集まっているんだ。
そもそも何故存在しないはずの幽霊がこの世界にいる? 何かきっかけがあって今この瞬間に誕生したとでも言うのか?
そんな時だった。突然、来遊家の天井が弾け飛んだ。
「なっ……!」
瓦礫が降ってくる。それを避けながら俺はこの目で見た。何かが猛スピードで飛び去っていく姿を。それが飛び去った後に少量の水が降ってきた。
「嘘……だろ……なんで、なんでだ……」
それを見た瞬間に理解した。何が起きたのかを。そしてその存在の正体を。
あれは悪魔だ。
ではなぜ、悪魔がこの家から出てくる。嘘だ。ありえない。こんなことが……こんなことがあってたまるか!
来遊家の中を走った。本日2度目の道だ。その時はこんなことになるとは思いもしなかった。
途中、庭師と会った。メイドと会った。来遊の子供達と会った。だけど、今回は誰とも会わなかった。
唯一見たものは、地面にこぼれ落ちている誰かの血だけだった。
そしてリビングへとたどり着いた。この部屋の中に来遊と英理奈さんがいる。そうでなければいけない。
だけど、わかっていた。そんな希望。とっくにありはしないんだって。
「らい、ゆうーー」
そこに1人の男は立っていた。背を向けて空を見ていた。空……そう。ここの真上。そこが壊れていた。つまり、先程の悪魔はここから飛び出したのだ。
他に人は誰もいない。いなかった。いたはずの人間は、そこにはいなかった。
代わりにあったもの。それは。
ナイフ、そして、大量の血だった。
「来遊……おい。来遊。お前……お、おまえ……なに、や……なにを、やってんだ……?」
ダメだ。まともな思考を保てない。声がうまく出てこない。今俺は、こいつをどんな風に見ている。
「なにを……やってるんだ……おい、答えろ…………答えろよ…………来遊」
奴はこちらに視線を向けない。あいつは自分の感情をあまり表に出さない。
そういう奴、だった。そう、昔から変わらない。そういう奴だったんだ。
「何をやってるんだって言ってるんだ!! 来遊!!!!」
空を見つめる。その視線を、表情を。やっとこちらに向けた。
「富士見か」
ただ、一言。それだけだった。だというのに。なんだこれは。こんなことって。
「なんだよ、それは」
あいつはこんな奴じゃない。そうだったはずだ。俺の知っている来遊夜豪はこんな、こんなことで。
「なんでテメェは笑ってるんだよ!!!!」
表情を変えるような男ではなかった。
「富士見。お前は誤解している。これが俺だ。これが本当の俺なんだよ。わかるか? 富士見ィ」
来遊はいつも以上に口が回る。さらには動きも多い。
「お前が……さっきの悪魔を召喚したのか……?」
そんなわかりきった質問をした。
「他に誰がいる。この俺以外に悪魔を召喚する人間がここにいるか? そもそも、ここに生きている人間は元々いないか」
なんだ、それは。つまり、ここにいる人たちは、家族は。もう、みんな死んでいるというのか。
「死んだ。死んだよ。英理奈も瑠来も露華も。みんな死んでた。さっきの悪魔に殺されたんだろうな」
サキュバスだ。手遅れだったんだ。俺が甘かった。捕らえてるだけだと思い込んでいた。
いや、あの返り血でなんとなく察していたのかもしれない。どのみち、俺があの時幕阿を追った時点でみんなを助けることは不可能だったんだ。
「富士見、お前は知っていたんだよな? あの悪魔がここに向かっていることを。そして悪魔を倒せるのは富士見だけ。だというのにお前はここには来なかった。なぜだ? なぜお前はあの男を追った」
「なぜって……俺は、お前が家族を連れて逃げたもんだと思って……」
それは本当に思ったことだ。来遊が全員を連れて逃げたのだと思い込んでいた。だから大丈夫だと思っていた。
「ああ。確かに俺は家族を置いてきた。それは俺に非があるのだろう。だがな、俺は逃げたんじゃない。麗美をさらったあのゴミを追っていったんだ。まさか、お前も向かってるとは思いもしなかったがな」
来遊は口を開く。開いて喋る。しっかりと俺の目を見て。普段なら考えられない。
「戻ってきてみればこのザマだ。家族は殺され、全て失った」
来遊に何を言われても俺は反論できない。彼の言葉は事実なのだから。現に俺がいち早くここに来ていれば、英理奈さん達を救えたかもしれないのに。
来遊が家族と共に逃げなかったのにはきっと理由がある。少なくともあいつは、家族を見捨てるような奴じゃない。
そう、思っていた。
「しかし、まさかここに来てこんな素晴らしい日になるとは思いもしなかったがな」
「は……?」
来遊の目は輝いている。まるで、子供のように。
「この世界には悪魔がいた。それだけでも素晴らしいというのに……本当に俺の望む世界が出来上がった。ああ、これこそが俺の望む世界……幽霊がいる世界なんだ!!」
彼は叫ぶ。ここは、幽霊がいる世界なのだと。
「まさか……お前……契約した時に……うそ、だろ。そんなこと……」
考えられるのは1つしかない。契約時に叶えられる願い。来遊はそれで作り上げた。
幽霊がいる世界を。
「富士見ィ!! これこそが俺の求めた世界!! いや、お前が望んだ世界だ!! 望み通り、俺はこの街を俺の望むものにしてやる!」
来遊は叫ぶ。自分の望んだ世界を作り上げた。今のあいつはもう、俺の知っている来遊夜豪ではない。
いや、きっと違う。俺は元々、知らなかったんだ。来遊夜豪という人物を。
俺はーー知らなかったんだ。




